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21 師の正体-4

 

「やめろ……やめてくれ、ガルーダル!」


「……うっ」


 懇願の声をガルーダルは複雑な気持ちで聞いていた。師に手を上げ、あまつさえ殺そうとしている自分がいまさら信じられなくなった。

 このまま剣を握る手を引けば鍔はナミルの頭を掻き回し、すぐにでも殺せる。兜で表情は見えないのはガルーダルにとって幸運だった。もし見えていたら、その手を離してしまっただろう。

 ドカドカとナミルに近付く怒り冷めやらぬ勇一を目で静止した彼女は、冷静を装って口を開いた。


「ナミル様」


 絞り出すような声が痛々しい。


「私は伝令の任務を継続します。私に負った責任は、私が終わらせなければなりません」


 兜の向こうの表情は見えない。ナミルの脈が突き刺さった鍔を通してがガルーダルの手に伝わるのみだ。


「私たちは夜の手から襲撃を受けました。それでマシュ、ローブラン、ミリーが死亡。私もこの通りです」


 ナミルがどこまで知っているのか知りたくて、彼女はあえて詳細を省いた。伝令任務のことを知っているのはマザーを除けば自分の隊とナミルだけ。ヴェイロンはナミルの指示によって接触してきた……それ以外に彼女は考えられなかった。


「夜の手、だと」


「何かご存知ありませんか」


 ナミルは仰向けのまま呻いた。

 兜の奥では潰れた琥珀色の瞳から体液がとめどなく流れ出ている。


「私のガルーダル、信じてくれ。それは私ではない。ゴルガリア様だ」


「ゴルガリア!?」


 勇一の目の色が変わった。こんな所で仇の名前が聞けるとは思っていなかった彼は、情報を聞き出そうとナミルの前でしゃがみ込んだ。


「あいつは今どこだ、おい!」


「ユウ?」


 ガルーダルは突然声を荒げた勇一に戸惑う。しかしナミルの眼は勇一の詰問など聞こえていないかのように虚空を映していた。


「なぜあんなものが私の元に来たのか、訳が分からない。私は誰のものでもない、私だけの隊が欲しかっただけだというのに、なぜ皆邪魔をするのだ。何故、皆離れていく」


 ナミルは自身に刺さった剣を強く握った。片手で天井に張り付ける筋力にがっちりと固定されてしまった剣は、石のように動かない。

 うろたえた声を上げるガルーダルに、勇一は我を取り戻した。


「っく、ナミル様!」


「ガルーダル、剣を放せ!」


「お前も私から離れるのか。何年も共にいた私よりも、そんな男を選ぶのか!」


「ガルーダル!」


「ならばいっそ――」


 勇一の眼がナミルの手に握られたナイフをとらえた。狂気の行く先はガルーダルの喉元だ。


「永遠に私のものになれ、ガルーダルッ!!」


 ガルーダルを突き飛ばす?

 ナイフを打ち払う?

 ナミルの腕にしがみ付く?

 どれもが遅すぎる。


「と――」


 本来ならば、彼が行動する必要はなかった。彼女は女神魔法によって頭部を貫かれても生きていられる体になっているのだ。今更ナイフが刺さったところでどうということはない。

 彼が女神の腕を出したのは反射的なものだった。


「――まれぇッ!」


「う、うわあぁーーーーっ!」


 ナミルの全身は恐怖に駆られ硬直した。猛獣に睨まれ萎縮する哀れな餌のように。筋肉が強張ったことで、ナイフは指から放れなかった。

 勇一は女神の腕で容赦なくナミルを殴りつける。拳は兜をすり抜けて頭部を捉えた。激しい衝撃を彼女が感じた次の瞬間、その魂は体から弾き飛ばされた。



 ***



「……うぅ」


 軽い衝撃の後、鼻をつく悪臭にナミルは目を開いた。糞尿と腐敗臭がする薄暗い部屋である。視線だけ動かして周囲を見やると、真っ赤な床とゴミの坂が見えた。


「は〜〜、ふ〜〜、ん」


 耳障りな音程の鼻歌。それを今すぐやめろと怒鳴りつけようとした彼女は、自分の体がうまく動かない事に気付いた。手足が思った方に曲がらない。体が重くて上体を起こせない。


(冷たい……いま私は、何も着ていないのか? どういうことだ。う、後ろにいるのは誰だ)


「お、おし、おしご、おしごとを〜す、するのだ〜」


 異様に近い場所で刃物を研ぐ音が聞こえると、なんとなくナミルは思った。「この刃物は私に使われるのでは」と。

 おぞましい寒気に彼女は自分の乗っている台から飛び降りようともがいた。が、やはり手足がうまく動かない。それでももがいて、もがいてもがいてやっとの思いで視界に入った片手を見て、彼女は自らの正気を疑った。

 その腕は異常に短く、腫れたように太っていて、本来指があるはずの場所には、二つに割れた蹄が付いていたのだ。


「こ、これは、なんだ! わ、私は――」


「お、お、おおっ! げ、げん、げんきだなぁー。い、いい、にくに……な、なるねぇ〜」


 つばを撒き散らして笑う声。悪臭の元が回り込み、ナミルの前に現れた。豚面の皮を被った、ぶくぶくに太った男だ。男は天井から垂れた縄を引く。一気にナミルの体が浮き上がり、逆さ吊りになった。彼女の抗議の声も虚しく、男の包丁はなんの躊躇いもなくナミルの首筋を切り裂いた。

 あっという間の出来事だった。耳鳴り。どくどくと体温が外へ逃げていく。激痛に喘ぐナミルだったが、その声は男へ伝わっていないようだった。


「ブフッ。ガッ、はっ! や、めろぉ」


「さ、さい、さいしょは、な、ない、ないぞう、とるんだぁ」


 男の手がナミルの肋骨を砕き、体と内蔵を取り分けようとあらゆる場所を切り離していく。事切れる寸前の彼女の前に、一仕事を終えた包丁が突き立てられた。

 金属の腹に反射した自分の姿を見て、彼女は自らに起こったことを理解してしまった。


(あ、あぁ。これは、悪夢、だ)


 そこにあったのは自分の顔ではなかった。鼻を醜く膨らませた動物が彼女を見ている。

 豚だ。

 体から弾き出されたナミルの魂は、解体を待つ豚に偶然にも憑依してしまったのである。

 彼女はもう、指一本動かそうなど考えられなかった。ただ豚として死ぬという絶望に浸りながら、冷たい運命を受け入れる他無かった。




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