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23 師の正体-6

 ナミルの死体が消えた。

 ありえない事実に勇一らの神経は張り詰めた。周囲の炎は蔦のように壁を這い、黒煙が高い天井を埋めている。


「鎧を残して死体だけ消えているわ」


 彼女が着ていた鎧のほとんどがそこにある。二人に気づかれることなく中身だけが消えたことになる。

 うろたえた勇一からは「ありえない」と言葉が漏れる。


「確かに俺は、あいつの魂を飛ばしてやった。魂が無ければ体は死ぬはずなんだ!」


「でも実際、ナミル様は消えてしまったわ。一体どこに――」


 すぐそばで響く轟音。見れば二人がいる部屋の唯一の出入り口が崩れてしまっている。石と木材が混じりあった瓦礫にも火が燃え移り、簡単にはどかせられない。しかしそれよりも重大な事実が二人の目に入ってきた。

 瓦礫のそばに「彼女」が立っている。


「ナミル……!」


「ナミル様!」


 全ての鎧を脱ぎ捨てたナミルは最低限の軽装で崩壊した出入口を眺めている。「彼女がやったのだ」二つの事実を目の当たりにして、二人は同じことを思った。

 軽装のナミルの姿は警戒する二人の目に嫌でも入ってきた。右半身の豹と、左半身の黒豹。体の中央を境にして二つの模様が別れている。黒豹側の眼はガルーダルによって潰されているが、琥珀色の眼の方は見えている。その目が、ゆっくりと二人を捉えた。


 ――消えた。


「っぐう!」


 勇一の眼はナミルが消える瞬間を捉えていた。咄嗟に胸の前で構えた腕が彼の命を救う。しかし体ごと弾き飛ばされ後方の壁に叩きつけられてしまった。一瞬息をするのを忘れてしまうほどの衝撃だった。

 どうして魂を剝がしたのに生きているのか、彼は考えるのを一旦やめた。今目の前に新しい脅威が立っているのだから。


「ふん、ゴルガリアは失敗したようだな」


 ナミルが口を開いた。その声は先ほどと違って低く威圧的で、まるで男性のような響きだ。

 勇一が立っていた場所に入れ替わるようにして現れたナミル。隣に立っていたガルーダルがようやく反応するが、既に敵の射程内だ。


「ナミル様、どうし――」


「その名で呼ぶな、忌々しいっ」


 大きな手がガルーダルの細い首に伸び、あっという間に彼女の首をつかんだ。恐ろしい怪力で投げ飛ばされた先には勇一が……二人は折り重なるようにして倒れる。


(は、早く立たなきゃ…………脚がうまく動かない、こんな時に!)


 限界まで疲労を蓄積した四肢は思ったように動かない。それでも休むわけにはいかない二人は支え合い、生まれたばかりの獣のように震えながら立ち上がった。周囲の炎が彼らを温めたおかげで、そうするだけの活力は残っている。


「突然体が軽くなったと思えば、ナミルがいなくなっていた。何が起こったのだ」


「お前は一体……」


「人に名を聞く時はな、ブラキア。まず自分から名乗るものだ」


「ふうむ、だが……」ナミルではない誰かは、顎に指を当てて考える素振りを見せた。

 堂々とした態度と立ち姿。体こそナミルであったが、もはや別人だと二人は直感した。自身に満ち溢れ紳士的な雰囲気すら放っていたが、言葉の一つ一つに相手を押しつぶす力がある。


「あれが消えたのも、もしかすればお前たちの行動ゆえか? ならばそれに免じて教えてやろう」


「なに」


「我が名はパンテラ。獣人の長、やがて大陸の覇者となるパンテラ・シャッハである」


 ナミルだった人物は、あろうことかパンテラを名乗った。ガルーダルは手紙の存在を思い出す。あれはゴルガリアからパンテラに宛てたものだった。この人物が本物なら、内容も宛先も間違っていなかった。最初からナミルはパンテラだったのだ。


「魂が二つ……二重人格!」


「ニジュウジンカク?」


「説明してる暇はない。とにかくこいつはもうナミルじゃないことは確かだ!」


 殺したはずのナミルが復活して、パンテラを名乗る。事実に最も当てはまる言葉を勇一は口にする。一つの体に二つの魂、せめぎ合っていた二人が彼の行為によって解放されてしまったのだ。

 ともあれ、()が本物のパンテラであろうとなかろうと勇一とガルーダルがすることは変わらない。手紙の内容から自分たちが始末されるとわかっている。

 二人はパンテラに対峙する。


「おおおっ!」


 先手を打ったのは勇一とガルーダルだった。否、先手を打つしかなかった。彼がどんな力を持っているかわからないのは恐ろしいが、二人にとって最も好ましくないのは時間を掛けられることだ。

 勇一は目の潰れた左側から攻めることで自身に有利な状況を作り出す。ガルーダルは敢えて反対側から向かう。二人の間に相談や合図はなく、息の合った連携がパンテラに向かう。


「シャアァッ!!」


「うおおっ!」


「キャアァ!」


 二人はパンテラが一度だけ動いたのを見た。一度だけ動き繰り出された鞭のような蹴り。一撃で二人の攻勢は打ち砕かれてしまった。別々の方向に弾き飛ばされた二人は再び地に伏し、遅れてやってきた痛みに呻いた。

 例え自分たちが万全であったとしても、パンテラに勝てるとは思えない。二人の直感がそう告げている。それだけ敵の動きは速く、鋭かった。


「そのままでいろ」


 パンテラの凪いだ声。


「始末するのはブラキアだけだ。私はこれさえどうにかできればよい」


「あ、えっ……それは!」


 敵の指にぶら下がる銀の筒。それを見た瞬間、ガルーダルは体を引き裂かれたような気分になった。そんなはずはないと慌てて自身の腰に手をやる。

「無い!」ガルーダルは声を上げた。届けなければならないはずの書状が入った筒が消えている。二人を蹴り飛ばした時、パンテラがくすねたのだ。


「私が同盟軍人を殺したなど、どこから漏れるかわからんからな。お前にはほとぼりが冷めるまで地下にでもいてもらおう」


 ビリッ。

 筒に貼られた封があまりにもあっけなく剥がされた。

「やめて!」反射的にパンテラへ飛びかかろうとしたガルーダルは膝をついてしまう。疲労に加えて先ほどの一撃が体をその場に縛り付ける。朦朧とした頭で、彼女は筒を開ける色違いの両手を眺めることしかできなかった。

 筒の中からもったいぶることなく茶褐色の紙が現れると、パンテラは興奮気味にそれを開いた。


「確かに、ガルク・フォーナーを蟲人(セクトリア)マザーの正式な代理人として任命するとの内容だな。これが無ければ、あやつもただの竜人(ドラゴニュート)。開戦に言葉を挟む立場ではなくなる」


「開戦……!? まさか、貴方は!」


 ガルーダルの絞り出すような声に彼は邪悪な笑みで答える。


「有角の老いぼれも、蟲の女も、まったく今をどう心得ているのだろうな。この期に及んで拒否など」


(拒否?)


「既にヴィヴァルニア軍はそこにある。脅威を目の前にして臆病風に吹かれた腰抜けなど、同盟軍にはいらぬ」


 パンテラは握りしめた書状を燃え盛る炎に向けた。ちりちりと端が黒く変色する。


「パンテラッ!」


 勇一は痛みを押して走り出した。最初に受けた攻撃で腕は満足に動かない。しかしガルーダルが動けないなら自分が行くしかないと奮い立つ。勝てる勝てないではない。殺すのだ。そう自分に言い聞かせ、果敢にも獣人の長に立ち向かう。


「それを燃やせばガルクは無力になる。それで戦争が起きれば、沢山が死ぬんだぞ!」


 叩きつけた剣に刃はない。勇一が怒りを込めて振り下ろした剣は、あっさりとパンテラに掴まれてしまった。


「戦わずにブラキアの支配を受け入れれば、もっと多くの死者が出る。戦争による死人は、いわば必要なものとして受け入れる他ない」


「焼却もそうやって勝手に決めたのかよ!」


「仕方のない犠牲だ。遅効が過ぎるダラン、マザーというしがらみに囚われたマリアにはできん。難い選択も、私だからできたこと」


 まだら模様の手が掴んだ剣を引き寄せると、勇一は前方へつんのめった。伸び切った腹にすかさずパンテラの蹴りがめり込む。突き刺さったような激痛に彼は膝をついてしまった。


「ウグッ」


 足元に倒れ伏した勇一をゴミを見るような目で見下ろす。そしてパンテラは脚を振り上げた――


「これ以上に重要で、民の事を考えた選択などありはしない。人々はやがて私の決断を称賛するだろう。私以上に同盟を導ける存在などあり得ぬ……だから女神様は、そんな私に幸運を下さった!」


「こ、幸運だと!?」


 斧のように振り下ろされた足。その音は喧騒のような炎の音に紛れ、勇一には何が起きたのか分からなかった。

 蹴られた腹部の痛みが一瞬で引く。彼が衝撃を受けた場所に目を移す。

 不自然に曲がった左の下腿と皮膚から突き出た歪な突起を認識した瞬間、突沸した鋭い痛みが勇一の全身を貫いた。


「はっ……う、ああ、ぐあぁぁーーーーーーーーーーーッ!!」


 表情を歪ませた勇一の絶叫。意味がないとわかっていても手で押さえずにはいられない。怒りで打ち消される痛みにも限界があった。敵の足元という危険な場所から彼は全く動くこともできない。


「ユウ……ユウ!」


「都合よくブラキアがここにいる、私の手に書状がある。これが幸運でなくて何だ。お前の素性には興味はない。しかし首を持って行けば……あの愚図共も信じざるを得まい。『我々は暗殺者に狙われていた』なり、でたらめな話でもな!」


 パンテラは炎に書状をかざした。火はすぐに燃え移り、貪るように紙を灰へと変えていく。


「やめてぇぇっ!」


 ガルーダルは渾身の力で風魔法を行使するが、燃え移った火を消すには力が弱い。周囲の火を遠ざけようとしても火災は勢いを増すばかりで焼け石に水だ。立ち上がって接近しようにもたった五歩の距離は書状を取り返すのには遠すぎた。

 彼女の脳裏に部下たちとアリーナ親子の姿が浮かび、燃える。


「ああ……あああああっ!」


 本当はもっと短い時間だったが、彼女は書状が燃え尽きるまでに果てしなく長い時間があったように感じた。伸ばした手が虚しく行き場を失い、片方しかない目から涙が落ちる。灰となった書状は気流に乗って天井を埋める黒煙に消えていった。


(何のためにここまで来たの。何のために……………………みんなは死んだの)


 ガルーダルの心を虚無が満たした。


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