4 29年前-1
王の祝の席であることを口実に返答を避けた私は、ガルバの城に戻ると枕に顔を埋めた。顔が赤い、熱い胸が激しく鼓動する。あれ以降王からは何度も手紙が送られてきた。私はそれを手にとっては、彼の熱を感じたくて全体をなぞったりもした。
確かに彼は情熱的だった。エリザベートでいっぱいだった私の頭の中に、居場所を作るほどに。
十二の少年らしい内容のときもあれば、貴族たちの振る舞いを嘆いたもの。
新しい制度の運用がうまく行かず落ち込んでるといったもの。
朝起きて雨が降っているのを見たとき、私がいないのを寂しく思うというもの。
そういった手紙が、五日に一回は届いた。
(とても、とてもいい方だわ……字も綺麗だし、私を気づかう言葉も素敵)
公務に忙しい中時間を見つけて書いているのだろう。しかし筆跡はとても少年とは思えないほど優雅だった。
城に勤める者たちは、まるで自分のことのように喜んだ。特に有頂天のお父様は、毎日顔を赤くして過ごしていた。
しかし私はというと、徐々に下を向いていった気分を周囲に悟られないよう必死になった。
一瞬でもエリザベートの姿に雲をかけ、王妃の立場になれるという事実に傾いてしまった自分を罰したかったのだ。
朝から全く進んでいない手元の刺繍をみて、ため息をつく回数も増えていった。
***
「今度は、どんな嫌なことがあったんだい?」
私がどんな気持ちでいても、エリザベートは変わらず青い瞳を私に向ける。落ち着いた優しい視線で、見つめてくる。
「えっ、と。ちょっと最近、頭が重くて」
私の気持ちを話して何になるというのか。そんなことをして彼女に気を使わせるなんて気が引ける。とっさに出た嘘にも罪悪感を感じてしまう。
「それは大変だ。ちょっとまって、いまスープを温めるから」
「ああいえ違うの。家の方で、ちょっとね」
上流階級で暮らしていても、悩みとは切っても切れない関係だ。農夫には農夫の、貴族には貴族の悩みがある。
メイオールのお姫様であるエリザベートにも、同じような悩みがあるのだろうか。
鍋をかき混ぜようとした彼女の手を慌て止めて、その目を見つめた。不思議そうな表情で私を映す瞳に嘘を通せず、私は戴冠式での出来事を話してしまった。
「陛下から、求婚されたの」
「へえ……」
エリザベートの沈黙。これが何を意味するものなのか、私は知らなかった。
なぜかのしかかる罪悪感。しかしそれ以上に彼女からの嫉妬が欲しくて、ほんの少しの期待をもって沈黙が破られるのを待った。
しかし帰ってきた答えに、私は奥歯を噛み締めてしまった。
「よかったじゃないか。どうしてそんなに憂鬱な顔を?」
「よかったですって?」
私は思わず立ち上がった。彼女は何もしていないのに、なぜが怒りがこみ上がる。勝手に期待して勝手に失望するなんて、どうしてこんな嫌な性格なんだろう。
でも開いた口は止められなかった。
「私が、どんな気持ちで……」
どうしてあなたはわかってくれないの。どうして私を気遣ってくれないの。そんな嫌な気持ちが、頭の中をぐるぐるとかきまわす。
「ベテル?」
「エリザベートは私が王妃になってもいいの? そうなったら、もう簡単には会えなくなるのよ?」
彼女との時間は大切だ。知り合ってからわずかな期間で、私は彼女を好きになってしまった。だというのに、当の本人は全く私の気持ちなんて考えていないと。
ああ、取り返しのつかない出来事は、終わって初めてそうだと気がつくのだ。現にこのときの私は、嫌な気持ちが頭で渦を巻き、顔が熱くなっていることも気付かなかった。
私は……私は、ひどいことを言ってしまった。
エリザベートの顔が、みるみる悲痛な表情に変化していったのは覚えている。
それから私は飛び去った。熱いものがつたった頬をこすり、謝れないまま。
ずっと後悔している。
終わりだ。彼女との思い出も、私の気持ちも。
城に戻り、私は自分のベッドで泣いた。枕に顔を押し付けて泣いた。
私はきっと嫌われただろう……後悔と情けなさがのしかかってくると、さらに涙が溢れた。
「……!」
化粧台を見ると、見なれた封筒があった。とにかく何でもいいから頭を埋めたかった私は跳ね起き、鏡の前で中身を読む。
“窓の外に、初めての雪が見えた。公務で時間がすぎるのを忘れ、立ち止まってようやくふた月がたったのだと自覚した。愛しいベテル、私たちの間には雪も積もるまい――”
「きれいな字……」
字をみれば人となりが見えるという。彼の字は迷いなく、自信に満ち溢れて、力強かった。
しかしこのあと、私は王の本性を知ることになる。




