27 女神たちの諍い-1
「勇一君、この前のどうだったかな?」
「ああ、すっげー面白い。まだ半分も読んでないんだけどな。読書時間なんてダルいだけだったけど、これなら俺だって読める」
「よかった、実は先週出たばっかりで……勇一君に最初に貸したかったんだ」
「先週!? お前もう読んだの? 速すぎ」
「僕は元々、読むの速いから」
(これは……俺の記憶? こんな奴いたっけ…………顔がぼやけて、思い出せない……………………)
「ほら、勇一君来てるわよ」
「う、うん、もうちょっと……」
「ごめんなさいね、――――で何かあったみたいで昨日か――のよ。ほら、いい加――――!」
(思い出せない……こんなことあったかな。浮かんだとおもったら消えていく、頭が痛い、痛い……痛い!)
「勇一君。もうだめだ、僕――――」
「いいから、こい! 手ぇ掴め‼」
「勇一君、僕は――――んだ!」
(痛い痛い痛い痛い痛い……‼)
***
グギ
「痛っだあぁーーッ‼」
「ほら、起きた」
「そ、それは起こしたっていうんですよぅ……」
爆発したような肩の激痛に飛び上がり、勇一は床に身体を打ち付けた。脂汗をにじませながら起き上がった彼は、目に飛び込んできた景色に驚く。痛みに邪魔されながらも理解してみれば、そこは彼の自室だった。
「ここ、なんで……………いつつつつ」
「いつまでも寒空の下にいたくはないでしょう、その方がよかった?」
「いつまでも……………………はっ! ど、どうなったんだ!?」
彼が言うのは喧嘩の行方である。互いの意地の張り合いは、アイリーンが本気を出すか勇一が自ら負けを認めれば終わることになっていたはずだ。しかし彼は気を失い、結果がどうなったのか知らない。まさかもう一回やりあうことになるんだろうかと、疲労でろくに動きもしない身体を持ち上げる。
「アイリーン様」
「あー、えーっと……………………ウルバハム」
歯切れの悪いアイリーンは、隣で行儀よく起立するウルバハムを見る。しかし帰ってきたのはにべもない返事だった。
「アイリーン様、ご自分から仰ってください」
ウルバハムの態度が若干冷たいのは勇一の気のせいではない。アイリーンは毛布をしばらくいじっていたが、やがて意を決した様子で切り出した。
「……前にメフィニ劇団のときの話をしたでしょう? 例外の話」
「ああ、賊にぶつけたって話」
見せられた彼女の左手には、これでもかと言うほど包帯が巻かれている。そのぶ厚さときたら、血のにじみすら許さないと言う確固たる意志を感じるほどだ。
「あの時は賊。今回はキミだった……と言えば、わかる?」
「……ああ」
戦闘中に我を失うのは致命的だ。しかし彼女は自分の性質上、そうなる可能性が他者より高いことをわかっている。だから明確に敵である相手に感情をぶつけられるよう訓練していた。
その矛先が今回勇一に向けられたということだった。
「自分なりに行動を制御できるよう訓練はしてるけど、完全じゃない。でも、まあ、その……『全力で八つ当たり』ができれば、冷静さは保てる」
「たもてる……?」
「ち、ちょっとだけ」
鉄球を叩きつけるような打撃でも彼女からすれは本気ではなかった。彼の顔面はその本気を受け止めたのだ。ともすれば絶命していたかもしれない。当たりどころが良かったのか、頭蓋骨が硬かったからか、とにかく彼は今生きている。
彼女はしばらく眉間にしわを寄せて床を見ていたが、やがて観念したのか天井を仰ぎ見た。
「くやしいけど…………私の負け。自分の血を見て……本気、出しちゃったから」
「そっか、じゃあ俺…………その、ごめん。傷つけちゃって」
「……ふふっ」
自分を倒した者の心配かとアイリーンは笑い、包帯で丸くなった手に目を落とした。
勇一の謝罪には、ただ怪我をさせたという以上の意味があった。少女、しかも王族の身体に傷をつける行為がどれだけ重いかはなんとなく想像がついている。
「気にしない。傷のない女なんて幻想だ……そんなものが欲しい輩には、人形でもくれてやればいいんだ」
短く笑い飛ばしたアイリーンに、勇一は救われたような気がした。
「……全部終わったら、戻って来てよね。ウルバハムのことは心配しなくていいから」
「私、ここを卒業したらアイリーン様の下で働くことになったんです」
どうやら勇一が眠っている間に色々話が決まったらしい。ウルバハムからは出会った頃の卑屈さはほとんど消え、まるで生意気な使用人といった態度でアイリーンのそばに立っている。
「はぁ……陛下のためにできる事、他に考えなきゃ」
「アイリーン、別にその気持ちを否定するわけじゃないけど、もう少し自分のことも考えて……」
「キミの場合は、もっと人のことを考えて。聞いたよ、彼女に待っててくれって言ったんでしょ?」
そんなことまで話したのか、と勇一は思わずウルバハムを見る。彼女は彼女で、赤くはにかんだ顔を彼に向けた。
「できるだけ努力するから……」
「……信じてますよ」
勇一は儚く微笑む少女を、どうしても直視できなかった。
「ユウ、そこは『必ず戻ってくる』とか愛をささやくとか、他に言いようがあるでしょ? ああ全く……ほら」
投げ渡されたそれは、掴んだ勇一の手の平に収まる程度の大きさをした筒だった。飾りのない木製の筒で、中の壁面には読めない文字がびっしりと彫ってある。
(筒……?)
「それは通信筒。陛下が発明したものの一つで、遠くの人とやり取りができる。手紙を小さく巻いて、中に入れるの。蓋を線の所まで閉めると、中の呪文が完成する。そしてあらかじめ設定された地点に向かって飛んでいくんだ……まだ試作段階で、あんまり量は入れられないけど」
じっくりと内側に彫られた文字を見てみると、時々キラキラと光る粒がある。すべての文字に粒がひかり、なにやら高級感が漂っていた。
「呪文書の製造はマイファーニ家の特権で、その手法も秘密にされている。けど、インクの中に砂金が含まれているのをエンゲラズの研究者が発見した。どうも金には魔力を属性ごと封じる性質があるみたいでさ――」
アイリーンの説明を上の空で聞く勇一。まもなく再開する旅に、全身の血が沸き立つのを感じた。
「……ありがとう」
この筒は一度しか使えないと彼女は言う。であれば使いどころは見極めなければならないだろう。勇一は右手に収まるそれを落とさないようにしまい込んだ。
顔にかかる銀髪を鬱陶しそうに払い、彼女は真剣な表情を勇一に向けた。何事かと身構えた彼が聞いたのは、初めて聞く名前だった。
「それと……ゴルガリア・ベーリンゲイ」
「ゴルガリ……なんだって?」
「キミの仇の名前」
仇の名前。それを聞いた途端、勇一の胸は締め付けられるように痛んだ。同時にどうしようもないくらいに湧き上がってくる怒をどこかにぶちまけたくなった。
「それ、本当に……」
「うん。それとややこしい事に……そいつは、同盟三賢者の一人に仕えている」
同盟三賢者と言う言葉も初めて聞く勇一だったが、そちらの方は説明されなくともなんとなくどういうものか想像がついた。
「たしか、黄金同盟は三つの勢力に分かれてるんだったよな」
「私も聞いたことがあります。有角、獣人、そして蟲人ですね」
「そう。一人はユウも会ったでしょう、有角の長ダラン・ウェイキン……私は三賢者の一人である彼と協力して、戦争を回避できないか探っていた」
勇一はエンゲラズに来る直前、同盟の土地でダランと話したことを思いだす。目尻を隠すくらいに伸びた白眉、大きな角、鮮やかな紅の鎧。見た目の年齢にそぐわぬ剛胆さで部下を率い、彼の前に現れた。
そのダランの協力によって、勇一の仇は特定されたのだとアイリーンは説明した。
「そいつは今どこに……」
「それは……わからない。連絡が来たときはヴァパにいるらしかったけど、頻繁に移動してるみたいで」
「そうか……」
十分だ。名前と役職が割れている人物の捜索など容易い。一気に縮めた仇との距離に、勇一は胸で高ぶる感情を抑えられない。
「それと、教えてほしいことがある」
「なんだ。俺はすぐにでも……」
「落ち着いて。キミが見たっていう、女神様の話を聞かせてほしい。何が繋がってるかわからないし、その、キミがもう長くないって……」
「……………………」
「ユウ様……」
歯を食いしばって大きく深呼吸すれば、胸の熱もわずかに冷めた。彼は今すぐにでも同盟に飛んでいきたい気持ちを抑え、覚えている限りの夢の内容を二人に伝えた。
***
「そ、そんな……」
「それは本当なのか? 大陸の危機は、月の女神の仕業だと」
「本当かどうかはわからないけど、星と太陽の女神が月を探しているのは確かだ」
女神たちが反目しあっているのは神話の中でもよく語られるので、アイリーンとウルバハムも知っているところである。しかしそれが、自分たちの存亡に関わる事態になっていることに二人は言葉を失った。
「月の女神様は、一体どういうつもりで……」
「ユウの寿命……月の女神……頭が痛くなってくる。ええっと……はぁ」
さすがのアイリーンも情報の多さに整理が追いつかないようだ。とりあえず何か聞いて理解を進めようと口を開く。
「その、ユウが女神魔法を授かったあたりの……転生者? とは……この世界とは別の世界があって、キミはそこで一度死んで……」
「アイリーン様……私もそこは気になりますが、今は」
「ああもう。戻ってきたら、そこらへんの話を洗いざらい喋ってもらうから……!」
「ごめん、どこから話したらいいかわからなくて」
頭を抱えるアイリーンと、それによりそうウルバハム。
彼は話がややこしくなるとは思いながらも、結局、自分の生い立ちまで話してしまった。二人からすれば常識の範囲をはるかに超える内容だったため、その意味を咀嚼するのに時間がかかってしまった。
「とにかく、今は目の前の問題を片付けよう。月の女神がこの騒動に関わってるなら、どこかでゴルガリアとつながっている。それで?」
勇一は夢のことを全て話した。二人が理解するのも信じるのも彼の知るところではない。次はそちらの番だと目で訴えると、アイリーンも頷いてゴルガリア・ベーリンゲイについての情報を伝えた。
「さっきも言った通り、ゴルガリアは同盟三賢者の一人に仕えている。獣人族を束ねるパンテラ・シャッハの第一の部下だそうだ。老いた獣人で、若きパンテラへの助言をよく行っていると」
「助言役……いかにも悪人が好みそうな肩書じゃないか」
ダランは彼が数ヶ月前より体調がすぐれないという話を聞いた。年も近い間柄、義理の為に見舞いにいったが、すぐ追い返されてしまった。他から話を聞けば、大けがを負って伏せっているということだった。
その時は何とも思わなかったが、アイリーンと行った情報のやり取りの中で気にかかり、改めて探ってみたという。結果ゴルガリアの大けがは、右腕を失うという凄惨なものであったことが発覚した。加えて青白い髭や背丈、風魔法など、勇一の証言といくつも重なり、彼が探し人ではないかとダランが連絡してきたのである。
「そいつが月魔法を……?」
「どうかな。関係はありそうだけど……ユウ?」
勇一にとって十分すぎる情報は得たというのに、彼の頭は違和感でいっぱいだった。何かが繋がりそうでつながらない、霧がかかった感覚。腕を組んで首をかしげる姿に、二人の少女は声をかける。
「ユウ様、わからないことがありましたら、とりあえず話してみませんか? 一人ではだめでも、三人なら何かわかるかもしれません」
心配そうに勇一の顔を覗き込むウルバハム。石畳に金髪の小さな川ができた。
「ああ、えっと……色々情報が混じってるけど、そもそも呪文書略奪の指示をしたやつは誰なんだ?」
以前からの謎。商業都市サウワンからエンゲラズへ行く途中馬車が襲われ、輸送中だった呪文書が奪われた。それ自体はほぼ無傷で奪還し事なきを経たが、略奪の迅速さからエンゲラズに情報を漏らした人物がいる、とアイリーンは予想していた。
「太陽の女神は言ってた。『月の女神は目立つようなことをしない』って……それってつまり、ゴルガリアを使って……直接人を操って動かすこともないんじゃないか?」
「……………………何が言いたい」
とは言ったが、アイリーンも彼が言わんとしていることは察しがついた。
「本当に想像でしかないけど、ゴルガリアに呪文書の情報を与えた人物……そいつが、月の女神に操られている……………とか」
「え、え? じゃ、じゃあそれって……………………」
王宮内に月の女神がいる。
三人は全く同じことを考えた。推測でしかないが、そんな恐ろしい考えは外れてほしい、と。




