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15 母親

「………………」


「あら、お茶の葉を切らしていたかしら……ああ、こっちにあったわ」


 ハロルド・ガリアバーグは、不快と軽蔑の表情を表に出さないよう苦心していた。薄汚い悪党どもに追い詰められたという事実だけでも彼のプライドを傷つけるのに十分だというのに、その上よりにもよって毛嫌いするホラクトに助けられたからだ。

 彼らをケダモノと称するハロルドにとってはそれだけで屈辱だというのに、その後自宅と思われるあばら家に案内され、茶まで出される始末。家の中では隙間風が常に肌を冷やし、熱源と言えば唯一あるかまどだけ。

 およそ人が住むところではない……と言うのが、彼の率直な感想だった。


「お連れの方はお休みになっております。不思議なんですが、喧嘩の際に出来た傷があるだけで……お話の傷は見当たりませんでした。」


「な……そんなはずあるか! ユウは左手を抑えて叫んでいたんだぞ、血だってあんなに……」


 女神魔法を使用すれば代償が支払われる。が、ハロルドはそれを知らない。

 意識のない勇一をとりあえず近くのベットに寝かせたホラクトの女。次に彼女は、ハロルドにイスに座るよう促した。落ち着くまでここに居ていいと言った彼女はかまどに火をつけ湯を沸かす。

 ハロルドはハロルドで、目の前で起こった現象を解明しようと躍起になっていた。書き起こそうにもひと目で貧困に喘いでいるとわかる女に書きとめる道具を貸してほしいとも言えず、悶々としていた。やがて出てきた茶を無言ですする。


(……不味い)


 出された茶は当然ながら、彼の舌に合うものでは到底なかった。しかし朝の暑さとはうってかわって気温が下がった午後。温かいものは心も落ち着ける。


(しかし茶葉はいい物だ……なぜこんな家に? まさか盗品……)


 風が吹くたび、歪んだ板で塞がれた窓がガタつく。


「アルラニム、と言ったか。なぜ私達を助けたんだ」


 アルラニムと言うホラクトの女性は、土がむきだしの床をぺた、ぺた、と寂しい音を鳴らす。そしてハロルドとテーブルを挟んで座った。


「そのローブ……」


 細く白い指が、ハロルドのまとうローブを指す。


「私の娘が、魔法院におります。なんだか、放っておけなくて……」


「魔法院に? まさか……」


 魔法院に見を置くホラクトの娘……そんな人物は一人しかいない。


「はい、ウルバハムと申します。ホラクトは目立つでしょう? うふふ」


 こけた頬と細い腕に騙されてはいけない。ホラクトは見た目と違い怪力を誇る。現にこの女性は男二人を同時に持ち上げ、家まで休み無しで走り通したのだ。大抵の種族は純粋な力では敵わない。


「あの娘は良くやっているでしょうか? 小さな時に本を拾って以来、勉強が生きがいになりまして……」


 娘を心配する母の目はあたたかみに溢れている。が、ハロルドの耳には半分も入ってこなかった。砂埃が舞う寒い室内、青臭い茶、それらに対する精神的な嫌悪感が、相手からの好意を遥かに上回った。


「ご婦人」


 遂にイスをはね飛ばす勢いで立ち上がったハロルドに、アルラニムは驚きと怪訝の表情を浮かべる。

 飛び出てきそうな感情を抑え、とりあえず話を遮ったことを丁寧に謝罪する。そして彼は、アルラニムの側まで寄った。


「私は紅茶の入れ方には少々覚えがあります。ご婦人のおもてなし非常に痛み入りますが、お話の続きはお茶を入れながらいたしませんか?」


 うやうやしく出された彼の手を理解できなかったアルラニムは、二、三度瞬きをするととぼけた表情を赤らめる。

「誰であっても女性は女性である」と自らに言い聞かせれば、相手が毛嫌いするホラクトであってもどうにか我慢できる。勇一を預けている手前露骨な態度はできないので、ハロルドはいつも親族から言い聞かせられている言葉を頭の中で反芻していた。


「あらあらこれは……どうしましょう」


「私にお任せください、さあこちらへ」


 立ち上がれば見上げるほど高いアルラニム。その手を取るハロルド。

 ぴゅう、と冷たい風が壁の隙間を通り抜けた。

 勇一が目を覚ます気配は、まだない。



 ***



「この水は……沸騰させればいけるか?」


「葉はどれくらいがいいかしら?」


「最初にポットを温めましょう。沸騰したら少し入れるんです。カップにも」


(ポットも銀製だ……)


 勇一が目覚めるまでとはいえ、まさか自分が軽蔑する種族と茶を入れることになろうとは……ハロルドはずっと奇妙な感覚を覚えていた。そして、彼はそれが初めて勇一と話した時と同じであると気づいた。

 隙間風があちこちを軋ませ、まだ明るい時間だというのに薄暗い室内。高級な茶葉と銀のポットが、そんな家屋の中で際立っている。


「そう言えばウルバハムも、よくこうして私を手伝ってくれました」


「は、はあ……」


 ハロルドの良心か、彼をなんとなく後ろめたい気持ちにさせた。


「あの娘、ある時本を拾ってきて、そこの隅で読み始めたんです。文字なんて読めないからしばらく見ているだけだったのに、いつの間にか読めるようになったんですよ。夫がやめろと言っても聞かなくて……あ、こんなときにをお話することではありませんね」


「え、自力で字を……?」


 ハロルドの驚きも無理はない。識字率は国力に直結すると言っても過言ではないが、ヴィヴァルニアで文字を書ける者は多くはいない。おおよそ三人に一人程度の割合だと彼はどこかで聞いた話を思い出した。

 彼も両親や教育係から厳しく教えられたことを覚えている。しかし、まさかそんな環境も用意できないホラクトですら字を学べると言う事実は、彼に言いようのない敗北感に似た感情を与えた。


「本を拾ってきたって、そんなに沢山落ちているんですか?」


「半分焼け落ちて、不要になったのでしょうか。私には検討も付きませんが……貧民街(ここ)で完全なものは落ちていることなどないのですが、ウルバハムはそれはもう夢中になって……」


 アルラニムは目を見開き、本を読む娘の真似をしてみせた。

 と、このあばら家と外を隔てる扉が開いた。貧民街に吹く冷たい風は、出来た通り道に大挙して押し寄せる。埃が部屋中に舞い、たまらずハロルドはローブで口を覆った。


「お母さん、久しぶり。ウルバハムよ」


 壁の向こうから聞こえた声に、アルラニムの顔がパッと明るくなった。彼女はすぐさま駆け寄り、声の主を抱き上げた。


「ウルバハム! ああ変わってないわね! どうしたの、急に帰ってくるなんて」


「うん、ちょっと市場に行って近くに来たから」


「そうなの! あ、今ねぇウルバハムのお友達が来てるのよ。ちょうど良かったわ、皆でお茶にしましょう」


「え、友達? まさかユウ様……ユウ様なのですか? ……あ」


 母親に連れられた少女の顔が、期待を裏切られた負の感情に支配された。どうして彼がいるのだろうかという混乱も同時に押し寄せる。

 何か言おうと口をパクパクさせるウルバハム。視線を動かすと呑気に眠る勇一が目に入ったので、さらに彼女は混乱した。


「ユウじゃなくて悪かったな」


 しかし、微妙な表情はハロルドも同じだった。彼は気まずい雰囲気を極力抑えようと、ひどい作り笑いでウルバハムを迎えた。


「う……」


 そこへハロルドにとって救世主ともいえる者の声がまじった。勇一が意識を取り戻したのだ。


「ハロルド、ここは……いてて」


「ユウ!」


「ユウ様!」


「あら、こんなににぎやかなのは……いつぶりかしら。器をもう少し出さなきゃ」


 ハロルドとウルバハムは同時に勇一へ駆け寄る。二人は互いを見ようともせず、枕元と足元に別れて声をかけた。


「怪我は大丈夫なのか? いや、一体あれは何なんだ! どうも君は無茶ばかりする、もっと自分を大事にしろ!」


「ユウ様はどうしてここに? どこから貧民街に入ったのですか? あ、あの私のベッドは不快ではないでしょうか……」


「うるさいな! 同時に話すなよ!」


 たまらず声を上げた勇一は、ふと視界に入った左手を見た。お世辞にも清潔とは言えない黒ずんだ包帯が巻いてある。わずかに血のにじむそれをゆっくりと取ると、その変わり果てた形に声を失った。

 二人もその目線の先に目を移し息を呑んだ。


「……」


「ユウ様……」


「ユウ……」


 ぎゅう、と残った右手で胸を掴む……全ての指が消えていた。左腕の先には、指のない手のひらだけ。ついに剣を握るどころか、簡単な作業ですら困難になってしまった。その喪失感は計り知れない。

 悲痛な沈黙。そのうち勇一が消えてしまうのではないかとウルバハムは思った。


「ユウ、お茶にしよう」


 わざとらしく軽妙なハロルドの言葉が、その場の空気を吹き飛ばした。彼は沸騰した湯を用意された全ての器に入れる。


「ハロルド様……こ、こんなときに何を」


 器が温まれば湯を捨て、銀のポットに茶葉と湯を注ぐ。蒸らした後に蓋を取れば乾いた室内に香りが広がり、しかめ面の勇一も思わずハロルドの方を向いた。


「この紅茶はヴィヴァルニア南部で作られている、いい香りだろう? 私は二代目国王の名を冠したこの紅茶が特に好きでね。気高さの中に垣間見える甘い香りが、戦争後のヴィヴァルニアをまとめ上げた王に重なるんだ」


 彼は幼少のころから貴族としての振る舞い方や話し方、歩き方に至るまで徹底的に教育されている。しかし彼は本来召使いがやるべき仕事に興味を持った。その理由を知る者は彼を除いて一人しかいない。

 ティーカップを乗せた盆を持ち、順番にめぐるハロルド。役目を変わろうと立ち上がったアルラニムを目で静止し、やがてウルバハムの前に来た。

 彼女は災厄が通り過ぎるのを待つかのように黙っていたが、気まずい空気が流れるだけでいつまでも彼は動かない。


「何をしている」


「……はえ?」


「全員分、あるんだ」


「あ…………は、はい」


 ウルバハムを見ようともせず、彼は言葉少なく茶をすすめる。鈍感なアルラニムは二人の関係に気づくことはなかったが、勇一は無言で眉をひそめた。


「とても……いい香りです」


「私が入れたんだから、当たり前だ」


「同じ葉を使っているのに、こうも違うだなんて……さすがですねぇ」


 渡されたカップからはゆっくりと湯気が立ち上る。勇一も周囲にならい、鼻の奥でその香りを感じた。

 途端に不安定だった心は平穏を取り戻し、呼吸も落ち着く。まるで魔法のような癒やしに彼も感嘆の息を漏らした。


「ほんとうだ……落ち着く」


 フフンと今にも高笑いを始めそうなハロルドを放っておき、皆はしばしその時間を楽しんだ。

 勇一も左手を失った事実を受け入れられる心境ではなかった。しかし紅茶の香りとそれによる和やかな雰囲気が、狂い弾けそうになる彼の精神を辛うじてつなぎとめた。


「落ち着いたかい」


「……少し」


 十分だ。とハロルドは勇一の隣に座り、自分のカップを手に取る。背筋を伸ばして紅茶の香りを楽しむ姿はさすが貴族と言う他なく、彼がその場にいるだけであばら家も宮殿の一室のようだった。


「結果的にとはいえ、君は私を助けてくれた。それに何も報いないのは、私としてもあるまじきことだ」


「はぁ」


「私は行いに対しての報いは、必ず受けるべきと考えている」


「簡潔に言えよ」


 勇一は若干のいらだちを含んで問うたが、そんな彼の気持ちは届かなかった。


「君は何か望みはないか? できる範囲で答えよう、君はいい友人で……恩人だからな」


「だから友達になった覚えは……はぁー」


 しくしくと痛む左手と喪失感を、ハロルドへのいらだちが塗りつぶして行く。

 勇一は今度こそはっきりと拒絶しようとして思いとどまった。向こうからの申し出を無下にするのも悪いとほんの少しだけ思っていたし、かといっていう通りにするのも釈然としない。紅茶の礼もある。

 ならばいっそ困らせてやろうと内心でほくそ笑んだ。


「まぁ……一つある」


「おお、遠慮せずに言ってくれ。単純に金か? それとも新しい家を建ててやろうか、私の屋敷に自由に出入りできるように取り計らおうか?」


「いや、最後のは間違ってもいらない」


 勇一はちら、とウルバハムの方を見る。


「魔法院の皆に、平等に接するんだ」


「それが君の願いか? ははは、何だそんなこと…………いやまて」


 ウルバハムに向けられた視線の意味を理解し、うろたえるハロルド。

 しかしもう遅かった。目を光らせた勇一は続けた。


「望みを言っただろう? まさか貴族ってのは、言ったことをすぐ反故にするのか?」


「い、いやそうではないが……だが貴族としての格が」


「気さくで親しみやすい人物だと、人望が集まるかもしれない」


「むむ、む……」


 苦虫をかみ潰したような表情で、ハロルドの視線が勇一とウルバハムを行き来する。しばらく貴族としてのプライドと己の思想を争わせていた彼だったが、やがて観念したと肩を落とした。


「……努力は、する」


「うん」


「ハロルド様……」


「あら。なんだかわからないけど、よかったわねぇ」


 ウルバハムが誰の影にも怯えず、好きなだけ勉学に励める環境。勇一が彼女から受けた恩に対する、せめてもの報いだ。

 わずかに温度を下げた紅茶をぐい、と飲み干し、晴れやかな気分となった勇一は立ち上がる。


「さあ、いつまでも邪魔するのは悪い。ええと」


「アルラニム、と申します」


 アルラニムににこりと微笑みかけ、勇一は深々と頭を下げた。


「お世話になりました」


「いいんですよ。久しぶりに娘と会えて、お友達まで……」


 そこまで言いかけたアルラニムは、板でふさがれた窓を見やる。


「あら……」


「どうなさいました? この音は……?」


 外がにわかに騒がしくなり始めた。それは勇一らが居る家のすぐ前を通って行く。そしてすぐに、ガラガラと重々しい車輪の音が通り過ぎる。

 いつの間にか立ち上がったハロルドもざわめきが気になる様子。その疑問にはウルバハムが答えた。


「これは……ベテル様の馬車です!」


「ベテル様の……ああ、なるほど」


 ハロルドは早々に合点がいったようで、既に導かれるようにして外にでるアルラニムについて行く。残された勇一とウルバハムも、つられてそとに出るのだった。



 ***



「皆さん、並んでください! 大丈夫、数は十分にありますから」


 車輪の音が向かった先、枯れた噴水の広場にとめた馬車。降り立ったのはこの国の誰もが知る人物……ベテル・ハウィッツァーだ。

 彼女の馬車には多くのホラクトが詰めかけている。教養など無きに等しい彼らでも王妃の前では秩序だって並び、争うことなく順番を待っている。それはひとえに、王妃の人徳がなせる光景だ。


(あれは……ネティだ)


 勇一は物資を運ぶ人影の中に、ハロルドの婚約者ネティ・バーサの姿を見つけた。ぎこちない笑顔を顔に貼り付けながら、ホラクトの子どもたちに膨らんだかごを渡していた。

 食料、衣類、燃料など、生活に欠かせない物資。それがベテル妃とその従者によって手際よく配られ、またたく間に消えて行く。

 勇一ら四人は、そんな様子を遠巻きに眺めていた。


「アルラニムさん、俺達が変わりに受け取ってきましょうか」


「いいえ、私は一人ですから構いません。家族がいる人たちが先なのです」


 アルラニムは食料を抱きかかえて喜ぶ子どもに温かい視線を送っている。


(愛おしい相手に抱く感情はすべて同じ……か)


 それを横目で見ていたハロルドは、自分の思想が本当に正しいのかわからなくなった。


(なぜ自分がホラクトを毛嫌いするようになったのか思い出せない。確か最初は体つきが違うだとか、そんな些細なことだったような気がする)


 そうしてわずかな忌避感はいつの間にか贅肉をつけ、やがて嫌悪となった。しかし理由がわかったからといってすぐに切り替えられるほど根は浅くない。


「……ウルバハム・トライン」


「えっ……えっ、えぇ?」


 急に名前を呼ばれたウルバハムは胸をおさえて驚いた。挙動不審の彼女は罰を受けた子犬のような視線をハロルドに向ける。

 ハロルドは彼女にしか聞こえないように注意して、命令するように呟いた。


「いいか……私があの家にいたこと、他言無用だ」


 ウルバハムは大きな体躯を縮ませ、小刻みに震えながら頷いた。紅茶を持っていたときに一瞬見せた威圧感のない声は、やはり幻聴だったのかと落胆した。


「は、はい……」


「…………()()の家にいただなんて、ネティに知られたら嫉妬される」


 歩き出したハロルドの言葉を、ウルバハムは確かに聞いた。そしてその意味を理解したとき、彼女の顔にはとぼけた表情があった。

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