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7 束の間の休息

「見な。敗者様だ」


 暗闇の中、ハニガンはランタンの光を前方に向けた。照らされた地面に横たわるのはエドゥ。既に息絶えたその死体にヴェイロンとハニガンは警戒しながら近寄る。


「まさか死ぬなんてなぁ……エドゥ、何があった」


 死体の見分を始めたヴェイロン。そのついでに彼はエドゥの装備品を慣れた手付きで剥いでいく。解き、解体し、自分の体に合うように再構成して身につけ始めた。そしてついに首筋についた刃傷を認めると手を止めた。鱗を裂き、見事に動脈を断っている。彼は腕を組んで唸った。


「ほかに傷は見当たらねえ……一撃だな。ううん、アイツら本当は強かったのか? だったら……どあ!」


「どうでもいいわ、どきな」


 後ろから蹴られたヴェイロンはつんのめり、死体を跨いで正面の岩に手をついた。

 ヴェイロンは苛立ちに任せて剣を抜いた。その視線は到底仲間に向けるようなものではない。しかしハニガンはお構いなしに自らの道具を準備し始める。ヴェイロンもその様子に殺意が削がれたのか、一度舌打ちをして剣を収めた。


「おい、まだ見てんだろうが。ったくよおエドゥといい、暴力は最後の手段だってわからねぇか」


「そんなんだらか舐められるんだ。さっさと両方ぶっ殺しときゃあコイツも死なずに済んだ。違うかい」


 彼女が腰の収納から取り出した小さな筒。片方には取手、反対側には鋭い針が付いている。ハニガンは針方を死体の胸に突き刺した。そして取手の方をゆっくり引くと、ぢゅうう……という小さな音。

 ヴェイロンは不潔なものを見るかのような目をして、また一つ舌打ちをした。それから改めて死体のそばにしゃがむと、冷たくなった同類の体からまた装備品を剥ぎ取っていく。


「違わねえが、死んだのはコイツが弱かったからだろう。それにな、山分け分が増えるんだ。まさか悲観してんのか?」


「悲観」


 突き刺した針を抜き、ハニガンは笑った。


「アンタ、今この瞬間にもどっかの誰かが死んでるが、悲しくなるかい」


「知らねえやつがどうなろうと、知ったこっちゃないね」


 当たり前だ、そうハニガンは返しながら腰の小さな収納袋に手を伸ばした。中にはその手の内にある筒よりもさらに小さな筒がいくつも入っている。それらを一つ一つ取り出し、エドゥから抜き出したものを詰めていった。


「こいつもそうさ、アタシが知ってるのはエドゥって名前だけ……歳も、過去も知らないし、どうでもいい。だからこの距離が近いだけの『どっかの誰か』は死ねばアタシの材料だし、生きてりゃ報酬を減らす厄介者」


 アンタもねヴェイロン――作業の終わったハニガンは立ち上がると、エドゥの頭を足で小突く。彼女の目にはなんの感情もなかった。ヴェイロンはその様子を見ながらも手は休めない。


「お、これを分解すりゃ足周りを補強できるぜ」


「あいつらは獣人どもの村に入ったようだ。仕掛けるのはもっと夜が更けてからだね。行くよ」


「えっ、いやもうちょっと」


「駄目だ」


「頼むよぉ、すぐ終わらせるからさ」


 子どものようにごねるヴェイロン。ハニガンは心底あきれ返ったといった視線を向けた。仕方なく適当な地面に腰を下ろし、ランタンの灯を絞る。


「油だって残り少ないんだ。こいつから取ってる時間もない……さっさと済ませな」


「へへ、そうこなくちゃ。おおっ、エドゥのやつ旨そうなモンもってやがった」


 エドゥの持ち物はヴェイロンが隅々まで漁っていく。使えるものは彼の物に、使えないものは投げ捨てられる。

 全ての選別が終わるのに、そう時間はかからなかった。



 ***



「まぁ、北側から! それは泣き山を越えるのが大変だったでしょう」


 狼の獣人の女性はアリーナと名乗った。二人よりも少し大きく、膨れた服の隙間から大量の黒い体毛がはみ出している。彼女は勇一とガルーダルの二人をとりあえず椅子に座らせると、火の踊るかまど兼暖炉に薪を焚べた。

 屋内の暖かさと言ったら、まるで火の中のようだった。自分の指の冷たさを感じながら、それだけ体が冷えていたのだろうと勇一は鼻水をすすった。


「ご厚意大変痛み入りますアリーナ殿。私たちは長くおりませんから、どうかお気遣いなく……」


「そんなわけにはいきませんわ、兵士さんなら尚更です。少しお待ち下さいね」


 ニ、三かき回した鍋からアリーナは皿に汁を移す。動くたびに長い黒毛がゆらゆら揺れるので、勇一はそこに手を突っ込みたい衝動に駆られた。

 二人の前に並べられた皿。その中身はほとんど水分に見えた。強いて言えば木の香りがする。豆のようなものも数個沈んでいた。ゆらめく数本のロウソクの火。彼が皿を覗き込むと自分の顔の先に皿底が見えた。

 これは本来彼女の食事だろう。食べるのにも苦労しているこの村から貴重な食料を奪う真似はしたくない。そう思った彼はなんとなくガルーダルを見ると、どうやら彼女も同じ考えのようで、視線が皿とアリーナを何度も往復していた。


「どうか召し上がってください。こんな寒村ですから大したものはありませんが、せめてお腹を満たして」


 薄暗い中でらんらんと光る目が微笑む。

 これは貰わないとかえって失礼に当たる。そう判断した二人は改めて礼を言い、スープをすくった。味は見た目通りと言う他なく、ほとんど味の無い熱いだけの水分をただ腹に流し込んでいく。しかしいつの間にか二人が持っているものはスプーンから皿にかわり、全て飲み干した頃には体は熱を取り戻していた。


「息子が同盟軍にいるんです。だから、お二人が放っておけなくて」


 毛むくじゃらの指を絡ませ、アリーナは優しく話す。


「ご子息がですか、それは大変だったでしょう」


「ええ。時々手紙はきますが、どこで何をしているのかはさっぱり。送り出しておいてなんですが、心配が募るばっかりで……それであなた達にも私みたいに心配している親がいるんじゃないかって思ったら放っておけなくて」


 アリーナはガルーダルを、次に勇一を見て微笑んだ。しかし当の勇一は複雑な心境でいた。転生してまもなく一年になるが、覚えている前世のことといえば「死んだ」という事実だけ。自分の親は息子が死んでどう思っただろうかといまさら考える。


(そうだな……あまり人には見せられない格好になっちゃったし、今すぐ会えるとなっても無理、かな)


「それにセクトリアの方々は色々大変でしょうし」


「ええと、その、まあ……」


「大変?」


「そっか、ええと」


 思わず疑問を口にした勇一に、ガルーダルは虹色の複眼を向けた。


黄金同盟ゴールデン・アライアンスには数えきれないほどの種族が参加しているわ」


「それは、まあ」


「その中でも一番数が多いのが私たちセクトリアなの。二番目は獣人族で、三番は有角族。セクトリアは、その二つを足した数よりも多いんだって」


 勇一は以前聞いた話を思い出した。同盟は主に有角族、獣人族、セクトリアという三つの大きな種族が権力を持っている。他二つを足した数よりも多いということは、相当なものだろう。


「同盟は参加している全種族から戦力を招集しているの……その種族の勢力に応じてね。だから一番多いセクトリアが一番多く兵士を提供してる。聞いた話だと、同盟軍の大体三人に一人がセクトリアなんですって」


「そんなに!?」


 一度同盟の作戦に参加したことがある彼の記憶にはあまり印象が残っていない。こんなに特徴的な外見の者たちを忘れるはずがないのだが、あの時はそれだけ死に物狂いだったのだ。

 人口に応じた比率で戦力を招集する。それは一見理にかなっているように聞こえる。全ての種族が同じ数というのはかえって不公平だし、力を持つ者が率先して立たなければ……と考えて、勇一ははっとした。


「あ、だから『大変』なのか。数が多いんだから、それだけ……」


「……うん」


 数が多い。それはひとたび争いが起これば死亡率が一番高いという意味だ。勢力が一番大きいゆえに流す血の量も他とは比べ物にならない。

 ガルーダルの雰囲気を感じとった勇一は、胸を締め付けられる気持ちを隠しきれなかった。


「おかあさん、おきゃくさん?」


 三人の間に流れていた重い空気が子どもの声によって断ち切られた。皆がその方へ目を向けると、小さな毛むくじゃらが暗がりから現れた。その毛玉はアリーナの足をよじ登り、テーブルにひょっこりと顔を出す。


「フィーニィ」


 獣人の子どもだ。アリーナと同じ毛色で勇一よりも小さい。しかし小熊のような丸みを帯びた毛玉だ。フィーニィと呼ばれた毛玉はいかにも興味津々な視線で客人たちを交互に見た。


「もしかして、どうめいぐんのひと? おにいちゃんといっしょ?」


「そうよフィーニィ。サハニおにいちゃんと一緒の人たちよ」


 本当はガルーダルだけだ……しかし否定したところで変に思われるのも面倒だ。そう思った勇一は黙ってフィーニィに微笑んだ。

 フィーニィは自分以外の種族を見るのが初めてらしい。テーブルの反対側から「手!手!」とねだる彼を見て、勇一とガルーダルはそれぞれ片方の手を出した。


「おかあさん見て、おねえちゃんの手、すごくかたいよ! 根っこもかんたんにほれそう!」


「ね、根?」


 戸惑うガルーダルにアリーナは息子を撫でて答える。


「ごめんなさい、今年の開墾が大変だったので」


 フィーニィは満面の笑みで「ぼくもてつだったんだよ!」と自慢げだ。その姿に母性を刺激されたのか、ガルーダルの四つに割れた顎がだらしなく開く。


「おにいちゃんの手はすべすべしてる! ぼくのはフサフサ! おねえちゃんのはかちかち! あはは!」


 毛玉にとって面白い何かがあったらしく、ガルーダルと勇一の手を掴んで遊んでいる。指の太さは勇一の倍くらい。肉球の感触とたまに引っかかる爪が、互いを似て非なるものだと彼に理解させる。しかし久しぶりに心休まる光景に、そんなことはすぐどうでもよくなった。


「うふふ、最近外に出られなかったので嬉しいんです。ありがとうございます」


「いえ、お礼の言うのはこちらです。その、月が真上に来たら私たちも出ていきますので」


「まぁそうなの……それじゃあ、ちょっと待ってくださいね」


 膝からフィーニィを降ろし、アリーナは部屋の隅に佇む棚に手を突っ込んだ。暖炉の火に照らされて埃が舞うのが見えるので、そこが長いこと触れていなかったのがわかる。すぐに目当てのものを探し当てたのか、彼女は手に持ったそれをパンパンと軽くたたいた。


「ユウさんはひどく濡れていますね。これ、昔夫が来ていた物ですが」


 そう言った彼女の手には古い衣服一式。所々小さな穴が開いているが、今着ている濡れた服よりはるかに快適そうだ。

 休息をさせてもらった上に食事まで提供してもらい、もうこれ以上は受け取れないと勇一は断った。しかしアリーナは大きな手をぐいぐいと押し付ける。


「夫はもういません。かといって補修布にすることもできなくて、どうしようかと思っていたんです……使ってもらった方が、夫も喜ぶと思うので」


 同盟軍人だというだけで見ず知らずの二人。アリーナという女性は迎え入れただけでなく、食事を提供してくれた。そのうえ衣服まで。聖人か、はたまた救いようのない愚か者か。どちらにせよ彼女に押し切られた勇一は、最大限の感謝を述べてそれを受け取った。


「丁度いいユウ、着替えて休むと良い。私はもう少しアリーナさんと話してるから」


 そして本音を言えば今すぐにでも横になりたかった彼にとって、ガルーダルの提案はこの上ない幸運だった。着替えを受け取った瞬間にこの水分を含んだ服を脱ぎ捨てたかったし、山肌にしこたま虐められた脚はまだ震えを残している。


「そうさせてもらうよ。アリーナさん、失礼します」


 しかしそんなことはおくびにも出さず、勇一は平静を装って答えた。アリーナの差した部屋に入ると同時に、彼は素早く着替える。


「ふう」


 少々大きいが、乾いた服が心地よい。寝床は粗末な長椅子。ホコリを払い、豆の入った袋を枕代わりに彼は寝転んだ。

 目を閉じればすぐに意識が落ちていく。暖炉で燃える薪と、かすかに聞こえる話し声。それらを子守唄に、勇一は束の間の休息を享受した。

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