25 アイリーンという女-2
二人の意地のぶつけ合いは、完全にアイリーンに傾いたまま時間だけが過ぎていった。
なにせ勇一が一度マナンを空振りするたびに彼女の鉄拳が五回は振るわれるのだ。自分の身体を傷つけるのが趣味でもない限り、こんな戦いは早々にやめてしまえと見る人がいたら思うだろう。
しかし彼は、そんな考えなど頭をよぎりもしなかった。
(俺だって、ただやられていた訳じゃない……ただ、まだ……!)
「っく!」
「遅い」
アイリーンは身をかがめ、一気に相手の懐に飛び込む戦法が主だ。襲いかかる攻撃を躱し続け、自分の攻撃を叩き込み続ける。大柄な相手ほどに有効で、彼女の能力も相まり甚大な被害を与えるのだ。
(拳が来ると思ったらもう遅い! 撃ち終わったあとに痛みが来る……)
「ぐあぁっ!」
「ユウ様っ!」
アイリーンの強打により勇一は吹き飛ばされた。
見ることしかできないウルバハムは、己の非力さを呪った。力だけではどうにもならない事態に、ただ声をかけるしかない。
「っまだだぁ!!」
冷たい芝生を踏みつけ即座に立ち上がる。
この状況で未だ闘志の消えない彼に驚愕していたのは、他ならぬアイリーンだった。修練を始めて以来勇一の剣が彼女を捉えたことはない。しかし何度倒しても何度投げ飛ばしても立ち上がる彼に、表には出さないものの不気味さを感じていた。
「その体力はどこから来る……はあっ!」
「ぐふぉっ! 俺だって鍛えてんだ、これくらいでぇっ! ……がはっ!」
アイリーンの打撃の狙いは、主に相手の胴体だ。突起のない篭手で胴体だけを狙うのは、ひとえに不意の出血を避けたいが為である。血は彼女がもっとも忌み嫌うもの。思考が攻撃を当てる箇所にありありと見て取れる。
(内臓が鉛になったみたいだ、腹が重い! だけど、アイリーンがトップスピードに入った……!)
アイリーンの連続攻撃は時間を経るごとに速度が増して行く。修練を始めたばかりの勇一は、そんな彼女の動きに翻弄されっぱなしだった。
しかし最高速にさえ達してしまえば、後は慣れの問題となる。勇一が狙っていたのはこの状況だ。
「相変わらず、速い……」
「これでも加減はしてる」
「……ありがとよ!」
頭への打撃がほとんどこないのは、彼女なりの優しさというわけではない。彼女はあくまで、勇一に自分から諦めてほしいのだ。
勇一もそれはわかっている。しかしそうする気など毛頭ない。残り僅かな人生を失意のまま過ごすなど、まっぴらだと言わんばかりに抵抗する。
そしてそれは、突如訪れた。
(速い、でも…………ここ!)
ぱしっ
「…………ッッ‼」
それらあまりに気の抜けた音ながら、アイリーンの目を見開かせるには十分なものだった。
彼女の拳が、四割ほどの手の平しかない左手に収められていたのである。即座に拳を引くと、直後に彼の短剣が食らいつこうと襲い掛かる。そこで初めて、彼女は後退せざるを得なかった。
(今のは偶然……?)
アイリーンの驚愕も無理はない。十発放てば十発当たっていた攻めが初めて防がれたのだ。偶然かと思いながらも攻撃を続ける。彼女の額に冷汗が流れた。
「アイリーン…………もうすぐだ。もうすぐ、グウウッ!」
十回に一回が防がれ、それが二回になり四回になり…………。アイリーンが理解できないまま、勇一はどんどん対応して行く。そのうちほとんどを防がれるようになり、当たっても有効打にならなくなってしまった。
勇一も自らの成長に驚いた。仮面の男が口にしたヒントが、まさかここまで有益になろうとは思いもしなかった。アイリーンは若い……男が言った言葉が妙に頭に残っていた彼は、癪ではあるがその意味を考えていた。
(アイリーンが城を出てから俺と会うまで、多分一年もない。軟禁されている間、ひたすら自分を鍛えていたんだ、我流で……そして脱走し、アドたちと会って、俺を拾って…………つまり、実戦経験がほとんどないんだ!)
彼女は強い。それは誰もが認めることだろう。しかし幼少の頃から血を忌むようになって、それから実践経験を積んでこなかったのではないかと勇一は考えた。ひたすら自分を鍛え上げ、速さも力もつけた。しかしそれだけになってしまったのではと。
(ずっと思っていた。アイリーンの攻撃……牽制や陽動が無い。攻撃の始点と終点が直線……今まで相手をあっという間に倒していたから対策されなかったんだ。速く、力強い……だが直線、リズムも一緒。だから…………)
ぱしっ
「…………っ! ユウ、キミは…………ッ!」
「追いついたぞ、アイリーン…………‼」
今度ははっきりとアイリーンの顔が歪んだ。
またマナンが襲い掛かる。回避と同時に彼女の拳が飛ぶ。防がれる。防いだといっても鉄の籠手だ、素手で受ければ当然痛い。しかしまともにくらうよりはるかにマシだ。
「っこの!」
「……!」
このままいけば、勇一はアイリーンをこえるかもしれない。
しかしそんな希望とは裏腹に、彼の心は徐々不安に駆られてきていた。今まで彼女の攻撃を全て受け、自分の攻撃はかすりもしなかった。そんな状況に彼はいつしか「自分の斬撃は全て避けられる」という、奇妙な信頼感のようなものを彼女に感じていた。
しかし今、大きな動揺故か相手の動きが明らかに鈍い。これはひょっとすると、間違いが起こってしまうのではないか。肝心なところで芽生えた憂慮が彼の手を鈍らせた。
「そおらッ!」
「うっ!」
二人の間に、糸のような白銀が舞った。マナンが獲物の髪を数本切り取ったのだ。わずか数本ではあったが、夜の世界にきらめく成果は二人の実力差が着実に近づいていることを示していた。
(俺の剣がアイリーンに届くようになったらどうする。そのまま切りつけるか? それとも説得に入るか? 向こうは焦ってはいるがまだ本気を出していない。本気になるということは、そこでこの戦いが終わるってことだ……)
「アイリーン、そろそろ本気を出してみたくなったんじゃないか?」
「……けるな」
「これ以上やったら、完全に追いつくぞ!」
「ふざけるな! 追いついてから言え!」
彼はアイリーンが歯を食いしばる表情を初めて見た。悔しさと動揺と焦りがごちゃ混ぜになって、攻撃にも雑念が入り込んでいる。
初めて会った時のさめた表情は熱を持ち、隠しきれない気迫を叩きつける。
「……っこの、わからずやがぁッ‼」
諦めない勇一に苛立つアイリーンと同じように、勇一の頭も熱くなっていた。最初に受けたダメージが蓄積しているとはいえ、まだ我慢できる範囲だ。彼女の拳も蹴りもやがて自分に届かなくなるだろう。彼女に手段はもう残されていない……だというのに、まだ自覚しないのかと。
そしてついに見つけた必中の隙へ、勇一はまっすぐにマナンを薙いだ。当たればアイリーンの首が飛ぶ。力任せに振るった刃は容赦なく獲物に牙をむいた。
ガキイィ……………………ィン
だが勇一はその音を聞いて、自らの顔が青ざめて行くのをはっきりと感じた。




