4 剛腕の強盗、エドゥ・トーン
「な、なんなの一体ッ!」
「しょうがないだろう! ああするしか! なかったんだ!」
きりもみ状態で落下を続ける勇一とガルーダル。冬の冷たい空気が、二人の肌に容赦なく襲いかかる。
勇一は片方しかない腕をガルーダルの腹に必死に巻き付け、彼女も緑色の腕を勇一の背に回していた。
「もうっ! しっかりつかまっててよ!」
「やってる!」
風切り音が耳元でがなりたて、二人は叫ばなければ互いの声が聞こえない。ガルーダルの硬い腕が勇一の脇腹に食い込み、彼は呻いた。
崖上から見た湖まで、あとどれほども無い。このままでは二人揃って水面に叩きつけられ、バラバラになってしまうかもしれない。勇一はふと、激突する速度によって水面は岩のように硬くなるらしいことを思い出した。
「――――――」
「ガルーダル! もう時間が」
「静かに!」
ガルーダルは複眼だが、勇一は彼女が目を閉じたように見えた。なにかする気だろうか。何にしろ、もう時間は残されていない。焦る勇一に対して、彼女は口をつぐみ集中する。
そして変化の訪れは、意外と早く二人の運命を変えた。
(遅く……なってる?)
すぐそばで駆け上がっていく岩肌が、勇一には心なしかゆっくりになったように見えた。変化はそれだけではない。その岩肌から徐々に距離が離れている。さらに肌に当たる冷たい風も、かろうじて我慢できるようになっていた。
明らかに彼女がなにかやったのだ。
彼はこの変化がやがて、二人を無事に湖面へ着水できるだけの状態にしてくれると期待した。期待して、彼女の顔を見ようしたとき――
「くっ………………うおおおーーッ!!」
「……はね!?」
それは明らかに昆虫の翅。一体どこに収納されていたのか、二人を支えるには頼りない一対の薄刃のようなもの。沈みかけた陽の光を虹色に反射し、幻想的ですらあった。
しかし二人の落下を止める程の能力はなく、飛行するに至っていない。広げた翅を必死に羽ばたかせ、かろうじて滑空はしている。
「ユウ掴まって! そろそろだから!」
「もっと距離を稼がないと! 岸までまだあるぞ!」
「無茶言わないで! 千切れ……そうなの!!」
「うわあああああーーーーッ!!」
徐々に高度が下がって行く。すぐに勇一のつま先が水面に触れた。水の抵抗は速度にまとわりつき、一気に失速を誘う。直後二人はバランスを崩し、着水した。
***
凍てつく湖を泳ぎきり、二人はどうにか岸に上がる。勇一の息は真っ白で、指先は青くなって震えていた。
息を整えた彼は次に、ガルーダルを探してあたりを見渡す。落ちてから凍死しないよう泳ぐのに必死で、相手を気遣う余裕などなかった。のしかかる罪悪感より速く落ちていく体温に、彼は逆らえなかったのだ。
「こっちよ、ユウ。ほら」
意外と近くにガルーダルはいた。彼女は勇一に駆け寄ると迷いなく肩を貸す。
「つつ冷たいいい」
「だからといって動かなければ、もっと冷えてしまうわ。歩くの。陽が沈む前に森を抜けたいから」
「抜けるって、どっちに」
「ほら」
そう言って彼女は南の空を指さす。示された方向を見て、勇一は大きく息を吸い込んだ。
「煙……誰かが住んでる?」
「ええ、とにかくあそこまで行きましょう。後のことは、それから」
人里の印が、細く空に舞っていた。
たどり着いてもいないのに勇一の心には安堵の感情が広がる。しかしガルーダルはあたりを見渡すと、適当な茂みに彼の手を引いて隠れた。
「なあガルーダル、どうしたんだ。はやく、は、はやく行こう」
茂みから先程まで自分たちが泳いでいた湖を観察するガルーダル。まるで寒さを感じていないかのように落ち着いている。
陽が沈む前にと言ったのはそっちじゃないか。そう訴える勇一の視線をよそに、湖を指さした。
「まずい」
「え、ええ?」
「見て」
勇一が差された方に顔を向けた瞬間、水面に水柱が立った。
そしてすぐに浮かんできたものを見て、戦慄した。
「あれは、俺たちを追ってきた」
「正確には『私を追ってきた』ね。エドゥっていったかしら」
水柱と同じくらい大きな飛沫を上げ、エドゥはあっという間に岸にたどり着いてしまった。ぶんぶんと体を震わせて大雑把に水を飛ばすと、一直線に二人が隠れる茂みに迫ってくる!
「まずいわ……あいつ、こっちを見つけ――――」
「ガルーダル、離れろッ!」
「きゃっ!」
何かわからないが、とにかく「ヤバい」。そう勇一が思った瞬間、彼の脚は隣のガルーダルを蹴り飛ばしていた。
直後二人の間を突風が過ぎていく。
「ははぁ、いい勘してやがるぜ」
突風は着地すると、土をえぐってピタリと止まる。二人は咄嗟に振り向き、同時に剣を抜いた。二人で構え、戦闘の始まりを覚悟した。
「ユウ、すまない」
ガルーダルの突然の謝罪に、勇一は困惑の表情を向けた。
「君を巻き込む形になってしまったのは、本当に心苦しい」
「そういうのは、あそこで気が済むまで聞くからさ」
彼は顎で、先程見つけた煙を差した。リザードマンたちから逃げ延び、安全になってからと言う。
エドゥはそれを鼻で笑った。
「行けるつもりでいるのか? 舐められたもんだ。なあ、おい」
不揃いな牙が見えた。
「うん?」
「面白い命乞い、してみろ」
「臭い口を開くな、トカゲ野郎」
沈黙。ガルーダルの言葉にエドゥの表情は冷め、目尻がピクピクと動いている。
存外に怒り易い様だ。それから勇一は、彼女の挑発に痺れた視線を向けた。
「ガガルーダル、やややるなあ」
「感心しない! 来る!」
巨体のリザードマンが、背負っていた曲刀を抜いた。それはよく見れば錆だらけで、長い間ぞんざいに扱われてきたと容易に想像できる。所々欠けた刃は哀れみすら誘った。
それが一直線に振り下ろされる。欠けているとはいえ、依然としてそれは刃だ。当たればただでは済まない。
「うおぉっ!」
遅い。それが勇一の下した評価だった。つい先日までアイリーンの殴られ役だった彼にとって、この程度の斬撃は受けるに値しない。むしろこれは相手の戦意を挫くいい機会。そう判断した彼の手は、既に抜いていたマナンを振り上げた。
漆黒の刀身が弧を描き、それを阻む全てが等しく絶たれる。エドゥの曲刀は刃渡りの中ほどから消え失せた。
一合も打ち合わずに役目を終えたそれを見て、勇一はさらに踏み込んだ。狙うは敵の脇腹。その巨体から振り下ろせば、剣でなくとも脅威となるだろうが、同時に懐に入りやすくもあった。
勇一はマナンの柄を握る手に力を込めた。
(できすぎている!)
一連の動きを見ていたガルーダルは、その異常さに背筋を凍らせた。蹴り、ありきたりな振り下ろし、都合よく開いた空間。彼女は本能的に理解した。罠だ、と。
「ユウ!」
咄嗟に叫ぶ。自分の勘が当たっていれば、彼が危ない。既に彼は罠に足を踏み込んだ。助けるのではなく、どうにかして傷を浅く――。
全てを考え終える前に、叫んでいた。
「左だぁーーッ‼」
彼女の叫びは勇一の本能に働きかけ、彼が理解するよりも早くその体を引っ張った。
直後、閃光が彼を襲った。




