43たいと思った本が積まれてく。二度と開かぬ我が家に本の富士 ~人はすぐには変われない。人はいつでも繰り返す~
いや、『西日』なんて暢気なことは言っていられない。そんな暇はない。そんな暇じゃない。
パージボタンは押したけど、未だに隔壁は落ちていない。否、隔壁とパージのボタンは別だ。隔壁を下ろすにはもう一度、部屋に入らねばならない。
「無理!!!!!!!」
とっさにそう結論つけて走り去る。
後ろから、獅子蜥蜴の声が聞こえる。
急いで次の部屋に、駆け込む。一つ、二つ、三つと部屋を越して、後ろを振り向く。もう、落ちるまで時間がない。
獅子蜥蜴は―――まだ、視力が戻らないのか、見当違いの方向を向いている。
(落ちろ。落ちろ。落ちろ)
心の底から、願う。祈る。
そして、とうとう―――――滑った。
部屋が、風景が滑り、
(落ちた。やっと落ちてくれた―――――)
そう思った瞬間、飛び出してきた。
獅子蜥蜴が、飛び出てきた。
落ちる部屋の天井と、床の隙間を、ギリギリの隙間を、飛び込んで戻ってきた。
間一髪、いや、あと一歩のところで戻ってきた。
間に合わなかった尾が半ばから切り落とされていたが、それでも獅子蜥蜴はまだ、生きている。
生きて、俺をにらみつけてくる。太陽を背にし、視力も回復したようだ。
「はは、は……………」
乾いた笑いが、口からこぼれる。意識せず、文字通りこぼれ落ちた。
今この時にも隔壁を閉じてパージしてしまえば、それで全て終わったのだろうが、そんなこと思いも寄らなかった。考えられなかった。
あっけにとられて。まだ、続くのか。まだ、終わらないかと、思考が停止していた。
そんな俺を、獅子蜥蜴はじっと見つめている。尾を切り落とされながらもそんなこと一切かまわずに、じっと俺を見据えている。
一度、二度、大きく頭を振り、大声で吠える。いや、叫んだ。
「ひっ!!」
その叫び声を聞いて我に返った。
逃げなければ。
とっさにパージボタンを押して、走る。次の部屋に入り、さらにボタンを押して走る。次の部屋も、次の部屋も、次の部屋も。休むことなく、走り抜ける。
隔壁を落とす時間はない。落としたところで意味がない。落ちきるまでの間にくぐり抜けてくるだろう。
そして、隔壁とパージ、両方のボタンを押していたら、いつか捕まる。追い詰められる。
どちらか一つに絞るしかなかった。
押して走る。押して走る。押して走る。押して走る。押して走る。絶対に捕まるわけにはいかない。
さながら、アパート連続ピンポンダッシュ。
押して走る。押して走る。押して走る。押して走る。押して走る。押して走る。押して走る。
立ち止まらない。やつが追ってきているのが、背中に感じられる。落ちる瞬間、体を滑りこませてうまく逃れている。
「うおおおおおおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「ぐぐぐぐごごおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
叫ぶ。俺も。やつも。当たり前だ。命がけなのだ。俺も。やつも。さっきまで、立ち止まったら死ぬのは俺だけだった。獅子蜥蜴だって力尽きて死ぬ運命ではあったが、それはまだまだ先の問題。何時になるかなんて、わかってなかった。
だが今は、お互い目の前にある危機だ。目の前にある、死だ。
少しでも、コンマ一秒でも遅れたら即、死。互いの命をかけた全力疾走。命がけのピンポンダッシュ。ヘルダッシュ、あるいはデスピンポン。
こういう映画、あったな。武器もなく自分の体をおとりにして、追われながら非常扉を閉めていく映画…………エイリアン3か4だったか。怖くてもう見たくない。
それを体験することになるなんて、なんて世界だ。なんて世界なんだ!本当に!!!
走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せ。走れ。押せぇぇぇぇ!!
残りの部屋は、いくつだっ?!!!!!!!!
はあ、はあ、はあ、はあ。もう、ダメだ。終わりが見えてきた。中央の、がれきの山が見えてきた。これがダメならもう、打つ手はない。手も足も出ない。
満身創痍だ。もう体力は残されていない。俺にも獅子蜥蜴にも。それでも力を振り絞って進むのはお互い、文字通り命がかかっているからだろう。
立ち止まったら、死ぬ。ジョギング程度の速度でも、一歩でも多く進むしかない。
倒れそうになりながらもボタンを押して先に進む。
「………………ぐゃっ…………………」
今まで聞いたことのないほど弱々しい獅子蜥蜴の悲鳴が、重たい何かが落ちる音が聞こえた。
ボタンを押しながらも、背中越しにそちらを見る。
獅子蜥蜴が倒れていた。
力つき、四肢を伸ばして地に伏せる。懸命に後ろ足に力を入れて立ち上がろうするが、その足は地面をとらえず、床をこする。
このチャンス、逃しちゃならない。ここで終わらせる。動けないうちに早くパージしてしまわないと。
ボタンを押して、隣の部屋に向かう。
……………残り二部屋、本当にもう後がなかった。でも、なんとか助かりそうだ。もう、追っては来れないだろう。すでにお互い限界だった。
せめて、ここまで死闘を繰り広げた強敵の最後を見送ろうと、もう一度振り返った。
それが、いけなかった。
目が合った。潰れた右と残った左。両の目で見つめ合った。そんなはずがないのにそう思えた。
途端、獅子蜥蜴の目が怒りを帯びた。
そんな目で見るな。敗者に向ける目をするな。そんな風に、俺を哀れむな。
と言わんばかりで。そんな弱った瞳に、再び力が宿り………………吼えた。
「――――――――――!!!!!!!!!」
生への渇望、怒り、いや、意地だ。俺への意地。終わりを感じていた俺への反骨の現れ。まだ終わらんと。まだ、終わってなどいないと。
その意志を、怒りを持って、再び立ち上がった。
呑まれた。
あっけにとられた。
その生き様に、そして出遅れた。
その瞬間、出口に駆け込んだ。どこにそこまでの力を残していたのかと疑問に思うくらい、それまでの動きとはまるで異なる俊敏な動きで、ギリギリのところで体を滑り込ませた。
右後ろ足が挟まり、断ち切られながらも、それを物ともせず掛けてくる。
さらに左も失いながらも、勢いは止まらない。
いや、軽くなったことでさらに加速している。どんどん距離を詰めてくる。
迫ってくる。
冷静では、いられなかった。
既に緊張の糸は切れている。一度切れた緊張を、再びつなぐには時間が足りない。出来ない。
足を切られながらも、さらに進もうとするその意志に恐怖した。死に直面してもなお、その意地を通そうとする気概に、呑まれてしまった。
固まってしまった。
(ボタンを押さなければ…………………。走って、押して、最後のボタンも押して………………)
そう思っても、頭で思っていても、体は、動かなかった。
(続)