3 ならず者たち
そばにいる勇一にもわかるほど全身を震わせ、ガルーダルら剣の切っ先を相手に向けた。蟲人は表情がわかりにくいが、はっきりとした敵意を彼は感じ取った。同時に怒りも。
現れたリザードマンの男はほんの一瞬足を止めた。次の瞬間、彼は凄まじい瞬発力でガルーダルの剣の間合いに入り込む。彼女が反応する前に電撃の如き拳がその腹にめり込んだ。
「ぐっ……は!」
「だまってそれを渡しなよ、妙なことは考えるな」
「ガルーダルッ!」
無防備に膝をつくガルーダル。勇一は彼女に加勢するべく駆け出した。しかし彼はその事に意識を向けすぎ、周囲の観察を怠ってしまった。そして彼らはそんな隙を見逃してやるほど優しくはない。
付近の茂みから、音もなく別のリザードマンが勇一めがけて飛び出してきたのだ。
「……!!」
腕だ。草むらから曲刀を持った腕がにゅっと伸びてきた。先程勇一を襲った奴だ。冷たい金属の刃が、注意をそらした彼の喉元にいつの間にか当たっている。勇一はもうぴくりとも動けなくなってしまった。
濃い茶色をした鱗が見えた。大柄な男のリザードマンは刃を勇一に当てたまま、二人の間に割って入る。
「蟲人、母に従う以外生を見いだせない愚かな種族よ。ちょいと気になったんだが」
「な、に」
「あんたらは『決別者』みたいに自由になろうとは少しも思わないのか? マザーが死ねと言ったら死ぬ忠誠心は結構だがな、それって疲れない?」
まるで親しい友人と会っているかのような調子で話すリザードマンは、膝をついたガルーダルの前にしゃがみこんだ。
「おまえたちに、言われるのは……心外よ」
「そうかい? そうかなぁ」
「ヴェイロン、悪い癖が始まったぞ」
勇一の前に立ちはだかる男が、一瞥とともに不平な顔を向けた。
「黙れエドゥ。今回は俺のやり方だと言ったはずだ」
「はぁー、へいへい」
ヴェイロンの視線がエドゥへ向かう。その隙に、節のある指が取り落とした剣に触れた。
「種族のカチカン? ってやつなんだろうが、俺ァどうもわからねぇ。産まれてから死ぬまで、母の計画に沿って働き、死ぬだって? どうして自分の生き死にを他人に任せられるんだ? 自分のことは自分で決めるもんだ、違うか?」
「他人じゃない、母だ!」
心の底から不思議そうに尋ねるヴェイロン。挑発ではなく、興味と疑問と探究からの言葉だった。足りないのは理解だけだ。
「他人だろうが。血もつながらねぇ耄碌ババァのうわ言に従う理由ってのを知りたいんだよォ」
「――っこの!」
彼女の逆鱗に触れたのだろう、次の瞬間、振り上げた刃が彼を襲った。が
「おおっと」
逆襲を予測していたヴェイロンは、へらへらと笑って身をひるがえす。ガルーダルの不意を突いたはずの攻撃は、虚しく空を切った。
「怒るなって、ただちょっと……気になったんだ。ソウゴリカイ? 大事だろ、んんー?」
「仲間を殺しておいて――――ッ!」
風を切る音。
それは明らかにガルーダルへ飛来していたが、激高した彼女には聞こえなかった。細長い影は寸分の狂いなく振り上げられた剣に食らいつき、一度だけ金属がかち合う音が響く。その衝撃は彼女の手から剣を奪った。
「なに……!?」
「ハニガン、余計なことを」
ヴェイロンは明らかに不機嫌な顔をして振り向き、凄みのある視線で茂みを睨んだ。
「『ありがとうございますハニガン様』がきこえないよ、ヴェイロン?」
茂みから聞こえたのはしわがれた女の声だ。ヴェイロンは舌打ちして小石を蹴り上げる。それはきれいな放物線を描いて、声が聞こえたあたりに落ちた。
「やかましいババァだ。興が削がれちまったぜ」
「アンタ任務そっちのけでやりたい事始めるクセどうにかしろ。やるにしても、全部終わらせてからだろう?」
「あぁ、わかったわかりましたよハニガン様ァ! なぁにが協力だ。俺の邪魔ばかりしやがる」
ヴェイロンはうんざりした様子で、腰の剣に手をかけた。本人の濃い緑色をした鱗には到底似つかわしくない、純白の鞘を持った長剣だ。
勇一は一瞬喉に刃を当てられているのも忘れ、違和感に眉をひそめた。ヴェイロンと呼ばれたリザードマンは繊細な装飾が掘られた鎧を着込んでいたが、彼にはそんな物を持てる地位も品性も持ち合わせているようには見えなかった。鎧自体も傷だらけで手入れされている風でもない。
(なんだ、こいつら……)
エドゥの持つ曲刀は威圧するには十分な大きさだが、刃は欠け錆が目立つ。損傷の多い服は本人には小さすぎるように見えるし、地味な色味の中でベルトだけがいやに新品といった雰囲気で浮いている。
ハニガンの腰には小物入れがいくつも付いた腰巻きと、着ているのは迷彩のように染められたローブ。そして右腕には精巧な刺繍のされたバンダナが巻かれている。
三人とも装備の質や形ががちぐはぐで(まるでパッチワークだ)と勇一は気になった。
「その剣……あなた」
声を荒らげたガルーダルの視線は、ヴェイロンの剣に釘付けになっている。
「ああ、これか? ははは、中々いいモン拾ったぜ」
スラリと抜かれた剣は景色が映りこむほどに磨かれている。ヴェイロンはうっとりと刀身を見つめた後、切っ先をガルーダルに向けた。
向けられた彼女は気にする風もなくきっと相手を睨みつけた。肩を震わせて、全身に怒りがこもっていると見ただけでわかる。
一触即発。ガルーダルの横顔は今にもヴェイロンに噛みつきそうなほど歪んでいる。
そして次の瞬間、彼女の背中がもぞもぞと動き出したのを見て、勇一は目を疑った。
「……しなさい」
「ああ?」
「返して!」
突如としてガルーダルの背部が、二方向に隆起した。それは最初折れ曲がった棒状だったが、瞬時にに広がると鎌のような形に変形した。先端が風を切ってヴェイロンに向かう。
緑色の体色、節のある手足、鎌状の新たな腕。
勇一の頭はそれらの情報から、無意識に連想された答えを浮かび上がらせた。
(――――蟷螂!)
一瞬で変容したガルーダルに、標的のヴェイロンは驚く様子も見せない。彼の表情が変わるよりも、鎌が振り下ろされる方が速かったからかもしれない。
不意打ち、さらに左右からの同時攻撃。十分致命となる攻撃に、勇一の思考も追いつかない。だが彼は、直感的に勝利を確信した。
しかし――
「うあぁーーッ!!」
悲鳴は当然、ヴェイロンのものだと勇一は思った。しかし次の瞬間、崩れ落ちたのはガルーダルの方だった。
「ほぉ! こいつは軽いな、使いやすくて良い!」
完全な不意打ちだ。反応できたとしても最低一撃、ヴェイロンの長い首を切り裂ける。そうガルーダルは確信していた。
しかし結果は真逆。彼女の鎌は片方を切り落とされ、空いた隙間にヴェイロンは体を滑り込ませた。そしてもう片方は虚しく空振りし、体勢を崩した彼女を支える杖になった。してやられたのだ。
「おい!」
すかさずヴェイロンがエドゥに怒鳴った。
「ガキを殺せ!」
ガキ。
勇一は全身に悪寒が走った。ヴェイロンが自分を殺せと仲間に指示している。
なぜ?
無駄な反撃を試みたガルーダルへの見せしめに。
どうやって?
決まっている。彼の喉に当てられた曲刀だ。
彼らは勇一とガルーダルが知り合って一日も経っていないことを知らない。
そんなことを考えている頭と違って、体の方は既に動いていた。冷たい金属が肌を裂こうとした瞬間、その二つがまるで一つになったかのように反応した。
あちらが動けば、こちらも動く。
エドゥも手応えの無さにギョッとした。しかし原因を考えるよりも速く、曲刀を払う動作は終わっていた。
勇一は払われる刃の動きに合わせて体を引きながら全身で回転する。そうして致命傷を避けた。凄まじい集中力と、アイリーンの拳を見切った彼にとっても命がけの行動だった。
「ガルーダル、剣を拾え!!」
一瞬喉元に火傷しそうな熱が走ったが、傷の心配をしている余裕はない。勇一はがら空きになったエドゥの脇をすり抜け、走った。
痛みにうずくまっていたガルーダル・ウォレンズが顔を上げた。てっきり自分のせいで彼が殺されてしまったと思い込んでいた彼女は、驚きの表情で応えた。
「なにっ!? ――ハニガン!」
状況を瞬時に察したヴェイロンが叫んだ。
彼が剣を振りかざす姿を、勇一は視界の端で捉える。勇一とガルーダル。距離にしてほんの十歩、走ればさらに短い。
ブラキアの青年が自分に向かってくると踏んでいたヴェイロンは、ハニガンの援護を待った。結果的に、それは勇一の行動を助けることになってしまった。
「ユウ!?」
勇一はヴェイロンに当たる直前で進路を変更し、崖を背にしたガルーダルに体ごと体当りした。そうしてそのまま、山を裁断したような崖に二人で身を踊らせる。彼は二人が助かるために、彼女の言った「合図」の後の作戦に賭けたのだ。
そしてはるか下方の湖に向けて飛んで、消えた。
***
二人が消えるのはあっという間だった。事態を飲み込んだヴェイロンら三人に重苦しい空気が流れる。
最初に声を上げたのはハニガンだった。
「……おい!」
二人の姿が消えるより速くハニガンの矢が放たれていた。しかしそれも地面に弾かれ、虚しく転がっていく。彼女はイライラした様子で坂を降りると、ヴェイロンを睨みつけながら矢を拾い上げた。
「ヴェイロン、アンタどうすんのさ!」
ハニガンは瞳を針のように細くして怒鳴った。拾った矢を彼の脳天に突き立てる勢いだ。
しかしヴェイロンもただ聞いているだけではない。ハニガンと同じくらいの剣幕で彼女に詰め寄る。
「余裕ぶっこいて外してんじゃねぇ! そもそもテメェらが余計な茶々入れなけりゃあこの手にアレがあったんだ!!」
「ハッ! 惨めな言い訳だけは一人前じゃないか。次は『こんな所に崖があるのがいけないんだ!』かい!?」
「テメェの妄想と違ってな、俺が言ってんのは『事実』っつーんだよババァ!!」
「ヴェイロン、ハニガン、うるせえぞ!!」
山中に響き渡るような口喧嘩を、エドゥが一喝した。声の圧が錨のように腹に響いた二人は、反射的に口をつぐむ。
「あのガキ――オレの剣を体ごと回転させて流しやがった」
「……へぇ? そんな芸当できそうなガキにゃあ見えなかったな」
その言葉にヴェイロンは素直に驚いた。帯刀しているとはいえ自分たちと比べて体格が貧相で、片腕。特に場数も踏んでいるようには見えないブラキアが、どうして同盟軍の兵士といるのか気になっていた。
「とにかくよォ、約束どぉり次はオレの番だ」
「あ、おい!」
ヴェイロンが止めるのも聞かず、エドゥは空中に身を翻した。岩の隙間に手を挟み込み、崖を器用に降りて行く。
「エドゥが失敗したら、次はアタシ。帰ってからの言い訳を考えておきなヴェイロン」
「ぬかせ」
崖下を覗けば、遥か下の水面に波が立っている。あの二人が着水したのだとヴェイロンは察した。既に日は傾いている。二人は崖下に降りる道を探し始めた。




