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22 冤罪-4

 星空のもと、エンゲラズの街は寝静まる。しかし人々が夢の世界へ行こうとも、彼らを治める者たちはそうはいかない。

 机に向かうヴィヴアルニア王、アークツルス・ハウィッツァーもその一人だった。ロウソクの明かりを頼りに書類に目を通し、必要な個所に印を押して行く。彼にしかできない仕事は多く、それを日々律儀にこなす姿は実直な印象を部下たちに与えている。


「陛下」


 王の視線が扉に向けられた。こんな時間に現れる訪問者が、ろくな知らせを持ってきたためしがない……。王は一つため息をつくと、声の主に入るように言った。


「入れ…………うん? アイリーンか、どうしたこんな時間に」


「その、ご気分が優れないとお聞きしましたので……」


 入ってきたのはアークツルス王の娘、アイリーンだった。厚い外套を羽織った彼女は、軽食を持って入室する。そしてゆったりとした足取りで王に近づく。


「その香り…………カノープスか。もうすぐ仕事も終わるというのに、なぜそんなものを」


 書類に目を落としつつ、娘を迎える王。言葉は静かで威厳あるものだったが、だからと言って相手を邪険にしている風はない。

 もみあげから顎まできれいに揃えられた白髭が口角とともに歪む。


「話がしたいのか。待っていろ、もうすぐ区切りがつく」


「…………」


「どうした…………っ⁉」


 アイリーンは食事を王のそばに置くと、しわと筋が目立つ彼の手に指を絡めた。母親の若い頃とそっくりな表情はほのかに紅潮し、金の瞳は熱い視線を王に送る。

 王はぎょっとしてアイリーンを見た。


「陛下、私考えたんです。お兄様たちの代わりができない、国の役に立てない自分がどうすれば良いか」


「……何を言っておるのだ」


「私は男になれません、しかし子を残すことはできます。未だ血が怖い身ですが、それも、陛下の血を残すためならば耐えて見せます……どうか私を、私の身体を、陛下のお役に立てて頂けませんか?」


 アイリーンは首から下を覆う外套をしゅるりと脱いだ。その下にはたった一枚。質素な装飾が施された下着のみだった。揺れるロウソクの灯で、褐色の肌が容易に透けて見える。

 彼女は座る王の元にひざまずく。一度頷くだけで、どのような行為もするという意思表示だ。このときのためにあつらえた香水が王の鼻をくすぐった。


「アイリーン……」


「はい、陛下」


「お前は旅で、何を学んできたのだ」


「え……きゃっ!」


 しかし王はアイリーンを振り払うと、彼女の着ていた外套を叩きつけた。目は吊り上がり、白眉が小刻みに震えている。


「あそこから抜け出して外に出たと知ったとき、私は不安であった……だが同時に嬉しくもあった。お前が自分から外の世界を見ようと行動し、新たな価値観を学ぶだろうと思ったからだ。だからあえて探さなかった。

 王宮にいるだけでは決して見られない、見るものすべてを貪欲に吸収し、新しい風をまとって帰ってくると…………そう、期待していた」


 王の顔は赤く、握りこぶしはわなわなと震えている。


「しかし陛下、お母様はもう子を産めません。ならばせめて私が」


「娘を抱く父親がいるか!」


「ヴィヴアルニアに必要なのは男子です! 私は国のために……」


「そうではない、そうではないのだアイリーン。意志を継ぐものがあれば、血は重要ではない」


「受け継ぐのも、正統なものでなければ」


「それは血でなくともよい! そういう時代が来るのだ……ゴホッゴホッ」


「陛下!」


「触るでない!」


 差し伸べた手を叩き落とされ、アイリーンははっきりと感じ取った。王であり父である者から向けられた、嫌悪の感情を。


(私はやっぱり…………女としても………………)


 愛する者に救いを求めるように、拒絶された彼女はなおも手を伸ばした。しかしその手は受け入れられることはなかった。


「戻れ、アイリーン」


「陛、下……私は、お慕いして……」


「戻らんかァ!!」


 胸を抑えながらも一喝する王からは、覇気が放たれる。それはアイリーンの口を塞ぎ、萎縮させた。


「……………………っ!」


 叩きつけられた外套を握りしめ、アイリーンは走る。兄たちの代わりになろうと自ら髪を切り落とした日もそうだった。怒りと失望……父親のあんな目を見るのは二度目だ。

 部屋を去る娘を黙ってみていた王は、どっと来た疲れに落ちるように椅子へ座る。


「何を間違ったのだ……………………」


 目頭を押さえ肩を落とす。しんしんと冷える空気が、頭痛に頭を抱える王を慰めていた。



 ***



「ベテル様、昨日の男がぜひお話したいことがあると」


「ユウ・フォーナーが……通しなさい」


 太陽は完全に顔を出し、エンゲラズの街は人々によって動き始める。魔法院にて身支度を整えたベテル王妃は、勇一の訪問を歓迎した。


「挨拶はよろしい。ユウ・フォーナー、何かわかったのですか?」


「極めて重要な証拠を持っているか、犯人かのどちらか……その人物のもとへ、これから向かいます」


 ついては、信頼できる護衛を一人貸してほしいと彼は言った。


「ここから近いのですか?」


「……この魔法院におります」


「何ですって⁉」


 ベテル王妃とその後ろに控える護衛たちは動揺を隠せない。広いとはいえ同じ敷地にいたなど……。王妃はすっくと立ちあがり、努めて落ち着いた態度で言った。


「私も行きましょう」


「ベテル様、危険です!」


「いざというときは、そなたらの働きに期待しておりますよ」


 ざわめく護衛たちを尻目に、王妃は命ずる。


「さあ、その者の所へ案内なさい」


 きりとした目つきは、いつも勇一が見ているアイリーンそのものだった。彼は一礼すると、王妃とその護衛の先導を始めた。


 一行は数え切れないほど階段を上がり、やがてとある扉の前へ行きついた。早朝から活動を開始していた勇一には、既にその場所がわかっていた。息の上がった王妃たちは彼が足を止めたのを見て訝しんでいる。


「ここがそうなのですか? もし間違っていたら……」


「私の考えが正しければ、ここに答えが。どちらにしろ、彼女には答えてもらわなければなりません」


「……いいでしょう」


 王妃からの許しはもらった。彼は確信めいた眼差しで早速扉に手をかけた。


「なあ、いるんだろう? ここを開けてくれ…………ネティ」


 ネティ・バーサ。ハロルド・ガリアバーグの婚約者にして、彼の殺害に関わったもの。勇一はもう一度、今度は扉をたたき優しく語りかけた。


「聞いてくれネティ。俺たちはハロルドが殺されたと聞いて、それが恨みによるものだと思った。実際あいつの見下したような態度とか、あからさまにホラクトを差別するところとか、恨みは結構買っていたと思う」


「ううぅ…………ぐす、うう……」


 扉の向こうから微かに嗚咽が漏れてきた。相手を責めることが無いように、勇一は慎重な口調で続ける。


「だから俺たちは、最初に不審者を見てないか聞いて回ったんだ。事件の前後で、怪しい動きをしている奴を見なかったかって……でも駄目だった」


 王妃の前で控える護衛たちは目を見合わせた。彼らは事件当時、図書館の表通り側出入り口を警備していた者たちだ。勇一の聞き込みに対しても不審人物などいなかったと自信をもって答えた。


「逆だったんだ。怪しいやつじゃない、ハロルドと一緒にいても不審じゃない人物だ。だから何も証言が出なかったんだ」


 弱々しい嗚咽は続いている。


「最初の目撃者は、泣きながら魔法院側出口から南棟に向かう君を見た。そうして自分も図書館に行くと、ハロルド殺害の騒ぎ……彼女は『婚約者の死体を発見したネティが、衝撃のあまりその場を走り去った』と思い込んだ。二人の仲を皆が知っていたから、殺害に関わっているなんて全く思わなかったんだ。

 …………でも、ちがう。本当に見たのは『ハロルドを刺した後に逃げた』君だ。出血量からして相当な量の血がついたものがどこかにあるはずだ、見つかっていない凶器も」


 婚約者に殺されたなんて悲しい結末、勇一としても認めたくはない。しかしネティに出てきてもらわなければ結論が出ないのだ。


「頼むネティ、君の部屋を見せてほしい。何もなければそれでいい」


 できるだけ優しく、ハロルドの気持ちを考え


 「頼むよ」


 嗚咽が止んだ。不動のベテルに対し護衛たちはそわそわと勇一を見ている。彼は余計なことを口にせず、静かに次の反応を待った。


「私……………………こんなこと、したくなかったわ」


 扉越しに聞こえるかすれた声は、かろうじて勇一に聞こえるほど小さかった。


「ネティ?」


「今だって、ハロルド様のこと、愛しているもの。二人で飲む紅茶や、私を抱き寄せる暖かい手が好き……見つめる目も、声も、小さな時から一緒で、でも一度だって愛が覚めたことなんてないわ」


「それなら、どうして?」


 扉の向こうから激しい後悔の念が伝わってくる。それほど愛していながら、どうして凶行に走ったのだろうか。


「だから、ハロルド様から婚約の破棄をされたなんて、私には耐えられなかった。私、信じられなくて……訳が分からなかった。ハロルド様に訳を聞こうとしたわ、でも気持ちが抑えられなくて、気が付いたらこの手で……」


「婚約破棄」


 それでネティは罪を犯した。愛するがゆえに裏切られたと感じた彼女は、完全に無警戒のハロルドを背後から刺してしまった。愛した者の血に染まる自分の手を見て、彼女は何を思っただろう。

 勇一はネティであってほしくないと心の隅で思っていた。いっそ全く関係ない暴漢の仕業であった方が何倍もましだ。だが事件は、彼の考える限り最悪の結末を迎えようとしている。


「どうして私、あんなことしちゃったんだろう……。もう、あの腕が私を抱くことはないのね」


「ネティ、この扉を開けてくれ……」


「もうなにもかもおしまいよ。貴族を殺した罪は償わなきゃ……ハロルド様、もうすぐそちらに参ります」


「ネティ? …………おいネティ‼ 開けろッ!」


 部屋の中から応答はない。事態は勇一の考える最悪の、さらに下を行こうとしていた。突然叫び始めた彼にベテルたちはどうしたのかと問うた。


「兵士さん、この扉を破って! 今すぐ!」


「は、ええっ⁉」


 その表情を見て明らかな緊急事態だと判断したベテルは、速やかに護衛に命ずる。


「私が許します。直ちに扉を破りなさい!」


「ははぁっ! ……そうらッ‼」


 筋骨隆々の兵士が扉に体当たりを食らわす。肉体と鎧の重さを一身に受けた扉は、一度の突撃で容易に破壊された。あまりにあっけなく障害物が排除されたので、大男はつんのめって倒れ伏す。その上を勇一が飛び越え、ネティの部屋に転がり込んだ。

 一人用の部屋は広いとは言えない。そこにいるはずのネティの姿はない。

 いや、いた。部屋にただ一つある窓、ネティ・バーサはそこから今にも飛び降りようとしている!


「ネティーーーー‼」


「申し訳ありませんハロルド様。申し訳、ありません……っ!」


 咄嗟のことであったが、勇一は冷静だった。窓から身を乗り出したネティを見て彼女を助けるためにどうすればよいか、瞬時に思考する。


(王妃はまだ壁の向こう、兵士はうつ伏せ、ネティは外を見ている……今しかない!)


「一瞬だけだ、女神の腕ッ!」


(…………‼)


 勇一の左肩に白い霧が集まる。それは彼の宣言通り、腕の形を成す前に再び雲散した。腕を見たものは恐怖に捕らえられる。しかし今は誰の視界にも入っていない。周囲が感じるのは、身体を通り抜ける一瞬の気配だけだ。まばたきほどの短い時間、しかしそれで十分だった。


「……ひぃっ‼」


 窓から身を乗り出そうとしたネティは、突如襲ったおぞましい気配に慄いた。身体を硬直させすくみ上る。そこに勇一が飛び掛かった。


「い、いやです! 死なせてください! お願い、お願いよぉ……」


「駄目だ! ハロルドは誠実な奴だ、彼を愛しているなら、彼と釣り合う女でいたいなら、罪を償うんだ!」


「!」


「二人とも本当に仲が良かったんだろ? だったら、ハロルドが何をしてほしいか考えろ!」


「…………あ、あああ」


 ネティの抵抗がぴたりと止んだ。取り乱していた彼女はハロルドの名前を出されると、わずかに落ち着きを取り戻す。そしてその場にしゃがみ込み大量の涙を流した。


「ユウ・フォーナー、今のは一体何なんなのです」


 ただならぬ気配を浴びたベテルが部屋に踏み込んできた。


「何のことです? それより彼女を!」


 ネティ確保を確認し、能力のことはうやむやにする勇一。彼の狙い通り王妃たちはネティへの対応を優先し、それ以降気配のことは忘れてしまった。


「ああネティ・バーサ……どうして、どうしてこんなことを…………」


「ベテル様、申し訳ありません……私は大きな罪を、犯し、ました」


 悲しみの表情を浮かべる王妃に、ネティは膝をついて己の罪を告白した。深く頭を下げ嗚咽を押し殺し、肩を震わせている。


「顔を上げて……ネティ?」


 ネティは畏れと悲しみ、自責の感情が入り混じった顔を上げ、恐る恐るベテルを見上げた。


「ネティ、起きてしまったことは変えられませんし、私にもこの後のことはどうにもできません…………せめて、せめて正当な裁きが下るよう私が立ち会いましょう…………ネティ、貴女に女神の加護がありますように」


 ベテルは憐みの目を向け、ネティの涙をぬぐった。

 本来ならばネティ・バーサが連行され、事件は終わりを迎えるのだろう。勇一もしかめ面をしながら、長い洞窟を抜けたような安堵を感じていた。


「…………」


「ネティ? どうしたのです」


 しかし事態は思わぬ方向へ動き出す。落ち着きを取り戻したと思われたネティが、頭を抱え始めたのだ。何かに抵抗するように頭を振るネティは、ついにうずくまって悶え始める。


「ネティ、大丈夫ですか? ネティ!」


「ああ……! 申し訳、ありません…………私やっぱり……………………耐えられない‼ …………うぅっ」


 背を丸めて悶えていたネティの身体から、震えが消えた。直後、彼女の身体を中心に赤い円が広がる。

 ……血だ。

 はっと我に返った勇一がネティを掴み、うずくまる彼女を引き倒す。仰向けになった彼女が持っていたは、まさに勇一が探していたものだった。


「ネティ! それは……」


 彼女の手には小さなナイフが握られている。そして飾りのない切っ先は、深々と持ち主の喉に突き刺さっていた。あふれ出る血液をどうすることもできず、勇一はただ悔しさに唇を噛むしかなかった。


「ゴボッ…………申し訳、ありま…………ハロルド……………………さ…………………………………………」


「どうして……ネティ‼」


 抱きとめた腕の中で、命が消えて行く。喉にナイフを残し、パタリと手が床に落ちた。

 その場にへたり込む勇一。すぐそこに救えるかもしれない命があったのに、何もできなかった……自責の念に頭を抱える。

 呆然とする彼を前に、ベテル王妃は悲痛な表情でネティの冥福を祈った。


「ネティ・バーサ、なぜなのです。二人の仲睦まじさは、私たちも知っていたのに……」


 後味の悪い結末に覚えた感情を、勇一はどこにぶつければ良いか分からなかった。

 ハロルド・ガリアバーグ殺害事件は、犯人であるネティ・バーサが自ら命を断ったことで幕を下ろしたのだった。




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