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23 アークツルス

「先生、ミュールイア先生!」


 ハロルド・ガリアバーグ殺害事件から一夜明けた。ウルバハムはその日のうちに解放され、今は勇一と二人でミュールイアの研究室を訪れていた。

 早朝この年で初めての雪が降り、地表を薄く染めている。


「返事、ありませんね……?」


「先生の方から来いって言ってたのに……先生ー!」


 王妃立会いの下、ネティの部屋があらためられた。すると彼女のローブと持っていたナイフから、本人のものではない乾いた血液が認められた。ハロルドについた刺し傷とナイフの大きさも一致し、ネティこそが犯人であると断定されたのである。

 そこから先は専門の者たちの仕事だ。勇一は重い身体を引きずり、開放された自室に行く。ウルバハムに事の顛末を語り、その夜は二人で過ごした。


「しょうがない。先生、開けますよ?」


 建付けの悪い扉をこじ開け、中へ入る。そこはいつも通りの研究室ではなかった。


「あれ……ビンが全部なくなってる?」


 ミュールイアの研究室に所狭しと並べられた、標本入りのビン。それらがすべてなくなっていた。一目でわかる異常に勇一は身構える。視線を正面に移すと、大きな背もたれを向けて置かれた椅子に見覚えのある服が見えた。

 ミュールイアのローブだ。


「先生……先生! ……うぅっ」


 返事がないのを不審に思い、つい駆け出した勇一が見たもの。その様子に、彼は思わず口元を覆った。

 確かに彼女は座っていたが、既にこときれていた。ただ死んでいたのではない。皮ふは枯れ、閉じた目はくぼみ、身体は空気を抜いたように骨が浮き出ていた。


「干からびてる……ミイラ、みたいに」


「ユウ様、ここに手紙が」


 うろたえる勇一に、ウルバハムが机を指差した。机の上もその手紙以外全てが消え、冷たい空気が覆っている。

 彼は丸められた紙を広げ、内容に目を通した。

 そこにはこれまで研究を進めてくれた礼と、連名で論文を提出するために封筒に署名しろという命令。そして勇一が星魔法使いであることは伏せておいたという内容が彼女の尊大な物言いでまとめられていた。

 そして復讐を終えた自分は、生きる意味を失ってしまったことも。


(聞いたことがある、目標を達成してしまった人が燃え尽きたようになってしまう現象……。先生は高齢だったし、身体ももたなかったのかもしれない)


「ミュールイア先生……本当に、ありがとうございました」


 置かれた封筒には、ミュールイアの名前が滑らかな筆跡で記されている。彼はその下に、たどたどしい筆使いで自らの名前を残した。


「失礼する! ここに、ユウ・フォーナー殿はいるか!」


 静かにミュールイアの冥福を祈ろうとした勇一。それは乱暴に扉を開けた兵士によって邪魔されてしまった。兵士は奥にいる勇一を認めるとずかずかと部屋に足を踏み入れ、鎧の飾りを見せつけるように胸を張った。


「お前がユウ・フォーナー殿か……ん? 何だこれは!」


「え? あ……いや、違うんです!」


 兵士の反応を見て、勇一は極めて自分がまずい状況にあることを理解した。死体とそばにいる人、普通なら事件と証人かあるいは犯人と思われても仕方がない。

 今度は自分が殺人犯に仕立て上げられてしまったのかと、彼はしどろもどろになりながら弁明した。


「お、俺たちがここに来たときには、先生はこうなってたんですよ!」


「……ふ、ふふふ。あっはっはっは!」


 しばらく彼のおろおろする様子を見下ろしていた兵士。しばらく険しい表情をしていたが、突如噴き出した。


「え?」


「はーっははは! いやいや失礼、手紙にはこうしろと書かれていたのでな」


「手紙? ユウ様、いったい何が……」


 ただならぬ雰囲気だった空気がさっと散って行く。兵士の笑い声に、いまだ状況を理解できない勇一は目をぱちくりとさせていた。

 高笑いする兵士は頬の無精ひげを撫でると、一つ咳払いした。


「今朝方、警備兵の詰所に手紙が届いてな。お前が部屋に入るのを見計らって後から入り演技せよと……ミュールイア先生から」


 兵士は廊下に待機していた同僚たちに合図する。あわただしく入ってきた複数の兵士たちが、迅速かつ丁重にミュールイアの遺体を布でくるみ始めた。


「あの人には色々世話になっていたし、自分の死とお前は全く関係ないと彼女の字で書いてあったら、信じるしかないだろう。それと、こっちに覚えはあるかな?」


 勇一に手紙を広げて見せ、籠手の指先を手紙の最後の一文に充てる。

 そこにはこう書いてあった。


 ――初日の礼だ、ざまあみろ。


「覚えがある顔だな」


「先生……」


 まだそんなことを覚えていたのか。勇一は悲しいんだか笑えるんだかわからなくなった。まさか自分をからかうためだけに死期を隠していたわけではないだろうが、自分の死をそういったことに使う人間だとは思わなかった。


(何年も人を監禁するような人だ。俺が知らなかっただけで、元々荒んでいたのかもしれない)


 それを確かめる術はない。これで完全に、この研究室へ来る理由がなくなった。

 勇一はせめてもう一度とミュールイアのために祈ると、兵士たちに挨拶を済ませ彼らを見送る。


「よし、これは確かに受け取った。それとな、お前に渡すものがあるんだ」


 論文の入った袋を手に取り、兵士の一人が勇一へ別の封筒を渡した。中には手紙……紙はそれ自体が高級なものだとわかる。


「あれ、ユウ様その封蝋……」


 ウルバハムが震える指で封筒を指さした。勇一もそれを見て、どこかで見たことがある……と記憶をたどる。


「その印はハウィッツァー家のものです。ととと、ということは……」


「うむ、ユウ・フォーナー……陛下が直々にお呼びだ。本日昼、尖塔昇降機前に来なさい。確かに伝えたぞ」


 言って兵士はミュールイアの遺体を運ぶ者たちを追いかけていった。後には気の抜けた顔の勇一と、口を開けたまま固まったウルバハムだけが残った。

 ヴィヴァルニア国王、アークツルス・ハウィッツァー……彼が名指しで勇一を呼んでいる。

 二人は手紙とお互いの顔を何度か見合わせ、そのたびに首をひねるのだった。



 ***



 国王に面会する。

 それがどれだけ名誉なことで、どれだけ他者と摩擦を生むのか、勇一は想像すらできないでいた。当然のことながらマナンは預けられ、何度も身体検査を受ける。ローブのような武器を隠し持てる服装も禁じられていたので、彼はメイドたちに頼み込み無難な服を借りるしかなかった。


「こちらでお待ちください」


 そういって通された部屋で、何時間待っただろう。兵士から渡された手紙には昼までにとあったのに、既に日が傾きかけている。


(……トイレに行きたい)


 国王を待たせるなど論外である。勇一はただそこでいつ来るかもわからない相手を待ち続けた。


 太陽は赤く染まり、街の明かりは民家か酒場ばかりとなった。勇一が眠気と格闘し手の甲をつねった時、ついに「彼」が現れた。


「ユウ・フォーナー、陛下がお見えになりました。無礼のないように」


 従者が扉を開け、脇に退く。そして現れた者こそ広大なヴィヴァルニアを治める男、国王アークツルス・ハウィッツァーその人であった。


(この人が……)


 炎のような紅い瞳が勇一を捉える。それだけで彼は直立したまま動けなくなってしまった。とりあえず口だけの無難な挨拶を済ませると、アークツルス国王は従者たちに下がるよう命じた。

 しん、と静まり返る室内。勇一は何を話せばいいのか考えるが、思考は虚しく空回りするだけだった。


「ユウ・フォーナー」


「は、はいっ!」


「緊張せずともよい……来なさい」


 地を這うような声が来いと命じる。雰囲気こそ国王然としたものだったが、勇一はその外見に驚きを隠せなかった。


(顔や手を見ると六十……いや、それ以上に見える)


 勇一がアイリーンから聞いた話では、国王が今の地位に就いたのが十二歳の時。それからおよそ三十年、計算が正しければ彼は今四十代のはずだ。

 しかしその手は骨が浮き出るほど痩せていて、眼力こそ王のものだが、頬はこけ白いあごひげをたくわえている。外套に覆われて見えない部分も想像できる体格……ベテル王妃と同じくらいの歳とは到底思えなかった。


「こ、これは……」


「乗ればわかる……騒ぐでないぞ」


 石壁にぽっかりと開いた昇降機の入り口に二人で入る。王が石板に手をかざすと、足場が重々しい音を立てて上って行く。少しもしないうちに昇降機は尖塔の一番上まで上がってしまった。


「わ……」


 直後見えた景色に、勇一は言葉を失う。

 太陽が沈みゆく地平線。

 城壁の長い影に覆われたエンゲラズの街。

 足元では人々の営みが見え、かがり火の下では酒を飲む者たちがいる。

 一望するすべてが、一つの秩序のもとに動いている。

 そんな感動と支配者じみた感情を同時に味わった彼は、ただの一言も発することができなかった。


「私が一番好きな景色だ。昔はことあるごとに来たものだが、最近はめっきり来なくなってしまってな」


 アークツルス王はそばに腰かけると、懐かしいものを見る眼差しを景色に向けた。二人はしばし、無言で同じものを眺める。


「貴族殺害の件、そなたとアイリーンが見事解決したと報告を受けた。礼を言おう……決して望んだ結果ではなかろうが、時に現実を受け入れるしかない時もある」


「はい……身に余る光栄です」


「穏健派の二人が死に、その力は急激に弱くなるだろう。しばし不安な日々が続くが、民に埋め合わせを強いることはないから安心せよ」


 勇一はひざまずき頭を垂れた、そうしなければならないような気がした。彼が解決したことで一つの命が失われてしまったが、しかし解決しなければウルバハムが犠牲になっていた。自分の行動が他者の命を奪う結果になってしまったことは、少なからず彼の心に影を落とす。

 ウルバハムはそんな勇一の話を黙って聞いていた。話し終わると彼を一晩中抱きしめ、一緒に泣いた。


「……アイリーンは、多くを背負い込もうとする」


「え?」


 勇一は王を見た。彼を見る目は王のそれだったのに、アイリーンのことを話し始めた途端、一人の親のように穏やかな光が宿る。


「あれから、昔の話を聞いたか?」


「二人の兄のことを、話されました」


「ほう? その話をするということは、そなたは信用されておるのだな」


 どんな状況で聞いたかは話さないでおいた。娘と一緒に風呂に入ったなどと、父親に白状するものがあろうか。相手が国王ならなおさらである。


「あの時からアイリーンは少し……歪んでしまったように思える。兄たちを失って少し経ち、あれは私の前に来たのだ。『私をお兄様たちの代わりにして下さい』と……自ら髪を切って」


 しかし王はそれを拒んだ。娘は娘、女は女であって、決して兄たちの代わりになるものではないと。しかしアイリーンは引かなかったという。


「それで私が一度折れた。髪を切るほどの覚悟があるなら、剣を取ってまずは兵長と手合わせしてみよと。結果はそなたも想像できよう?」


「血を見るのが、怖くなっていたんですね」


 男として生きようとした彼女は自らにひどく落胆し、取り乱した。

 それを心苦しく思った王は、彼女のため敷地内に城を立てさせた。そこでしばらく療養せよと……そして王宮はおろか、彼女の城からも出ることも禁じた。


(それって、監禁じゃないか……)


「しかし一年前、突如行方不明になった……外を見てきます、と書置きだけしてな」


 王はじっと勇一を見た。まるでドラゴンにでも睨まれたかのように、勇一は全身が硬直してしまう。もし相手に明確な殺意があれば、彼の命は既にないだろう。

 王は年齢に似合わない老いた身体にあって、その真紅の目はむしろ若々しい輝きを持っていた。


「わが娘のことながら、わからぬものよ。だが一つ言えるのは、そなたを気に入っているということだ」


「ええと、アイリーン様は活発な方で、最初にあった時から印象が変わりました。気に入られている理由など私の方が知りたくて……」


 と、そこまで言って勇一は自分の発言に戸惑った。なぜアイリーンは自分を気にかけているのだろうか。出会って一緒に過ごしたのなんて、メフィニ劇団にいたおよそひと月だけだ。それから同盟で再び出会ってすぐにエンゲラズに来るよう誘われた。

 彼は自分がアイリーンに気に入られる要素がわからなかった。言葉使いがそうだと言われたが、まさかそれだけというわけではないだろう。


 ――アイリーン様を手放しで信じるのは、危険だ。


 また勇一の脳裏にハロルドの言葉が浮かぶ。なぜ彼はそう考えたのだろうか、アイリーンの秘密を知ったからだろうか。憶測は憶測でしかないが、疑念が徐々に頭の中で膨らみ始める。


「ユウ・フォーナー。どうしたのだ」


「あっ……い、いえなんでもありません。ただ本当に、アイリーン様は私のどこを気に入られたのか考えてしまって」


「女の考えることだ……我らにわかるはずもなかろう。その逆も然り」


 冷たい風が吹き、視界に小さな白がちらつき始める。冷たい闇は、高い場所の二人へ最初に襲い掛かった。


「陛下、お身体に障ります」


「……ふん」


 気丈に振舞っているが、立ち上がろうとした国王の足がわずかによろめいたのを勇一は見逃さなかった。咄嗟に支えるための腕を伸ばす。彼としては反射に近い反応だったので、無礼だとかを思考する暇もなかった。


「気安いぞ」


「も、申し訳ありません。考える前に手がでしまいました……」


 王の一睨みによって勇一は腹に氷塊を詰め込まれたような気分を味わった。彼が腕をひっこめると、直立のまま謝罪する。

 王が昇降機に乗り込み、勇一が後を追う。直後、尖塔を強い冷気が襲った。


「……いつか平和な時代が、来ると思うか?」


 唐突な質問に面食らう。


「夢……ではありますが、いつかきっと来ると信じています」


 王はふふ、と小さく笑った。


「民の夢に、少しでも近づけるのが我々の役目だ」


 昇降機を降り、二人で廊下を進む。

 途中勇一はメイドたちに誘導され、着替えるために部屋へと入る。

 王は従者に外套を預け、廊下の奥へと進んで行く。

 その間、一度も振り返らなかった。

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