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26 アイリーンという女-3

「な……に?」


 勇一の狙いは正確だった。彼の右腕があのまま振るわれていれば、アイリーンの首は間違いなく飛んでいただろう。しかし今、現実にそれは起きていない。

 彼の腕は止まり、振りぬくことができないでいた。


「そんな……そんなはずは」


「私にこれを使わせるなんて……ちょっと、凄いじゃないか」


 高純度の魔鉄で作られた短剣「マナン」は、持つ者に流れる魔力量で鋭さを変える。星の女神と繋がれた彼に流れる魔力は尋常ではなく、それはマナンに無双の切れ味を与えていた。


「ぐわァッ‼」


 アイリーンの蹴りによって彼の身体は宙を飛んだ。思わず駆けだしたウルバハムを手で静止し、正面を睨みつける。


「それは……その籠手、は……まさか」


 マナンの斬撃に対し、受けは最悪手である。盾や甲冑すらその刃を止めることはできず、軌道を見切って回避するしかない。しかし今、勇一の必殺の一撃をアイリーンは籠手で受けた。明らかに鉄製のそれがマナンを止められる道理はないはず。

 彼女は鈍色の籠手を脱ぎ去った。左の籠手にはマナンが裂いた亀裂が見える。重々しい金属音を響かせ、少女の身体に不釣り合いな金属塊が地面で沈黙する。


「魔鉄の武具は……キミだけのものじゃない」


「その、グローブか…………魔鉄の!」


 薄い板状に加工された魔鉄。勇一は思い出した、本来魔鉄は防具に使われるという話を。それが縫い込まれたのは革製のグローブだった。彼女の手にぴったりと馴染むそれは、握れば小さな黒点に見える。


「……シッ!」


「がはッ!」


(な、なんだ! もっと速くなるのか⁉)


 重い籠手を脱ぎ去り、彼女はさらに速度を上げた。黒い点が一瞬消え、一瞬の間に数発が勇一の腹にめり込んだ。遅れてくる痛みと衝撃に思わず膝をつく。体中の内臓がすべて裏返ったかのような感覚に悶えた。


「ごほっごほっ……!」


「……もう、諦めてよ。言っておくけど、私は重りを外しただけだからね?」


 それだけでこうも強くなるのか……勇一は腹を抑えながら頭を振る。ゆっくり立ち上がると、腹に力を込めて思い切り息を吸った。


「……ああー、ゴホン。スゥーーー」


「……」


「う"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ーーーーーーーーーーーーーッ‼‼」


「ユウ様……?」


 突如叫びだした勇一にウルバハムは困惑した。痛みに耐えかね遂に狂ってしまったのだろうかと。戦いと縁のない世界にいた彼女はただうろたえている。

 しかしアイリーン冷静だった。


「痛みを無視するのか……でも、そろそろ限界なんじゃない?」


「フーッ、フーッ……」


 勇一も冷静だった。重りを脱ぎ捨てさらに加速する拳。どう攻略したものかと即座に分析し、過去に見たものの記憶から役立つ情報を探し出す。


(幸運なのは、アイリーンの性質は変わってないってことだ……ただ速くなっただけで、攻撃が直線的なのはそのまま……)


「ユウ……お願いだから。もうやめてっ!」


「ぐはっ! なに、言ってんだ……アイリーン、案外、状況判断が、下手、なんだな……」


「……っ、このっ!」


「はうっ!!」


(気合……気合いだ……こんな時こそ、気合と根性の出番だろう!)


 精神論とは、目標にあと一歩届かないときの最後のひと押しに使うものだ。行動や思想の土台に置くものでは決して無い。

 勇一はガクつく脚に気合を入れ、上体を無理やり起こした。そして右足を前に出す。彼が思いついた、決死の構えだ。


「……なに、その構え」


「対アイリーン用の、必勝の構えだ……!」


 足を前後に広げ、上体をできるだけ前に傾ける。右手のマナンを胸に添えて、視線はアイリーンを見据えた。

 勇一は彼女に対して、頭という弱点を差し出した形になる。一見すれば意味不明な構えだったが、アイリーンには効果的だと彼は確信している。


(今までは攻撃の方向がわかっていたから防げた。でも篭手を脱ぎ捨てた今、攻撃の始点しかわからない。だったら…………集中させるんだ、特定の場所に!)


 弱点をさらけ出すことは通常悪手だ。しかし相手の手の内がわかっているなら、必ずしもそうとは言えない。例えばアイリーンのように、敢えて攻撃手段を絞っている相手になら効果があるかもしれない。

 頭を前に出すことで、必然的にアイリーンの猛攻はそこに集中する。直線的、悪く言えば馬鹿正直な攻撃は、いくら速度をあげようとも避けることは容易だ。

 事実、神速とも言える拳撃は一割も命中していない。即座に対応してみせた勇一に、アイリーンは嫌な汗をかく。


「くっ……」


 アイリーンが身をかがめた。一気に間合いを詰めるための体勢で地面スレスレを疾走する。

 しかしそれこそ勇一の思う壺だった。


「わかってるっ……てのォッ!」


「きゃっ!」


 わずかに反応が勝ったアイリーン。飛び退いた鼻先をマナン切先がかすめる。一度距離をとった彼女は、彼の構えを観察した。


(極端な前傾、私の手足では胴体に届かない。唯一届く頭は避けられ、潜り込もうとすれば剣か……)


「ふぅー……」


(でもあの顔、たった今思いついたって感じだ。急ごしらえとはいえ、中々面白い……それなら)


 アイリーンは突如腕を下ろした。

 勇一は思わずぎょっとして身体を硬直させる。そんな彼の目に、信じられない光景が飛び込んできた。思わず息をつまらせ、困惑の表情がありありと出てしまう。


(あ、歩いてくる……だって!?)


 腕を下ろしたアイリーンは、勇一に向かってただ歩いた。それは不気味なほど無防備で、太陽のもとを歩くかの如く足取りも軽い。

 まるで街中を散歩する少女のような雰囲気で、呆気にとられた彼が気づいたときには既に目前に迫っていた。


「どうしたのユウ、間合いだよ?」


「……はっ!? このっ!」


 焦った勇一は反射的にマナンを振るったが、それが獲物を捉えることはなかった。まさにそれを狙っていたアイリーンによって、腕を掴まれてしまったのだ。

 彼女は恐ろしい握力と腕力で彼の腕をねじり上げ、そして伸び切ったそれを思い切り引いた。


 ボグッ


「ぐ、うああああーーーーっっ!!」


「これで、剣は使えない」


 アイリーンは平然と相手の肩を外した。激痛に悶え膝をつく勇一を見下ろし、冷たい表情を向けている。


「痛い! 痛い痛い痛い痛い痛いーーッッ!!!!」


「そうでしょう? もうこれで最後にしない?」


 勇一はだらりと力を失った右腕を抑え、叫ぶ。激痛によって思考を吹き飛ばされた彼は、流れる涙を拭うことすらできなかった。

 戦いの流れは完全にアイリーンのものだ。もしかしたら最初から最後までそうだったのかもしれない。それを認めたくない彼は、最後の抵抗を試みた。


「ゔああぁーーーーっ!!」


 残った左にあるのは不完全な手。拳を作ることすらできないそれは、戦いにおいてはあまりに役立たずだった。

 現に情けなくも弱々しい悪あがきは、アイリーンに呆気なく捕まってしまう。


「剣が無ければ、キミはもう戦えない」


「まだ……うぁっ!」


「なにがまだなの? もう終わってるのに、みっともなく意地をはらないで」


「フーッ! フーッ!」


 アイリーンは視線を自らの右手にやった。それに包まれている不完全な左手は、小さく震えている。赤い顔で痛みに耐える勇一を見て呆れるアイリーン。しかし、その姿勢を内心では認めつつあった。

 勇一は激痛に意識を飛ばされそうになりながら、なおも諦める様子はない。その目の炎は消えることを知らない。


「ねぇ、おねがい。もうやめ……」


「まぁだだァッ!!」


「っ!?」


 アイリーンの哀れみの視線。

 勇一のギラつく視線。

 向かい合う二人の視線を断ち切るように、何かがふわりと飛び上がった。勇一が地面に落ちていたそれを蹴り上げたのだ。棒状のそれに、彼は間髪入れずに噛み付いた。

 アイリーンはたしかに強い。ここまで魔法を一切使わずに戦っているし、そうでなくとも実力は勇一が会ってきた中で最高峰だ。それ故に敵は一撃か、ごく短時間で倒すことがほとんどだった。ただでさえ少ない戦闘経験、彼女は想定外のことに即座に対応できなかった。


(なんだ!? 浮かび上がる……棒? いや、あれは刃……短剣!!)


「うがァ!!」


「くぅっ!」


 踊るマナンの柄に噛み付いた勇一は、そのままアイリーンの顔面に刃を突き立てようとする。左手を彼女に預けた彼の決死の攻撃は、相手にかろうじて防御をさせる時間しか与えなかった。


「う、ううっ……ユウ、そこまで…………」


「ヴググググ……!!」


 突き立てられた短剣。その切っ先を手の甲で受けたアイリーン。幸いにもそこには、魔鉄製の板が仕込まれていた。もしわずかでも動かしたらマナンは滑り、彼女のこめかみに飛び込む。その額には大量の汗が浮かび、顔は今日何度目かの歪んだ表情を浮かばせた。


(ど、どうする……っ! なぜこんな力が出るんだ、もう身体だって限界だろうに……痛っ!)


 勇一の右腕はだらりとぶら下がり、ピクリとも動かない。肩の激痛をもってしても彼を屈服させるには足りず、むしろ逆境に立ち向かう魂に炎をつける結果となってしまった。

 そして彼は、アイリーンに自らの意地をぶつけるべく体重をかける。彼女ほどの魔力を持ってすれば、魔鉄も最高の防具として力を発揮するだろう。しかしそれ以上に勇一の身体に流れる魔力は凄まじかった。


「こ、これは……剣が、貫通して……!?」


「グオオオオオオーーッ!!」


 つぷ。

 柔らかな肌にゆっくりと刃が侵入する痛みに、アイリーンは歯を食いしばった。彼女はなんとかして体勢を立て直そうとしたが、元からの体格差がそれを許さない。

 勇一は彼女に覆いかぶさる勢いで歩をすすめる。反発すればマナンがさらに肉を裂くので、アイリーンは後退せざるを経ない。数歩下がったところで背中に硬いものを感じると、彼女は全身から汗をふきだした。勇一と動かしようのない壁に挟まれ、のけぞる体勢で抵抗する。

 彼は自分を殺す気で来ている……アイリーンは生まれて初めて死の恐怖というものを感じた。


「あっ……ぐうぅ…………うあぁっ!」


 マナンは獲物の体内をゆっくり食い破るように侵入し、やがて再び頭をのぞかせた。遂に彼女の視線の先に、その切っ先を現したのだ。

 手を串刺しにされる痛みに涙をにじませ、にじりよる死の恐怖に怯えるアイリーン。しかし次の瞬間、その目に飛び込んできたものに目を奪われてしまう。

 自らの手首をつたう、鮮血。


「ああ、あああ……ああああーーーーッ!!!!」


 アイリーンは目の前に迫る刃を忘れ悲鳴を上げた。彼女の頭に過去の映像が浮かんでは消えて行く。その金切り声は勇一の殺意も幾分か削いだ。


 ――カーテンの向こうで始まった殺戮。


 ――いつもと変わらない兄たちの声。


 ――剣戟。


 ――持ち主の脚に絡まるはらわた。


 ――床でのたうつ腕。


 ――赤く染まった白の壁面。


 自らを苦しめる記憶を振り払おうと、アイリーンは必死で暴れ始めた。明らかにおかしいその様子に、勇一はついマナンを落としてしまう。


「アイリーン!? どうし……」


「きえろキエロ消えろおぉぉぉーーッ!!」


 全力の拳が叩き込まれた先。そこには不幸にも幻ではなく、勇一の頭があった。彼は自分の身に何が起こったのかわからないまま、反対側の壁まで吹き飛ばされてしまう。さしもの彼もその衝撃に、遂に意識を失ってしまった。


「ユウ様っ!」


 倒れ伏したまま動かなくなった彼を見て、我慢できなくなったウルバハムが駆け出した。抱き上げた彼がとりあえず生きていることがわかると途端に涙を浮かべ、その胸に顔を埋める。

 そして一度アイリーンも落ち着かせようと目を移したが、狂ったように壁を殴り続ける様子を見て思いとどまった。

 腕の中でぐったりとしている愛しい人を、暴れる女から遠ざける。深夜の中庭に静けさが戻るまで、ウルバハムは勇一を抱きしめ続けた。



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