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30 蝋燭

 

「おい、おい起きろ」


「……!」


 雨の音を子守唄に、アルラニムは弱々しく熱を吐く暖炉の前でまどろんでいた。

 去年の疫病で夫を失った彼女は、周囲の助けもあり何とか生きながらえている。今日もわずかな賃金で得た食事のあと、いつも通り空腹と一緒に眠りにつく。


「あ、あなた……どうして、だって、去年あなたは疫病で……これは、夢?」


 考えるのはいつも娘、そして明日のこと。不安で眠れなくなるときもあるが、そんなときはお気に入りのイスの出番だ。奇跡的に原型をとどめていたそれは、彼女に拾われて以来大切に使われている。

 あかぎれた手を無意識に擦り合わせ寒さをごまかす。彼女は自分が眠りに落ちたことも気づかず、明日をどう生き延びようか考えていた。

 しかしその夜、彼女はそれが夢だと自覚できる夢を見た。なぜなら、去年死んだはずの夫が目の前にいるのだから。


「ああ、そうだ。俺は確かに死んで、今お前の夢の中にいる」


「どうしたんです……? 突然、来るなんて」


「女神魔法使い様さ」


 女神魔法使い?と聞き返す妻に、全てを説明できるほど時間がないと前置きし夫は状況を話した。

 貧民街の真上に巨大な亀裂ができていることや、王宮は水魔法でもって水路を氾濫させ、ゴブリンどもを一掃しようとしていること。そしてホラクトたちが避難する時間がないので、自分たちごと流そうとしていることも。

 話が進むにつれ自分の顔が青ざめていくのを感じた彼女は、夫が口を閉じたと同時に立ち上がった。


「そ、そんな……早く逃げないと! もしかして、それを伝えに?」


「まぁな、そんなところだ」


 男は鼻をすする。


「女神の使者様が、俺たちの魂を呼び戻してくれたのさ。『愛する人を守りたいなら、全員で協力して逃してやれ』ってな。すぐそこの橋を渡って、貧民街(ここ)を出るんだ。ここら辺のやつらにはそう言って回ってる」


「あなた……」


「俺だけじゃない。向かいのオーロウさんところには、旦那の魂が行ってる。角のフィリガ爺さんとこにもだ。とにかく、疫病で死んだ奴らのほとんどは、別れた家族や友人を助けるために星から降りてきた」


「ありがとう…………ありがとうね………………」


「ま、俺はあいつにとっちゃろくな親じゃなかっただろうけどよ……せめて、償わせてほしいって、思ってさ」


「ウルバハムは、いまいないのよ……」


「……そうみたいだな。あいつにも、まぁ、よろしく言っといてくれ。そうだ、逃げるときはオーロウさんを手伝ってやれ…………じゃあな」


 すう、と景色が光に溶け始める。自分は目を覚ますのだと察した直後、次の瞬きで彼女は覚醒していた。

 イスから立ち上がりすぐに外を確認すると、いつの間にか雨は止み空はほのかに明るい。彼女と同じ体験をしたのだろう人たちが通りに顔を出しているのが見えた。

 あの空が夫の言っていたことか。そう理解した彼女はとるものもとりあえず、駆け足で向かいの家に向かった。 


 ドンドンドン!


「あの、アルラニムです……こんなこと言っても信じてもらえないかもしれませんが……」


「ア、アルラニムさん!? どうしよう……本当のことだったの? ぼうやたち、早く起きなさい!」


 扉の向こうからは明らかな焦燥が伝わってくる。アルラニムが事情を話せば、彼女ら三人も同じような夢を見たのだという。これはいよいよ亀裂と水路氾濫の話が本当なのではないか。そう考えた女二人と子ども二人は、直ちに家を出たのだった。


 本来なら真っ暗な道も、亀裂が放つ光によって足元が見えるほど明るい。異常事態であるにもかかわらず四人はどこか夢を見ているようだった。しかし愛する者に言われた通り、橋に向けて休まず歩き続ける。やがて彼女らが歩く道には一人、また一人と貧民街の別の住人たちが合流し始めた。


(この人たちも、私たちと同じような夢を見たのかしら)


 その通りだった。彼らもみな夢の中で、愛する者や親しい者と出会っている。そのほとんどが疫病で非業の死を遂げてしまった者ばかりで、皆一様に「星魔法使い様が呼び寄せてくれた」と話していた。彼らはそれを信じ、また理解できない超常的な出来事への感情を、女神への感謝に結び付けた。

 自分たちはまだ、女神様に見守られているのだ――と。


「おかあさん、みて! すいろが……」


 橋を目の前にして母親に向けられた子どもの言葉に、アルラニムは足元を見て驚いた。いつも見る水路の底が見える……。そこでようやく疫病を超える災厄が近づいていることを自覚した彼女は、子供を抱く腕を強張らせた母親の背を押した。

 橋へ踏み出した足元から前へ目を向けると、向こう側で松明が誘うように揺らめいている。橋の中ほどに差し掛かったところで、灯りの正体が分かった。鎧を着こんだ兵士たちが、アルラニムたちよりも早く橋を渡った貧民街の住人を保護していたのだ。


「貧民街の者だな!? アイリーン様より、逃げる者たちを保護しろと命が下っている……さあこっちへ! 君たちで最後だ!」


 振り返れば空っぽの橋。その先で稲架掛(はさか)けのような屋根の連なる上空に、月よりも輝くものがあった。獣の咆哮や叫びのような音を彼女は聞いた。その根元ではすでに、大量のゴブリンどもがうごめいているに違いない。

 彼女が実際に亀裂を見るのは初めてのことだったが、こうも見た目とそこから感じるものが相反する現象があろうかと身を震わせた。


「あ、あれが亀裂……」


「何をしている! もうすぐここも危なくなる、さあ、すぐに離れろっ‼」


 渡り終えるや否や冷たい鎧に腕を掴まれ、アルラニムはその場を離れる。曲がった水路の先では、自分たちと同じようにして別の橋を渡る同族たちが見えた。そしてふと反対側を見たとき、離れた場所の信じられない光景が彼女の目に飛び込んできた。


「……あ、あれは」


「アルラニムさん、早く! 音が……こ、こわい音が近づいています!」


 その場にいる全員が貧民街に背を向けて走り出した。地響きを引き連れ、解き放たれた水流が城壁の向こうから押し寄せているのだ。アルラニムの肌に冷たい風が突き当たる。


 奇跡ともいえる避難によって、貧民街はもぬけの殻となった。人一人いないあばら家の間をゴブリンやコボルトの群れが覆いつくしていく。そしてそこに、解き放たれた激流が直撃した!

 城壁の一部を破壊し、空気を押しのけ、瓦礫とともに水は異形どもを押し流す。水路を越えようとする水があれば、ウルバハムやアイリーンが魔法によって進路を変えた。

 とりあえず浸水がこないことに安堵し一人、また一人と腰を下ろす避難者たち。すっかり息が上がったアルラニムは、ふと貧民街の方角に顔を向けた。


「はぁ……はぁ……………………ここまでくれば、大丈夫でしょうか。ぼうやたち、けがは?」


「ううん、だいじょうぶ」


「よかった……あの、アルラニムさん、さっきからどうしたんですか?」


「あ……いえ、その」


 言うまいか迷っていたアルラニム。しかし自分がみたものを確認するようにゆっくり口を開いた。


「わ、わたし……暗がりでよく見えなかったけど……こちら側の水路のそばに、倒れた人がいたような」


「そんなはずはない!」


 避難者の誘導を終え、そばを通りかかった兵士がその言葉に異を唱えた。重々しい兜をわきに抱え、汗だくのあごひげをぬぐう。


「我々が水路沿いに住む人たちを全て避難させたのだ。あそこに誰かいるなど、ありえない」


「で、でも」


「それにあそこは浸水範囲だ……いたとしても、助からんよ」


 アルラニムは来た道を振り返った。彼女の中では、あれは間違いなく人だったという妙な確信があった。もしかしたら急げば間に合ったかもしれない。どうして見捨ててしまったんだろうと罪悪感に胸を締め付けられた。がっくりと肩を落とした彼女は一緒に来た母子とともに避難者の列に加わる。手を握ってくる子どもに、自分が縋り付きたい気分だった。



 ***



 避難者は広場で焚火を囲み、一夜を明かした。

 わずかではあるが食事が振舞われ、周囲の家からは個人的に世話をしようとするブラキアも現れた。

 種族の関係など忘れ、そこには助けるものと助けられるものが存在しているだけ。しかし当の本人たちにそんな意識はない。いつの間にか広場に設置された屋台群に連なり、もうもうと湯気を立ち昇らせる食事にありついていた。

 どんな不幸にあっても一夜明ければ気持ちは落ち着くというもので、ブラキアもホラクトも互いに談笑する余裕さえ見えてきた。


「…………」


 しかしアルラニムだけは違った。一晩たってもあの時見た人影が忘れられないのだ。


「アルラニムさん?」


 ともに避難した母子が、いつまでも食事に手を付けない彼女を見かねて声をかける。

 そわそわと落ち着きなく何度も貧民街を見る彼女は、やがて我慢できなくなったのか立ち上がった。


「ごめんなさい、私、やっぱり見てきます!」


「あ、アルラニムさん!?」


 母子が何か声を上げたが、駆け出した彼女には聞こえなかった。みるみるうちに広場が遠ざかり、曲がった道を行けば橋が見えてくる。どうしても自分が見たものを確認したくて、どうか私の見間違いでありますようにと祈りながら走った。


(泣き声? …………ウルバハム!)


 橋のたもとへ近づくと、誰かの泣き声がアルラニムの耳に入ってきた。彼女がそれを聞き間違えるはずがない、あれは我が娘だとすぐに分かった。自分の目指す先から聞こえる娘の泣き声に不吉なものを感じ、導かれるように路地へ入る。

 たどり着いたのは水路に沿った道で、彼女が倒れたブラキアを見た場所だった。


「ウルバハム…………どうしたのウルバハム!」


 ウルバハムは母親の声が聞こえないようだった。地面にうずくまり、喉が裂けんばかりの慟哭。そばにはブラキアの少女が立っていて、握りしめ震える拳が声をかけづらい雰囲気を放っている。

 確かに自分はここで倒れたブラキアを見たはずだ……そうアルラニムは思っている。しかしそこにはブラキアの少女と号泣する娘。状況を飲み込めない彼女は、ただそれを見守るしかなかった。


「ウルバハム…………ユウは、きっと生きてる」


 アイリーンが絞り出すように出した言葉、それがウルバハムに届いたかはわからない。

 しかしアルラニムには、娘が頷いたように見えた。








 ――――――四章「流水の学徒」 終

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