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15 窮鼠の二人-1

 勇一は深く深く深呼吸した。白み始めた景色、彼の隠れている影とその他の境界線が現れる。石の塊を隔てた下方には、飲み込まれれば助からないだろう濁流が轟々と渦巻いている。

 ガルーダルと別れた彼は、敵を挟み撃ちできる位置へ慎重に移動する。時たま馬車の破片や砕かれた橋の一部が乱暴に飛んでくると、彼は身を屈めてやり過ごした。

 あのヴェイロンという人物、ガルーダルの鎌腕を切り落とした張本人……間違っても正面から挑んではならない。勇一は恐怖と武者震いで震える指に噛み付いた。軽い痛みは自分の置かれた状況を整理する助けになった。


(正直、どんなに手を尽くしても勝てるか……。でも人数はこっちが有利だ、星魔法を知らいのも大きい。可能性は……ある)


「できるだけ短く、長引かせるな…………やれば終わる。これが終われば、ヴァパに行けさえすれば」


 死ぬかもしれない状況は何度もあった。そのたびに誰かと協力して乗り越えてきた。今回もそうだ、いつも通りだ……彼はそう自分を勇気づける。

 意を決したとばかりに、勇一はそばにある馬の死骸に触れた。まだ温かい。馬車と馬をつなぐ全てを切り落とし、念じ、頭の中で馬の動きを想像する。すると死骸はわずかに震えて足をばたつかせ、横たえていた体躯をゆっくりと起こし始めた。


「ガルゥーーーーダル!! そういえばよぉ、お前に言ってないことがあったんだ!」


 ヴェイロンの叫び。剣の柄を握りしめていたガルーダルは、びくりと肩を震わせた。

 夜通し山中を歩いた二人の疲労は頂点に達し、集中力も切れかけている。彼女にはヴェイロンが耳元で叫んでいるかのような気分になった。地を這うような、不快な声だ。

 ちらりと声のする方を見ると、斬りかかるには遠い場所に叫びの主の背が見える。彼女は短く息を吐くと、体を丸めて勇一の合図を待った。


「『夜の手』って知ってるか? 同盟に追い詰められた俺らリザードマンは、部族間の壁を乗り越え手を取り合った。それでできたのが『夜の手』だ」


 夜の手……ガルーダルもその名前は知っていた。元々リザードマンにはならず者が多い。彼女の務めていた街でも事の大小にかかわらず必ずと言っていいほどリザードマン(彼ら)が絡んでいたし、言動も粗野で嫌われている。そして彼らは、誘拐や強盗と言った犯罪を専門的に行う各々の集まりを「部族」と言っていた。

 エドゥ・トーンは「強盗部族」、ハニガン・ムルスァーは「暗殺部族」、そしてヴェイロン・マルクファムは「脅迫部族」といった具合に。

 百年前の大陸戦争で生まれた黄金同盟にリザードマンはどの部族も参加しなかった。それが双方の溝となり、百年の間でかなりの数のリザードマンが迫害されたと言う。絶滅の未来を回避しようとリザードマン同士が結束するのは当然だった。


「俺ァ、脅迫が仕事でな。脅すにしたってタネが無けりゃあどうしようもねえわけ、だから観察と情報収集は基本中の基本よ。何日も、長けりゃ何ヶ月もな」


 という事は自分も見られていたのかと、ガルーダルは身を震わせた。ぞわりとしたものが背中を這いまわっている。


「監視してると俺ァ興奮してくるんだ。食い物の好みとか、交友関係とかをひたすら観察するのが最高の娯楽さ。家族とか、武具の手入れには何を使っているとか、どんな体勢でクソをするのか…………そいつをいざぶちまけた時、相手がどんな反応をするのか想像するだけで笑いが止まらねぇのよ。

 それでなぁガルーダル……お前があそこでお仲間と離れてったとき、俺らは計画を変更した。結局奪うなら、証人はいない方がいい、ってなぁ~」


 ヴェイロンは目の前の瓦礫に目をつけた。ゆっくりと影を覗き込む…………外れだ。誰もいない。ふんと彼は鼻を鳴らし、別の目標へ向かう。

 彼はこの行為が徐々に楽しくなっていった。今相手は自分の一挙手一投足に神経を張り巡らせているだろう。そうやって段々と心を削っていくのだ。


(気配はある……どうしてもこの剣が諦めきれねぇみたいだな)


「ミリーってちっこい獣人。耳が良すぎるもんで、簡単に陽動に引っかかってよ。ハニガンの毒矢で自分の溶けた内臓をゲロって死んだぜ。全く、怖えもん作りやがる」


「ミリーが…………」


「ローブランはすぐに火ィ消したのは良い判断だったと思うぜ。だがエドゥを見て構えちまったら死ぬしかねぇ……頭弾け飛んで訳も分かんねぇまま死んじまった」


「ああ……ロー、ブラン。うう……」


 ガルーダルはミリーとローブランの姿を思い出した。ふわふわの白毛と赤い目、自分の耳と弓に絶対の自信を持っていたミリー。あんなに大きくて気のいい人他にはいなかった、力自慢のローブラン。

 今すぐにでもヴェイロンの喉元を掻っ切ってやりたい……そう食いしばるガルーダルの感情は沸騰寸前だった。彼女の剣を握る拳はさらに硬く締められた。

 自分の迂闊さと思慮の浅はかさが仲間を殺したのだ。日の光がローブランのベルトに当たると、光る涙の様にいくつも反射した。彼女は腕に巻かれた赤いバンダナに触れる。数本の白毛が指に張り付き、風に流されていった。

 ガルーダルはずっと自責の念に囚われている。任務の遂行と遺品集めだけが彼女を正気に留めていた。


「マシュ、とか言ったかなぁ〜あの獣人。最期は女の名前を言っていたぜ。女々しい、最期も戦士らしくない不名誉なやつだ。あんなゴミどもの面倒みなきゃならんなんてよ、お生憎様…………うごぁっ!!」


(来た……ユウ!)


 背後で地面を蹴る音、ヴェイロンは咄嗟に前へ飛んだ。

 斬撃。動かなければ体を袈裟斬りに両断していただろうそれは、彼の背をわずかに撫でるだけで終わった。


(あんのブラキアか!)


 幸い背中が熱いだけで、致命傷には至っていない。腰までつたう熱い感触が自身が幸運だったことを容赦なく自覚させる。腰のベルトが断ち切られ、付属のポーチからバラバラと紙束が逃げ出した。


「てめぇ、どこから……って、なにぃ!?」


 追撃を予想し、即座に剣を向ける。しかしそこにいるはずの襲撃者は丁度瓦礫の影へ身を隠した所だった。

 ヴェイロンはネズミを捕まえようと後を追う。


「何のつもりだ! 逃げ場なんか……ぐわぁっ!」


 慎重に覗き込んだはずだった。しかし彼が顔を出した途端、出合頭に巨体が躍り出た。ヴェイロンと同じくらいの体躯は彼を弾き飛ばすと、突如その身体を塵に変化させて消えてしまった。


(今のは、馬? まだ生きていた……だが消えちまったのはどういう…………っ!)


 背後から再び気配。むき出しの殺気を向けられている。

 今度は迎撃できると踏んだ彼は、二度目はないと十分に引き付けてからその尾をしならせた。


「ぬおおぁっ!」


 しかし襲撃者はヴェイロンの尾の一撃を食らっても猛然と突き進み、ついに彼へ体当たりを敢行した。そのまま押し倒され、覆いかぶさられた彼はまたも奇妙な出来事が襲う。圧し掛かってきた何かがまるで()()()()()()()()()かのように、突如そのその重さを失ったのだ。

 立て続けに奇怪な体験をしたヴェイロンの心に、初めて恐怖心が芽生えた。

 と同時に、自分の尾の中程に焼けるような痛みを覚えた。切断されたのだ。


「い"っ…………!」


「ユウ!」


「はぁああーっ!」


 それはヴェイロンが経験した中でも一番の苦痛だった。起こっている事が理解できない恐怖、自慢の尾が切断された激痛、そして小突き回される怒りが頭という一つの鍋でかき回されている。彼はとにかくこれ以上追撃を受けまいと、手近な障害物に火球を放った。


(俺ごとだが…………仕方がねぇ!)


 ゴウッ……と火球と石材とあらゆるものの残骸が飛び散り火柱が上がる。弾け飛んだ火球の欠片が周囲を燃やし彼を包んでいく。ヴェイロンは炎が自分の鱗を焙っても、戦いの流れを仕切り直した方が良いと判断したのだ。

 ガルーダルによって切断されたヴェイロンの尾が短く宙を舞う。勇一は目の前で立ち上がった炎の壁を前に彼女の身を案じた。二人は炎の壁によって分断され、互いの状態が分からない。


「ガルーダル、一度……ぐああっ!」


「逃がすかよぉッ!!」


 一度下がって立て直そう……そうガルーダルに伝えようとした勇一の目の前に、めくれ上がった鱗だらけの大きな手が炎の壁を突き破って現れた。手は彼の胸ぐらをがっしりと掴むと、瞬時にその身体を石畳に叩きつける。反撃をする間もなくマナンは彼の手を離れてしまった。全身の骨が砕けそうな衝撃と痛みに勇一は喘ぐ。


「しまっ……た!」


「捕まえたぞクソガキがぁ!」


 悶える勇一の足が宙に浮き、石造りの欄干へ叩きつけられる。眼前に火花が散り、彼の全身から力が抜けた。


「長引けば不利だと思って焦ったなぁ、その執着が命取りなんだよ! 落としてなんかやるか、このまま首へし折ってやる!」


「ガハッ! くっ……」


 炎の壁を背にヴェイロンは唸った。ならず者だからこそ、その経験は半端なものではなかった。時には負傷も恐れない行動の方が良い結果を招くことを知っている。自分だけが残り、後がないこともその必死さに拍車をかけていた。

 しかしその顔は苦痛の表情に歪んで、余裕が無いのがありありと見て取れる。だから勇一に一度頭突きを叩き込むのが精一杯だった。


「どうした、あのクソ女を呼べよ! 仲間なんだろう、まさか逃げるなんてしねぇよなァ!!」


「…………ガ、ルーダル」


 それを聞いたヴェイロンは「ああよかった」という内心の笑いを抑えきれなかった。所詮は小手先、弱者が強者を倒すなど夢物語なのだ。このブラキアは妙な術を使うが、身体能力は貧弱。接近戦になれば向こうに勝ちの目は無いのだと。

 しかし同時に彼は違和感を覚えた。一撃離脱をして見せたこいつが、炎の壁に遮られているとはいえぼうっと立っているものだろうか。この状況まで予想していたのだとしたら…………?


「ガルーダル! やれえぇーッ!!」


「!?」


 やれ。

 その言葉にヴェイロンは一瞬思考してしまう。炎で遮られた二人。姿が見えない相手に「やれ」とは。

 どんな?

 どこから?

 このブラキアを巻き添えにしない攻撃?

 そして彼は反射的にのけ反った。壁に押さえつけているこのブラキアが、本当はとんでもない魔法を使えたら? その危惧と行動は正しかったが、勇一とガルーダルの反撃を躱すには至らなかった。

 叫んだ勇一の喉奥にきらめく「何か」をヴェイロンが認識した次の瞬間、それは彼の喉を貫いていた。

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