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18 乙女の……

「………………」


 勇一はどうしたらよいかわからなかった。ミュールイアの部屋で起きたことは確かに衝撃だったが、彼の自室で起きていることもまた衝撃的だったからだ。


「すぅ、はぁ………………」


 彼は確かにウルバハムを自分のベッドに寝かせた。それは彼女が三日に及ぶ看護で疲れ切って寝ていたからだ。決して自分の枕の匂いを堪能してほしいからではない。


「すぅ……はぁ………………んっ、んぅ」


 アイリーンとハロルドは既に帰ったようだ。空は白み始め、まもなく新たな一日が始まる。

 勇一も魔法を使った身体を休めようと、せめて一眠りでもと思った矢先である。自室を出る前に寝かせていたウルバハムが、彼の枕に顔を埋めて深呼吸していたのだ。


「はぁ………………はぁっ……ユウ様ぁ……」


 ブラキアの体格に合わせた大きさのベッドは、ホラクトには小さい。ピンと伸ばしたウルバハムの足首から先がはみ出て入る。


「あっ……あふ…………ユウ様ぁ…………あ、え?」


「や、やあ」


 ウルバハムは勇一が部屋に入ってきたことにすら気付かなかった。そんな彼女にどうフォローを入れればよいのか。

 波風立てずにこの状況を切り抜けられるものがいたとしたら、それは稀代の女たらしか朴念仁であろう。

 彼女は勇一の存在に気が付くと、白い顔を真っ赤に染め上げた。永遠とも思える沈黙ののち、ゆっくりと毛布をかぶって丸くなる。途端に気温が下がり始めた。石の壁を通しても伝わる雨音が周囲を包む。


「殺してください」


「ウルバハム、あの……」


(それ俺の毛布なんだけどな……)


 やがてさめざめとすすり泣く声が流れてくると、さすがにいたたまれなくなった勇一はどうしたものかと言葉を探った。

 とりあえずベッドに腰掛け、彼は嗚咽が弱くなるのを待つ。


「ウルバハム」


「申し訳ございません、気持ち悪いですよね、幻滅しましたよね。ホラクトがこんなこと」


「そんなことない」


「私うれしかったんです。言葉を教えてほしいって言われたとき、必要とされてるって。水属性の魔法が取り柄なだけのホラクトを選んでくれたって」


 小さく震える声はなおも続く。

 外は滝のような豪雨だ。


「ユウ様が倒れたって聞いたとき、当然心配しました。ユウ様がいなくなったら私……私…………。でもほんのちょっとだけ、うれしかったんです」


「…………」


「わ、私がつきっきりでいれば、ユウ様は私を大事にしてくれるんじゃないかって……そんな打算が頭をよぎってしまったんです」


 元々卑屈だった彼女は、その高い背を縮めるようにして生活していた。なぜそうなってしまったのかは、彼女の「奴隷という身分で貴族も在席する魔法院に入った」という立場で説明がつく。


「申し訳ありません……申し訳ありません……」


 勇一はそっとウルバハムを撫でた。毛布を被っているのでどこを触っているのかわからなかったが、彼女はおとなしく身を委ねている。


「ウルバハム、顔を見せて」


 返事はない。ぎゅう、と貝のように身体を硬直させている。


「ハロルドと初めて会った時のこと覚えてる? なんともない。なんともないんだ」


「……」


「倒れたとき心配して看病してくれたんだ、本当に感謝してるよ。……打算なんて、後付に過ぎないじゃないか」


「……本当ですか?」


 恐る恐る顔を出した彼女は、小動物のような視線を向けた。


「ああ、大切な人に看病されて、本当に嬉しい」


「本当の……本当に?」


「本当だ。ウルバハムもアイリーンも大切な人だ。ハロルドは……まあ、そうでもないか」


 え?とウルバハムが首を傾げた。

 何か今の話に不思議があったのだろうかと勇一は眉をひそめる。


「アイリーン様がお友達……お二人はいつも夜な夜な出かけられますよね? てっきりそういうご関係なのかと……」


「はぁ?」


「陛下の一人娘ですから、公に付き合うわけにはいかないからと思っていましたが……」


「……あぁー」


 彼女が言っているのは夜中の鍛錬のことだ。アイリーンは仮面の男を捜索している間、時間を見つけて勇一に稽古をつけている。稽古……といっても二人とも決まった流派がある訳ではないので、主に実戦の感や身体の動きを強化しているだけだ。


「そんなんじゃない、本当に友達だって。俺が彼女の世話になってるってだけだ」


 白い手が右手に触れた。ヒヤリとした感触に彼は思わず手を引っ込めそうになった。


「そう、なんですね……そうなんだぁ…………えへ」


 泣き晴らした顔など忘れてしまったのか、彼女の表情にはほのかな安堵と希望が染み出している。しかし勇一は気づかなかった。その瞳に、黒い独占欲が燻っているのを。


(あれ、なんだこの雰囲気は)


「じゃああの……あのっ、私、わたし……が、えっと…………」


 彼女を撫でていた手は今、白く細い両手に包まれている。起き上がった彼女は互いの指を絡め、視線は勇一の眼を捉えて離さなかった。

 ホラクトは見た目に反して力が強い。少女といえど例外ではなく、勇一はいつの間にか覆いかぶさる彼女を押しのけることもできなかった。

 いつもの萎縮した眼は、いまにも相手にかみつこうとする獣の光を放っている。


「ね、いいですよね? アイリーン様とはお友達なら、私は、こっちで……」


「ウルバハム、今!? まずいって……うおお……っ!」


「…………」


(あぁ、だめだ、聞こえてないっ!)


 大柄な少女に組伏せられているというのに、勇一は不思議と危機を感じなかった。むしろこの後どうなってしまうのだろうという期待感すら頭をよぎる。

 が、ウルバハム擁する毛布が彼を丸ごと飲み込もうとしたとき


「……?」


 彼は最初に、嗅覚に違和感を覚えた。二人が閉じこもっている毛布の中は、様々な人がひしめきあう熱気がこもっている。端的に言えば、この匂いは汗と脂だ。


「? ……くんくん」


 もっとよく確認しようと鼻をひくつかせたのを、ウルバハムの獣の眼は見逃さない。彼の行動の理由を探り、瞬時にそれが自分であることを理解した。


「あ……い、いけません!」


「うわぁっ!」


 がば、と飛び起きたウルバハムは、毛布をまとったまま部屋の仕切りに向かう。そのまま彼女の部屋に飛び込むと、今度は自分のベッドで丸まってしまった。


「なんだ? なあウルバハム、どうしたんだ」


「申し訳ありませんユウ様。私、その、ユウ様を看ている間……その…………」


 仕切りの向こうから聞こえてきたくぐもった声は、絶対に入ってくるなという懇願が含まれていた。

 こんな時どういえばいいのだろうと勇一は頭をかく。彼女の言いたいことはわかっているが、下手にそのことに言及するのはさすがに悪手だとわかる。


「ウルバハム、君の気持はわかった、本当にうれしいよ。だけど……」


「……」


「今は、君の気持ちに応えられない。俺はやることが……何を置いてもやらなきゃいけない事があるから……」


「……」


「だから、その……………………待っててくれ」


 返事はない。しかし言いたいことは伝わったと信じて、勇一はベッドに寝そべりつかの間の休息に入る。明らかに自分のものではない匂いがすると、彼もウルバハムと同じようにうつ伏せになった。


(なんて言えばよかったんだ)


 気まずい雰囲気で女性にかける言葉を考えあぐねていた時、ふとハロルド・ガリアバーグの顔が浮かぶ。何となく彼なら、女性を気遣う気の利いた言葉の一つや二つ簡単に出てきそうだと勇一は思った。


(確かにあいつなら、女の子の扱いには慣れてそうだ)


 勇一は毛布のないベッドの上で身をよじらせた。豪雨はすでに止んでいたが、冷たい空気が石の壁を通して身体を冷やす。


「……っくし!」


(明日、ハロルドと飯でも食おうか。あいつもちょっと変わったし……)


 自分から声をかけるのは初めてだが、彼は何となく今なら素直になれそうな気がした。なんだかんだ言っても転生してから初めてできた、同性で同い年の話し相手なのだ。


(まずあからさまに怪しいところに行くなと言って、それから飯か。いつか五人で付き合える日が来るといいな……)


 しかしそれは、想像で終わってしまう。

 翌日ハロルド・ガリアバーグが、死体となって発見されたから。

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