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5 29年前-2

「エリザベート…………エリザベート……………………!」


 ヴィヴァルニアと黄金同盟ゴールデン・アライアンスに挟まれた国「メイオール」、くさび型をしたその国は山々の頂に城を構えている。自然は天然の要塞となり、さらに要所で兵士たちが矢を構えていた。

 そこは大陸戦争の際に滅びたイーザール最後の都市で、豊富な鉱物を産出する鉱山をいくつも持っていた。その量たるや、国土では十倍以上の面積を持つヴィヴァルニアですらかなわないほど。

 小国ながら存在感を示すメイオールは他の二国にとって無視できない存在であり、同じくらい脅威だった。


 そんなメイオールへの、ヴィヴァルニア軍による侵攻計画。

 お父様が知らせを受け取った時、冗談をと笑い飛ばした。しかしそれが本気と知るや否や、顔を赤くして断固として反対した。わざわざ兵の命を散らすような行為は、陛下の人望に関わると。

 使者が帰ったのちお父様はすぐにメイオールに使いをやった。結果的にこれが悪手となり、お父様は内通者の汚名をきせられてしまった。


「こんな、ことが……」


「お父様は無実よ! 取引だって、カノプス王が直々にお許しになってたじゃない!」


 確かにガルバはメイオールとの交易を続けていた。しかし決して密輸をしていたわけではない。

 ひと月に一度だけ、様々な荷が山を越えて行く。細々とした交易はやがてこちら側(ヴィヴァルニア)に有利になるだろうといつもお父様は言っていた。

 しかしそんなお父様がメイオールと手を組み、若き王の玉座を簒奪せんと企んでいる。そんな噂が流れたのは、メイオール侵攻が始まる数日前だった。

 国のために働いていたのに拘束され、ありもしない罪について尋問させられるお父様を見るだけで辛かった。


 私は……私は、とにかくエリザベートが心配だった。

 メイオール侵攻が始まった日も、私とお父様はガルバ城から出られないでいた。さらに私を焦らせたのは、たった一日でメイオールの要所のほとんどを制圧したという知らせだった。


 私は兵士の目を盗んで城から飛び出した。ひたすらに東へ、冷たい空気が肌を焼くように痛めつけても飛ぶ。

 飛んで。

 飛んで。

 飛んで。

 国境を越えて黒い煙が見えたところで速度を緩め、降りられそうな場所を探した。疲労は限界で、指に感覚がない。これではエリザベートに何もしてあげられない。そう思った私はいったん休もうと高度を下げる。

 奇しくもそこは私とエリザベートの場所。焚き火跡と簡素な椅子。もう長い間来ていないそこは、風と獣にすっかり荒らされていた。

 付近に降り立った私は、重い体を茂みへと引きずり空を見た。


「煙が、大きくなってる……!」


 木々のはるか向こうに、柱のように立ち昇る黒煙。鳥たちはざわめき、群れはバラバラに逃げて行く。山火事とは明らかに違う雰囲気に、私は体を強張らせた。


「は、はやくしないと……うっ」


 無心で飛行していたツケが回ってきた。使いすぎた魔力は疲労となって、まだ小さかった私の体を蝕む。足は震え、立つことさえ難しくなっていた。

 時間はなく、黒煙は更に大きくなっている。


「グルルル……」


 そして危機は、不用意に音を立てた私にも降り掛かった。警戒せずに着地したそばに、一匹のゴブリンがいたのだ。

 どこかの亀裂から生まれ出たそれが、一心不乱に草木を貪っている。異臭の主は濁った目を音を立てた私に向けた。


「こ、こないで……!」


(どうしてこんなことに……)


 一匹であれば対処は楽……と言うのは、装備を整えた者が立ち会った場合だ。あのときの私のように、ろくに動けない少女が遭遇すればどうなるか、結果などわかりきっている。

 私は自らの軽率さを呪い、脳裏に愛しい人の最後に見た表情を思い浮かべた。私がそうさせてしまった、悲痛な顔……。


「ベテル!」


 運命はなんて非情なのだろう。あろうことか私の耳に入ってきたのは、聞き覚えのある、いえ、一番好きな声。私の意識は、目の前のゴブリンから強制的に引き剥がされた。


「エリザベート!」


「ギャアアーーーーッ!!」


 直後、目の前を突っ切る風。一瞬見えた羽で、それが矢であることがわかった。

 どう、と何かを突いたような音とともにゴブリンが飛んで行く。小さな頭に突き刺さった矢。それに救われたのだと、私は瞬時に理解した。

 ぺたりと座り込んだ私の視線は、今度は矢が飛んできた方向に釘付けになった。騎乗し、数人の護衛を連れた彼女は、陽の光よりも輝いて見えた。


「どうして……どうしてここに」


「エリザベート……はっ、話している時間はないの!」


 私は驚愕の表情で駆け寄ってきたエリザベートに、手を引いて起こされる。直後に力いっぱい彼女を抱きしめた。ここにいてはいけない、早く言わなければ……逃げましょう!と


「エリザベート、一緒に――――!」


 しかしすべてを言い終わらないうちに、私は全身を強張らせた。黒煙の方角から、大勢の人の声が聞こえてきたのだ。一斉にわっと鳴り響くそれの意味が、私にはわからなかった。


「ね、ねえ、今のはなに?」


「ああ……父上……」


 苦々しい顔で黒煙を見る彼女。悲壮感を漂わせたその口から一筋、赤い雫が流れた。声の意味が分からなかった私にも、彼女の表情は全てを悟らせた。

 悲痛な沈黙が流れる。護衛たちも涙を流し、膝から崩れ落ちる者もいた。その中で私は、ただ彼女の服の裾を握りしめる事しかできなかった。


「……いこう」


「エリザベート……」


「たった一日で、城は、落ちた。何が起こったんだ? 奴らは皆空を飛んで、火球を撃ち下ろした。あれでは、城壁なんて無意味じゃないか」


 彼女は私を見た。その表情は、怒り悲しみ困惑が一つの鍋でかき混ぜられたかのようだった。


「どうしてここにいるのかは、聞かない。ベテル、何も言わずに戻るんだ。私たちの巻き添えになるよ」


「まって、聞いて、お願い……お願いったら!」


 振りほどこうとする裾を私は離さなかった。ヴィヴァルニア軍の追手をかわし、彼女らはメイオールを脱出しようとしているのだ。しかしヴィヴァルニアと黄金同盟に挟まれたこの土地(メイオール)で、どこに逃げようというのか。あてのない放浪者になろうとでも言うのだろうか。

 でもそんなことは私がさせない……そう考えていた私は、手短に話す。ここに来るまでに何も考えていなかった訳ではなかった。


「……なんだ」


「ガルバから船が出ているのは知ってるわよね?」


「当然どう――」


「知ってるわよね!?」


「が、外国との交易船だろう、それがどうかした?」


 私はごく、と喉を鳴らし、続けた。


「私と一緒に、サンブリア(この大陸)を出ましょう」


「……まさか」


 お父様が治める故郷ガルバは、ヴィヴァルニアで唯一の交易港を持っている。大陸を出るためには交易船に乗らなければならないが、私ならともかく、身分のはっきりしない者は乗せられるはずもない。相手がメイオールの人物となればなおさらだ。

 ならば、法にそむく手段を使うしかない。


「馬鹿なことを言うんじゃない!」


 エリザベートは声を上げたが、それも当然のことだ。

 罪は数あれど、密航は特に重罪だ。航海中に捕まれば「戻される」なんて幸運な方で、奴隷のように扱われたなどという話もお父様から聞いたことがある。

 もし女性がそうなってしまったら、散々「使われた」挙句、無かったことにされる結末も十分にありえるのだ。


「私は本気よ」


 しかし彼女の命を救えるのなら、私は喜んでこの身を危険に晒すだろう。少なくともこの時の私はそう思っていた。


「ねえ知ってる? 海の向こうの大陸には、エルフって言う種族がいるの。エルフは肌が白くて、背が高くて、金髪なの。もしかしたら、ホラクトだったら、彼らの中に隠れられるかもしれないわ」


「そんなに都合のいい種族が?」


「本当よ! 港で何度も見たんだから」


 こんな時に何を話しているんだろう。でもわずかでも彼女にひどいことを言った自分を塗り潰したくて、私は必死だった。


「ねえ覚えてる? 私とあなたの出会い」


 私の胸に、不思議と懐かしさがこみ上げる。あってまだ一年も経ってないのに、お互いの間柄は驚くほど変化した。なんとなく話さなければならないような、そんな気分になる。


「ベテルが木箱からでて、すぐに衛兵に見つかった。そこに私が現れて、密入国罪を免れた」


「そう。もしあなたがどこか違うところにいたら、私は処刑されていたかもしれないわ」


 メイオール国王の娘であるエリザベートが私を友人だと言ってくれたおかげで、二国が険悪になることもなく、さらに友達ができた。いわば彼女は、命の恩人なのだ。


「本当に感謝してるの。だから今度は、私があなたを助ける番よ」


 エリザベートは私を見つめ、ひとこと「ありがとう」とつぶやいた。

 今さら過去を語ったところでどうにかなるわけではない。でも話しておきたかった。どうしても悲壮な雰囲気を打ち壊したくて、今度はわざとらしく明るく振舞う。


「それとねエリザベート、あなたに言わなきゃならないことがあるの」


 私は、青い瞳をきゅっと見つめる。


「わ、私ね、あなたと一緒なら、死ぬのだって怖くないわ」


 私の精一杯の笑顔を、彼女は困惑の表情で受け取った。

 そしてすぐにはっと目を見開くと、細く白い腕で私を抱きしめた。あまりに力が強いので、胸から押し出された空気が声になってしまった。


「きゅっ」


「ベテル……私も同じだ! 君と一緒なら、死なんて怖くない!」


 その言葉がどれだけ嬉しいか、目から滝のように涙が溢れた。


「ああ……ああぁ……っ」


 どうしてもっと早く言わなかったんだろう。そうすればお互いに隠していたのがバカバカしくて笑いあって、それから少しだけ何かが変わったかもしれないのに。

 私と彼女はきつく抱きしめあって、口づけした。一瞬だけ。

 不安な気持ちや黒煙が、世界から消えた。

 初めてのそれは血の味がして、思わず笑ってしまった。


「どうしたの?」


「だって、ふふ、私、初めてだったのよ? どんなものか期待してたのに、まさか血の味がするなんて」


「す、すまない」


 はっとした彼女は慌てて唇を拭った。今の状況を思い出した私は、赤い血が映える白い手を優しく握った。


「いいの、あなたの味なんだから。これからもっと素敵なあなたをみせ――」


「すま、ない」


「エリザベート?」


 それが彼女の最期に発した言葉だと、どうして思えるだろうか。彼女は私に覆いかぶさるようにして倒れ伏した。何がなんだかわからない私は、虚ろに自分を映した青い目を見ることしかできなかった。


 頭が痛い。


 いつもこのあたりの記憶を掘り出そうとすると、頭痛が襲ってくる。


「エリザベート、どうしたの――」


「お見事です陛下。奴ら、死の瞬間まで気づきもしませんでした」


 大勢の声が聞こえた。けれどそれは、私の耳を通り抜けていく。


「ふん、ダルボラも良い仕事をする。さて…………あれは? ――ル!!」


 エリザベートを支える手がぬる、と滑った。自分の目に赤く染まった手が入ってきたことで、私は察してしまった。


「ちがう……ねえ、立ってよ」


「私の――ル! ――――ろ!」


「ちがう、ちがう、ちがう」


「警戒! 誰かと――――りだったのかもし――――!」


 周りではそんな声がしていた気がする。


(だって、さっきまで、話してたじゃない。死ぬのなんて怖くないって! ねえ!)


「さあ来――ベテル、ここを離――――」


 腕を掴んだ誰かは、脱力した私を動かすのに手間取っているようだった。もう一つの手が、動かなくなった彼女を乱暴にどかす。


 痛い。頭が痛い。


 彼女の白い肌が土で汚れてしまった。頭が痛い。


「私を見てよ! さっきみたいに、ねえ! いやだ‼ いやだいやだいやだ‼」


「ベテ――! しっか――――」


「いやだーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」


 直後、視界が暗転した。最愛の人を失った事実を、私の心は受け止めきれなかった。


 痛い。


 激しい、頭痛。耳鳴り。悪夢は私を暗闇に放り投げ、あざ笑う。

 私が何をしたというの。

 しかし悪夢は答えの代わりに、さらなる悲劇を用意していた。

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