21 冤罪-3
「そっちはどう、ユウ」
「全然。揃いも揃って『知らない』ばっかりだ……そっちは?」
「こっちもだめ。収穫なし」
勇一とアイリーンの二人は協力して聞き込みを行った。遺体発見時にその場にいたもの、図書館を利用していた者、できるだけ多くの人たちに不審者を見なかったか聞いて回る。しかし全ての答えは一緒で、すっかり日が沈んでも一向に事件は進展しないでいた。
「案外、人は他の人を見ていないんでしょう。記憶違いというのもある」
「今も図書館に隠れている……なんてのもなさそうだ…………はぁ、一体どうなってるんだ」
犯人は誰にも気づかれることなくハロルドをおびき出し、殺害後は煙のように消えてしまった……凶器とともに。
「もう少し聞いて回ろう」
「……すっかり日が沈んでしまったな。一旦身体を休めて、改めて捜索しよう」
「そんな時間はない……!」
ベテル王妃に言い渡された制限時間は翌日の昼までだ。それまでにハロルド・ガリアバーグ殺害の真犯人を見つけないと、濡れ衣を着せられたウルバハムが処刑されてしまう。
勇一の焦りを冷静に見つめるアイリーンは、手詰まりという現実を認めたくない彼の肩に手をかけた。
「だめだ。こんなに暗くなってしまっては、捜索もできはしない。今キミに必要なのは、食事と休息だ」
たった半日とはいえ、捜索と聞き込みで歩いた二人の足は棒のようになっている。
仕方なく勇一は彼女の提案に従い、休息を受け入れた。
「少し……少し休んだらわかっていることをまとめよう。ここに集合でいいな?」
「まあまって。キミの部屋はウルバハムと一緒に封鎖されてるよ」
勇一とウルバハムの部屋は元々一つだった。それを仕切りで区切り、別の部屋として扱っている。
彼女は自室に軟禁状態なので、当然ながら勇一の部屋も封鎖されていた。
「……じゃあ俺はどうすれば」
「私のところに来るといい。食事もある、寝床も」
「それは迷惑じゃ、うぐ」
「いいから、こい」
土魔法で身体強化された彼女に掴まれたら、大の男とて振りほどく術はない。彼は半ば引きずられるようにして、アイリーンの根城に連れていかれるのだった。
***
そこは王宮の敷地内に建てられた、もう一つの城のようだった。城が一つと立派な中庭が縮小されてそこにあった。縮小といっても子どもだましのようなものではなく、勇一の知る平均的な一軒家よりもはるかに大きな規模だ。
そこで提供された食事もまた格別で、サウワンで味わったものとはまた違った豪華さだった。ハロルドと食べた、路地裏の店で出されたあの酷い料理とは比べものにならない。
「……風呂なんていつぶりだ」
勇一は食事の後、さも当然であるかのように入浴をすすめられた。アイリーンに付き従うメイドたちによって案内され、一人で入るには広すぎる浴場に放り込まれる。
最初は仕方なくといった態度であった彼も、つま先が湯に触れるとその誘惑に抗えなかった。実際湯船につかること自体がダンドターロルの地下温泉以来で、いつもは熱した井戸水に浸した布で身体を拭くのみ。久しぶりの熱い湯を、身体は欲しがっていた。
(何か……何か違う気がするんだ。何を見落としてるんだ……)
乳白色の湯に肩まで浸かり、目を閉じる。深く息を吐いた勇一は物思いに耽った。
(図書館の出入口は二つ……表通り側と、魔法院側。通り側は衛兵が立っていたから、怪しいやつが通ればわかるはず。なら、犯人は魔法院側の通路を通ったのか……? でもそこにはウルバハムがいた。
……ウルバハムはそこにいただけだ、関係ない。もしかしたら彼女が何かを見てるかも……早めに話を聞けばよかった。
ああ、考えがまとまらない)
縁に頭を預け、勇一は全身の力を抜く。
「アイリーンの言う通りだったな。俺にはちょっと、休息が必要だ……」
「そうだね」
「うわああああああああああーーーーっ!!」
「わっ、びっくりした」
一人だと思っていからこその独り言。まさか返答が返って来るとは思わず、彼の泥のように溶けだしていた感覚が一気に硬直する。それがアイリーンの声であることが、狼狽に拍車をかけた。
国王の娘とあろう人物が、簡単に肌を晒していいのだろうか……そう考える頭とは面腹に、彼の視線は控えめな二つの丘から目が離せなかった。
「なに、私の身体……何か変?」
「へ、へん⁉ …………いや……変、じゃない、けど」
メフィニ劇団を盗賊から守ったとき、仮面の男と格闘戦を繰り広げたとき、彼女の動きは凄まじいものだった。しかし今勇一の前にいる少女の身体は、そんな戦いをした人物のものには見えなかった。
それは、あまりにも少女然としたものだったのだ。
「その………………………………きれいだなぁ、って」
「……そっか」
華奢に見える四肢に髪の毛一本程の傷すらないのは、彼女が本当に強いからだろう。
くすりと笑ったアイリーンは、止めていた歩を進めた。
「アイリーン!? まてまてまて!」
「? 寒いんだから、早く入りたい……よっと」
「なんで隣に座るんだぁッ!!」
一糸まとわぬ姿で現れたアイリーンは、ためらう様子なく湯に入り彼の隣に腰を下ろした。広すぎる空間の無駄使いだ。
勇一は意味が分からなかった。
「どうしてそっちを向くの」
「向くだろう! アイリーンは女の子なんだから……」
「……………………」
「アイリーン?」
「私、本当に女に見える?」
アイリーンがぐるりと回りこんで勇一の顔を覗き見る。
じっと見つめる瞳と向けられる端正な顔立ちは、見るものに畏れの念すら感じさせるようだった。
(誘われてる……? いやまさか)
「見えるって?」
「私の裸を見て興奮する? 私を抱きたいと思う?」
さらに近づく金の瞳。アイリーンは相手の戸惑いなど払いのけるように肌を合わせた。
「おおおおお落ち着けって」
「答えて」
なにかおかしい。勇一は自分とアイリーンの間に重大なズレを感じ取った。しかし原因を考えている余裕もないので、場当たり的な答えで紛らわす。
「ああ、ああ! 思うから、きれいだから! まず離れてくれ!」
「……」
わずかに釈然としない表情で離れるアイリーン。
勇一は湯と興奮で熱くなった頭を落ち着かせ、彼女と適度に距離をとった。
「いきなりどうしたんだよ」
「別に……そっか」
「ああ?」
勇一が違和感の正体を探ろうとする前にアイリーンは離れた。そっぽを向いた彼には見えなかったが、声の様子からかなりの上機嫌であることが窺われた。
「ねえユウ、私ね……女じゃないんだ」
「女じゃない?」
妙なことをいうものだと勇一は訝しんだ。顔は確かに中性寄りに見えるが、身体は女そのものだ。アイリーンが「彼女」であることは疑いようがないだろう。
「図書館で死体を見たときのことを覚えてる?」
「ええっと……」
図書館でのこと……勇一は彼女の不自然な行動を思い出した。ハロルドがどのようにして刺されたのかを検証しようとしたとき、彼女は死体に近づくことを頑なに拒んだのだ。
上機嫌に聞こえたアイリーンの声は、半ば自棄になっているからだと彼は感づいた。
「私、血が怖いんだ。怖いなんてもんじゃない、近づくだけで、気が狂いそうになる」
アイリーンほど強くても血が怖い。勇一は彼女になお背を向けながら、なぜこんな話をするか気になった。
「意外だな……アイリーンくらい強かったら、それこそ血を見る機会なんてありそうなのに」
「メフィニ劇団の時は例外。手についた血を見て発狂寸前だった。爆発しそうだった感情を、そばにいた賊にぶつけられたから何とかなっただけ」
「確かに、あの時はすごい動きだった……っ!」
勇一の背中にぺたりとした感触が寄りかかる。
「私ね、兄が二人いたんだ。双子で、優秀で、いずれは王と将軍にって言われてた。その時私はまだ小さくて……でもお兄様たちにかわいがってくれたことは覚えてる」
「…………」
背中にあたる柔らかい感触。勇一は話を聞きつつ、平常心を保つのに必死になっている。
そんな彼の苦労を知ってか知らずか、アイリーンは話を続けた。
「私が隠れてお兄様たちがそれを探すって遊び、私は大好きだった。お気に入りのカーテンの裏に隠れて、二人の足音が聞こえるのを待つんだ」
「……うん」
「いつもは二人が部屋に入ってきて、わざとらしく大きな音を立てて戸棚を開けたり、テーブルの下を覗き込んだりするの。で、最後に私が隠れてるカーテンを二人で開ける。兄上たちには私がどこに隠れてるかわかりきっているのに、わざと滑稽な姿を見せる。それを影から見ていた私が吹き出すように仕向ける、そんな遊び…………でもその日は違った」
アイリーンは震えている。それが寒さからくるものでないことは明らかだ。
「二人が入ってきて、いつも通りわざと大きな音を立てて部屋を探し回る。私はいつものカーテンの裏に隠れて、それから、それから…………」
「アイリーン!」
勇一はたまらず振り返った。そこには青い顔で震えるアイリーンがいた。湯に入っているにも関わらず凍えるように奮え、視線はおぼつかない。
「アイリーン、言いたくないなら言わなくていい。無理をするな」
「だめ、聞いて……友達、でしょう?」
アイリーンは勇一にすがった。相手の胸に頭を預け、肩で呼吸している。
勇一はただ震える彼女の肩を支えることしかできなかった。
「二人は、殺し合いを始めた。剣で、斬り合って……血があんなに、流れて。なのに二人は『アイリーン、逃げろ!』って、笑ってた……訳が分からなくて、私は、動けなくって」
勇一は互いに裸であることも忘れ、目の前の少女を力いっぱい抱いた。大人を何人も殴り倒す力を持つ彼女も、今はただのかよわい少女だった。その言葉からは彼女の見た光景を想像できない。しかし突如始まった行為の狂気ぶりは、雰囲気から十分に伝わった。
いつも通りの光景から始まった凄惨な事件は、アイリーンの心に消えない傷痕を残す。
「どうして二人が殺し合いを始めたのか、今もわからない。でもそれ以来、赤い液体を見るたびにあの時の光景が蘇って……私は、自分を抑えられなくなる」
「……」
「変だよね。血に一番近いのは女なのに……私は自分の血すら忌避するようになってしまった……………だから私は、女として出来損ないなんだ」
「そんなわけないだろう」
普段口数が少ない彼女がこんなに饒舌に語るのはなぜだろう。勇一はそんな疑問に、自分が少なからず頼られているからだと結論付けた。ならばそれに応えてやるのが誠意というものだと、彼は必死に言葉を探した。
「人に打ち明けるのは大変だったな。でも女じゃなかったらなんだ、血が駄目だから女じゃないなんて、誰が決めたんだ。女とか女でないとか以前に、アイリーンはアイリーンだろう」
「……」
「いいんだ、それで。辛いことがあった、それから受け入れられなくなった。それでいい。少なくとも君が女であろうとなかろうと、受け入れられる人間がここに一人いる。無理をするな」
「…………うん」
極端な話、アイリーンが何者かなど勇一にとってどうでもよい話だ。王の娘であろうと、女であろうとなかろうと、それによって彼の態度が変わることはなかった。そしてこれからもそうだ。
「キミに話した私がバカだったよ」
「えっ」
「ウルバハムがどうしてキミを気に入っているのか、全くわからない」
「なにか変なこと言ったかな……」
「はぁー……ふふ」
親身になって聞いていたつもりでも、それが正しいかどうかは別の話。アイリーンは心底呆れ果てたといった表情で離れて行く。
辛辣な言葉をぶつけられた方は本当にわかっていない。
「えぇっと……どうしてその話を俺に?」
「ん……裸の付き合いで秘密を打ち開ければ、友人との仲はもっと良くなるって……物語に書いてあった」
「友人……友人ね、そうか。多分その本の『友人』ってのは、主人公と同性なんじゃないか?」
「どうして知ってるの?」
「いや……………………なんとなく」
(よかった、早まらなくて本当によかった)
「ま、物語は物語だな……空想だった」
勇一は濁った湯に感謝しつつ、アイリーンの想いにはちゃんと答えてやろうと固く心に誓った。
***
勇一は欲情との戦いに理性をもって打ち勝ち入浴を終えた。
もう少し入っているというアイリーンを残して着替えた彼は、あらかじめ案内されていた客室へ行く。ベッドに寝ころび興奮冷めやらぬ頭をどうにか落ち着けようと、事件のことについてわかっていることを振り返っていた。
「結局犯人はわからなかった。ウルバハムが悲しんでるのに、俺は何をやってるんだ……もしこれが大事で、暗殺者がどうとかいうことになれば、犯人はもうエンゲラズから脱出してるかもしれない……ああクソッ」
柔らかな布団でいやでも鈍化する思考。それを無理やりたたき起こし、手掛かりがないかを思い出す。
(証拠も証言も少ない……本当に何かないのか?)
「そういえば」
冷えた室内では独り言もよく響く。勇一は思った以上に反響した自分の声にびくりと肩を震わせた。
「……………………落ち着かないな」
(血の跡がどこにもなかった。ということは殺されてあそこに運ばれたんじゃない、あの場所が現場なんだ。どうしてあんなところにいたんだ? ……呼び出された? あいつの命の残滓がなかったのも気になる。死んだことに心残りがないとか? もっとミュールイア先生と検証すればよかった……………………証言がない、衣服の乱れもない、残滓もない)
まどろむ思考と冷えた空気。時にそれらは、思いがけないひらめきを導く。
(ハロルドから証言をとれない……証言を取られたくない………………犯人を見つけてほしくない)
「う……馬鹿なことを」
ばかばかしいと思いつつも、どうしても思考がそちらに寄ってしまう。彼にしか感知できなかった違和感は膨らみ、やがてある推理を導き出した。
(どっちにしろ、行動は日がのぼってからだ……だから今は、寝よう)
ウルバハムを救えるかという不安とともに、勇一は眠りにつくのだった。




