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1 5時間前

 王が死んで何日たっただろうか。私は死体の横たわるベッドに寄りかかり、うずくまって何も考えないようにしていた。

 ぼうっと天井を見上げると、視界の端を蠢く闇が掠めて行く。

 もはやそれが現実なのか、月魔法の代償なのか、私には判断できなかった。耳の奥では奴が私を嘲笑い、肌に触れる空気は裂くように冷たい。


「……あは」


 急に可笑しくなって、私の胸はひくつきはじめた。自分の感情の理由がわからないなんて、もう慣れたものだ。

 しかし頭の中は覚えのない怒りがうずまき、手は勝手に床を叩く。腰を下ろした冷たい石の下から、沢山の……無数の……床を埋め尽くす蟲どもが這いずり出て、私の身体を覆う。いや、通り抜けて行く。


「ひひ、ひ……ぐ、うう……ぐす」


 痒い。頭の内側から、私の頭蓋骨をかりこりとひっかくものがいる。ここ数ヶ月は静かだったのに、どうしてまた暴れ出すの…………。


「始まったみたいですねぇ」


 窓際の椅子に、いつの間にか誰かが座っていた。いつもなら幻覚や幻聴で片づける。のだが、あれだけは違う。彼女は実際にそこにいると、私は知っている。


「……久しぶりね」


「あなたはよくやっておりますよベテル様。でも、まだまだ足りないようですね」


 月の光を背景に、床に座り込んだ私を見下ろす金色の瞳。黄衣をまとい、杖を持つ老婆。国王の部屋で、国王の椅子に座りながら、まるでそこが最初から自分のものであるかのような態度。


「だめよ、月。この話の行く先を、見届けなければ」


「私は何も言っておりませんが」


「じゃあなによ」


 握りしめた拳がきしみを上げた。女神は震えるそれを見て、呆れたと短くため息をつく。


「どうか怒らないくださいましベテル様。私はただ、ずっと自我を保ち続けられる貴女に驚いているのですよ」


 月魔法を使う代償、それは徐々に精神の均衡が崩れて行くというもの。最初は誰かの視線を感じる程度だった。少しずつそれは数を増やし、私の気を引こうと派手に騒ぎ立てはじめた。ジョセフとルーファスを殺し合わせた時が一番ひどかったのを覚えている。あの時は十日ほど自室に閉じこもらなければならなかった。


「それほど貴女の恨みが強いのでしょうね」


「何故かなんてどうでもいいわ。それより、いつまで私の身体を使うの、もうすぐ私の方は終わるというのに」


「おそらく……そちらの目的が済んだ後、でしょうなあ。それで、あの娘はどうするのです?」


 女神はわざとらしくゆっくりとした口調で、微笑んだ。


「私に望んで産んだ子などいないわ。だけどあの子は、アイリーンだけは生きてもらわないと」


 涼しい顔をする月の女神は、さらさらと自らの髪をとく。外見は気品のある老婆だが、中身は女神。私がどうなろうとも、何も感じてなんかいない。

 でも私は違う。目の前で横たわる男の死体。私はそれが腐り落ち、腐臭まとう肉塊になるまで見届けなければならない。


「私が力を与えた人たちは皆、望んだ最後を迎えられませんでした。自分が誰なのかもわからなかくなって――飛び降りたり、魔物の巣に行って食べられたり」


「私もそうなるでしょう」


 城中の鏡を全部割ってやりたい。今の私は、さぞかしひどい顔をしているのだろう。


「女神の力を持った者は、みんなそうなるのです。皆に見送られながら穏やかに寿命を迎えるなどということは、ありえない」


「だか、ら……」


 ごとっ。

 突如床が立ち上がった。私は目を閉じ、ぶつけた頭の痛みに耐える。


「感覚も、終わりに近づいているのですね。きになったのですが、どうやって自我を保っているのか、最期に教えてくださいませんか?」


「それを聞いてどうるすの」


「別に」


 女神は穏やかに、静かに微笑む。


「私が聞きたいだけですよ」


 おそらく私も、既にこの女神に術をかけられているのでしょう。ひとりでに口が開き、答えなければならないような気がしてくる。


「…………恐れるのよ」


 私が報復をする上で最も恐れたこと。それは、この炎が徐々に小さくなってゆくことだった。その時は感情が燃え上がりもしよう。しかし炎は、時間がたつにつれて力を失って行く。私はそうやって、復讐心が薄れ消えてしまうのを一番恐れた。


「恐れて……どうするのです」


「二十年も一緒にいて、わからないの?」


 いや、月は当然わかっている。女神とつながっていれば私の感情は向こうに筒抜けになるのだから……要するに意地悪なのだ。こうやっていつもは静かなくせに、私が私に言い聞かせたいときに話しかける。


「――――ずっと、あの時のことを思い出すのよ」


 いちいち付き合ってやるのも、もう疲れた。身体の節々が痛い。横たわった体を起こすのも怠い。


「私が何も知らない『ガルバの黒真珠』だった時のことを」


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