1-1 不幸少年フジのお弁当
「ああ、やっちゃった……どこでひっくり返ったんだろう」
昼休みの騒がしい教室の中で、フジのつぶやきは簡単にかき消された。
フジの眼下には母が作ってくれた弁当があった。
ふりかけのかかった白米、ミートボールに母特製の卵焼き。そのミートボールと卵焼きは仕切りがしてあったにもかかわらず、ごちゃまぜになっている。
白米も右に寄っており、さらにふりかけがミートボールにまでかかっていた。
弁当箱の入ったハッグを激しく動かした覚えはないのだが、こんなことになっている。
「不幸だ」
フジは中性的でそれでいて冴えない顔でボソリと呟いた。
「まあいいや。
ぶちまけたこともあるし、それと比べたらまだまだ不幸じゃない……といいたけど幸せとは言えない。
もうちょっと普通の生活がしたいなぁ――」
「こんにちは!」
フジがため息をつく直前に声をかけられた。
声とちらりと見えた黒いブレザーとスカートで女子だということは分かる。
その声はまるで歌手か、アイドルか、声優か。姿が見えてなくても愛らしいと感じる。
もしかしたら聖書に描かれる天使か、神話に登場する女神か、あるいはアニメに登場する美少女か、それほど非現実的な存在ではないかと思えるほどの声に挨拶された。
顔をあげると、声から受けた印象通りの女の子が自分を見ていた。
丸い目の瞳は金運の高そうな黄色、柔らかそうな丸顔も鈴のように綺麗だ。茶色の髪は元気なポニーテール、目の色と同じ黄色のリボンで留めている。ほとんどの女子がリボンにしている中で、学校指定のネクタイをしっかりと結んでいる珍しい子だとフジは思った。
「一緒にご飯食べませんか?」
友達もいない――作らないようにしていた――フジに進んで話しかけてくる同級生、それも女の子がいる。
普通ならかかわらないでほしいと言ったひとに関わろうとするひとなんてない。
彼女はどうして自分に話しかけたのだろうか?
いや、それ以上にかわいいということが気になって仕方がない。
アイドルか、女神か、ロボットに乗り孤独に戦う主人公の前に現れたヒロインだろうか。
何度見直しても、フジの目にはそれほど非現実的な存在に見えた。
「どうですか?」
「えっ、あ、うん。いいけど」
フジは女の子に見とれていたことに気が付き、慌てて返事をした。
言った後、断ればよかったと思った。
こんなにかわいい子が不幸になって落ち込む顔を見たくなかった。
「ありがとございます!」
彼女は礼を言ったが、前の開いた席に座ったり近くの席を借りたりしなかった。
そもそも手にはなにも持っていない。
「ちょっと場所を変えません?」
「どこに?」
「わたしの席にどうぞ!」
「はぁ……」
理由は分からないがここでは食べたくないということだろう。
フジは首を傾げながら曖昧な返事をして、彼女の元気に揺れる茶色のポニーテールに渋々ついていく。
席は廊下側の一番うしろだった。
前は男子の席だったので、特に遠慮もなくフジは腰をかける。
彼女のバッグからお弁当箱を取り出した。
中身はポテトサラダ、ミニオムレツ、そして小さいタコさんウインナーだ。
フジの弁当箱と比べてきれいに整っており、かわいくておいしそうに見える。
「ではいただきます!」
食事の時間が心底楽しみだったと感じるような元気な合掌だ。
フジは普段はしないのに彼女につられて手を合わせた。
「申し遅れました!
わたしはタカミです!
同じクラスですので名前くらいは知ってると思いますが、改めて!
ご挨拶いたします!」
タカミは全ての罪を許してしまいそうな眩しい顔でフジに笑った。
「うん、僕はフジ……」
フジは眩しすぎる笑顔を前に目を少しそらしながら名乗った。
「よろしくおねがいしますね、フジくん!」
「うん……」
挨拶を返したものの、フジは彼女と対等に話をしてもよいのかだんだんと不安になってきた。
タカミからは『幸せオーラ』のようなものが放たれている。
彼女の眩しすぎる笑顔はこれが理由だろう。
自分とは違う。先程から感じている通り、まるで別世界の人間だ。
「フジくん、さっき不幸だって言ってましたよね?」
「うん……どうも僕は運がない人間みたいで」
自分の独り言が聞こえてしまっていたようだ。
それが恥ずかしくなり目がさらに逸れる。
「具体的にはどういうことが不幸なんですか?」
「そうだね……」
初めて不幸について聞かれたからか、フジは答える気になって、
「昨日はプラモデル買った帰りに乗ってたエスカレーターが急に止まって転がり落ちた。
そのせいで歯の治療中だよ。
さらにプラモデルの部品が少し壊れて、サポートセンターに取り寄せの依頼をする羽目に……」
昨日だけでこれだけのことが起こっている。
「その前には職務質問も受けたよ。休日はほぼ毎日一度はあるけどね……」
その理由には心当たりがあるが、恥ずかしくて話すことができない。
「入院みたいな大きな怪我じゃなくてよかったです!
プラモデルの部品も取り寄せできるんですよね。
だったらよかったじゃないですか!」
「プラモデルは限定品でようやく手に入ったのに、帰ってすぐに作れないなんて不幸だよ」
「限定品だったんですね。
そんないいものを手に入れたなんて、幸運に恵まれてるじゃないですか!」
「その帰りに怪我とかしたのに?」
「ひとによってはその帰りに死んじゃうことだってあります!
フジくんはちゃんと学校に来れている。
十分幸運ですよ!
職務質問だって、警察の方のお仕事にフジくんはちゃんと協力していますから、人助けみたいなものです!」
「う~ん、そうかなぁ」
タカミの切り返しにフジは納得がいかず箸を止めて首を傾げた。
「他にはどんなことがあるんですか?」
「なにもないところでよくコケる」
「フジくんだけじゃありませんよ。よくある話です!」
「上から鳥の糞が落ちてくる」
「それってすごい低い確率なんですよ! 大当たりですね!」
「通学路はいつもどこか工事してる」
「舗装されてるんですよ。終わる頃には通りやすい道になってます!」
「自転車が乗るたびにパンクする」
「神様が自転車事故に合う前に止めてくれてるんです!」
「犬に必ず吠えられる」
「警戒心が強い犬なんですよ!」
「自販機で買うジュースはいつもぬるい」
「フジくんが買う前にちゃんと補充されてるんですよ。買えない方が不幸です!」
「このお弁当」
「おいしそうですね!」
(なんでもいいことに考えられるんだ……)
きれいに整っていたであろう弁当がぐしゃぐしゃになっているにもかかわらず、タカミはそれをおいしそうだといい切った。
その表情はイヤミなどではない。
本当にそう思っているようにフジは思って首を引いた。
「それでも、トラブルとかが起こらないほうが幸せだと思う」
「『犬も歩けば棒に当たる』と言うように、人間生活していればなにか起こるものです!
なにもない人生のほうが不幸ですよ!」
人差し指の代わりに箸を立ててタカミは爽やかな声で言う。
タカミの言うことは間違ってなくても、フジは納得ができず、
「だとしても悪いことばかりっていうのは」
「今のお話のどこに悪いことがありましたか?」
「えっ!?」
「えっ?」
タカミの言葉にフジは声を上げるが、タカミはそのリアクションに声を上げた。
フジが不幸だと思っていたエピソードは、タカミにとっては不幸エピソードではなかった。
それどころか幸せな出来事だとすら思っているかもしれない。
価値観が違うのだろうか。だとしたら違いすぎている。
別の世界の人間どころか、言葉が通じるだけで全く違う存在なのかもしれない。
あまりにも信じられないものを見てしまったフジの顔は、未だに固まっている。