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13 禍福-1

 ウォレンズ家は兵士の家系だった。お父さんも、お爺さんも、その前も、ずっとずっと優秀な兵士だったらしい。お父さんはそれなりに良い役職を与えられて、誇りを持って仕事をしていた。そして当然、私にも兵士になることを期待した。

 私は……特に嫌じゃなかった。小さなころからお父さんに剣の稽古をつけさせられたし、お母さんも応援していたし。人並に出世欲もあった私が両親と妹にもっと楽をさせたいと夢を持つのは当然だった。いい暮らしのためには家の階級を上げるしかない。産まれた時からそれが決まっている蟲人(セクトリア)では、名を上げる他手はなかった。

 お父さんは退役後、(マザー)から貰った土地で農家の真似事を始めた。その日採れた作物を売って、食べ物を買って、皆で食べて、泥のように眠る。大変で辛そうで、私も何度も手伝おうとしたけど、お父さんは断った。どうして後進の訓練をしてあげないのって言っても、真昼の太陽みたいににっこり笑っうだけだった。


 ある時、獣人の女性が家に訪ねてきた。最初の印象は……とても怖い人。睨みつけただけで人を殺してしまいそうな目つきもそうだが、豹と黒豹できっかり左右に分かれた体色は一度見たら忘れられないだろう。

 彼女は戦士団長ナミル・シャッハと名乗った。私が風魔法を使って掃除をしているのを通りがかりに見ていたらしい。私にとって埃や枯れ葉を飛ばすなんて些細なことだったが、このとき初めてそれが特別なのだと知った。


「風属性の魔法を使うガルーダルとはお前のことか? どうだ、その力をもっと多くの人たちのために使う気はないだろうか」


 彼女は私の魔力を見込んで自らの隊に登用したいと言った。家族の元からは離れるが、働いた分だけ地位と稼ぎを得られるぞ、と。

 大好きな家から離れるのは気が引けたけど、痩せた妹たちを見るのはもっと嫌だった。だからその話にはすぐに乗ったわ。

 蟲人(セクトリア)は階級社会だ。そしてウォレンズ家の地位は兵士階級の中でも高いとは言えない。だからこの人について行って名をあげれば、みんなに楽をさせてやれると思った。



 ***



 (マザー)のお許しを得て私はナミル様の隊に入り、彼女の弟子となった。兵士としての指導それはもう厳しかったわ。「訓練」「訓練」「訓練」「寝る」そして「訓練」…………思い出すだけで頭がくらくらしてくる。

 でも……一緒に火を囲む大切な仲間たちが出来た。マシュ、ローブラン、ミリー。私たち四人は齢が同じくらい、実力も、不思議と食事の好みも近かったわ。人狼種のマシュは几帳面で細かいところに気が利く人、白兎種のミリーは弓の名手だったわ。あの子が的を外したところを見たことがない。ローブランは甲殻種の蟲人。がさつだけど豪快なその性格に何度も元気づけられた。

 厳しい訓練のあとは、四人で必ず集まるの。故郷の話をして、お酒を飲みながら、しょっぱい肉を食べる。ナミル隊の中でも、皆がいるここが私の居場所だった。


 ナミル隊に入って三年目のこと。その日は朝からどんよりとした空で、街の雰囲気も何となく沈んでいた。そんな街の兵舎で休憩をしていた私達のもとに、ずぶ濡れのマシュが文字通り転がり込んできた。


「マシュ、どうだった」


「ガルーダルさん、どうもこうもありませんよ。あの雨雲、さらに大きくなってます」


 ぶるぶると全身を震わせるマシュ。体中の雨粒がそこら中に飛び散った。


「それで」


「運悪く出くわした輸送隊が被害を受けてるそうです。連中の話では、一部がはぐれて身動き取れなくなってるとも。俺たちが一番近いから、すぐに来てほしいって」


「よっしゃ、ようやく出番ってわけだ」


「みんな装備の確認を。ローブラン、ロープを確認しておいて」


 長テーブルを蹴とばす勢いでローブランが立ち上がった。彼は蟲人としては大柄な方だが、マシュと並べばそれほど変わらない。黒い甲殻に長い一本角の彼は、ナミル隊一の力持ちだ。

 ローブランがぐいっとベルトを締めなおす。鼻息荒く、器に残った物を口に押し込み始めた。


「待ってください、その…………どうやら付近に亀裂も発生したみたいなんです」


「ええーっ! じゃあじゃあ、ゴブリンとかもいるってことじゃないですかぁ!」


 ミリーが甲高い声で文句を言う。大袈裟にのけぞった彼女は、そのまはま椅子から転げ落ちた。真っ白なふわふわはすぐに立ち上がると、立てかけてあった弓を手に取る。


「臭いしブッサイクだし、ローブランの暑苦しさの次くらいに世界から消えてほしいものだわぁ」


「あんだってぇ」


 いつもながら、自分の身長の倍はあるローブラン相手によく軽口を叩けるものだ。それも彼に絶対に捕まらないという自信と実力があるからできること。ミリーはきひひと憎たらしく笑い、黒い甲殻に豆を投げつけた。


「ミリー、ナミル様を呼んできて。マシュは馬を」


「はぁい」


「おい待てミリー……あんにゃろう」


 ミリーは彼女を捕まえようと開いたローブランの腕を、風のようにすり抜けていく。彼女はそのまま舌を出して奥へ消えていった。


 種族の違うこの隊にいて時々思う。ナミル様は何故、この隊を作ったのだろう。

 彼女は種族間の見えない壁を取り払いたいと言っていた。大陸戦争が終わってまもなく百年が経とうとしているというのに、黄金同盟は未だ一つになりきれていない。

 いや、私のような者が考えることではないだろう。でもナミル様は何か大きなことを考えているように感じる。私のような者をナミル様は、いつまでそばに置いてくれるのだろうか。

 少しして聞こえてきたナミル様の足音。甲冑の子気味良い音が規則正しく響くと、皆は一様に姿勢を正した。



 ***



 私たちはナミル様を先頭に、輸送隊の救助に向かった。そこで待っていたのは文字通りの「最悪」だった。

 接近しなければ相手の顔もわからない幕のような雨。その轟音の中、どこかで聞こえるゴブリンの鳴き声。味方なのか輸送隊員なのかゴブリンなのか、足元のぬかるみに意識を向けながら進まなければならない。

 はぐれた輸送隊は少数だった。馬車が四台とそれに伴う人員十名程。護衛も含めればもう少しいるだろう。話によれば、逃げているうちに荷物ごと川に流された馬車もあるらしい。

 私たちは何度もゴブリンどもと戦ったにもかかわらず、幸運にも傷を負うことなく輸送隊の元にたどり着くことができた。でも私たちの鎧の方は傷だらけだし、指先は冷えて絶え間なく震えていた。雨のおかげで奴らの汚い汁が流されたのはありがたかったけど。

 ナミル様の方を見た時には既に剣を収めていた。ほとんどのゴブリンが彼女に触れる前に一撃で切り裂かれていたので、全く息が上がっていないようだった。彼女は本当に凄い人だ。

 輸送隊を連れ出し安全地帯まで誘導する。皆の無事を確認したナミル様は、救助された者たちにそれぞれに話を聞き始めた。雷雲の元を離れた安全な場所で力なくへたり込む輸送隊にナミル様は寄り添う。

 少しして立ち上がった彼女は神妙な表情でこちらに振り返った。


「ガルーダル、少し聞きたい。ガルーダル?」


「あ、はい。何でしょうナミル様!」


 神妙な彼女の表情が徐々に険しいものに変わっていく。私は靴の中の不快な感触を忘れ踵を揃えた。


「ここから下流へ行ったところに、確かお前の村があったな」


「ええと、はい。それが何か……」


「この者たちが言うには、だが……こういった突然の豪雨が河川で発生したとき、下流で水害が起こる可能性があるそうだ」


「水害……?」


 ちりちりと頭の後ろが焼けつくような感覚に襲われる。


「一度に急激な雨水が流れることで、堤が破壊されることもあるという話だ。もし心配なら――」


 下流の村……私の村……私の家族!

 そこに考え至った私は、はじかれたように走り出した。輸送隊の馬を奪い、一心不乱に鞭を打つ。他の皆は呆気にとられ、私を止めることもできなかった。私は助けた人たちも仲間も放り出して、雨粒を弾き飛ばし、家族の元へ駆けて行った。



 ***



 家族は無事だった。ナミル様に堤の決壊を教えてくれた人がいたように、私の家族や周囲に忠告して回った者がいたらしい。村に住む皆は迅速に高台へ避難し、一人の死者も出すことはなかった。

 ……だが命が助かったとはいえ、ほとんどは家を失った。家屋は砕け、土は根こそぎ剥ぎ取られた。黒い水が何もかもを押し流していく様をただ黙ってみているしかできない人々。避難した村人たちは口にこそ出さなかったが、これから襲い来る絶望に一様に肩を落としていた。そんな光景を、私は家族と抱き合いながら見ているしかなかった。


 兵舎への帰路、私は自分の無力さに手綱を握りしめた。私はいい、戻れば屋根と寝床があるし、十分ではないが食べられる。しかし家族は……財産を失った家族はどうなる。私の仕送りにだって限界がある。

 私がなんとかしなければ……そんな使命感に背中を突かれるも、いい考えが浮かばない。

 蟲人の国には不幸を被った者への救済制度がある。家を失った者には似たような境遇の者が集められて共同の住宅に住まわせられ、子どもにも仕事が与えられる。母の慈悲の元に炊き出しは頻繁に行われ、余程のことがなければ餓え死にすることはない。

 しかしそれは中央での話。住宅も、仕事も、中央にあるのだから、私の村の様な中央(そこ)から離れた末端の土地には関係ないも同じなのだ。

 夕日に照らされた私の背は、さぞみすぼらしく見えるだろう。国に仕えているというのに、目の前で生活そのものが消えてしまった人たちを前に何もできないのだ。みっともない、情けない……。

 やがて苛立ちと無力感といったぶつけようのない感情が生まれ、私の心に重くのしかかった。


「なにも……出来ないのか…………私には、どうして…………ん?」


 馬に乗って水量の落ち着いた川に沿っていると、視界の端に違和感を覚えた。私は太陽が完全に沈んでしまう前にその正体を確かめようと馬から降りる。冷たい川の水に身震いし、こんな時間に水辺に来るなんて「なんて愚かなことを」と独り言ちた。

 しかしどうしてもそれが気になっていた私は、流されひと塊になった瓦礫の中をどうしても覗きたかった。


「これは、まさか」


 もしかしてという考えに、水の冷たさは吹き飛んだ。両手で抱えるほどの大きさの箱はずっしりと重い。防水処理された布で丁寧に包まれさらに縄で縛られたそれを、私はつい最近見たことを思い出した。


「これがそうなら……ああ、やっぱりあった。中央行きの荷物!」


 ナミル様と一緒に救出した輸送隊の、流された荷物! 行き先と中身を記した札を読んで、私は胸をなでおろした。


「一部が流されたって聞いていたけど、ここまで来ていたのね。ええっと、中身は……『食料』」


 その言葉を口にした瞬間、私は思いついてしまった。家も畑も流されてしまった人たち。全員は無理でも、せめて家族にはこれを届けてやれないだろうかと。同時にそんな考えに対する恐ろしさも。

 次の食事にすらありつけなくなってしまった家族を放っておくことなど、できる者がいるだろうか。私がほんの少し法を犯せば、少なくとも家族は生きながらえる。邪な考えが、沈みゆく太陽すら味方してくれていると思い込ませてしまった。


「お願い、誰も来ないで…………」


 規律と情。

 (マザー)と家族。

 私は箱を岸に挙げると、ナイフで荷物を縛る縄を切り裂く。札と包装布を水に流すと、それらはあっという間に闇に吸い込まれていった。まるで「これがお前の運命だ」と言わんばかりに…………。

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