うそつき
「またですかユーシー。実験室を爆破したのは、これで何回目です」
「十六回目です」
「数を聞いているのではありません!」
ユーシーと呼ばれた少年は口を尖らせ、自分に説教する相手と目を合わせないようにしていた。
部屋の主は彼の耳を素通りする文句を延々と垂れている。天井が見えないほど高い本棚が並ぶ部屋は、そのまま彼女の社会的地位を知らしめている様だった。
「でも学園長先生、多分マークの仕業です。僕が仕上げを始める直前、アイツが走って逃げていくのを見たんです」
「おだまりなさい」
ピシャリと言い放たれた言葉に、ユーシーは肩をすくめた。
「授業でやっていない領域を自ら取り込もうとする姿勢は素晴らしいと思いますよ。でもね」
「……」
「はあ」
彼女は言葉を止めた。
彼はまた繰り返すだろう、それは五回目の爆破の時に覚悟していた。
「……そろそろ、どうしてこんなことを繰り返すのか教えてくれてもいいんじゃないですか?」
彼も爆発させようとしていたわけではない。当然相手もそんなことはわかっている。しかし度重なる注意を受けても、ユーシーは実験を止めることはなかった。沸き立つような情熱がなければ、ここまではしない。あるいは、それに似た違う感情か。
「……マークのやつを見返してやろうと」
「教科書に乗っていない実験をして、驚かせたかった?」
「ちゃんと実験室でやっています。器具だって使用方法は守って……」
「道具を大切に扱おうという気持ちは素晴らしいわ。でも、そもそも実験室の使用許可はおりていないでしょう?」
「う……」
額に手を当ててどうしたものかと目を落とす。
「トライン基金が推薦する学生は、厳しい審査を通ったいわば『優秀』な人たちなのは知っていますね?」
「先生が作られた基金で、沢山の子どもたちが夢を追いかけられるようになりました。両親から何度も聞いています」
「そのかわり、当然選ばれた子たちには多くが求められます。あなたもその一人なのだと自覚していますか?」
「わかってます」
ユーシーの顔が曇る。それが態度を咎められたからではないことなど明らかだった。間違いなく彼の頭の中には、実験が失敗した原因と改善点が浮かんでいる。
「ねえユーシー」
低めの声にハッとした彼は、表情を取り繕い。無害そうな顔を向けた。
「何度も言ってるけど、どうして何度も繰り返すの? 考えや悩みがあるなら、言ってご覧なさい」
これも何度も繰り返している質問だ。彼女も半ば答えは返ってこないだろうと諦めている。
しかしどういう風の吹き回しか、少し間をおいた彼は小さく口を開いた。
「母さんを、馬鹿にしたんです」
初めて答えが返ってきた。
「なるほど」
「だって、許せないじゃないですか。母さんはは不貞を働いてお前を産んだんだって言われて、聞き流せる訳ありません」
「でもあなたは手を出さなかった。暴力沙汰になれば、お母様を悲しませると思ったから」
ユーシーは無言で頷き、視線を落とした。膝に置いた拳がわなわな震え、耳は赤くなっている。侮辱の報いを受けさせるのは簡単だ。しかしそれか後にどう影響するのか、まだ幼い彼にはわかっていた。
「あなたは優しい子ねユーシー。その感情を実験に向けたのね」
「……僕だけ違うんです」
床に向けられた、絞り出すような声だった。まだ子どもの彼は、自分の気持ちを少しずつ言葉にしてゆく。
「父さんも母さんも、兄弟にも、いないんです。僕だけ、眼が青いんだ」
ユーシーはゆっくり学園長に顔を向けた。褐色の顔には透き通った青が二つ、大粒の涙を蓄えている。
「僕が生まれた時、これのせいで母さんが疑われたんです。本当に、ひどいことも言われたって」
学園長は眉間にしわを寄せ、彼の話に聞き入っている。相手の事情を知っている彼女は、ユーシーが抱える問題にどう向き合えばいいのか考えていた。
ユーシーは嗚咽を含んだ訴えを終えると、彼が思っていた以上に険しい顔をする学園長を訝しんだ。
「学園長先生?」
「あなたが生まれた時の騒動は、アトラスタさんがおさめたと聞いています。彼女はなんと?」
慎重に質問する彼女を怪訝に思いながらも、ユーシーは正直に答える。
「ばあちゃんは、なにも。その時の話を聞こうとしたけど、ゲンコツが飛んできてだめでした」
「それだけ?」
「は、はい。あの」
彼女はホッとした。アトラスタが何かのはずみで「彼」のことを話してしまうのでははないかと疑っていたのだ。
「どうしたんですか?」
「なんでもありませんよユーシー。あなたの悩みはわかりました」
深く青い瞳がユーシーをうつす。
「ここで学ぶ学生たちに対しては、あらゆることに制限を設けていません。命に関わるようなこと以外でですが……それは学びに積極的になってほしいからです」
彼女は立ち上がり、腰まで伸びだ金髪を後ろに払った。
塔のように高い所から見下されたユーシーは、箱に押し込められたような窮屈さを感じた。しかし多くの過去が刻まれた表情からは、どことなく懐かしさが見えた。
「事情はわかりました。あなたの問題は、あなたが解決なさい。私もできる限り助けます」
「助ける、ですか?」
「あなたのしたいことを、全て私が許可しましょう。必要な道具も、場所も、これから困ることはありません」
「え、ええっ!?」
突然降って湧いた幸運に、ユーシーは目を白黒させた。今話したことの一体何が彼女の琴線に触れたのか。せめて理由を聞こうと椅子を飛び降りた。
「あ、あの、それはとても嬉しいんですが、どうして……」
「あなたの成績は知っています。基金が思った通り、あなたは優秀であり続けています。だったら、それに答えるのが私の役目。ただしあなたが発見した新しいことを、最初に私に教えることが条件です」
優秀な者には相応の対応を、と彼女は言う。そしてユーシーの視界に蓋をするようにぐいっと上半身を傾けると、彼の肩に冷たい手を乗せた。
「そしてユーシー、優秀なあなたに一つだけ教えましょう。あなたのお母様は、正直で、とても素晴らしい方です。不貞などしないわ」
「え?」
「自分の親を少しでも疑ってしまうのは辛いですね。でも、私が保証しましょう」
ユーシーのどうして……はかき消された。昼を告げる教会の鐘が、学園長室にも響き渡ったのだ。
学園長はゆっくり姿勢を戻すと、今度は部屋に一つしかない出入り口に向かった。ユーシーを手招きし、共に部屋を出る。
「続きは昼食を終えてからにしましょうか。私、教会の屋台が好きなんです」
急に若々しい声が聞こえて、ユーシーは思わず学園長を見上げた。
「知っていますか? トント肉をキャッパジ菜で包んで蒸したものがあるんです。私が十六の頃にはすでにあった名物なんですが、香りが強くて……」
(あなたは帰ってきませんでした。戻ってきたのは、アイリーン様が持ってきたあなたの剣の鞘だけ。あのときほどあなたを恨んだことはありません。うそつきって、大丈夫って言ったじゃないって……)
彼女は懐からそれを取り出した。大きな白い手に収まるそれは短剣の鞘で、所々に赤黒い染みがついている。肌見離さず持ち歩いているそれをひと撫で、そして自分を不思議そうに見上げるユーシーを見つめた。
(あなたが存在していたという証拠は、ほとんどありません。この鞘とみんなの記憶にあるだけ……やがて本当の意味で消えてしまうと思った。でも)
「ユーシー」
「はい?」
その目は赤く腫れていた。彼の中では怒りがまだ渦を巻いているのは明らかだ。しかしこれは本人がどうにかするしかない。
しかし必ず問題は解決するだろうという確信が、彼女にはあった。
(この子を始めてみたとき、胸が張り裂けそうだった。あの青い目は間違いなく……あなたはうそつきじゃなかった)
「いえ、なんでもありません。行きましょうね」
不思議そうに見上げる彼の手を取り、彼女は歩き出す。小さな歩幅に合わせて、今度は突然消えてしまいませんように、と。




