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8 16年前

(二十日ほど前、故郷の海が見たいとアークツルス王に懇願すると、彼は快く了承した。城に勤めている者たちの顔ぶれも、名前も「思い出した」)


 月の女神が思い出させた記憶のおかげで、私はこの数日、気味が悪いくらいに変哲のない数日を過ごした。あれ以外は。

 歳は十を過ぎたあたりの双子、私の息子だ。


「お母様、ルーファスの剣技はご覧になりましたか? あいつ、さらに腕を上げて剣術部門で最年少優勝したんですよ」


「ははっ、オレの相手はついにジョセフだけになっちゃったな。最近はこいつ以外じゃ練習にならないんだ。ま、今のところオレが勝ち越してるけど」


「おい、まさか一昨日のを勝ったつもりでいるのか?」


「そうだが?」


(ジョセフとルーファス、年齢は十かそこら。彼らは私が産んだらしい)


 なにかと理由をつけて私の元へやってくる二人は、先日行われたという戦闘技術を競う大会とやらの話を続けた。

 正直な話、私が産んだというのも実感がわかない。さらに言えば、外見は二十の半ばを過ぎて入るものの私の心はまだ十三なのだ。息子というよりも、弟と言う感覚だ。

 ……いや、弟ですらない。出産の痛みも育てた記憶もあるのに、どうしても息子だとは思えなかった。

 ただの、見覚えのない、他人だ。


(二人は共に優秀。あの男が開いたという学院を少し前に卒業したばかりらしい)


 双子の話はまだ続いているが、内容は耳を通り抜けていく。月の女神はうまく母親を演じていたようだが、私はそんなものに興味はなかった。


(ルーファスの剣技はもはや師を超え、ジョセフは国中の本を読破したと言われるほど。街に繰り出せばあっという間に人だかりができ、彼らもそれに応えている)


 女神は私に、知りたい記憶をすぐに思い出させてくれる。本当に便利なものだ。


「お母様、どうしました? 顔色がよろしくないようですが」


「え?」


「ほうらみろジョセフ。母上はお前の理屈っぽい話が退屈なんだ」


 紅と金、二つずつの瞳が覗き込む。


「え、ええ。大丈夫ですよ。急に寒くなったからかもしれません」


 気づかいの視線を向けていた二人は、互いをみて「よかった」とはにかんだ。

 とにかくこれ以上誰かといたくない。目覚めてからの私は一人を好み、一日の大半を自室で過ごしていた。今までの私と比べてどうも様子がおかしいとさすがに皆も気づき、一番最初にやってきたのがこの二人だった。


「さあ」


 急かすように私は手を叩く。


「ジョセフ、ルーファス。私の心配をしてくれたのはとても嬉しいわ。でももう大丈夫、二人は今日の課題をはじめなさい。こうしている間にも陛下は民を想って働いているのに、まさか何もしないわけはありませんね?」


 わざとらしく明るく、母ならこういうだろうという台詞を出す。


「あー、そうですね。お父様は大変でいらっしゃいますから、僕たちが支えとして一人前にならないと」


 察したと言った表情のジョセフが、ルーファスの肩を叩いた。


「行こうルーファス。それじゃあお母様、お大事に」


「まてよジョセフ! ああもう、それじゃあまたね母上」


 嵐の中を歩いても、これほど疲れはしないだろう。私は静まり返った部屋の窓辺に寄る。まもなく冬を迎えるガルバは、白と茶色が支配する世界になりつつあった。


「……」


「よろしいのですか? 息子たちをあのように邪険にして」


(いつの間にかいる……いや、私が気づかなかっただけ?)


 ぞわりとした気配が背中を撫でたかと思うと、目の前にはいつの間にか月の女神が立っていた。


「『私』の息子じゃない」


 何か言いたげな女神は、自ら口を塞ぐとひそやかに笑う。


「ふん……それで?」


「おや」


 わざわざ現れたということは、何か考えがあるのだろう。そう考えた私は、おそらくそうであろうと、半ば確信を持っていた。


「今日まで姿を消していたのに突然現れたのは、私に話があるということでしょう」


「……ふぅむ。どうやら、私が考えるより早く話が進みそうですな。これは重畳」


 その余裕を持った顔が気に障る。しかし私は口を閉じて月の言葉を待った。


 コン


 女神は言葉のかわりに、杖で床を突いた。また床が波打つ。つま先を濡らすようなそれだったが飛沫はなく、感じたのはわずかな揺れだけだった。


(幻覚、じゃないんだ)


「おお」


 女神が眉を吊り上げた、心の底にある邪悪が垣間見える。


「どうやら貴女の精神は、私の一部と完全に溶け合っているようですね。これは都合がいい」


「溶け合う……どういうこと」


「十年も私の中で眠っていればこうもなりましょう」


 景色が一回転した。あまりに唐突な一瞬の出来事だったので、私はよろめきベッドに腰を下ろした。


「月魔法の行使を許します。これを使って、貴女の目的を果たしなさい」


「あぁーーーーっ!」


 精神が溶け出し、女神の手の平に流れた。気がした。

 女神の力が私に流れ込み、再びベテルという器に流し込まれるような。私は一度、私を後ろから見ていた。


「うう……はっ、はっ」


 記憶が流れ込む。

 感情の増減。

 思考の誘導。

 認識阻害。

 記憶の覗き見。


(女神はこれを、自由に使えというのか)


 口頭の説明一切なしに、月魔法は私のものとなった。これほど都合の良い力をなんの脈絡もなく与える女神に、私は問うた。


「目的を果たせって、あなたにも狙いがあるんでしょう?」


「気にする必要はございません」


 女神は笑う。


「しいて言えば……私の目的のために、貴女の行動が必要なのです」


「行動?」


「貴女の中に渦巻く感情、わかっておりますよ。炎のように胸に燃えた復讐心」


 復讐。

 私の胸の奥底で芽生えた何かを、女神は容易く言い当てた。

 そしてこの命に代えてもアークツルス(あの男)を殺さねばならないという、使命感に似た熱が私の胸を焦がし始めたのだ。


「ですから、自由に使いなさい」


 拒否する理由などない。


「……いい、でしょう」


 絶望と失意に眩んでいた私の目が晴れ渡った。

 純潔をささげるはずだった相手はもはや亡く、それも憎き男に貫かれてしまった。

 すでに世界は、私にとってどうでもよくなっていた。


「ならば私自身、余すことなく復讐の贄としましょう」


 半ば自棄の気持ちもあったかもしれない。けどそれでもよかった。

 今目の前に広がるのは、私の知らない物たち。知らない子どもたち。


(あの男への報復のために、使わせてもらいましょう)



***



 私が復讐をするにあたって、特に恐れたことが二つあった。

 一つは、流れ行く日々が私の復讐心を希釈して行くこと。事実何度も、私の行為に意味などあるのだろうかと自問することがあった。

 だからそうなるたびに記憶を掘り起こし、エリザベートが目の前で倒れる光景を見る。

 何度も、何度も、彼女は私の前で死んだ。

 その度に気が狂いそうになった。幸いなことに、一度たりとも慣れたことはない。

 もう一つは、私に復讐心以上の感情が芽生えること。

 女神から力を貰って以降、私は夜な夜な街に繰り出し橋の下に立った。そうして、多くの男に抱かれた。

 できる限りみすぼらしく、しかしあの男と同じ髪色の男に。何度も何度も……地面に擦り付けられてできた傷、そして耐え難い悪臭も耐えた。全ては私の大切な人を奪った報いと、侮辱にまみれた王だと嗤うため。


 ――さあ身体を流して、それからまた


 そう言うと男たちは、喜んで水路に飛び込む。

 月魔法は、人を自殺させることもできた。ほんの少し危機感を削るだけで、容易く人は足を踏み外す。橋の下で私を抱いた者たちは、全て死んだ。


 そうやって数えきれないほどの劣情を受け入れた私はやがて、娘を産んだ。


「ベテル様、かわいい女の子ですよ! ほら、ご覧になって!」


 アイリーン。存在自体が王への侮辱として産み落とした子。やかましく叫ぶ我が子を抱いて、私はほっとした。

 復讐心以上の感情。つまりは、我が子を愛する気持ち。

 歪に膨れる腹を見ては憂鬱な気分になっていたが、結論から言えば、二つ目の恐れは杞憂だった。

 耳障りな産声を上げ、くるまれた布の中でもぞもぞと蠢く姿はまさに虫そのものだった。そんな生き物に、愛情など芽生えるはずもない。

 子を産んだからといって母親になるわけではないと私は、心の底から安堵したのである。


(ああよかった…………なにも、感じない)


 周囲はそんな私からでた表情を、慈しみ溢れた母親のように認識した。


「ベテル、私にも……私にも抱かせておくれ」


「はい、陛下。気を付けてくださいね」


 私からアイリーンを受け取り大事そうに抱くこの男を見て、今度は嘲りの感情がわく。


(お前が愛を囁く女は、名も知らぬ男たちから精を浴びているのだ。お前の血は、一滴たりとも残さない)


(そうやって侮蔑の娘を抱くお前を、嗤ってやる)


 と。

 この男が死ぬ間際に、全てを晒してやろう。その顔が絶望に歪むと、どんな形になるのだろう。

 そんな感情をひたすらに隠し、私は良き母親を演じ続けた。


 私は本当に、演じているのだろうか。既にこの身からは復讐心などとっくに消えていて、それを認めるのが怖くて演じているつもりになってはいないだろうか。

 アイリーンは何かを察したのだろう、物心つく頃にはほとんど私と目を合わせることもしなくなった。その埋め合わせをするようにあの男へすり寄り、やがて感情も親子ではなく、男へ向けるそれとなった。


 知っていたわアイリーン。ジョセフとルーファスを失った時、おまえにどんな感情があったか。悲しかったでしょうが、心のどこかでそれ以上に喜んでいたのでしょう。これで王の寵愛は自分のものだ、なんという幸運だと。そうして今度は、母親の私を疎ましく思い始めた。

 しかしおまえも予想していなかったことが起こった。血を見て我を失うという事態に動揺した。これでは……と。


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