1-2 幸福少女タカミのお弁当
「フジくんは、自分のことを不幸だと思っているんですよね!」
「うん」
タカミの言葉にようやくフジの顔の硬直は解けた。
「でしたら、わたしたちと一緒に幸せになれる方法を探してみませんか!?」
タカミは元気にポニーテールを揺らしながら聞いてくる。
「う、う~ん」
まるで怪しい宗教の勧誘のようだとフジは感じた。
学生時代の同級生、元同僚ということで食事などに誘われてついていくと、宗教に誘われるというパターンに似ていた。
ネットで見た話だが、大人になるとこういうことが多くなるらしい。
「あっ! その卵焼きおいしそうですね。
よければ、わたしのタコさんソーセージと交換しませんか!?」
「えっ、でも、ミートボールのタレとかふりかけとかついちゃってるよ」
先程から弁当箱の中身がどうなっているかは、タカミからも見えているはずだ。
タカミの弁当がとてもきれいでかわいいので、なおさら自分の弁当箱が混沌としていることをフジは見せつけられている。
「わたしがおいしそうだと思ったからいいんですっ!」
二言はないと言わんばかりの声に、フジは弁当箱を差し出す。
「なら……どうぞ」
「やった! ありがとうございますー」
まるで先程から気になっていたというニュアンスを感じる礼に、フジは反対側に首をかしげる。
本当にミートソースとふりかけのついた卵焼きと、タカミのかわいいタコさんウインナーをトレードして良いものなのか悩む。
あとから不正取引だとか、アンフェアなトレーナーとして最低評価をつけられたり、
クラス中に『フジは卵焼きにミートソースとふりかけをかける変人』という噂をばらまかれたりしないかと思っていた。
「はい、あーんしてください」
「えっ!?」
フジは今日一番大きな声を出した。
「あーんですよ!」
言い直さなくても分かる。
この『ミートソース卵焼き ~ふりかけをそえて~』をタカミの口に運べということだ。
箸で取った手が固まる。
この行為はカップルがするものだとフジは認識していた。
アニメや漫画とかでたまに見るし、それをしているキャラクターも当然恋仲。
自分とタカミはそうではない。
今日始めて喋った相手だしタカミにとってもそのはずだ。
タカミとは確かに同じクラスだが、彼女がどういう人物なのかはよく知らない。
今日声をかけられるまで、いつも笑っている女の子だという認識しかなかった。
そうしたらもう初めて見たと言ってもいいくらいだ。
だがタカミは日常からこういうことを友達としているのかもしれない。
タカミにとってのあたりまえならば、他意はないと考えられる。
「遠慮しなくていいんですよ!
好きな女の子にしてあげるような感じでどうぞ!」
フジは箸で掴んでた『ミートソース卵焼き ~ふりかけをそえて~』を落としそうになった。
タカミは恋仲の者同士がするものだと分かって、フジにしてほしいと言っていたことがこの言葉で分かる。
だったらなおさらフジがこの箸で、卵焼きをタカミの口に運んでよいものなのか悩む。
自分とタカミとでは釣り合わない。
住んでいる世界が違うだけではなく、容姿も幸福度も違う。
それにこんなにも愛らしく、明るい性格ならば、他の男子が目をつけていてもおかしくはない。
それどころかすでに誰かと付き合っているかもしれない。
それでこんなことをしてしまったら、校舎裏に呼び出されて痛い目に合うことも考えられる。
首を少し傾け、不思議そうなモーションをしているタカミだが、笑顔はまったく崩れていない。
フジが考えていることなど全く分かっていないと感じる表情だ。
「さ! わたしお腹空いちゃってるんです!」
語尾にハートマークでも付きそうな言葉があまりにもかわいらしく感じたフジは、その『ミートソース卵焼き ~ふりかけをそえて~』を再度持ち直し、ゆっくりと彼女の口へと運ぶ。
「あ~ん」
パクっという音がしそうな食べ方と、幸せを感じているような表情を、フジの頭は全力で画像として保存していた。
フジの体の意識は卵焼きを落とさないように、震える手に全神経を注いでいるにもかかわらずだ。
「おいしいです」
世界で一番おいしいものを食べて、
心から幸せを噛み締めているような声だった。
「そ、そう、それならよかった」
これで『まずい』と言われてしまうビジョンも頭のすみにはあった。
そうしたらフジの不幸エピソードがひとつ追加されたことだろう。
だがタカミは、大好きな男の子とイチャイチャしているときのような笑顔。
「ご飯はこうしてみんなで食べたほうが幸せなんですよ!」
タカミはその幸せを噛み締めているような声で言った。
「そうなの……かな?」
「そうですよ!」
タカミには『幸せの哲学』のような考え方があるのだろうとフジは感じ始めた。
そうでもなければ、こういう考え方はでこないだろう。
「それと『あーん』してもらうともっと幸せになれるんですよ!」
「それは……うん」
事実フジの頬は緩んでた。
さらに胸にはポカポカするような気持ちが芽生えて、その暖かさを体中に送ろうと心臓が忙しく動いている。
(もしかしたらこれが『幸せ』って気持ちなのかな。
もう長いこと感じたことのない気持ちだから分からないけど)
フジがこの気分の名詞を探っていると、
「だから、わたしにもさせてください!」
「させてほしいって?」
「はい、あ~ん!」
タカミは箸でタコさんウインナーを掴み、左手を添えてフジに差し出した。
「ぼ、僕にもしてくれるってこと?」
「もちろんです。あ~ん」
フジの顔が恥ずかしさで、タコのように赤くなっていく。
タカミとのやりとりを他のクラスメイトはどのように見ているのだろうか。
それにここは廊下からもよく見える席だ。
通りかかる生徒たちからも見えている。
フジには友達はいないが、見知らぬひとに見られて恥ずかしいこともある。
タカミは、新婚のお嫁さんが愛しの旦那さんにお弁当を食べさせているような笑顔をしている。
フジも将来はこういうお嫁さんがほしいと思って、妄想したことはある。
この状況は願ったり叶ったりだ。
まさに棚から幸せのぼたもち状態である。
こんな状況、これから一生ないかもしれない。
今日の帰り道、不慮の事故で死ぬ。
それほどの反動をフジは予想し始めた。
だとしたらなおさら、この状況を、かわいい女の子にお弁当を食べさせてもらうという体験をしなくてはいけない。
そこまで思ったフジは意を決し、口を開く。
「あーん」
理想のお嫁さんといえるような声と一緒に、タコさんウインナーを口に運んでもらった。
そして口に入れた瞬間から死を覚悟したが、ちゃんと噛んで喉に通すところまでできている。
「どうですか?」
「おいしい」
当然の返事である。人生十六年過ごしてきて、絶対に起こらないだろうと思っていた出来事を体験しているのだ。
この状況ならば泥でできた団子だろうが、苦虫だろうがかわいい女の子に食べさせてもらうならばおいしいといい切れるのではないだろうか。
フジはそこまで思ってしまうほどおいしいと感じた。
「よかったです~!
そう言ってもらえると、お弁当を作ったわたしも幸せですよ!」
(女の子の手作り弁当……)
フジはタコさんウインナーの次に息を呑んだ。
自分は知らぬ間にタカミと結婚していて、今日ようやく新婚風らしいことをしているのではないか。
タカミの言葉を聞いているとそんな錯覚をし始める。
だが自分は婚姻届を書いた覚えもないし、何度も確認するがタカミとはほぼ初対面だ。
フジは錯覚や妄想を振り払い、気になっていたことを質問する。
「ところでどうして場所を変えたの?」
「あの場所が風水的に運気が上がらないからですよ!」
タカミは変わらぬ口調で占い師のようなことをいい始めた。
「風水って部屋にある物の置き場所とかで運勢を動かすっていう風水?」
「そうです! わたしは部活で風水を研究してるんですよ!」
自分の趣味の話題になって興奮した様子で語り出すようなテンションになって、タカミはフジの言うことを肯定した。
「部活……」
この学校は部活動に力を入れており、ひとに迷惑をかけないなどの常識の範疇であればどんな部活でも作ることができる。
この学校の生徒の会話の話題はほとんど部活のことになるほどだ。
だが風水を研究するような部活は話題になっているのは聞いたことがない。
だからタカミがどういう部活に入っているのか、フジには想像できなかった。
「フジくん! 幸福部に入りませんか!?」
「はっ!? えっ!? なにそれ!?」
そんなフジの疑問に答えたようにタカミは友達を遊びに誘うような明るい声で勧誘してくる。
それに対し、今まで聞いたことのないような部活の名前を聞かされ、フジは素っ頓狂な声を上げた。
「幸福部とは! 幸せになる方法を模索する部活です!」
ロボットアニメのヒーロー登場の台詞のようにタカミは答えた。
ポーズは前者のように大げさに、表情は後者のように堂々としている。
「いくらこの学校でもそんな宗教団体みたいな部活が――」
「ちゃんと認可も降りてますよ。わたしたちは一切やましいことはしてません!」
タカミは堂々とした強気な声で言う。
だがフジは自然と目を細めたまま、事実を聞いても納得できないでいた。
今の状況は、先程感じたようにまさしく変な宗教の勧誘そのものだ。
ここで頷けば、怪しいツボや仏像を買わされるかもしれない。
同じ造形物でも、フジとしては仏像よりもロボットのプラモデルのほうがいい。
「フジくんは自分のことを不幸だと思っているようですね!
ですから、わたしたちと一緒に幸せになる方法を考える必要があります!」
「いいよ……不幸でも生きていければ――」
「よくありません!」
タカミは廊下にまで聞こえそうな大きな声を出した。
「ひとはみんな幸せになる権利があるんです。
それを放棄することこそ不幸なんです!」
ついに立ち上がり、意義を申し立てるかっこいい弁護士のようにタカミは言う。
「フジくんさっきつぶやいてましたよね?
本当は普通に生きたいって」
「そうかもだけど」
「だから、フジくんも本当は普通の幸せがほしいんですよね!」
両手を机につけ、タカミは顔を近づけてくる。
このままだとなにをされるか分からないと思ったフジは、
「と、とりあえず見学から」
そう言ってこの場を乗り切ることにした。