20 師の正体-3
全身を覆う金属の鎧。生半可な攻撃は通らず、策を持ってしても倒すことは容易ではない。大きさはさながら城壁の様であり、銀と金を纏う曲線はしなやかで美しくもあった。
そんなものが剣を持ち、じわじわと距離を詰めてくる。様相から伝わる「圧」に二人は踏ん張った。
最初に動いたのはガルーダルだった。視界確保のための穴を狙った正確な突き。恐ろしい正確さで突き進む切っ先は鉄の小手によって捌かれてしまう。
ナミルの視線がガルーダルに向かった瞬間、勇一も駆け出した。兜の小さな穴から二人を補足するのは難しい。そう読んだ彼はナミルの視界から外れるように鎧の足元に滑り込む。模造刀を鉄の脚に絡ませ、あとは思い切り力を込めれば鎧は膝を折るはず――。
「浅はかが過ぎる!」
勇一の目の前から鉄の脚が消えた。重量を感じさせない跳躍で後方に飛びのいたのだ。さらに彼女は石壁の溝をがっちりと掴み、壁に張り付く。するとどうだろう、暖炉の光が届かない天井付近の闇にその姿が紛れてしまったのだ。
(鎧を纏って、壁に張り付くだと……どんな筋力だ!)
動きを見ただけで伝わる身体能力。ナミルの居場所は、わずかに光る眼だけ。しかしそれもすぐに消えた。
それならば、と勇一は目を閉じた。あれ程の残虐行為を行っていたのなら、彼女には多くの「命の残滓」がまとわりついているだろう。それを見れば、居場所や動きが手に取るようにわかるはずだ……と。
しかし彼の目論見はすぐに崩れてしまう。瞼を閉じてすぐ、目の前が白で埋め尽くされてしまったのだ。
(こ、これは……命の残滓が多すぎる! 奴はどれだけ――)
「ユウッ!!」
「ううっ!」
ガルーダルが勇一を突き飛ばす。次の瞬間、彼の足元にあった絨毯が切り裂かれ、石畳に深い斬撃が刻まれた。暖炉の明かりが風のように動く黒い影を露わにしたが、二人が反撃の体勢に入る前にまたどこかの闇に紛れてしまった。
「ま、また!」
再びナミルは壁を蹴り、二人が身構えるよりも早く襲い掛かる。飛び退いた勇一たちが反撃する頃には、既に別の影へ身を隠している。機動戦には狭すぎるはずの室内を縦横無尽に駆け回る彼女に、二人は翻弄され続けた。
「……このっ!!」
勇一は模造刀を逆さに持ち替えると柄部分を暖炉に突っ込み、燃え盛る薪を弾き飛ばした。ほとんどの薪が部屋の隅に飛ばされ、絨毯が焦げ、棚に火が移る。ガルーダルは彼の奇抜な行動に驚いたが、その理由を瞬時に理解した。明りが絞られ、部屋が寒さと暗闇に包まれたのだ。これでナミルと二人の条件は近づいた。さらに時間を掛ければ火は周囲に燃え移り、今度は部屋全体を照らすだろう。どちらにせよナミルだけが持っていた有利は消えた。
しかし――
「迎えのものから聞いたぞ、私のガルーダル。お前は何を考えているのだ」
まるで意に介さないといった調子の声が響く。
「何を言っているのです、ナミル様?」
「大切な仲間たちをどうしたのか、今はよそう。まずはその男を始末して、私が伝令を届けたあとでな……」
「どうしたのかですって? それでは、リザードマンどもを差し向けたのは――」
「うぐおぉっ!!」
「っ!」
鉄の足が勇一の腹を抉る。彼は痛みに悶えながら模造刀を振り抜く――が、小さく火花が散るだけで有効打は与えられない。
そして再びナミルは闇に紛れる。
えづき咳き込む勇一は、ナミルの人を嘲笑うかのような戦術に怒りを募らせた。
「不利な状況を覆そうとする努力はよし。だが――」
「くっ!」
「実力差は埋められんぞ」
「うおぉっ!」
勇一の背を衝撃が襲う。無防備な背後から蹴りを浴びた彼はガルーダルの方へ弾き飛ばされた。抱きとめた腕を振り払って振り返るもすでにナミルの姿はなく、冷たい空気だけが漂っている。
「な……んで音がしないんだ。あんな重装備で!」
勇一は石畳を殴りつけた。
「多分、鎧の境目に皮や布を挟めてあるのよ。それにしても静かすぎるけど……」
(けどもう少し時間を稼げれば、火が部屋中を照らして、ナミルの隠れる場所を消してくれる)
部屋の隅に散らばった薪は、徐々に勢いを増している。わずかな光が周囲の物の輪郭を浮かび上がらせ、少しでも動けば二人は気づくだろう。現にナミルを床から追い払ったと言える。
(問題は……)
「それまで奴は――」
「わっ!」
「――待ってくれないってことだ!!」
ガルーダルを抱いて勇一は飛んだ。
斬撃。
地上付近の、光を遮る小さな影からだ。乱雑に積み上げられていた本たちが犠牲となり床にばら撒かれる。
敵は熟達した剣の腕と隠密の能力を持っている。確かに実力差が覆ったわけではない。まともにぶつかり合えば死ぬ。しかし、だからと言って諦めるなど論外だ。勇一は考えた。
「くぅっ!」
一瞬早く届いた空気の裂ける音が彼を救った。しかし追撃しなかったのはナミルの気まぐれに過ぎない。いつまでも続く防戦に勇一も我慢の限界だった。
(さっきから俺ばかり……まるで位置がわかってるかみたいだ。俺が見つかりやすい要素でも……っ!)
斬撃。
今回も辛うじて回避できたが、緊張と疲労から勇一は足がもつれてしまう。どたっ、と間抜けな音を立てた彼は、磨かれた石畳に写った自分の顔を見て気付いた。
(これは……はは、これは! ……よし)
そして自分の浅はかさを自嘲し、閃いた。
「……ガルーダル、そのまま聞け」
勇一はできるだけ小さな声でガルーダルを呼ぶ。
「なによ」
「大丈夫だ。あいつの動きは見切った。次は逃さない」
「何を言ってるの、今までのはナミル様の気まぐれみたいなものよ? そう何度も続くと思わないで!」
素っ頓狂な自己申告に、たまらず彼女の声も上ずる。
「重装鎧の欠点は、まぁ、色々ある……けどあいつは、とんでもない身体能力で克服している」
「……だから?」
「けど、弱点が無くなったわけじゃない。克服しても、そこにあるんだ」
「だ、だったら何だっていうの」
「……信じてるぞ」
勇一はゆっくり立ち上がると息を整え、極限の集中状態に入った。このやり取りもナミルには聞こえているのだという前提故に、ガルーダルに何をしてほしいのかは指示できない。
(でもガルーダルはやってくれる……やってくれるはずだ)
二人が出会って三日……死と隣り合わせの状況を何度も共に切り抜けてきた。これが出会ったばかりの時だったら、彼の言葉にガルーダルは反発していただろう。しかし今二人の間には確かな……何度も助け合ってきたからこそ芽生える信頼がある。
(ユウがどうにかしてナミル様を止めるみたい……でもできたとして、数秒が精一杯でしょう。その間に…………でも私が一歩でも遅れたら、ユウが死ぬ)
彼女はユウに振られた役割をすんなりと受け入れた。単に身にかかる火の粉を振り払うためだけではない。苦労して辿り着いた先でかつての上司が汚れた仕事に手を染めてしまっていた現実を前に、半ば自暴自棄になっているからでもあった。
彼女にとって今のナミルはリザードマンどもと同じに見えてしまっていた。もはや上司ではない。哀しみと怒りをもって「排除するべき敵だ」と自分に言い聞かせ、震える手に力をこめる。
暗がりのその様子も、ナミルは把握していた。
(私のガルーダル。素直に言うことを聞いていればよかったものを)
天井近くの壁に張り付くナミルは、次に勇一を襲うタイミングを見計らいながら考えていた。この男を自分は知らない。しかしガルーダルは彼を信頼している。二人の掛け合いにそう確信した彼女は、嫉妬にも似た感情を抑えられずにいた。
(私というものがありながら、ガルーダルは一人で……見知らぬ男を…………)
諫める者がいない妄想は、ありえない方向へ突き進む。彼女の中の嫉妬と怒りに火が付き、兜の中で猛獣の牙を露わにした。
(パンテラ兄もそうだったな。ずっと一緒だと言っていたのに、いつの間にか消えて……獣人族の長に…………私のマシュ、私のローブラン、私のミリー!)
ナミルは別れた兄に思いを馳せる。
ずっと昔に消えた兄から頼りが届いたのは何年も前のことだ。獣人族の長になった彼は何度も連絡を寄越し、ナミルを導いた。ヴァパに居を構えたのも彼の指示だ。ナミルは兄に会いたかったが、兄の居場所はようとして知れなかった。
唯一の連絡手段といえば、いつの間にか机においてある手紙だけ。どこから来たのかもわからないから、彼女から連絡のしようもない。やがてナミルは兄への不信と寂しさに侵されていく。そうしていつの間にか恨みへと変容していった。
(ただ一人の肉親をぞんざいに扱う、碌でもない兄よ。お前を排除し、表と裏から獣人族を支配する。愚兄よ、そうすればずっと私と一緒だ!)
彼女の部屋は過剰な装飾が飾られている。兄の導き、兄から与えられた家、兄から与えられた仲間たち。そんな中彼女自身の物はほとんどない。慎ましやかな家と対称的な内装は、精いっぱいの抵抗だった。
そしてようやく兄の息がかかっていない仲間たちを――ガルーダル、マシュ、ローブラン、ミリー――手に入れた。そう思った。
しかし死んだ。ガルーダルを残して。
兄への恨みと勇一への怒りが溶け合い、殺意が鋭さを増していく。しかし反対に、彼女の頭は氷のように冷え切っていた。彼の動きが明らかに洗練されていないのだ。
(この男の動き、マシュたちを殺せるとは思えない。持っているのは模造刀? 体捌きも大したものではない、何よりここにきて顔の入れ墨を隠そうともしない)
ナミルの双眸が改めて勇一に狙いを定めた。彼の頬にあるドラゴンがほのかに発光している。体温によって表情を変える入れ墨は、殺戮を容認するナミルに怒った彼の体温によって赤く存在を示していた。
(どちらにせよ、まずはこの男から始末しなければ。そうすればガルーダルも目を覚ます。マシュたちをどう殺したのか聞きたかったがもう良い。心の蝕みを根元から断つのだ!)
仕留める――ナミルの鼓動は冷酷に脈打つ。無防備に体をさらす獲物の首をはねるため、石壁を蹴る音すらさせず彼女は飛び上がった。剣の切っ先は脇目もふらずに直進し、赤い光に食らいつこうと牙をむく。
「ガルーダルッ!!」
勇一が叫んだ。同時にナミルをにらみつけ、次の瞬間には彼の姿が消えた。
(考えてみれば単純で、簡単な話だ。俺が狙われるのは、俺だけが目立っていたから……石畳に写った自分の顔を見て、なんて自分は馬鹿なんだって思った……けど!)
飛び込むナミルの懐に入り、剣を持つ腕を潜り抜ける。腕一本で鎧の敵を拘束できるわけがない。だから彼は、ナミルの脚に再び狙いを定めた。背中に冷たい金属が当たると、彼はのけぞるようにして全身を伸ばした。着地の体勢をとる彼女の下半身をすくい上げたのだ。
「お前は俺が気づいてるってことに気づいていなかった!」
ナミルの天地が逆転した。しなやかな体をもつ獣人も着地直前の姿勢変更に対応できなかった。派手な音を立てて背中から落ちたナミルは平衡感覚を一瞬失い、それが隙となってしまう。
「今――――」
「はああぁーーーーっ!!」
(弱点! どれだけ厚い壁に阻まれてもある、唯一の穴が!)
斬撃は鎧に阻まれ届かない、鎧ごと貫く武器もない。しかし元々空いている穴になら……。
勇一が言葉を発するよりも早く、ガルーダルは駆け出していた。振り上げた剣は上下逆さまだ。狙いを定め、力一杯――叩きつける!
激しく金属同士がぶつかり合う音がしたかと思うと、悲鳴が部屋中に響いた。
「グワアァ―――――――ッ!!」
即席の戦鎚となった剣は、稲妻の如くナミルの頭に打ち込まれる。鍔が兜の覗き穴を穿ち、彼女の目を片方抉り取った。




