40にして惑いまくる人間多きこの世の中。絶望した! ~望み敗れて、道絶たれ~
お待たせしました。本日、1話目分の投稿です。
「くっそおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
逃げた。獅子蜥蜴が完全に出てくる前に、こちらを向く前に少しでも距離を稼いでおきたくて、全力でその場から離れる。
悔しさを、自分の愚かさを恨みながら、叫びながら、走る。その行く先に生きる道がないとわかっていても、逃げずにいられなかった。
まずい。まずい。まずい。この先はまずい。この先に道はない。この先には、何もない。道も、希望も、ない。袋小路だ。逃げ場も、命運も、未来もない。どれだけ逃げても、意味がない。
だけども、走らなければ、捕まった瞬間、終わる。終わってしまう。なにか、なにかないか。生き残る手段、生きる手段が!!!
「エルッ、エルッ、エルゥゥゥゥ!!!!!!!!!!!!」
思わず叫ぶ。走りながら、叫ぶ。
「俺が悪かった! 頼む! 助けてくれ! エル、エルゥゥゥ!!!!」
しかし。
願いは届かない。
救いは、訪れない。
そんな叫びもむなしく、獣の咆吼にかき消される。
解き放たれた。もう、すぐにでもやつは追ってくる。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。
さっきと状況は似ているようで、全然違う。さっきまでは策があった。ギリギリの、穴だらけの策だったが、それでも一縷の希望が見えていた。
だから走れた。だからやってこれた。
だが、この先は何もない。走ったところで、なにも。
もう万策尽きた。
(もう、いいかな)
やれることはやった。でも、どうにもならなかった。走っているのは苦しいし、体はぼろぼろ。心だって、そう何度も逆境に耐えられるほど、俺は強くない。
もうそろそろ、いいんじゃないかな。もともと、溺れて死ぬはずだった命だ。どんな因果かわからないが、どうせ拾った命だ。ここらで返すのも、まあいいんじゃないか?
ここで足を止めて、獅子蜥蜴に捕まって死ぬ。鋭い牙で食いちぎられるのか、巨木のような前足で叩きつけられるのか。どちらにしろ、切り刻まれて、食われて死ぬ。食死。
(痛いのは、やだな)
なら、飛んじゃおうかな。パージ、しようか。死なば諸共、獅子蜥蜴と一緒に空中散歩としゃれ込もうか。
でも…………
(落ちるのも、怖いんだよな)
一度経験したからこそ、その恐怖が身についている。足下が地についていない感覚。いつまでもずっと、引きずり込まれ続ける感覚。立ち位置がわからない感覚は、単純に、怖かった。
(他の死に方も、苦しいだろうな)
溺れて、溺死一歩前までも体験した。たぶん窒息死も似たようなものなのだろうと思う。
何か、楽な死に方はないものだろうか。
(老衰かなぁ。眠ったままゆっくりと、痛みも感じない死、か)
ドクターキリコは絶対的な正義ではないのだろうが、救いではあるのだろうな。苦しみの中において、それが唯一の希望なら、相対的には正義になりえるのかもなぁ。
楽な死に方が、どれだけ稀少で、どれだけ難しいか思い知る。
(どうせ死ぬなら、楽に死にたい)
(死ぬんなら……………)
(死……………)
死に際を考えて、死に様を考えて、痛みを、苦しみを体験して、思い起こして、最後の最後で、その瞬間にまたその痛みを、苦しみを味わいたくないと。
出来ることなら二度と受けたくない感覚で、二度と感じたくない感情で、だからこそ、そんな死に様を選びたくなんてなかった。こんなところで死にたく、なかった。
「こんなことで、死にたかぁ、ねぇよな」
ふと、口に出す。口に、出る。生きるためではなく、楽な死のために、痛みのない死のために、理想的な安楽の死、そのためにも、まだ死ねない。死にたくない。そう、思った。
思うと、感じると、自然と腹は決まった。覚悟が固まった。がたがたですぐ揺らぐ、吹いて飛んでしまいそうな覚悟だけれども。
決まり、決意し、悲鳴を上げる体に気合いを入れる。これ以上、心が悲鳴を上げさせないように気合いを入れる。
なんども揺らいで、何度も崩れて、何回も壊れてしまう覚悟だが、でもまた固める。そうして、ここまでなんとか来た。
そうして、再び足に力を入れて走り続ける。
俺とあいつ、どちらの力が尽きるのが先か、単純な我慢比べ。体力勝負。今やっていることはそういうことだ。
九十九部屋の最後の一部屋まで俺を追い詰めればあいつの勝ち。その前にあいつが力尽きれば俺の勝ち。いたってシンプル。
少し前から、獅子蜥蜴は遠目で見える程度の距離を保って追ってきている。全力疾走はしていない。いや、あの速度だと走ってもいない。歩いている。
もう走ることも出来ないのか、それとも体力温存しているのか。
心なしか、右の後ろ足を引いているようにも見える。たしか、俺を追うときに無理矢理がれきから引き抜いたはず。ならばその時に傷を負ったのかも知れない。
だがそれでも、決して俺を見失わない距離は保っている。
どちらにせよ、それは俺にとってもありがたいことだった。ずっと走りづめで休める機会はないに等しかったから。少しでも休めるのはありがたい。
足早に歩きながら、耳をすませて、時折、後ろを振り返りながら進む。
そして考える。次にどう動こうかと。
体力勝負とは言ったが、なにも他の道を捨てたわけじゃない。つけいる隙があるのなら、つけいれさせて貰う。正々堂々なんてしない。目標ができたから、理想の死のためにも貪欲にいかせて貰う。
だから、考える。どうすれば出し抜けるかを。
考えている事は一つ。なんで失敗したのか、だ。
先ほどの入れ替え作戦。作戦が薄いのはわかっているが、それにしてもわからないことがある。
あいつは、どうして止まったんだ?
あの時、あいつはまっすぐ走り抜けることなく、まるであそこに隠れていることを知っていたかのように止まった。
曲がった瞬間を見ていたからといって、それなりに距離があった。これだけの数、同じ作りの部屋が並んでいて一切迷うことなく俺を捜し当てた。
それは、容易なことではないはずだ。
やっぱり音か? 些細な音も逃さない、超聴覚とでも言うものを持っているのだろうか。
たとえば、小さな呼吸音、心臓の高鳴りすら聞こえる程の聴覚。
確かにそれなら俺のことを見つけるのも容易だっただろうが、実際にあるものなのか? そんなに耳がよかったら、逆に不便じゃないのか?
自分の身じろぎの音一つ一つ全てが聞こえるというのは、不便だし、ストレスだろうに。いや、そういえば、さっき音姫に驚いていたな。あれはいきなり鳴り出したからだと思ってたけど、もしかしたら、存外効果があるのかもしれないな。
ただ、それだけだとも思えない。もし音だけで判別できるなら、なんでドアの前で何度も頭を振っていたんだ?
最終的に目視していたけど、その前に何度も見えないはずの右目を行き来させていた。あれになんの意味があったんだ? あの状態で見えているとは思えないけど、なにか、引っかかる。
何か、他にも何か理由があるのかも知れないけれども、それが何かがわからない。全然、思い当たらない。見当もつかない。
そして、どうやらそれに思い至る前に、時間が来てしまったようだ。
進行方向に、これまで続いていた部屋の連続とは異なる風景が見えた。遠く、小さくではあるが確かにそこに、開かれた隔壁のその先に、青空が見えていた。
まだ、獅子蜥蜴の場所からは見えていないであろうその先に、俺たちの命運を分ける終着点が、見えていた。
(続)




