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11 悪夢と記憶

 ―――おかあさん…どうして?


 これはキミの力


 ―――ごめんね…本当にごめんね…


 でも、まだ完全じゃないみたいだね


 ―――おかあさん!やめてよ!もうやめて!


 ふふ、ちょっとだけ興味わいた


 ―――カエセ!


 また雑音か…まだいらぬものが入りやすいな


 ―――カエセ!


 ()()()()()()は…まだちょっとだめだね


 ―――カエセ!カエセ!カエセ!



 ***



「あああっ!」


 寝具から跳ね起きる。ぐわんぐわんと割れるような頭痛と激しい動悸、そして大量の発汗。

 香炉を使ってから何日か経ったが、悪夢は一向に治まる気配すら見せなかった。そして例のごとく内容を覚えていない。

 勇一はどうしていいかわからなかった。自分に何か起きているかもしれないのに原因がわからない。

 何も覚えていないのだから内容に手がかりを求めることもできない。額を拭うと、汗の粒が流れ目に入った。

 解決策も何もないまま、無駄に日々だけが過ぎていった。



 ***



「……」


「おいおい、あんちゃん大丈夫かい?」


 今日はドウルの漁を手伝っている。河に網を投げるのは網が重すぎて勇一には無理だったので、引き揚げた網にかかった魚を掬い取る役目を仰せつかった。


「なあ、顔が悪いぞ?本当に大丈夫か?」


「『顔色』です、悪いのは。はやく終わらせちゃいましょうよ」


 河の流れる音や風が生み出す葉擦れの音は本来なら心休まる音のはずなのだが、いまの勇一にとってはただの耳障りな雑音でしかなかった。

 自分は一体どうしてしまったんだろうか。これは何かの罰なんだろうかと、頭の中は堂々巡りしている。睡眠は十分なはずなのに体は重く、限りなく思考は鈍化していた。

 そのような状態では、仕事に集中することなど到底できるわけがない。

 ふらつく足元、滑る川岸。麻痺した意識はドウルの必死の叫びも届かず、やがて


「あんちゃぁん!!あぶねぇぞぉ!!」


「え?……うわっ!」


 水流にズルリと足を滑らせ、凄まじい水しぶきと共に勇一は川に落ちた。

 不運なことに、川の流れは速く底は深く、勇一はあっという間に流される。

 必死に走って追いかけるドウルの姿がもうあんなに遠くに見える。やがて勇一は水流と一緒に何かに叩きつけられ、その衝撃は彼から意識をたやすく引き剥がした。



***



 ドウルは老体にむち打ち、息が上がるのも忘れて走った。

 ここはドウルがいつも来る漁場だった。

 だが彼ははじめてここに来た。

 それを考えていなかった。

 ゼェゼェと肺は苦しそうに収縮して、全身は重く、震えている。だがドウルは彼に追い付くために足だけは止めなかった。

 そうしてやがて倒木の枝の先に、かろうじて引っ掛かっている彼を見つけた。

 倒木は今にも流れていきそうで、またその枝は弱々しく川上から流れてきたものが当たれば、それだけで折れてしまうだろう。

 …ドウルは決心し、真新しい網を彼めがけて放り投げた。



***



 ドウルが勇一を連れ帰り助けを呼ぶと、彼はすぐに天幕に向かい勇一を横にした。

 村は騒然となり、ファーラークはとにかく温めろと火の魔法を扱えるものを集め交代で身体を温めさせた。勇一は大量の水を吐きかろうじて生きてはいるものの、意識が戻る気配はなく時々不明瞭なうわ言を呟いている。

 皆彼が無事目を覚ます事を祈っていた…しかしそれだけでは救えるものなど誰一人いはしないということをわかっていたが、言葉には出さなかった。


 そうして時間だけが無意味にすぎ、やがて深夜になった。


 勇一の天幕で二人は並んで座っていた。一人は勇一の手を握り、もう一人は二人の様子を黙って見ている。


「姉さん、そろそろ休んだ方が…」


 天幕の中はちいさな火がともり周囲を暖めている。肌寒い外と違い、天幕内部はまるで暖炉があるかのようだった。


「だめよガルク…もう少しだけ」


 今にも消え入りそうな答えが返ってくる。

 ファーラークは交代で勇一を暖めるよう言ったのだが、サラマは「私が一人でやる」と頑として譲らなかった。結果勇一が運ばれてからずっとサラマが彼をみている。

 ガルクはそんな姉が心配で、頻繁に様子を見に来ているのだった。


「そんなに…コイツが心配なのか」


「うん…ユウはいっぱい、話してくれたし、いっぱい、きいてくれたし」


 一呼吸ごとに言葉を絞り出すサラマ。

 食事、弓の練習、村の用事―――サラマは勇一と一緒にいるときは積極的に村のことや、過去に来ていた行商の者達から聴いた事を彼に心行くままに話していた。

 勇一はいやな顔一つせず全て聴き、サラマもまた彼の話をねだる。

 ただ外部からの接触が久しかったからかもしれないが、サラマは二人で話す時間を何か特別なもののように感じていた。

 やがてサラマは、勇一といると楽しいと思うようになった。


「……そう、かよ」


 二メートルを優に超す竜人(ドラゴニュート)が使うものとはいえ一人用の天幕に三人は狭すぎる。ガルクは身体をまるめて座り、サラマの邪魔をしないように隅にいた。サラマはまだ勇一の手を握っている。別に誰かの手を握らなければ魔法が使えないわけではないのだが。


「姉さん、そろそろ本当に休もう」


「もう少し、もう少しだけ…」


「それはもう五回きいた。俺が見てるから…頼むから休んでくれ」


 ガルクは遂にサラマに懇願した。サラマにはもう立ち上がる気力もないはずなのに、火は彼女がつけたときの状態のままだ。

 調整された魔法を長時間維持するには相当な体力と集中力が必要なのだが、彼女は体力を使い果たしてもなお意地になっている。


「…姉さん」


「わかった、わかったわよ。じゃあ、ちょっとだけ、ね……………くぅ」


 言うが早いか彼女は勇一の隣にうずくまり、寝息をたてはじめた。サラマがあまりにも眠りの海に落ちるのが早かったので、ガルクはなかば呆れてしまう。


「お、おい。そのまま寝るのかよ……まったく」


 サラマに布を掛けてやると、勇一の手を握った彼女の手が視界に入る。

 ガルクはブラキアが嫌いだ。それは彼の母親の死にブラキアが関わっていると思っているからだ。

 今目の前でうわごとをつぶやいている男もブラキアだ。浅黒い肌と言えば、ブラキアなのだ。

 しかしこの男は自分はブラキアではない、と言う。ここではない異世界からきたコウコウセイだと。そんなもの、誰が証明するのか。

 なにもかもが気に入らなかった。突然現れて竜人(ドラゴニュート)である自分達をリザードマンと侮辱して、()()()()()()()()()()()()()()、今度は村の皆に取り入ろうとしている。

 再び二人の繋がれた手を見た。


「ああ、くそ。起きるなよ…」

「男と女が、軽々しく手を繋ぐんじゃねえ…」


 などと言うのは建前で、ほぼ嫉妬だろう。そっとサラマの指を開き、二人の手を離す。

 気に入らないが、彼は彼なりに努力しているのも知っている。それはガルクも認めざるを得ない。それがまた勇一への感情を複雑なものにしている。

 いっそ、この男がどこまでも見下げ果てたクズ野郎だったら…


「…ガルク」


 自分の名を呼ぶ声がして、ガルクは我に帰った。辺りを見渡すが誰もいない。


「ガルク」


 声は、眠っているこの男から出ている。

 ガルクは困惑した。何故こいつは自分の名前を呼ぶのだろうと。しかし次に彼の口から出た言葉にガルクの感情は戦慄と怒りが塗りつぶした。


「おかあさんを…」


 ガルクの前で母親は禁句だとファーラークから教えられていたはずだ。

 思わず無抵抗の勇一に掴みかかる。狸寝入りを疑ってガルクは何度も彼を揺さぶるが、カクンカクンと力なく首がゆれるだけだった。


「おい!お前、本当は起きて……」


 言いかけた所でガルクは動きを止めた。おそらく彼の頭の中で幼少の頃の記憶が呼び起こされたのだ。

 この天幕と、横たわる人物。室内風景が記憶と合致する。怖くて逃げ出し、見届けられなかった事を。


 衰弱しきった、母親の最期だ。

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