1-3 手相占いのイケメン ケント
部室棟の最上階、一番奥の部屋にタカミの言う『幸福部』の部室があった。
途中歩いてきた部屋は空いていたので、フジはどうして近い場所を選ばないのか疑問に感じながらキョロキョロと周囲を見ていた。
「さあどうぞ。ようこそ幸福部へ」
タカミが部長らしく、彼女は部室の持っていた。
「お、お邪魔します」
部屋の中はフジの思っていた文化部の部室のイメージとは違っていた。
「すごい部屋だ」
まるで居心地のいい理想の仕事部屋のような空間だった。
入ってすぐに鼻を抜けるがミントとは違う甘い匂いがして、さらに足元には丁寧にマットがしいてある。
気になっている匂いがする方を見ると、フジのコンプレックスになっている白くて丸い顔が映る鏡と、アロマポット。
「まず入ってすぐにいい匂いがするように、お花を置いてます。
下にも外の汚れを持ち込まないようにするために天然素材のマットを敷いて、鏡はこの風水効果を増幅させるために置いてるんですよ」
「へぇ……」
次にフジの目に入ったのはホワイトボードだが、それも賑やかな印象を受ける。
「ホワイトボードはみんなでよく見るから、明るく元気になれるように楽しくなれそうなマグネットをつけてるんですよ。
その隣の観葉植物は、元気になりすぎないようにリラックス効果のために置いてるんでます」
「じゃあそっちの水晶は? 占いとかに使うの?」
「これは良い気を集めて、悪い気を避けてもらうために置いてあります」
「テーブルも風水を考慮してるの?」
「もちろんです!
学校の折りたたみができるテーブルでは文字通り角が立つので、良い気はもらえません。
ですので部員の方のおうちから、不要だった丸みのあるテーブルを頂いたんですよ」
インテリアとして部員がいろいろなものを持ち寄っているのだと思っていたが、全ての物に風水的な意味があって置いてある。
タカミの解説を聞いて驚いたフジは口をポッカリと開けて、部屋を見渡す。
「アロマセラピー検定二級に、手相検定一級合格……」
「それは幸福部の部員の方々が取った資格ですよ。
後ほどご紹介しますね。
もちろん賞状の位置も良い成長などに恵まれるように、南に置いてありますよ」
本当に適当に置いたり飾ったりしてあるものがないのだと、再認識させれた。そこでフジは思う。
「もしかして、この部屋が部室棟の一番置くにあるのも――」
「お察しのとおり! 部室の場所も、ひととの縁に恵まれる東南にしてもらったんですよ」
タカミの風水に対する強いこだわりが分かり、フジは口を開けて唖然としていた。
「ささ、突っ立ってないで座ってください。フジくんはお客さんなんですから」
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フジがタカミに促され柔らかいクッションのついた椅子に座ったところで、部屋をノックする音が聞こえた。
「どうぞ~」
「こんにちは、タカミさんっ」
男性アイドルのような爽やかな声が聞こえてきた。
入ってきたのは、スラッとした体つきで黒いブレザーの制服を着こなす男子。
ブレザーと同じ黒のスラックスも似合っており、フジは同じものを着ているとは思えなかった。
ボタンは留めておらず、ネクタイもしていないが、それでも良い印象を持てる好青年だった。
「そちらの子は新人くん?」
ややつり目の彼の目に入ったところで、フジはこのイケメンが誰かを思い出した。
「き、君は『手相占いの貴公子』って言われてるケントくん?」
「その名前で呼ばれると、少し恥ずかしいなっ。
そういう君は、隣のクラスのフジくんだねっ?」
ケントは恥ずかしいといいつつも、異名に恥じないドラマの台詞のような声でフジに問いかけた。
「僕のこと知ってるの?」
フジは自身のことを目立たない男子だと思っている。
そのせいか休日にクラスメイトとすれ違っても声をかけられない。
逆に声をかけられると困る理由がフジにはあるので、それでいいと思っている。
その程度の存在であるフジのことを、違うクラスの有名人が知ってることは、フジにとっては驚きだった。
再確認するようにフジはまばたきをして、ドラマの主人公のようなケントを見つめる。
「もちろん覚えているよっ。
僕は同じ学年の生徒の顔と名前を全部覚えてるからねっ。
次は全員の手相を見ることを目標にしているよっ」
ケントの手相占いは当たる。
それはこの学校に入学して間もなく流れた噂で、フジも小耳には挟んでいたし、遠目にケントを見たことはある。
噂が流れるとあっという間に彼の周りには女子が集まった。
さらに男子までもが手相占いを見てもらい、部活や恋愛のアドバイスを受けていた。
外見だけでなく、周囲の人間の名前を覚えるという記憶力や、男女問わず好かれるコミュニケーション能力、当たると言われる手相占いの実力、背が高く男子らしい体つき。
ケントは全てにおいてフジとは真逆の立ち位置に居る。
フジにとっては眩しすぎる存在である、タカミとケントにただ圧倒されるばかりで、なにを話してよいのかも分からない。
フジはふたりの顔を見ているだけだった。
「というわけでフジくんの手相を見たいんだけど、いいかなっ?」
「僕、不幸な人間だけどいいの?」
なので自分が手相を見てもらうことに、フジは遠慮するような気持ちがありうつむく。
「手相にいいも悪いもないさっ。そのひとの個性だからねっ」
「個性?」
「そうですよ!
全く同じ人間はこの世に存在していません。
フジくんにはフジくんのいいところがあって、フジくんだけの幸せになれる方法があるんですよ!」
先生が生徒を諭すように人差し指を立てながら、タカミは言った。
ケントも続けて、
「タカミさんの言うとおりさっ。
それに俺の手相占いは、幸せになるための指標のひとつに過ぎないよっ。
当たる当たるって言われるけど、その占いやアドバイスを信じるかどうかは、ひとそれぞれっ」
「でも――」
「お金は取ったししないさっ。
むしろ俺の手相研究の協力をしてもらう。
そう思って貰えれば気が楽になるかなっ?」
「うん……。そういうことなら」
(おしゃべりじゃ敵わないなぁ)
フジはそう思いながら両手を差し出す。
「あ、手相ってどっちの手を見るんだっけ?」
「左手。では失礼するよっ」
「虫眼鏡は見ないんだ」
「なくても分かるさっ。まずは指から見ていくよっ」
(なんで指を見るんだろう?)
フジは不思議に思う。
おそらく素人の自分には分からないことがあるのだろうと考え、ケントが自分の指を見ている様子を見つめていた。
そんなケントの表情は真剣というより、とても楽しそうだ。
自分がプラモデルをいじっているときのように、好きなことをしているときの男の子の顔という感じがした。
「ふむ、いい指だ……。
繊細で美しい、それに手先が器用みたいだねっ。
なにかを作ったりする趣味を持ってるのかいっ?」
「ぷ、プラモデルを作るのが好きだけど、分かるの?」
「指や手に書いてあるっ」
フジは飾ってある表彰状へと目をやる。
手相検定一級の表彰状にはケントの名前があった。
それだけの実力ならばそういうことも分かるのだろうと、フジは感じた。
「では、肝心の線を見ていこうっ」
ケントはフジの手のひらに指を当てる。
そして撫でるような手つきで、線をなぞって指を動かしていく。
「ちょっと、くすぐったい」
「人間、普段されていないことをされると、くすぐったく感じるものなのさっ。
それにフジくんは、面と向かってひとと話をするのが苦手みたいだからねっ」
「それって今、手相や指から判断したの?」
「いいや、君の行動や目線の動きで分かるよっ。
気恥ずかしくなって、目線を俺達の表彰状に向けた、だろうっ?」
「そう、です……」
「いいさ、俺はそれを悪いとは思わないから楽にしていてくれっ」
フジは目線を下げて、自分の左手を見た。
「生命線は薄いがかなり長い。
フジくんはとても長生きすると思うよっ。
知能線は波打ってて、途中おかしな曲がり方をしているね……。
今までで頭を強く打ったりする怪我はしたことあるっ?」
「大きな怪我はないけど、よく転んで頭や顔をぶつけるかな」
「ふむ。それがこの波に出ているねっ。
今後大きく頭をぶつける怪我をするかもしれないから、気をつけていたほうがいいかなっ」
「気をつけられるかなぁ……」
今までどれだけ用心深く行動しても何かかしらのトラブルに見舞われていた。
信号機を歩くときは左右確認をしてから歩くが、右折車にぶつかりそうに鳴ることも多い。
大事を取って歩道橋を渡るが、歩いていると地震が起こったり、階段で転げ落ちそうになる。
現在までに起こっている出来事を想起して、フジは眉をひそめた。
「昨日の夕方もエスカレーターが緊急停止して、転げ落ちて怪我をしたし」
「それは地震で緊急停止したんじゃないかなっ?」
「地震があったの?」
初耳の情報にフジは口を円くした。
「ありましたね。大きな地震ではなかったですが」
「大きな地震の前触れじゃなきゃいいけど」
タカミが肯定するとフジは、地震のことを不安に思い弱い声でつぶやく。
自分の不幸は周りにも移る。
ということは自分が大きな地震を呼び寄せてしまうのではないか。
そしてこの街も、ニュースや資料でみるような大惨事になってしまうのではないか。
自分の残して家族も死んでしまい、本当の意味でひとりになってしまうのではないか。
「それは考えすぎさっ。
そういう思考のせいか感情線がなかなか長い。
そして知能線がすごい曲がっている。
あまり冒険はせずに静かに暮らしたいと思っているんだねっ」
「そ、そんなことまで分かるんだ……」
指もくすぐったいが、心が読まれているような感覚に、フジは背中がムズムズしてくる。
フジの手は抑えられているので動かせないが、背中を背もたれにこすりつけた。
「健康線は……」
そうつぶやいたところでケントの声が消える。
顔も手の動きも固まり、フリーズしたパソコンのようだとフジは思って、
「どうしたの?」
と声をかける。
するとようやくまばたきをして再度フジの手を見直した。
「失礼」
ケントは一度フジの手を開放すると、ポケットからルーペを取り出した。
「使わないんじゃなかったの?」
「そうですね。
ケントくんがルーペを使っているのを、わたしも久しぶりに見ました」
ということはなにかを見つけた、あるいは見つけられなかったのかもしれない。
そう思ったフジの背中に悪寒が走る。
フジが無意識に引っ込めようとした手を、ケントが逃さないとがっしり掴む。
その評定はUFOや幽霊を目の当たりにしたような、驚きの表情だった。
この表情変化にフジも恐怖心を覚え、青ざめた表情でケントを見つめる。
「あった、だがとても薄い。
じゃあ太陽線は?
ない……。財運線も、ない。
どういうことだ。普通のひとならばどれかはあるし、最終的には良い線が強く出ているはず」
「あの、ケントくん?」
「そしてこのトラブル線はどうなってるんだっ!?」
「あの――」
「なんだこの手相はっ!?
フジくん! 君は何者なんだっ!」
ケントは身を乗り出した。
顔と顔がくっついてしまいそうな勢いに、フジは首を可能な限り引きながら、
「……すごいの?」
と目をパチクリさせながら聞く。
「こんなの見たこともないっ」
「どいう意味で?」
「その、言いにくいが、文字通り不幸の星の下に生まれたような手相だっ……」
「それなら僕自身がよく分かってるよ……」
ケントの驚きの意味が分かり、フジはホッして無意識に上がっていた肩を落とす。
「俺の修行不足感じるよっ」
椅子に座り直し、大きなため息とともにケントはそうつぶやいた。
「ど、どうして?」
「小学生の頃、祖母の手をきっかけに手相を見るようになって、クラスメイト、学年、全校生徒、どこかで知り合ったひとから、コンビニの店員さんまでいろんなひとの手相を見てきたっ。
最初は本を読みながらだったんだけど、今は自分流の分析方法や、占い、アドバイスなどのノウハウを編み出したんだよっ。
さらに徳川家康のように手形が残ってる歴史上の人物の研究も始めて、日本人に限ってはほとんど全てのパターンを見てきたつもりだった。
でもこんな身近に、まだ見ぬ手相を持ったひとが居たとは……」
「す、すごいね」
かなり早口気味に言われ、フジはケントの言ったことをよく理解できぬままコメント。
「すごいのは君のほうさっ。こんなにキュンキュンしたのは久しぶりだよっ」
「ドキドキじゃなくて?」
どうしてここで表現が出てきたのかフジは首を傾げた。
新しいものを見当たらワクワクとかドキドキだろう。
キュンキュンとはどちらかといえば女の子が使う表現だとフジは勝手に思っているからいけないのだろうか。
「タカミさん、素晴らしい子を見つけてきたねっ!」
「はい!」
(僕の考え過ぎか)
そう思ったフジの前にケントの長細い手が差し出された。
「これからよろしくね、フジくんっ」
「まだ入部するって決めてないんだけど……」
「おや、それは失敬っ」
ケントは少し残念そうな顔で手を引っ込めた。