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2 30年前-1

 ヴィヴァルニア北端の都市ガルバ。


 雪のない日の方が珍しいこの街で、私は生まれ育った。領主の娘として、何不自由なく。


 冷たい風、水平線の手前で踊る船たち、外国の珍しい品々。ガルバはヴィヴァルニアで唯一外国との貿易を許された都市だ。そこへ入ってくるあらゆるものがが好きだった。特に外国の文化は刺激が強く、言葉や文化、そこではどんな人たちが暮らしているのか、私の興味はずっと尽きなかった。


 外国の文字はその中でも特に面白かった。だって覚えれば、その国の文化がわかるから。

 当時は「女が何かを学ぶ」というのが受け入れられない空気だった。だから父親に見つからないように本を買う、読むのは隠れてからだ。何度も見つかって小言を言われたりもした記憶がある。

 そういった目をかいくぐって得たものは、気づかぬうちに積み上がっていく。いつの間にかそれが私が知りたいことを私自身が探せるくらいに育っていた。勿論独学故に、専門家というには程遠いのだけど。


 そうやって学んだ沢山のことを、私は独り占めしたくなかった。誰かと共有したかったが、性別と立場がそれを阻んだ。


「ええっと――――あった」


 深夜。私は周囲の目を盗んで城から抜け出し、まっすぐに南東へむかう。「類まれな」風魔法を使えるおかげで、抜け出すのは簡単だった。

 時々、この力が無ければあんなに悲しい思いをしなくて済んだのに、と思うことがある。

 ガルバから出て東の国境。そこを越えれば、ホラクトたちが住むメイオールだ。過去の大戦でほとんどの国土を失ったイーザールは、数多の鉱山を有する都市メイオールを残すのみとなった……と聞いたことがある。

 国境を越えた私は眼下に広がる森と山を見渡しながら、やがて山の間のとある場所に降り立った。雪の土地を離れてたった一人。そこには小さなテントと焚火の跡、そして


「ベテル! ああ、今日も会えた」


 その声を聞いただけで、私の周りから寒さが消えたような気がした。駆け抜ける涼風のようなそれと、瞳は夏空、そして肌の透明感はまるで水晶のよう。ああ、私の「好き」が人の形をして、地上で待っていた。


「エリザベート!」


 私は低空を飛び上がり、彼女の胸に飛び込んだ。細い身体に腕をまわし、力いっぱい抱きしめる。忘れられないあの感触。私は彼女を見上げて、自然とあふれる笑みを向けた。


「こんな時間に来るなんて、悪い娘だ」


「ふん、人のこと言えないでしょう、エリザベート。むしろそちらの方が大変なのではなくて? メイオールのお姫様」


 エリザベート・ズヴィ。メイオールを治めるズヴィ家の彼女は、山のように高い背の頂から私を見下ろす。夏空に似た色の瞳が、焚き火の灯りを反射して優しく光った。


「はははっ、口の減らないお嬢様め」


「うふふっ、ねぇほら、そろそろ始めましょうよ」


「ああ。今日は絶好の観測日和だ」


 エリザベートは乗ってきた馬から荷物を降ろした。私の力では全く敵わない重さの箱も、彼女は枕を抱えるようにして難なく降ろす。

 荷物を開け彼女が準備している間に、私は火を起こすべく火打ち石を取り出した。


「エリザベートが火の魔法を使えれば、わたしもこんなに苦労しなくて済むのに」


「はは、無いものは仕方ないさ」


 その軽い笑い声が好き。唇の隙間から見える、肌より白い歯が好き。でも私は、一度もその気持ちを伝えたことはない。当たり前でしょう、片やブラキア、片やホラクト。

 そして、女と女。

 二つの種族の関係はとても複雑だ。過去ブラキアはホラクトの奴隷だった。しかしブラキアたちの蜂起によってその関係が終わり、イーザールはメイオールを残すのみとなった。

 そして初代国王の母親から名前を取り、ヴィヴァルニアは興されたのだ。

 エリザベートは、メイオールの領主――と言っていいのかはわからないが――となった者の娘というわけ。


「ん、ついた。わたしもうまくなったものね」


 ぱんぱんと叩いた手を腰に当てて胸を張り、小さな熱源を眺める。一息ついてエリザベートの方を見ると、彼女は箱から取り出した薄い円盤を愛おしそうになでていた。


「星図盤ね。いつ見てもきれいだなぁ」


「一等星もあと少し。これが終われば、次は二等星だ」


 月の光をちらちらと反射して、装飾にはめ込まれた星々が回転する。次に彼女の視線は、天空できらめく星々の中の一つをとらえた。


「ええと、あれがタウ。右の小麦座を通って……」


 白い指が夜をなでる。星を順番にたどり、いくつかの光を記録して行く。

 しかし私の視線は星ではなく、形の良い額から鼻をつなぐ曲線と、そこにはめ込まれた瞳に向いていた。揺れるランタンの火を反射して、それは私を惑わす。


「ベテル、どうしたの?」


 さっきまで星を追っていたエリザベートの瞳。そこに突然私がうつり込んだので、はっと我に返った。


「え? あの、わたし」


 うろたえた私はなんとかごまかそうと、とにかく口から出た言葉を並べ立てる。


「ええっと、エリザベートが綺麗で……じゃなくて、いえ、そうなんだけど」


「うん?」


「ちがうの、ええっと、そう! 土埃がついてたから、どうやって取ってあげたらいいのかなって気になっちゃって……あ、べつに見惚れてたとかじゃないんだけど――」


 しどろもどろになりながら言葉を並べる私は、さぞ滑稽だっただろう。当のエリザベートは、そんな私をみてくすりと微笑んだ。そして次に、その端正な顔を近づけてきた。


「じゃあ、とってくれる?」


「えっ、あ……うん」


 ちょっと考えればわかることだ、彼女はわかっていた。その上で私をからかっていたのだ。しかし息を呑むほどつややかな頬を目前にしたあのときの私の頭には、冷静さなど欠片も存在しなかった。

 おずおずと手を伸ばす。彼女の頬は、風に慣らされた雪原の様だった。想像を超えて肌は()()()()で、こんなに気持ちの良い肌触りを私は知らなかった。

 名残惜しく手を引っ込める。その肌に触れた指を私は、永遠に保存しておきたかった。



 ***



「わたしねえ『ガルバの黒真珠』ってなまえ、嫌いなんだ」


 一通り星を記録したあと、私達は軽食を済ませた。エリザベートが星図盤を確認するのを焚火を挟んで見ながら、私はふと思っていたことを口に出した。

 外国に唯一開かれた港街ガルバは、実に様々な品が流れる。そんな所で私は、領主である父から溺愛されて育った。欲しいものは何でも与えられ、飾られた私についた渾名が「ガルバの黒真珠」だった。


「ああ、はじまった」


 エリザベートは手を止め、やれやれといった様子で私を見る。


「はじまったってなによ」


「ベテルの悪いクセ。なにかしてほしいことがあると、最初に暗い話をする。この前は『お父様の小言がうるさい』その前は『お気に入りの服の裾がほつれた』……今回もそうなんじゃない?」


「う……」


 他人から言われないと、気付かない振る舞いがある。本当ならそういうこと、相手に伝え辛いものだと思うんだけど……彼女ははっきり伝えてくる。

 けれど、そういうところも好きだった。


「ほら、何をしてほしいか言ってごらんよ」


「――じゃあ、そっちに行っていい?」


「もちろん」


 ちょうど肌寒くなってきたところだ。もったいぶった私の欲求をあっさりと受け入れた彼女を裏切りたくなくて、手のひら一つ分だけ間を空けて座る。


「それで」


 星図盤を傍らに置き、彼女は私を見据えた。


「どうして黒真珠がいやなの?」


「それは……」


 真珠そのものが嫌いなわけではない、むしろ宝石は大好きだ。でもそれは、ととのえられ、装飾され、ふさわしい人が身につけて初めて美しいのだ。

 人に飾られて意味を持つ物に例えられるのが、私にはどうしても受け入れられなかった。

 そんな話をじっと聞いていた彼女は、話が終わってもしばらく黙ったままだった。


「ねえ?」


「……ふふっ」


 しかし返ってきたのが失笑だったので、私は唖然としてしまう。こちらが結構真剣な話をしていたのに……と口を尖らせると、彼女は膝を抱えて私の顔を覗き込んだ。


「なにがおかしいのよ」


「ベテルがかわいいなぁって思って」


「どういう意味よ」


「いやあだって、その名前を考えた人、絶対にそこまで考えてない……って思ってさ」


 小動物をあやすような声で彼女は言う。それはそうでしょうけど、私の頭の中ではそんな考えがめぐり、濃くなってしまうのだ。


「何も考えず夫の後についていく女性(ひと)と違って、ベテルはしっかりものだなぁ」


「嫌なことばかり考えちゃうだけよ」


 顔を合わせているのが急に恥ずかしくなって、私はそっぽを向いた。構ってほしくてこんな話をするのも私の悪い癖だ。


「………………あの」


「うん?」


 どうしても、彼女に顔を向けられなかった。このまま夜が明けなければいいのに、そうあるはずのないことを考えてしまう。


「なんでもない」


 この関係も、長く続かないのではないか。そんな予感も頭をよぎった。

 そして、その通りになった。

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