小学校ではj-popだったのに、中学デビューでロック好きが現れる~急展開は水没で~
光に包まれたと思った次の瞬間、ザブンと音が聞こえた、気がした。
途端に―――
(息がっ!?………苦しい)
いきなり呼吸が出来なくなった。
空気の代わりに大量に何かを飲み込む。飲み込んで、代わりに空気をはき出す。吐き出してしまう。苦しさが増す。思いがけない事態に混乱して手足を振り回す。大きな抵抗感。重い。体中にまとわりつくようなこの感覚は………。
(水?!)
水の中にいる?なぜ?
自分がなぜ、そしてどうしてここにいるのか思いもよらない、予想も出来ない。悠長に考えていたら、このままでは、死んでしまう。
必死に手足を掻き乱し、水面を目指す。が、水の中でぐるぐると回り思うように動けない。進めない。まるで誰かにかき回されているように。
果たして向かっている先が水面なのか水底なのか判然としなかったが、何かせずにはいられない。もはや水面に上がりたくてもがいているのか、苦しくて、ただもがいているのかわからない。激しいうねりに抵抗せず身を任せる方が楽かもしてない。でも、そうも出来ない。もう、なにも考えられない。ただ、もがかずにはいられない。いられなかった。
「がはっ」
奇跡が起きた。うねりの影響か、あきらめなかった結果か、どうにか水面に顔を出すことが出来た。どうにもまず、空気を吸おうと口を開けるが望み通りにはいかない。
今まで飲み込んだ水が、腹に限界までたまった水が口から噴き出す。大量に吐き出す。噴水のように、マーライオンのように。吐き出して、吐き出して、まだ吐き出す。
腹に圧力がかかりどんどん吐き出す。苦しくて早く息をしたいのに一向に止まらない。
口から、鼻から吹き出て止まらない。喉、鼻に水が絡みつく。どうにか吐き終わるが、吸おうとすると鼻の奥に残った水が気管に入り、さらにむせ込む。
苦しくて、腹の中身を全部吐き出したくて手を喉に、口の中に入れる。手足を動かすのがおろそかになって………苦しくてうまく動けなくて………また沈む。
頭まで沈みまた大量に水を飲む。息を吸おうと口を開けていたのが裏目に出た。必死に水面に上がる。
水を吐く。さらに吐く。少し吸って、水が入りさらに吐く。苦しい。吸いたい。苦しい。吸いたい。苦しい、吸いたい。吸いたい!吸いたい!!それ以外頭にない。考えられない。むせ返り、はき出し、わずかに吸ってまた、むせる。何度も繰り返し・・・やっと、息がつけた。少しだけ落ち着けた。
未だに呼吸は苦しくて浅く荒く繰り返しているけれども、少なくとも息は出来る。空気が入る。大丈夫だ。
(ああ、)
洗濯機の中で洗われている洗濯物のように、水の中でかき混ぜられているが、必死に手足を動かさなければ、気を抜けばすぐに水の中に引きずり込まれそうだが、生きている。
生きている、と実感した。
呼吸が出来て当面の命の危機が去り、少し、ほんの少しだけ余裕が出来た。そして、気がつく。
辛い。口が、鼻の奥が塩辛い。むせ返り吐き出したくなるほどに。先ほどしこたま吐いたのに、まだ吐けるのか。
(気持ちが悪い………)
この感覚には覚えがあった。子供の頃、波にもてあそばれて、ごろごろと波打ち際を転がされた時、海水を大量に飲んだ時のよう―――。
(海水?)
そして、気がついた。
今まで混乱して気がつかなかった。ちょっと考えればすぐにわかりそうなものなのに、苦しくて、息を吸うことだけに全てをかけていて………周りが全然見えていなかった。
いや、事実水面しか見えていなかったのだ。少しでも多く吐くために。
周りを見る。今自分がどのような状況にいるのか知るために。注意深く………。
そこは―――。
闇。
右を見ても、左を見ても何も見えない。
暗闇。
音は………聞こえない。激しく打ち付ける波音。吹き荒れる風。荒い息づかい。他にはなにも、聞こえない。首から下の全てが水に浸かっていることだけが、肌から緩やかに、荒々しく伝わる感覚でわかる。感じる。
それだけがわかる。
それだけしか、わからない。
水の中だというのに、汗がじっとりと流れる感覚がした。背筋が冷えた。
(ここは?海か。それも真っ暗闇の夜の海…………)
(おいおい、なんでこんなところにいるんだ………)
ふと、ある顔が頭によぎった。つい先ほど出会い、分かれたばかりの自称異世界の少女………エル。
(まさか。まさかあいつか?………喧嘩別れになったから、自分の思い通りにならなかったからって、俺をここに捨てたのか)
(そこまでの事をしたのか。俺は?)
(寒い)
ただでさえ、夜の海は冷えるというのに、ここはまるで氷水のように冷たい。よく水の中の方が暖かいなんて聞くけれどそんなことはない。指がかじかむ。筋肉がこわばる。
ひときわ大きく高いうねりに体が持ち上げられ、低くなる勢いで水中に沈む。思いの外深くまで沈んだが足は、つかない。足もつかないほど深い暗闇の海。周りには自分しかいない。少なくとも見つけられない。聞こえない。
星の光さえも、見えない。
誰もいない………。一人きりの海。
まるで他の生き物など存在すらしないような………独り―――。
そう思った途端、自覚した瞬間、背筋が凍る。わき上がる、止められない感情。
恐怖。
恐怖。
締め付ける様な、恐怖。
この場に自分しかいない。誰も存在しない、恐怖。
この暗闇の、深さも知れない海に、ただ一人で浮かんでいる、恐怖。
力尽きれば溺れて、死ぬ―――恐怖。
この深い海から、暗闇の空から名も知れぬ何かが這い出てくるのではないかと想像する。だが想像しても、硬直してもそんなものは出てこない。独り。何かが出てきそうで怖い。でも、このまま独りなのも、怖い。
矛盾しているようで、でも一つだけ確かなのは今の状況が、ただただ―――怖い。
もし海で遭難したらとにかく慌てず冷静に。取り乱して暴れたりしたら体力が消耗して沈んで溺れてしまうので、まず落ち着いて浮かんで救助を待ちましょう。
まるで夏の風物詩だな。なんて不謹慎な事を思いながら聞き流してきたニュースが頭に浮かぶ。
(しかし………………だけど、さ)
そんなことなんて出来ない。
死に直面して冷静になんて出来ない。動かずにいられない。陸に近いんじゃないかな。案外近い所にいるのにどんどん流されてしまってるんじゃないか。もしかしたら、必死に泳げばたどり着けるんじゃないか。まだ、間に合うんじゃないか。
近くに船があるんじゃないか。聞こえる範囲に誰かいるんじゃないか。
今なら助かるんじゃないか。
生きられるんじゃないか。
声を上げずにいられない。
「………だ、だれかぁぁ………」
思った以上にかすれて声にならない。先ほど呑んだ海水が、のどに絡みつく。でも、そんなこと関係なく叫ぶ。
「だれかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
命がけで叫んだ。痛むのども気にせず、生まれて初めて必死に出した大声はやっぱり小さかった。白い息はすぐ見えなくなる。命の叫びは、波音にかき消される。飲み込まれる。その命と共に、飲み込んでいく。
静寂の中に波の音だけが響く。波音が死への足音に聞こえる。ざざぁ、ざざぁ、と。どんどん近づいてきている気がする。
さっきまで大荒れしていたはずなのに、まるで凪のように静かだ。いや、そう聞こえるだけなのかもしてない。考えている間にも、はやく力尽きろとばかりに波が俺を右左に揺さぶる。掻き乱す。
死が………近くに………。
必死に動かしていた手足の力が弱まって―――音に、静寂に耳を傾けていると、意識が遠くなる。
「っ!」
「ああああああぁぁぁぁぁあああああぁぁああああ!!!!!!」
気がついて、さらに叫ぶ。叫び、もがく。もはや声にもならない叫び。
(チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ)
そんなことをしても無駄だ。体力が消耗してしまう。静かに浮かんでいろ。救助を待つんだ
頭の中で様々な言葉が浮かんでくるがやめられない。
耐えられない。静寂が、波の音が………。黙ってしまえば、向かえに来る気がして、引きずり込まれる気がして、恐怖に。近づいてくる気がして。何かが、何かが。何かが!
容易に想像できてしまう死が耐えられず、叫ぶ。必死に足を動かす、手を掻く、泳ぐ。いや、足掻く。浮かぼうとして、助かろうとして。
そうして………さらに沈む。
それが恐ろしくてさらに声を出す。
(イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ)
泳ぐ。沈む。浮かぶ。暴れる。叫ぶ。沈む。上がる。吐き出す。泣きわめき。掻き毟り。助けを請い。喚き散らし。罵倒し。問い。罵り。笑い。嗤い。呪い。恨み。憎しみ。怒り。決意し、絶望し。心折れ。嘲笑い。望み。救いを求め。手を伸ばし。足掻き、もがく。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。柿い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い!
手も足もばらばらに、足掻く。恨み言を吐きながら、同時に救いを求めながら。恐怖に覆われながら。歯がガチガチとなる。うまくかみ合わない。寒さと怖さで震える。手足の先がしびれていく。
(エルめ、こんな目に遭わせやがって。エルめ、エルめ、エルめ、エルめ、エルめ、エルめ、エルめぇぇぇっぇぇええええ!!!)
正常な判断なんか出来ない。出来るわけ無い。出来るわけがないんだ!!
徐々に体が動かなくなってきた。手が重い。足が思うようにいかない。しびれて、感覚がなくなっていく。もがいても、もがいても、もう浮かばない。声を出したい。助けを呼びたい。息を吸いたい。口に海水が流れ込むのもかまわず、声よ出ろとばかりに口を開く。
天を掴むようにまっすぐ手を伸ばし、空を切り………沈む。
もう二度と、浮かばない。
「………………………………………………………!!!!!!!」
叫んだつもりが、何の音もしなかった。
ああ、そうか。海の中だから、声は出ないか………。
腹の中まで水がたまり、もう、泡さえ、はかない。
意識がだんだん、薄れて、いく………。
なんだか、つい最近、似たようなことがあったような………。
あぁ………思い出した。
ついさっきだ。
本当についさっき。トンネルで気がつくほんの少し前も、俺はこうなってた。
溺れていた。
そうだ。そうだった。俺は………船から落ちたんだ。
だんだん、思い出してきた。もう、苦しいとも思わない。これがよく聞く走馬燈ってやつなのか………。
そうだ、年末年始の冬休み、帰省しようと船に乗ったんだ………。
(続)