表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/174

16 研究者

「なぁるほど……恐怖、か」


 久々の研究室。ミュールイアは並んで座る勇一とハロルドに憎しみで煮込んたような眼球を向け、枯枝のような指を組んで唸った。

 ならず者たちを相手にした際に起きた異変を、ハロルドは知りたがった。しかしどうしても自分の力を話したくない勇一は、報告も兼ねてミュールイアを頼ったのだ。

 なお唸るミュールイア。彼女は二人の証言に思案を巡らせ、本棚を漁る。


「あの先生。ユウの力は一体何なんですか?」


「ああ? まだいたのかい」


「はぁ……?」


「話すことはないよ。ついでにあんたにも、もう用はない」


「はぁっ!?」


「さっさと出ていきな! でないと、ハロルド・ガリアバーグの名が書かれた単位を全部暖炉にくべてやる」


 突然の宣告に空いた口が閉まらないハロルドは、次第に怒りに顔を紅潮させた。しかしここ「アークツルス魔法院」に限って言えば、講師こそが最高権力者なのだ。逆らえば、彼女が行ったことが即座に実行されるだろう。


「くっ……ユウ、また後で会おう」


 憤慨したハロルドは大股で部屋を出ていく。勇一の返事も待たずに乱暴に扉が閉められると、静かになった部屋には勇一とミュールイアだけが残った。

 そびえたつ本棚をゴトゴトといじり、やがて目的のものを取り出したミュールイア。ねばつく表紙に触れないように、すっかり黄ばんだページを開いてゆく。

 勇一はそれを邪魔しないようできるだけ静かに、気配すら消して待った。


「まず、おまえの言った『白い女の腕』だが……」


 ごくり、と勇一はその先を聞こうと前のめりになった。その口からどんな真実が語られるのか、楽しみでもあった。


「……さっぱりわからん」


「えぇ!?」


 散々期待させておいて……とがっくりと肩を落とす。


「ははは、わからんってのは腕の話さ。力の方は、それらしい記録が残ってる」


 ばん、と開かれた本が勇一の目前に躍り出た。なにやら細かい字が連なっているが、彼に読める言葉は何一つない。

 そんな事情など知りもせず、ミュールイアは一つの項を指差した。


「ここに筆者が星魔法について書いている。『足がすくみ、恐ろしい気配がしたかと思うと、正体のわからない恐怖が町を襲った』とあるね。白い腕以外の状況はお前たちの証言と似通っている」


 ミュールイアのかすれた声が室内によく響く。興奮気味の彼女は、老人とは思えない力で勇一の肩を叩いた。

 骨で直接殴られているようで、勇一は痛みに顔をしかめた。


「証言をまとめるとだ。まずおまえの白い腕を見たやつらは、自分の意思では目をそらせなくなる」


「ええ」


 一つ一つ順をおって考えを述べるミュールイア。


「身体も硬直し、自力では動くことすら出来なくなるわけだ。ガリアバーグの息子が言うには、目を閉じていても、なにか恐ろしいものの気配がそこにいたそうだ。大きく、恐ろしいなにかの気配」


「気配……」


「近くにいるだけで影響を及ぼし、見てしまったら最後……心を恐怖で破壊する。素晴らしい力だ」


 らんらんと目を輝かせる彼女に、若干引きぎみの勇一。彼女の話はまだ続く。


「あたしが思うに、白い腕は死そのものだ。『見えないだけで常にあり、目前に迫ったとき初めて気付く』多分そいつらは、いつ腕が出現したのかわからなかったんじゃないか? しかし……ううむ、心に直接作用する魔法…………素晴らしい。おまえはどんな相手も倒しうる力を手に入れたんだ」


「でも戦いなれた人とか、常に危険と隣り合わせの兵士とか……そういう人には効果は薄そうですね」


「バカを言うんじゃないよ」


 背を向けていたミュールイアの上半身がぐるりと半回転し、勇一を指差した。


「時折いるんだ。『恐怖を乗り越えた』だの『克服した』だののたまう阿呆がね。でもあたしに言わせりゃ『無視した』とか『蓋をした』と言う表現が正しい」


 見えない何かをせせら笑い、肩についたフケを払う。


「恐怖ってのは原初の感情だ。恐怖があるから生きとし生けるものは発展できた。いわば生きる上で必要なものであり、生まれる前から身体に染み付いているものなんだ」


 ぎし、と背もたれを軋ませた彼女は、なにやら頭にぐるりと巻いている。シワだらけの額には鉢巻のようなものが巻かれていた。それから垂れた一枚の布が視界を完全に妨げている。


「親、その親、そのまた親……はるか昔の先祖から脈々と受け継がれている恐怖という感情は、消そうと思って消せるものじゃない。白い腕はそういった、本人が意識しない感情を思い出させるんだろう……さて」


「……?」


「どんなものが来るのかわかっていれば、対処のしようはある。確実な結論を得たいなら、やはり自分で経験するに限る……さ、見せとくれ」


 薄々こうなるだろうと思っていた勇一だが、さすがに抵抗感があった。この「女神の腕」――夢で見た星の女神の腕だと、彼が直感で感じ取ったから――は、代償が大きすぎる。正体を探るためとはいえ老体にこれを使ってしまったら、それこそ取り返しのつかないことになるだろう。

 しかし目の前の老婆は既に臨戦態勢で、とてもではないがやめようと言える雰囲気ではない。


「じゃあ……」


「ああ、忘れてた! ほら」


 ひょいと投げ渡された袋。とっさに受け取った拍子に、中身が少しこぼれてしまった。


「うわっと……これは?」


「力を使う前にそいつを奥歯で噛んどくんだ。ポワポワ草から作った、鎮痛剤だよ」


 彼女なりの気遣いなのだろうか、勇一は気味が悪かった。しかし受け取ったものを返すのも悪いと、ざらと音のする袋を胸元に入れ一つを口に入れる。そしてさっさと終わらせようと、目を閉じた。


「………………っ!」


 意識を集中すると、左肩のあたりが熱くなる。


(オーダスカさんを蘇生させたとき、小指が半分くらいなくなった。でもゴブリンどもを使ったとき、かなりの数を復活させたはずなのに薬指と中指半分までで済んだ……おかしいんだよな、コストが)


「うぐっ……なるほどねぇ、まだ何も見えないのに、この老いぼれの心臓にザクザクきやがる。続けて」


 握りつぶすように胸をおさえる彼女は、まだ続けるように命令する。


(これが女神が言う所の「近付いている」からなのかはわからない。けど対象の数とか強くなる星魔法とか、色々な要素が絡んでるんだろう。少なくとも、ミュールイア先生だけが相手ならそれほどでもないはずだ)


「み、みえた! ぐっ……おおおお!」


 ミュールイアはできるだけじっくり見ようと前のめりになった。血が滲んでもなお唇を噛み締め、限界まで観察を続けようとしている。

 勇一の奈落のような集中力の前では、彼女の呻きも耳をただ素通りするだけだった。


(だけど、痛いのは嫌だ。ただでさえ俺は長くないのに、身体が端から無くなっていくのは恐怖でしかない。使わないに越したことはないけど……いざとなったら使う。使うしかないときに使えないと……嫌だ………………な…………………………)


 それから勇一は、深い記憶の沼に沈んでいった。



 ***



 勇一が目を開くと、地平線まで黒く焼けた大地があった。彼以外に生命の気配はなく、ただ黒く染まった灰が全てを覆っていた。先程までいた場所と全く違う光景に、彼はすぐにこれは夢だと理解した。


 そこには仮面の男が立っていた。


 勇一の感情が瞬時に沸騰し、怒りのままに斬りかかる。しかし確かに男を捉えたと思った斬撃は、虚しく空を切った。

 男は勇一を一瞥すると、高笑いしながら上空へ消えて行く。


「殺してやる! 殺してやるぞおおおぉぉぉ!!」


 必死の叫びは聞こえただろうか。彼はいつまでも虚空を睨みつけていた。


 勇一が目を開くと、明るい真昼の森があった。

 ふりそそぐ日光を無数の植物が反射し、見通しもそれなりに良い。足元からは獣道が奥へと伸びていて、彼の視界はそれに沿って進んでいた。

 視界……彼は自分の意思で体を動かせなかった。まるで誰かの見ているものをそのまま盗み見ているような感覚に、彼は若干の酔いを覚えた。


(この光景……見たことないな)


 ふと視界が開けた。なだらかな地形はそのままに木々に囲まれたそこには、小さなテントや焚き火跡がある。しかし視界の主はそちらを注視もせず、更に奥を見た。


(あれは……アイリーン!)


 幼いブラキアの少女が、服を泥まみれにさせながらなにかから逃げている。勇一は駆け出したかったが視界の主はそれを許さず、変わりに弓矢を構えた。白い手が狙いを定める。狙うは少女でなく、小さくざわつく茂み。

 少女の後ろから現れたのは、一匹のゴブリンだった。それは勇一の視界主に気付いていないのか、目の前の少女向かって今にも飛びかからんとしている。


(は、早く! 矢を!)


 意志があるだけの彼にはなんの手出しもできない。しかし視界主の緊張が伝わってきた。


 ――彼女に当ててはいけない!


 ――早く撃て! 


 ―――()()()()()()()()()()()()()


 そして放たれた矢は導かれるようにして飛ぶ。やがて獲物を襲おうと飛びかかったゴブリンを捉えた。


(アイリーン……)


 少女は彼の方を見て、安堵の表情を浮かべた。

 しかし勇一はと言うと、ざらりとした触手が背中を這いずりまわる感覚に嫌悪を覚える。

 と言うのも、矢を放った直後から彼の意識に語りかける者がいたからだ。


 ――とめて!


 ――あの娘とめて!


 ――彼女をとめて!


 聞いたことがない女の声で繰り返すそれは、聞いているだけで勇一の心の底を揺さぶった。彼は明らかな焦燥と悲観が直接脳にぶつけられたような気がした。


(アイリーン……助けて…………アイリーン!)


「エリザベート! 一緒に――!」


 姿の見えない女の声は、落下する勇一の意識にこびりついていた。



 ***



「…………」


 勇一が目を開くと、見覚えのある天井があった。

 軽い頭痛に目眩を重ね、やっとの思いで状態を起こす。小さな暖炉には赤い炭が折り重なり、冷える室内を必死に暖めている。そこは彼の自室だった。


「おお、起きたな」


「ハロルド……」


 覚醒直後に耳に入れるには、彼にとって不快すぎる声だった。ハロルド・ガリアバーグは椅子で本をめくり、紅茶を嗜んでいる。


「なんでここに」


「後で、と言っただろう。まぁ、さすがに三日も待たせられるとは思わなかったが」


「……三日?」


 勇一はしばらくその言葉の意味が理解できなかった。三日とはなんだろう、なにが三日なんだと初めて聞く単語のように聞こえた。


「君がミュールイア先生の下で倒れて、それからずっとここに。そこにいるホラク……ウルバハムなど、寝ずに看病して今しがた眠ったところだ」


「三日も⁉」


 静かに閉じた本を置き、ハロルドは勇一の足元を顎で指した。

 ウルバハムが勇一の眠るベッドに寄りかかり寝息を立てている。白い肌は蒼白で、くまだらけの目元が髪の間からのぞいていた。

 手に触れると信じられないほど冷たい。そっとベッドから這い出た勇一は、彼女を起こさないように抱き上げ寝かせてやる。長身に対して妙に軽い体重が彼を不安にさせた。


「それで、どんな夢を見ていたんだ?」


「はぁ?」


「何度もアイリーン様のお名前を呼んでいたぞ。さすがにああも連呼されると、本人も気にしていたようだった」


「アイリーンも居たのか……」


「ふん、まあいい。先生から伝言。『目を覚ましたら、すぐに来るように』だと」


 無茶苦茶を言う……と勇一は思った。外を見れば真夜中なのは明らかで、強めに雨も降っている。


「あの先生は深夜でも学徒を走らせるのか」


「ここでは先生こそ絶対だ」


 ならば……しょうがない。軽い頭痛を振り払い、勇一はしぶしぶと衣服を着る。ほとんど消失した左手はそでを通すのにも不憫で、できないことが増えてゆく自らの身体に苛立ちがつのった。


「君が眠っている間、ずっと雨でさ」


 唐突なハロルドの言葉に、勇一は面食らった。


「それで?」


「こいつが悲しそうな顔をするたびに雨が降っていたことを思い出してさ。実験棟から器具を借りて、ウルバハムを観測したんだ。そうしたら」


「結論から言え。行かなきゃならないんだから」


 苛立ちを隠そうともしない勇一の言葉を聞いても、ハロルドの表情は崩れなかった。彼は勇一に近くに来るように手招きする。まるで誰かに聞かれまいとしているかのように。


「君とウルバハムは、アイリーン様の推薦でアークツルス魔法院(ここ)に入ったと聞いている……君の力は、女神魔法なんだろう?」


「……」


「答えなくていい。ただ覚えておけ」


 ハロルドは身を乗り出し、虫のように小さな声で囁いた。


「アイリーン様を無条件に信じるのは、危険だ」


「なっ……」


「ハロルド、ユウは起きているか?」


 なにを言っている……と言いかけたとこで、扉を叩く者が現れた。アイリーンだ。

 彼女は勇一の返事が終わる前に躊躇なく扉を開く。慌てて離れた二人を認めて白銀色の眉をひそめた。


「先生のところに」


「今、行こうと思ってた」


 いそいそと支度を再開した勇一を横目に、アイリーンはハロルドからひったくったポットから紅茶を淹れる。静かに寝息を建てるウルバハムを起こさないよう、椅子に軋みすらたてずに腰掛けた。


「ユウ。キミの夢、後で聞かせて」


 彼女の若干照れながらの言葉に、彼はなんと言って返せばいいのかわからなかった。彼女を信じようとする気持ちに嘘偽りはないが、ハロルドに言われてから何かがどこかに引っかかっていた。


「覚えてたら」


 当たり障りのない返事をひねり出し、勇一は振り返ることなく深夜の廊下に消えて行った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ