みんなのトラウマ・エンドレス8 ~全てはここから始まった?~
この作品はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
思いのほか長話となってしまった妹との電話を切り、携帯を布団に放り投げるとすぐにパソコンの電源を入れる。思い立ったことは早くやっておかないとすぐに忘れてしまうたちなのだ。
そんなわけでネットでカチカチ、一時間ほどかけていろいろ調べてみた。途中脱線、ネットサーフィンしてしまった結果、気がついた頃には日付が変わっていた。
おかしい。さっき時計を見たときは十一時すぎだったはずなのに、休憩を挟んだらもう一時になろうとしている。調べ物は一時間で終わったのに、休憩の方に倍くらい時間がかかっている。いやはや、さてもネットの恐ろしさよ。
ネットの魔力は置いておくとして、フェリーについて詳しく調べてみたところ、どうやら東京~北海道の直通船はないらしい。羽田や成田があるからかな?そっちの方が楽そうだし。需要があまりないのだろうか。
まあ、東京って思いのほか海と面してる場所少ないし、東京湾から房総半島ぐるっと回って行くくらいなら、最初から太平洋沿いの県から出港するよって事なのかもしれない。そっち方面で探せば、さすがにいくらでもあるだろう。
なんて、思っていた時期が俺にもありました。
行程やチケット自体はすぐ検索にヒットする。ヒットするにはするのだが………思っていたものと違う。これじゃない感がはんぱない。たとえば、こういうのだ。
東京発の夜行バスで仙台または青森まで、その後フェリーに乗り換えて北海道へ。可能な限り陸路で行って船に乗っている時間は最低限で済ませようと言うなんとも豪快なルート。気合いと力業でどうにかしましたって感じがすごい。所要時間の内訳は船、4時間、バスと電車で13時間。計17時間。そこから道内の移動にさらに追加で数時間。ほぼ一日中移動している。
安い。確かに値段は安い。空路や新幹線と比べると断然安いよ。でもさ。一つ言うとしたら………。
「ちゃうやんっ!妹よ!船ちゃうやんっ!!!」
叫んだ。心の底から叫んだ。てっぺん回って下り始めている時間だというのに腹の底から叫んだ。仄暗い腹の底から叫んだ。
ドンドンドンドドンッ。
あっ、すいません。
壁ドンが来た。上下左右からいっぺんに。壁ドン、床ドン、天井ドン。
「よかった。今日はすぐやんだ………」
運良く一回で治まり一安心。心なし声を潜める。そうしないと達人達は常に機を狙っている。『もう一回たたけるドンっ!』はご勘弁だ。
ふう。思わずエセ関西弁が出た。ツッコんでしまった。生来の、使い慣れ言葉を使うなら『違うべやっ』なのだろうが、誰も俺を責められないと信じている。なぜならそういったツッコミとか返答自体が既に定型文として、方言とか関係無しにその場のノリで使われつつあるものなのだから。『せやろ』とか『そやで』とか。
ラインで来るとイラッとするが………。
それにしても、移動時間の約八割で陸路を使うなら、それはもう船旅とは言わないだろう。
(バスだ。バスだよ、それは)
せっかく気分は船一色だったのにバスって………バスって。いくら道民だからってみんながみんな夜行バスが好きだと思わないでほしい。サイコロとか振らないから。九州には呼ばれてないから。
こうなりゃ意地でも船に乗りたい。手間とか値段とかそんなの関係ない。ここまでされたら海路以外の道はない。
『素直に飛行機にしときなって』
妹の声が聞こえた気がしたが耳をふさぐ。スルーする。幻聴だ幻聴。幻聴だから気にしない。そんなことじゃ、俺の決心は変えられない!
「海の男に、俺はなる!!!!!」
ドンッ!!
ドンドンドンドドンッ。
あ、ごめんなさいぃっ。
鉄は熱いうちに打てとは誰の言葉だったろうか。…………知らないけど。大抵の場合『~誰の言葉だったか………」みたいな問いかけをする時は、実際には誰の言葉かわかっててとぼけているか、少なくとも見当は付いているものだろうが、俺は知らない。本当に知らない。まあ、たぶん鍛冶屋さんじゃないかな?くらいでしかない。
…………そんなに目くじら立てるなよ。重要視するなよ。文章の全てに意味を持たせてたら疲れちゃうだろ。単純に導入しやすいようにしてるだけだよ。だいたい、今までの内容全部伏線ですなんで言われたって覚えてらんないし、うんざりするでしょ。さて、じゃあ、先ほどの続きと参りましょうか。
なんて、増えてきた独り言に比例して、辺りを白く照らす光が増して、目に刺さる。時刻は早朝、六時半。一念発起に背を押され、望みのルートを探しつつ、休憩と言う名のクリック、ジャンプを繰り返した結果、こんな時間になってしまった。
『菜の花や月は東に日は西に』と言う与謝蕪村の俳諧があるけれども、俳諧ってのはその時の状況や心情を表すものらしい。なら、俺の場合は『もう朝や月は西向き日は東』だろうか。
関係ないけど『月は東に日は西に』って『犬が西向きゃ尾は東』と似てるよなぁ。『どこ行こう俺が西向きゃみな東』………むなしい。
それはそれとして、睡眠と言う犠牲を払ってとうとう発見。その名も太洗~苫子牧ルート。
東京から茨城県、氷戸に行き、そこから太洗港へ。あとは乗り込みいざ北海道。これなら陸路の移動時間は1時間弱。海路は20時間もある。
これだよ、これ。俺が探し求めていたのは。これぞ海の男の黄金ルート。胡椒を求めた漢たちの喜望峰。飛行機なんかより断然安い。潮の匂いも存分に楽しめて、話の種にも文句なし。ついでに聖地巡礼も出来ちゃう。まさに一石四鳥。パンツアーフォー!
……………それが運の尽きだった。
俺は思いもしなかった。その道が悠々自適の小洒落た一日クルーズなんかじゃなく、デスマーチ。地獄へ続く死への行進だった事に。
徹夜明けの最高潮まで振り切れたテンションは、そのまま当日まで持続。小学生の夏休み前のように、カレンダーに印をつけて毎日あと何日とカウントをして、思わずスキップしたくなるのを必死に我慢し、壁ドンの日々も鼻歌で乗り越えた。
スキップなんて何十年ぶりだったろう。あと、壁ドンはもう少し手加減して下さい………壁、ヒビいってます。
そんなこんなのハイテンションは聖地巡礼も済んだ太洗港で船に乗る際に最高潮、ピークに達した。
達したら………後は下がるだけ。賢者タイムの到来だ。ふう…………。
理想と現実の差に打ちのめされて我に返り、そして知った。自分がどれだけ夢を見ていたのか。現実を見ていなかったのか。地に足をつけていなかったのか。まあ、海上なのだから地に足は付いていないのだけれども。それも地から足が離れて初めて気がついた。海に浮かんでから気づいた。自分がどれだけ浮ついていたのか。浮かれきった愚か者だったのかを。
船は衝撃の連続だった。良い意味で?いや、もちろん悪い意味でだよ。
船内、意外と揺れる。縦に揺れる。ゆったりとした上下運動、上がったぁっと思ったら落とされる。ヒュンッってする。俺以外気にしてる人はいないみたいだけれど、俺は気になってしまう。
それはまだいい。よくはないけど、小さい動きだからまだ我慢できる。
もちろん横にも揺れる。ブランコをまたいで横乗りした経験がある人はどれくらいいるだろうか、普段と違う方向に動いているだけでも戸惑うのに、持ち手の鎖は前後にあって座る部分も狭くて踏ん張れない。遠心力も強くって簡単に振り飛ばされる。そして何より、気持ち悪い。頭が、脳が横方向に揺さぶられて筆舌し難い不快感が伴うのだ。
人は横方向の揺れには耐性が低い。そう、学んだ。
本来、船というのは大きくなればなるほど揺れを感じにくいと言う。豪華客船とか、陸上にいるのと同じ感覚でいられるとかよく聞くし。フェリーもそんな気分でいられると思っていた。だが、そうでもないようだ。
波が強いのか、そもそもがこういうものなのだろうか。わからないが揺れる。揺れてると感じる程度には揺れている。揺れないように踏ん張ったところで、踏ん張った地面からして揺れているのだからどうしようもない。
船なんて子供の頃、父親と釣り船に乗ったきりだから、自分が人一倍酔いやすいだけなのかも知れないけれど、まあ、吐く。気持ち悪くて吐く。
口の中から酸っぱい臭いがする。甘酸っぱい、青春の香り………じゃない。ただただ酸っぱい。酔っ払いの匂い。
頭もくらくらしてきて早く横になりたかったけど、そこでも誤算。大誤算。
今回の旅程、出来るだけ安くおさめたかったから一番安い席にした。当然、安かろう悪かろうになると覚悟してたけど、想像するのと実際見るのは大違い。
フリースペース。いわゆる雑魚寝形式。広い船内の一室。柱や壁は取っ払われ、ただただ広い空間の中、人がすれ違える程の通路を残して設置された広さ十五メートル四方の台。二十センチほどの高低差が通路と居住空間を隔てている事を表しているそれには、申し訳程度に安っちい、所々黒いシミのついたカーペットがひかれている。
貴重品は自己管理。物取り、遺失は自己責任。備え付けのコインロッカーもあるけど、硬貨が戻ってこない回収式。高いし数は少なくて全部埋まってる。
乗客は皆、思い思いの場所に陣取り、座り、横になって銘々過ごしている。靴箱はなく、靴脱ぎ場に備え付けられたビニール袋に入れて荷物と共に持っている。
利用者はおっさんおばさんじーちゃんばーちゃん家族連れに貧乏学生(つまり俺)。子供は吐くし、ばーちゃんおばさんは声がでかい。そしておっさんどもは酒盛りを…………酒盛り?なんであの人らビール持ち込んでんの?いいの?オッケーなの?勘弁してよ……………。
華々しさの欠片もない。当然、出会いもあるわけない。あわよくば、新たな出会いでもと、もくろんだ俺の期待は一気に砕かれた。こんなゲロ臭い出会いもお断りだが。これがホントの臭い仲って、アホか。
居住スペースの隅には、肩幅くらいしかないぺらっぺらのせんべい布団が大量に置かれている。寝たい人はセルフサービス、どうぞご自由にってやつだ。
絶句。
いや、寝れないだろ。知りもしない数十人と雑魚寝。いびきと放屁と嘔吐の臭い。酒とつまみとゲロと加齢臭。じじいもばばあも一緒くた。クリリンだって裸足で逃げ出す最強コンボ。
エラいとこに来ちまった。
「ああ、ごめんなさい。下戸なんで。ええ、すみません。お気持ちだけで………。いえいえ、けしてあなたの酒が飲めないと言うわけじゃなく………ええ、飲めないというよりむしろ吐きたいというか。すみません。ちょっと酔ったみたいで。いえ、お酒じゃなく、船に………」
妹よ。エラいところを進めてくれおったな。着いたら覚悟しとくんだな。
『だから、飛行機って言ったじゃん。じゃん、じゃん、じゃん(エコー)』
黙りたまえ………。君の意見はオール却下だ。幻聴に人権はない。
こうなってくると頭の中は『早く陸に上がりたい』それだけで埋め尽くされてくる。
陸じゃない、陸だ。陸に上がりたい。この年になって初めて第三協栄○さんの気持ちがわかった。酔うというのはこんなにも不快できついことだったのか。酒で酔うのは自己責任だが、乗り物で酔うと言うのは誰も悪くないだけに気持ちのやり場がない。責任も原因も追求できない分、何も出来ないのだから本当にきつい。今度から五時五十分は優しい気持ちで迎えられそうだ。
『自分の選んだ道だろう。何を被害者ぶって』と言われようが知ったことではない。聞く耳持たん。グルグルバッド三十周してから言え。
はあ、具合は悪いが眠れない。そんな状況のせいだろう。益体のないことばかり考えてしまう。まあ、普段から意味のわからない世界によく旅立ってしまう質だが。
「後、どれくらい乗ってなきゃならないんだろ」
意図せず、つぶやいてしまう。ぼそっとつぶやいてしまう。懐から出した時計を見る。今やっと3時間ほどだから………あと……17時間もあるのか………絶望だ。
妹よ。兄は今必死に戦っているぞ、頭痛と吐き気とおっちゃんどもと。胃の中は既に空っぽだ。胃液も始めのうちは黄色かったが今じゃ無色透明、匂いもない。
もう出ない。逆さに振ってもなにも出ない。出るのは涙と後悔ばかり。
お土産の東京ばな奈はおっちゃん達のつまみになった。薬の礼に渡したんだ。ごめんな。代わりのものは苫子牧で買っていくぞ。ああ、まだ着かない。
マリーゴールドの花言葉は『絶望』
ヒガンバナの花言葉は『あきらめ』
ゴボウの花言葉は『いじめないで』
紫のヒヤシンスの花言葉は『許してください』
おばちゃん、やっぱり酔ってるのに本を読むのはどうかと思う。それに貸してくれた花の本。さっきから暗い言葉しか載ってないんだけど。え、『ホントは黒い花言葉』?………そっか。
ああ、誰か助けてください。薬きいてないみたいですけど………箱は………『飲み過ぎ二日酔いに』っておっちゃん、酒用じゃないか。きくわけないじゃないか。東京ばな奈返せよ、いや返さなくていい。想像しただけでまた吐きそう………。
だめだ………。吐く。
今、何時だろう。もう、時間を見るのもいやだ。見て『まだ着かない』と失望するのもイヤだ。あとどれだけこうしていれば良いんだ。もう耐えられない。今すぐにでも陸に上がりたい。あと一分でも船に乗っていたくない。
コロンブスとか、あるかもわからない陸を求めて何日も海を漂ったとか、狂人かよ。そりゃ、アメリカもインドだと思いたくなるよ。こんな苦しい思いをして、実はインドじゃありませんでしたとかやってらんないよ。目の前に現れた陸を見て言っちゃったもの。『インドだ!!』って言っちゃったもの。ドヤ顔しといて、実はインドじゃありませんでしたとか恥ずかしくて言えないもん。
コロンブスも内心気づいてて、わざと知らん顔してたんじゃないの。だってインドじゃないって知っちゃったら、もう一度インド探しに行かなくちゃならないじゃん。流石にもう一度、こんな目に遭うのはコロンブスだってイヤだって。もう一度、陸を探して海を漂うなんてイヤだって。…………あ、そうだ。
ふと、頭によぎった。
船内のこもってる空気がだめなんじゃないか?誰のものかもわからない吐き出された酸味のする空気の中にいるから気持ち悪いんじゃないの?
一度新鮮な空気を吸えば気分も落ち着くんじゃないか?そうだ。そうしよう。
思いついたら止まらない。止められない。思い立ったが吉日。わらにもすがる思いで甲板へ向かう。転がる泥酔者達を踏み越え踏みつけ、希望の園、甲板へ向かう。
最低価格ゆえの船底から、手すりに体重を預けてゆっくりと階段を上がる。生まれたての子鹿のようにぷるぷる震えている。もはや歩くときの揺れですらも気持ち悪くなってしまう。急ぐとあふれ出てしまいそうだ。
そうして、どうにかこうにかやっとのことで甲板についた。入り口近くの壁にもたれながら深く、深く深呼吸をする。
ああ、空気だ………。潮の匂いがする。強めの風が心地良い。ちょっと、かなり強いが………。漏れたため息が白く広がり、黒に溶けて散る。寒さを感じたのは気持ちに余裕が出てきたからだろうか。
(気がつかなかったけど、夜になってたんだな………)
すこしだけ、ほんのちょっとだけ気分が軽くなり、空を見る余裕が出来る。遠くを眺める心の隙間が出来る。
長袖のシャツだけで肌寒くはあるが、だからこそ熱のこもっていた船室の空気とはまるで違っていて、心が洗われるように感じられた。
夜の海とはまた、なんとも不思議な感じがするな。光が一切無くて吸い込まれそうな気分になる。星が見えないのが残念だ。せっかく他の光がない絶好に機会なのに。光ってるのはこの船だけなんだな。
意識を船に移す。光といっても最低限で、周囲を照らすほどの輝きはなく、だからこそより引き立つというものが――――。
視線を船体から再び空に――――向けたところで本日幾度目かの吐き気が襲う。
(あっだめだ。吐く)
急な視線移動のせいで、おさまっていた吐き気がぶり返した。袋は………ない。ト、トイレは………ああもう、なんでこんなに船広いんだよ!!
もう、我慢できない………このまま、海にしちゃおうか。そうだな。しちゃおう。………コマセ。そう、魚に餌をやってるだけ。問題なし………誰も見てないし。見てないよな。よし。
こみ上げる吐き気に耐えられず、手すりから身を乗り出して大きく口を開ける。
エロエロエロエロ。
誰にもとない言い訳で自己弁護しながら、嘔吐していたその時、海が一際大きく波打ち、船が揺れた。
あ―――なんて言葉が出るまもなく。
いとも簡単に、俺は海に落ちていった。
(続)