19 師の正体-2
勇一は自らの操り人形と化した男を盾にし、子どもたち引き連れて廊下と階段を駆け上がった。彼は適当な裏口や窓から子どもたちを逃がすと、右往左往する屋敷の住人たちに目を向けた。
(ガルーダル、どこだ!)
自分たちを捕えようととびかかってくる者たちは人形が処理し、それを勇一が操る。進む先で繰り返していけば自然と敵は減り、味方が増えていった。操るだけなら代償はほとんどないとエンゲラズで学んでいた彼は、瞬く間に屋敷中を混乱と悲鳴で満たしていく。その光景を痛みに耐えながら瞳に写していた。
当然ながらその乱闘騒ぎはガルーダルらの元にまで届いた。勇一を探しに行こうとノブに手をかけた彼女は、向こう側から激しく扉が叩かれたので咄嗟に下がった。叩いた人物は部屋の主の返事を待たず、切羽詰まった声で叫んだ。
「ナミル様ぁ! て、敵が、いや、敵じゃなくて、仲間なんですでけど、でも殺しあって、わけが……ぎゃあぁっ!」
「どうした。おい……おい!」
ナミルも扉の向こうで起こっている『何か』に警戒する。柄に手をかけた彼女の問いに応える代わりに、別の男の声が返ってきた。
「ガルーダル、そこにいるんだろう!」
「ユウ⁉」
「話は後だ。そこから離れろ!」
師が「もう帰った」と話していた人物がそこにいる。ガルーダルはナミルに対して不信の念を抱いた。どうしてそんな下らない噓をついたのだろう……彼女の表情をナミルはただ無言で受け止めた。
ドガッ、と凄まじい衝突音がしたかと思うと、けたたましい金属音を響かせながら全身鎧が姿を現した。人相を隠す兜の隙間から流れ出たおびただしい量の血が銀色の胸を染めている。鎧はガルーダルの前を素通りし、そのまま正面の壁に激突した。直後、鎧は全身の隙間から勢いよく黒い塵を噴き出したかと思うと、突然バラバラになってしまう。勇一が魔法を解いたことで、中身が消え去ったのだ。
「痛っ……もう限界か」
その声にガルーダルは破壊された扉の方へ目を向けた。そこに立っていた人物を見ると、彼女は手を握りしめ、肩を強張らせた。目の前にいる彼から感じる気迫は、ハニガンと対峙した時そのものだったから。
額に汗をにじませ、今にも爆発しそうな表情の勇一は、殺意を視線に乗せてナミルにぶつける。ナミルは腕を組み、尚も無言を貫いていた。
「ナミル、ここはお前の屋敷だな」
「ブラキアは話の作法も知らぬようだ。まずは名乗るのが先であろう」
「ナミル様、一体どういうことです。どうして彼は帰したなんて噓を――」
「これを、地下で見つけた」
勇一は二人に見せつけるようにしてそれを放った。ガルーダルにはそれが、冬の風に負けてしまった枯れ枝のように見えた。細く、先の方で枝分かれした棒状のものだ。床に転がるそれが何なのか理解するのに彼女は一瞬の時間を要したが、直後に慄き震える左目でナミルを見た。
彼女が手に取ったそれは、茶色く黒ずんだヒトの前腕だったのだ。
「こ、子どもの……」
「『生きていた』やつらは、全員逃がした」
勇一の声は落ち着いている……ナミルへたたきつける怒りをかろうじて抑えているのだ。彼女の返答次第で彼は即座に斬りかかるだろう。模造刀とはいえ当たれば大怪我は免れない。
また殺された……彼の言わんとすることをガルーダルも察した。マシュ、ローブラン、ミリー、フィーニィ、アリーナ、村人たち、ただ橋を渡ろうとしていた人たち。まだ足りないのかと彼女は項垂れた。勇一の怒り、ナミルの冷たい目、そして手の中にある小さな小さな子どもの腕に挟まれたガルーダルは、ただ呆然としていた。
「それで?」
「それで……だと」
ナミルのそっけない答えに、勇一は耳鳴りを覚えた。ここは彼女の屋敷で、その地下では凄惨な殺人が行われている。動物や子どもたちを小さな檻に押し込めて、皮を剝いでぶつ切りにしている。部屋の生臭さや赤黒く染まった床を彼は一生忘れられそうにない。それが明らかになったというのに、当の屋敷の主は全く気にした様子はない。
勇一は剣の柄を握りしめ、飛んだ。ガルーダルの座っていた椅子を踏み台にして、振り上げた剣をナミルに叩きつけた。それをナミルは、一歩も動くことなく受け入れた。
カンッ――
「なに⁉ ……グッ!!」
重さに任せて振り下ろした刃は肉に食い込むはずだった。しかしどういうわけか手ごたえは人体に与えたそれではない。模造刀の切っ先は、ナミルの体を拒絶するかのように止まってしまった。
目の前で起きたことに驚く勇一、その硬直を狙ったナミルの蹴りが彼の腹を襲った。弾き飛ばされ壁に背を強かに打ちつける。即座に立ち上がった彼がガルーダルを見ると、膝をついたまま肩を震わせていた。
「……ナミル様」
泣き出しそうな声が二人の注目を集めた。彼女は勇一の持ってきた子どもの腕を抱き、暖炉の炎を見つめている。
「説明、してください」
「ガルーダル、お前の役目は伝令だ。余計なことに首を――」
「説明してくださいっ!」
伝令任務の道程、目の前で幾つもの命が消えていくたび、彼女は心に罪悪感を積み重ねていった。最初に起こった仲間たちの死の原因が自分であるだけに、それは刃物のように良心を刻み付けた。今胸に抱く小さな肉片も彼女の胸を痛めつけている。
そして目の前には説明できる者がいる。何年も従い師と呼んだ人物。最悪なことに、獣人の長の親族である。ことによっては自分たちの方が始末されるかもしれない。
ガルーダルの声にナミルはうんざりした顔でため息をつくと、大きなデスクに腰を預けた。
「豚は、好きかね」
「……はあ?」
「私は好きだよ。静かで、愚かで、際限なく繁殖する。自分たちの境遇に何ら疑問を持たず、食べ、太っていく豚がね」
勇一とガルーダルは呆気にとられた。ナミルは気にする風もなく続ける。
「大陸戦争から、人こそ根幹だと蟲人は学んだ。増え、根付き、支えあうことで、同盟内での最大勢力となった。無論、他の種族もそうしようとした。だが同じようにはならなかった……なぜかわかるかね」
二人は警戒しつつも考え、答えがいくつか浮かぶ。政治形態、土地、食糧事情……それらを覆う「種族が持つ価値観」。どれも個人には抗い難い問題だ。勇一もヴィヴァルニアでのホラクトの扱いには個人的に不快な思いをしていたが、どうしようもないとも思っていた。
「蟲人は母に忠誠を誓っている。悉く。一切。全部! ……母のために命を捨て、母の意思に従う。一歩間違えば絶滅する危うさをもった者たち。しかし成功した」
「先々代の……」
「そうだ、マロール・ランチャスタと言ったかな」
蟲人は母マロールに忠誠を誓い、領土を耕し続けた。マロールもそれに応え、皆に安寧を約束した。蟲人の結束は確かなものになり、長い繁栄が訪れた。蟲人ならば誰もが知っている歴史である。
「有角族の領土は痩せてはいるが、様々な工夫によって着実に勢力を増している。ダラン・ウェイキンという老人は迅速さでは劣るが、やり手ではある。蟲人と有角、共通しているのは同族と協力し合っているという所だ。しかし獣人は……違った。戦争が終わってからは、戦いを内側に求め始めたのだ」
ナミルの表情が曇る。獣人族は大陸戦争から何も得ていない……それどころか、緩やかに衰退していると言う。同族内で繰り返される争いで、多くの命が無下に失われているらしい。主な原因は食料の不足。北方の土地は痩せ、少ない作物を奪い合う状態が長く続いている。獣人の荒々しく排他的な文化も、この荒んだ有様に拍車をかけていた。
「だから豚……畜産を」
「ブラキアの言葉ではそう言うのか。私は同族を救いたい、そのためには何でもやるつもりだ。下らぬ戦争に加担し、さらに衰退を招こうとしている愚兄よりもな……」
ナミルは苦々しい表情で兄を軽蔑している。
暖炉の火が照らすのは彼女の右半身……豹柄の右半身だ。黒豹側の左半身は隠れ、闇が豪勢な衣服をまとっているように見える。
「色々試し、最終的に私は豚が一番良いと判断した。屋根と壁、獣人族領の南の方であれば冬にだけ暖かさを確保できれば良い。雑食であったのはありがたい性質だった。ヴァパのゴミ山があっという間に宝の山となるのだからな。しかし、数が増えると飼料が足りなくなっていった。肉を採るためには太らせねばならぬ。考えあぐねた結果、その足しになるのが――」
「ナミル様!」
ぞっとしたガルーダルは非難の感情に思わず師の名を叫んだ。
こともあろうにナミルという女は、足りない飼料を恐ろしい手段で解決する方法を思いついてしまったのだ。
「だからあんなことをしたのか! 子どもを刻んで、餌に!」
「ならば子どもでなければ良いのか? 例えば、大人の罪人……とか」
「なにぃ」
「言っておくがな、私たちは進んでやっているわけではない。無理やり連れてくるわけにはいかんからな……あの子らは、自分から来たのだよ」
「自分からですって⁉」
「『少しでも家族の助けにならんと覚悟する者、我が屋敷へ来い』とな。ほとんどは貧民の末子だ。働くこともできず、ただ食うだけの者が家族の助けになろうと私の屋敷を訪ねてくる。私は仕事を与え、最後まで『無駄なく』使う。髪は敷物に、皮膚は補修材に、骨は磨けば良い白になる。そして肉や内臓は、飼料に。いうなれば……私は彼らに、人の役に立ってもらっているのだよ」
小さな檻に入れられ、後は死を待つのみとなる。共に働いていた仲間たちが、目の前でバラバラにされて行く。勇一が地下で見たのはそんな行為が日夜行われている場所だった。
おぞましい……二人はそれ以外の言葉が浮かばない。装飾された屋敷の地下では血が流れているという事実は、ナミルへの怒りを増幅するのに十分だった。
「屁理屈を……っ!」
「屁理屈なものか。ヴァパを侵食する腐敗したゴミ山も、犯罪の温床となる貧民どもも減らし、同族には食料の援助も行える。私は獣人族もヴァパも愛しているのだ。いずれは愚兄も排し、獣人族の繁栄の祖となるだろう……だからやれる。信念と愛をもって事を進められるのだ」
「信念……信念ですって? 目的のために、犠牲が出ることを容認するというの?」
肉片を置き、ガルーダルが立ち上がった。火が宿った左目でナミルをにらみつけると、顎を左右に開いて牙を見せつけた。嵐に立ち向かうように全身を強張らせ、拳を握り締めている。
「お前と私では見えているものが違うのだ。この世は『はい』か『いいえ』で解決できないことの方が多い」
「結果的に誰かが犠牲になってしまうのは悲しいことだわ。だから可能な限りそんなことが無いようにしていかなきゃならないのに…………あなたは独善的で、外道よ! 外道が信念を語らないで!!」
結局は獣人族のため、ナミルは確固たる意志で人々を犠牲にしている。説得は不可能で、止めるには戦うしかない……ガルーダルは覚悟した。彼女のやろうとしていることは任務に関係ない事で、伝令に遅れが生じてしまうのは確実だ。しかしどうしても見過ごすことはできなかった。
「……お前は昔から、規則や正義に縛られるきらいがあったな。よかろう」
ナミルが正面に向き直る。柄の違う豹が二人を見据えた。その手にはいつの間にか重々しい兜が乗っている。それを被ると、彼女の鋭い爪が自らの衣服を破り捨てた。
(弾かれたのは、そう言う事か!)
破り捨てられた豪華な衣服が暖炉へ飛び込む。一層強く燃え上がった炎が、ナミルの装備する重装鎧に光を当てた。金の縁取りや装飾が炎によって照らされると、明暗が複雑な模様を浮かび上がらせる。
「伝令の隊は全滅。書簡は、私が届けるとしよう。ブラキアは……最初からいなかった――」
「ガルーダルっ、下がれ!」
勇一が椅子を蹴り上げる。ナミルが手が動いた時には、彼の本能は危険信号を放っていた。
「ユウッ!」
ナミルめがけて飛んだ椅子は左右に分かたれた。ガチャリと重々しい音が響く。巨人のような鎧が、二人に歩を進める。
ガルーダルは剣を抜き、構えた。




