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14 禍福-2

 

 あれから半年が経ち、私の持ってきた食料で食いつないだ家族は無事中央へ引っ越すことができた。お母さんと妹の様子を記した手紙がお父さんから定期的に届く。中央での共同生活はうまくいっているようだ。お父さんらしいかしこまった字体で読む家族の様子を読むたび、私の心は少しずつ軽くなっていった。

 これで良い。私の間違いで家族を悲惨な結末から救うことができた。札は川に流し、箱は薪として燃やした。そして中身は腹の中。これが明るみに出ることはないだろう。


「ガルーダル、お前に課せられた任務は失敗のゆるされぬものだ。わかっているな」


 そして今、私たちナミル隊は重要な任務を帯びていた。兵舎前で皆が緊張の面持ちで並んでいる。彼女はどっさりと荷物を載せた馬を背にして腕を組んだ。


「もちろんですナミル様。しかし(マザー)から直接命を受けるだなんて、どうしたのでしょう」


 (マザー)からの命令……それは突然、それも極秘に授けられた。ある日ナミル様だけが呼び出され、直接下されたのだという。

 しかしナミル様は火急の用でヴァパに戻らなければならなくなっていたため、部下である私に回ってきたというわけ。その場で私を推薦したというナミル様の言葉に、顔が熱を帯びるのを感じた。


「それだけ私たちの働きを見ていて下さっていたのだろう。あるいは、側近を信用できなくなったか……」


 それはどういう事だろう。訝しむ私と目が合った彼女は、心配はいらんとばかりに微笑んだ。


「我々が考えたところで詮無いことだ。それよりも、どうやってヴァパに行くか、しっかり予定を立てておけ。行ってくる」


「はい! それではナミル様、お気をつけて」


 新しい任務。数日の後に渡される伝令のための筒を、カパル平原に持っていくこと……。数日前に突如国境へ接近しはじめたヴィヴァルニア軍と何か関係があるのだろうか。私は遠ざかっていくナミル様の背を眺めながら、いやな予感が頭をよぎった。

 果たしてその予感は、最悪の形で現実になってしまった。


 ナミル様を見送った後、兵舎に戻った私目に、机の上の黄色い封筒が目に入った。


「うん……手紙? ”ガルーダル・ウォレンズ様へ”…………差出人が書かれていない」


 私の机の上で控えめな主張をしているそれには、丁寧な字で私の名前が。気味が悪かったが捨てるわけにもいかない。のぞいてみると手紙ほとんど真っ白で、たった二行だけ書かれてあった。


 ”半年前の貴女の罪について、お話したく存じます。

 次の新月の夜、カーダーの酒場、一番西側の席にてお待ちしています。”


 心の片隅に刺さっていた罪悪感が、その手紙によって重さを取り戻した。私の間違いが最悪の形となって牙をむく。あの時何度も確認したはずなのに……自分の浅はかさに手紙を握る手が震える。

 通報ではなく私へ直接接触を計ってきた。この人物が誰であれ、ほぼ間違いなく脅迫だろう。だけど私は、断ることなんてできないのだ。

 私は、数日間を後悔の中で過ごした。


 カーダーの酒場……どこにでもある街の、どこにでもある酒場。夜は労働者階級の者たちで賑わい、喧騒に溢れて、公私共に私も世話になっている。


「西側の席……ここか」


 私は壁際の席に小石のように座り、果実酒を舐めた。……味がしない、当然だ。


 ――おお、我らの母よ。その手はあまねく地平に伸び。


 ――おお、我らの母よ。その愛は空を覆い。


 酔っ払いが歌い始めれば周囲は同調し、そこはやかましい舞台のように熱を帯び始めた。

 先々代の母を讃える歌。私もお父さんが歌っているのを何度も聞いたことがあるから知っている。

 大陸戦争で多くの同胞を失った先々代の母は、その後徹底した農業の改革を行った。結果蟲人は人口を爆発的に伸ばし、領土争いも珍しくない同盟内にあって百年間領土を守り続けた。


 ――母の元で我らは地に満ち、母の元で我らは灰となる。


 ――母の指先で我らは戦い、母の声で我らは涙を流そう。


「『我らの母』か。いい歌だよなぁガルーダルさんよ」


 喧騒の中、確かに私は聞こえた。地の底に響くような声に肩を震わせる。咄嗟に周囲を見渡すが、店内にそれらしい人物はいない。


「こっち、こっちだぜ。そのまま、座ったまま聞け」


 また聞こえた。声の主は壁の向こう、外から話しかけてきている。窓の外を覗いてみると、暗がりに大柄な人物が店の壁に寄りかかっているのが見えた。顔は見えない、新月の闇が遮っている。


「手紙は読んでくれたようだな」


「あんな言いがかり、よくも」


 本当は剣を突き付けて怒鳴りつけてやりたい。震える拳を反対の手で押さえつける。壁向こうの男はそんな私の姿を知ってか知らずか、グハハと短く笑った。


「本当にそう思うならこのまま酒でもかっ食らって帰ってもいいぜ。俺はこいつを、然るべきところに出してくるだけだからな」


 窓枠を越えて何かが私の目の前に飛び込んできた。手のひらに乗るくらいの小さな札。


「中央行き……食料…………」


「そういうことだ。半年前お前が流した札と包装布。ちょいと詰めが甘かったなぁ」


 ああ、私が火属性の優秀な魔法使いだったなら……この忌々しい脅迫者を骨も残さず焼き尽くしてやるのに。そんな無意味な思考に囚われていた私は、次の言葉を絞り出すのが精一杯だった。


「なにが望み」


 息が苦しい。この男が上位階級の、中央に仕えている誰かに情報を持ち込んだらなんて……最悪、極刑だ。家族は不名誉を言い渡されて、最下級に堕とされるだろう。そんな未来など、考えたくもない。私のせいでそんなことになるだなんて。


「グハハハ。話が早くて助かるぜ。なに難しいことじゃねえ、お前はちょいと前にある重要な任務を受けたな」


「な、なぜそれを……」


「どうでもいいだろそんなこと。いいか、その任務で渡される物から、ほんの少しだけ目を離すだけだ。どうだ簡単だろう。そのちっぽけな脳みそに叩き込んどけ。こまけぇことは追って連絡する」


 食料の強奪なんて、私はなんて愚かなことをしてしまったのだろう。半年間もいつか明るみに出やしないかと戦々恐々し、挙げ句ならず者に脅迫されるなんて。

 しかしだからといって家族を見捨てていたら私は間違いなく後悔しただろう。結局あれを見つけてしまった時点で、どう転んでもろくな事にはならなかったのだ。


「それだけか……本当に? おい?」


 返事は無かった。恐る恐る腰を上げ、窓から外を見る。そこには最初から誰もいなかったように静かだった。新月の闇は男の姿と気配を隠し、なんの痕跡も見えなかった。


「やるしかない、のか……」


 残りの果実酒を一気にあおる。味も香りも……何も感じない。私はこれから来るであろうさらなる堕落の予感に肩を震わせた。



 ***



「……ウ! ユウ、起きなさい! 起きて!」


「う……あ…………」


 ひどい耳鳴りに紛れて女の声がする。彼女は必死に彼の名を呼んで、頬をはった。

 パンッと子気味いい破裂音とつんとした痛みで飛んでいた意識が戻った勇一。彼は飛び上がって周囲を見渡す。今自分がどんな状況にいるか思い出したのだ。


「あ、よかった! 心配したのよ、もう……」


「俺、どれくらい眠って」


「どれくらい? ほんの少しよ、ついさっきヴェイロンの火球から逃れたところ。近くに馬車の瓦礫があって助かったわ」


(何日も眠っていたような気がする。今のはガルーダルの記憶…………?)


 鉛のような体の重さは、一度の深呼吸で雲散した。いつまでも寝ているわけにはいかない。

 二人がいるのは持ち主が不在の馬車の影だった。派手に横転し車輪も砕けている。最早役目を果たすことはないだろう。焼け焦げた馬の死骸が、何とも言えない臭気を漂わせている。


「おおぉいい! どぉこにいきやがった!」


 すぐそばで野蛮な怒鳴り声がした。ヴェイロンが二人を仕留めそこなったと気づいて、探し始めたのだ。橋中に散らばった瓦礫を乱暴に蹴とばす音が聞こえる。二人は息をひそめ微動だにしない。朝日が昇り周囲を照らし始めたが、幸運なことに馬車が盾となり二人を陰に隠している。


「ガルーダル、俺夢を見たんだ」


「なに? こんな時に……」


 突然の勇一の囁きにガルーダルは面食らった。しかし彼女の戸惑いの表情を察知しても彼は止めない。


「昔のガルーダルが見えた。ナミルって人とか、隊の皆とか。家族のために食料を奪ったのと……あと、脅迫者がヴェイロンだってのも見えた」


「は、え」


 彼女の全身から汗が噴き出した。その秘密は絶対に知られてはならない事なはずなのに、それをほんの二日前に出会った青年の口から出たことに驚きを隠せなかった。


「ど、どの……いえ、なんで」


 ただでさえ最悪な人物(ヴェイロン)に知られているというのに……最初から隠し通すなど不可能だったのだろうか。ガルーダルの四枚の顎は彼女の思考を代弁しているかのように震え出した。そしてついに呼吸すら詰まった所で、先程彼に言った言葉を思い出した。

 不思議な力。彼の見た光景が彼の魔法なのだとしても不思議ではない。五属性のいずれにも該当しない理外の魔法。彼女は得体のしれない勇一の言葉に恐怖したが、同時にこの状況を打開する希望も見出した。そうやって思考をごまかさなければ、彼女の頭は処理しきれない感情で一杯になっていただろう。


「や、なんで……今はいいわ」


 彼女は勇一の肩をがっしりと掴む。


「お願い、手を貸して」


 自身に起きたことを言い当てた力は本物だ。自分の罪を知った上で彼は協力してくれるだろうか……彼女は声を懇願を含ませ、真っ直ぐに相手を見据える。


「当たり前だ」


 勇一の表情は決意にあふれていた。

 出会った直後から殺意に晒され、大きな犠牲の元二人はここにいる。今さら別れるなどという考えは彼の頭に存在すらいしていなかったし、既に二人の間には確かな信頼が生まれていた。

 目的地が同じ二人ではない。二人はもう、二人で一つだった。


「こっちだけ覗いたのは失礼な感じがするから……あいつを殺したら、俺の隠し事も言おう。それでお互い様だろ? だから、二人で突破しよう」


 知られてしまったのは仕方がないが、それはお互いの傷を広げるだけじゃないか。とは言えなかった。彼は彼なりに気を使っていると、ガルーダルはそう思うことにした。


「そうね……私の秘密を見たんだから、そうじゃないと不公平よね」


「ああ。それじゃあ落ち着いて聞いてくれ、まずは――」


 高揚感に二人は笑いあった。そして生き残るための段取りを組み始めた。

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