6 裏の裏
審判も規則もない戦闘には、ありとあらゆることが起こりうる。そこに卑怯という言葉は存在しない。
しかしエドゥ・トーンはそんなものからは遠い場所にいた。恵まれた体格から繰り出される格闘は正面から相手を圧倒できた。さらに強力な火属性魔法。彼にとって戦いとは、相手が死ぬか命乞いを始めるまでの時間でしかなかった。
リザードマンの界隈でエドゥが名を上げ始めると、何人もの挑戦者が現れた。ある者は闘技場で、ある者は酒場で、そしてある者はエドゥの背後から。それら全てを蹴散らすと、今度は誰も彼を相手にしなくなった。
「まだ目ン玉砂まみれな気がするぜ」
ふん、ととがった鼻が鳴った。
「早いとこやらねぇと。またアイツらと寝るのはゴメンだしな。ヴェイロンは臭えしハニガンは寝言がうるせえし……んん?」
涙を流しながら枯れ葉を踏み鳴らし、独り言ちる。彼ら三人は組んでいるという体だが、本当は他の二人を仲間としてみているわけではなかった。
獲物に近づくためにそつなく付き合ってはいたが、抜け駆けを考えている。他の二人もそうだろうと思っていたし、事実そうだった。リザードマンの三人は、あくまで同業者の集まりにすぎない。
「エドゥ!」
枯れた木々の間を駆け抜けて、責め立てるような叫びが彼を呼んだ。女の声だ、近くにいる。
エドゥはぐいと目尻を吹き払うと、そちらに顔を向けた。指をポキポキと鳴らし声の主を認めると、目測で大体の距離を測る。
「おまえたちは私の仲間を殺し、あまつさえその屍を漁った。仲間と、慈しむべき死者に対する冒涜の報いを受けろ!」
「はは! テメェが言えたことかよぉッ!」
エドゥの跳躍。大きな体躯を自在に操る脚力が、二人の距離をたった二歩に縮めた。恐れなき急接近に怯むことなく、ガルーダルは剣の切っ先を正面に向ける。
「ちぇりゃあァッ!」
(ユウが言った通り!)
重力に逆らうように巨体が地面と平行に飛び、ガルーダルの頭より大きな足が彼女に襲いかかる。
しかし予期されていたそれは軽々と避けられ、彼女はお返しとばかりに剣の斬撃を見舞った。
(体は向こうが大きい。それはそのまま攻撃範囲の差になる)
エドゥの連撃を辛くも躱しつつ、わずかな隙間を狙って応戦する。しかし剣を持ってようやくエドゥの腕の長さに対抗できる現状、状況は不利と言わざるを得ない。しかしガルーダルの眼には絶望の色は見えなかった。
(二人で話した通り、こいつはまず距離を詰めてきた。魔法があるのに……何故だ)
「っ!」
背後から季節に合わない熱。察知したガルーダルはそこから反射的に横へ飛んだ。
――爆発。
彼女がそのまま下がっていたら、頭が爆ぜていただろう。空間に突如現れた爆炎は幸いごく小規模で、数歩離れただけの彼女を弱々しい風圧がなでるだけだった。
「いい反応だ。ただの軍人じゃあなさそうだな」
(一発ずつ……ということ?)
「黙ってないでよ、ちったあ反応してくれよ。ちょっと寂しいじゃねえか」
「そんな舌は持っていないわ」
努めて冷静に振る舞ってはいるが、彼女の頭は鉄をも溶かしそうなほど熱くなっていた。仲間の仇が目の前にいる。しかも、もしかしたら仇討ちできるかもしれない。そう考えると彼女はこの好機を逃したくなかった。
「はあッ!」
剣と鎌の攻撃は、時に同時に時に交互に流れるように移り変わる。しかし攻撃範囲の差を埋めるほどではなく、エドゥに防戦を強いてはいたが、決定打に欠けていた。
「おうおうおう! あんときもそうしてりゃあ、一人くらいは助かったんじゃねえの?」
「この……!」
さらにその言葉はガルーダルの感情に油を注ぐ。
「だァまァれェェーーッ!!」
脚は勝手にエドゥを追う。作戦も忘れて感情のままに振られた剣は、あっさりと弾かれてしまった。
彼女は諦めない、弾かれてもまだ鎌腕があると。
しかしその考えはエドゥも同じだった。弾かれた剣と入れ替わるように振り下ろされる鎌。軌道を読んで空振りさせた後、体躯からは考えられない素早さでガルーダルの細い体を鷲掴みにしてしまう。
「は……はな、せっ!」
鋭い剣も鎌も、届かなければ意味はない。エドゥは両手で彼女を掴んだまま徐々に握力を強めた。ミシミシと緑色の胴体に異音が走り、小さなあえぎが漏れた。
「はぁっ……うっ」
肺からは空気が押し出されるのに、圧迫されているせいで吸うことができない。徐々に彼女の六肢から力が抜けていくのを確認すると、エドゥは口が裂けんばかりにニタリと嘲笑った。
「終わりだ、終わりぃーっと! まあそろそろ飽きてきてたんだよな。いつもそうだ、楽しいのは一瞬……」
エドゥはガルーダルを掴む手をさらに締め上げた。獲物をくびりころすように二本の親指で彼女の胸をゆっくり押し込むと、圧力によって残っていた空気が絞り出されていく。
息が強制的に吐き出されるが吸うことができない。徐々にガルーダルの意識は酸欠によって朦朧としはじめた。
「そんじゃあ、お前の顔が焼ける臭いを楽しみながらお開きとしようじゃあねえか!」
(ガルーダル……!)
二人がちょうど見える位置から機を窺う人物……上野勇一だ。彼は斜面のわずかな起伏に枯れ葉をまとって伏せ、一撃でエドゥを仕留められる位置についていた。後はエドゥが魔法を使えば、その瞬間に彼が飛び掛かる手はずになっている。
ガルーダルは挑発に乗ってしまったが、結果的に彼の待機する地点にうまく誘い込んだのだ。後はどうにかして魔法を使わせれば一気に形成は二人に傾く。そう計算していたのは、とある推測があったからだった。
(エドゥが魔法を遠距離から使わなかった理由は多分……射程だ。だからチャンスがあったのに、接近してきた。それから)
「いい顔で死んでくれよ? 死ぬときまでつまらねぇなんて、生きてる意味あんのかって話だからな」
「言っ……て、なさい」
(一発目を撃った後はしばらく使えなくなる、つまりクールダウン、もしくは溜め。だからガルーダルが避けた隙を狙えなかった!)
勇一は考えを整理しながらもエドゥの動向から意識をそらさない。次に魔法を使ったときが奴の最後だと目を光らせている。
そして、ついにその時はやってきた。
エドゥとガルーダル。二人の頭の間に、ゆらめきが現れたのだ。魔力によって熱せられた空気が、誰の目にもわかるほどに歪んていく。
「いいか、いくぞォ?」
(射程、クールダウン、それが分かれば十分!)
太陽はその日の役目を終え、入れ替わるようにして世界を闇が引き継いだ。しかしガルーダルの目の前には、極小の太陽のような火球が燃え盛っている。徐々に接近するそれはやがて、朦朧とする彼女の顔を焼き始めた。
人一人の頭なら飲み込んでしまいそうだ。ガルーダルは最初にそう思った。同時に、伸ばされた太い腕の先、炎で隠された向こうに憎きリザードマンの顔がある。今なら……今なら! とも。
「ほら、もうすぐ顔面を焼いちまうぞ! 叫んでみろ!」
「お前は、頭の、足りない……リザードマンよ」
この期に及んでまだ言い足りないのか……エドゥは思わずガルーダルを拘束する手に力を込めた。あと少し力を込めるだけで彼女はポッキリと折れてしまうだろう。両腕を体ごと拘束し、片方だけの鎌腕は届かない。
「最期までつまんねぇやつだなぁ」
「だか、ら」
「だから?」
「お前を……殺せる」
エドゥは今魔法を使っている、今しかない。彼の背後に鎮座する岩の陰から、音もなく勇一が飛び出した。完全に死角を突き、足元の岩を蹴って。
青い眼を逸らさず、静かに。命を奪う行動には、いつまでも慣れることはない。が、覚悟は決めている。彼は手に持ったそれを振り上げた。
(とる!)
「バカがよ……思いつきでどうにかなるって、本気で思ってたのか」
しかしエドゥという男は二人が想像した通りのならず者だった。彼が今日まで生きてこれたのは運もさることながら、確かな実力あってのことだったのだ。
「うわあぁぁーーーーッ!!」
勇一の目の前に突如として小さな火球が現れた。彼は顔面を火球に包まれ、直後枯れ葉と土にまみれた。
「ユウ!」
「二人が一人減ればよ、そりゃあ奇襲を疑うだろうが。それに、お前らがやろうとしたこと……そうするしかねぇって思ったんだろう? なら」
エドゥの長く太い尾が、墜落した勇一の足を掴む。勇一は枯れ葉が覆う地面に顔を伏せたまま、ピクリとも動かない。
「相手が同じことを考えるって思わなかったのか? ま、ガキのお遊びみてえな作戦に満足したら、ドロドロに溶けたお仲間の顔を見ながら星々の中で反省するこったな! グアーーッハッハッハッ!」
「ユウ……ユウ!」
甲高い大笑いが森中に響き渡る。茶色い鱗の尻尾が一気に勇一の体を持ち上げ、逆さ吊りにした。
「ほら、火は消しといてやる。じっくり……あん?」
彼は持ち上げた勇一の様子に釘付けになった。その顔はまったくの無傷で、最初に受けた火球の火傷以外に負傷は見られなかったのだ。
そんなはずはない。確かにこの愚か者は自らの浅はかで幼稚な作戦の代償を被った……はずだ。炎に焼かれ、一生人に見せられない火傷を負った……はず。彼はありえない光景を理解しようとして混乱した。
そして一瞬、エドゥの思考に空白が生まれた。
ヒュッ
ヒヤリとした風が、エドゥの首筋を撫でる。直後、彼は胸と服の間にぬるま湯が流し込まれたように感じた。
そんな馬鹿な。エドゥがガルーダルへ視線を向けようとすると、それよりも先に短剣が目に入った。刀身の黒い短剣は、ヴェイロンが切断した方の鎌腕に縛り付けられていた。本来の鎌腕よりも、縛り付けられた短剣の方が遠くに届く。ごくわずかな距離の差だったが、それが決定打となった。
ガルーダルは自分から意識がそれる瞬間を見逃さなかったのだ。
エドゥはようやく彼女を見た。薄緑色の体が真っ赤に染まっている。それを見て彼は理解した。理解して、満足げに笑った。
「へえぇ、そいつは、気付か……な」
エドゥの視界は闇に包まれた。吹き出す血を止められない。ふらつき、膝をつく。地面を揺らした後は、二度と起き上がらなかった。
***
「ガルーダル、無事か?」
巻き付いたエドゥの尾を力いっぱいどかしながら、勇一は同じようにもがくガルーダルに声をかけた。
エドゥが倒れても二人はすぐに動けなかった。死の恐怖とそれに立ち向かった反動は二人が思った以上に重く、体を起こすのにも精一杯。勝利の余韻を味わう余裕などなかった。
「ごめんね、ユウ……私」
自分がもっと冷静に動いていれば、もっと強ければ、彼を危ない目に合わせることも無かったのに。鎌を失った第三の腕にマナンを巻き付け、勇一が囮となり、ガルーダルが必殺の一撃を見舞う作戦。第四の腕よりもわずかに範囲の広い攻撃によってエドゥは首を切り裂かれ、反撃をする間もなく死んだ。
二人の損失はほぼ無し、間違いなく勝利と言える。が、こんなものは薄氷の上を運よく渡りきっただけだ。二人もそれはよくわかっている。
「結果良ければ、だ。今はそれしかできなかった。だからしょうがないだろう」
少なくともあと二人いる。しかもヴァパ到着までにどちらも相手にしなければならない可能性が高い。
勇一もそれはわかっていたが、だからといって無意味に悲観に暮れようとは思わなかった。だから無理にでも淡々と言葉を出す。
「そうね…………顔、大丈夫?」
「うん、薬が役に立った」
「私たちの作戦が看破されるところまで計算していたのね……でも、薬を顔全体に塗って火を防ぐ? 思いついてもやらないわ。他をやられていたらどうしようって、考えなかったの」
「ああいうのは相手がやられたら一番嫌がるだろう所を攻撃するんだ、それに一瞬だけだったから……。だけど、うん、もうやらない」
勇一が顔をこすると、熱によって硬くなった軟膏がポロポロと剥がれ落ちた。
その答えに満足してか、彼女もそれ以上落ち込むようなことを言わなくなった。パンパンと軽く土を落とし、ふらつきながらも腰を上げる。
二人が立ち上がったのはほぼ同時だった。互いの顔を見て、次に足元の死体に視線を移す。
「さて、と」
「ガルーダル?」
思わず勇一は声を出してしまった。ガルーダルはざっとエドゥの死体を見渡すと、再び屈み込んで死体を漁り始めたのだ。
悪党といえどその体を弄び辱める行為は如何なものか。さっきまで自らの弱さを責めていた彼女は何だったんだ……勇一の口角は自然と下がっていた。だから彼は感情を乗せて、もう一度彼女を呼んだ。
「おい、ガルーダル」
蔑みを含んだ声に、彼女は顔を上げた。その顔は早く終わらせてしまおうという焦りが見て取れる。
「私もわかってる、でもこのベルトだけは……っ!」
どうにも特殊な事情がありそうだ。そう考えた勇一は、必死に死体をどけようとするガルーダルを手伝ってやることにした。丸太のように重い体を動かしなんとか目当てのものを手に入れた彼女は、すぐさま自らの腰に巻きつける。長過ぎるベルトは、彼女の腰を二周してもなお余った。
「ちゃんとした理由があるんだろうな」
「事情はあそこで話すわ。だから今は、何も言わないで……お願い」
彼女が指差す方向には既に煙の姿はなかった。しかし闇が覆う空を頼りなく照らす灯りが見える。人が住んでいる証拠だ。
肩をすくませた勇一は先に歩き出したガルーダルに続く。肌を撫でる刃物のような冷たい風が、二人を急かした。




