31は投げられた。イカサマ次第でどうにも出来る。 ~飛んで、落ちて、飛び込んで~
昔々、イタリアの物理学者ガリレオ・ガリレイは考えた。
『物の落ちる速度って重さと関係ないんじゃね?』
そうしてこうして行なわれたのが、かの有名なピサの斜塔の落下実験。物体が自由落下する時の時間は、落下する物体の質量に依存しないとかなんとか、だいたいそんな感じ。ウィキペディアにそう書いてあった。詳しく知りたいんなら、ご自分でどぞ。
実際には行われていないなんて話もあるが、例えそうだったとしても実際に体験したのは俺が初だろう。少なくとも俺は初めてだ。
つまり、どういうことかというと………………俺は今現在、絶賛落下中である。
獅子甲羅から逃れるために階段を降り、獅子甲羅もまた俺を追うために階段を折り、結果、仲良く落下中である。
仲良くとは言っても、俺の方が獅子甲羅よりだいぶ先の方で落ちている。落ちてくるヤツに巻き込まれたのではなく、上に気を取られて階段から足を滑らせたからだ。
これがもし、滑らずにそのまま階段にとどまっていれば、獅子甲羅が階段をへし折った反動を利用。シーソーの原理で飛び上がって、俺がやつの上になった未来も、もしかしたらあったかも知れない。獅子甲羅に華麗に筋肉ドライバーを仕掛ける俺がいたかもしれないが…………残念ながら、現実は無情だ。
このままではどうあがいたとしても、先に墜落するのは俺。つまり、まず先に俺が地面にたたきつけられ、とどめに上から獅子甲羅が落ちてくるわけだ。筋肉バスター返しをかけられる側なわけだ。死の二段構えだ。
墜落死、あるいは圧死。もしくは恐怖のあまりにショック死の可能性もある。ちなみに『恐怖でショック死』これを日本医学界ではたこつぼ心筋症と呼ぶとか。そして西洋ではブロークンハート症候群………何でそうなった。いや、思ってない。センスないなぁジャパニーズとか、頭がロマンチックすぎるだろ流石紳士の国々とか一切思ってない。
まあ、なんにせよ死因には困らない。困るのは死ぬことだけど。だけだけど。とんだオーバーキルだ。ところで『因』と『困』って似てない?『死因』、『死困』…………ほら。
走馬燈も回数重ねるとくだらないこと考える余裕も出てくるってもんで、走馬燈慣れも捨てたもんじゃないな。ここ数日で何度走馬燈経験したよ?俺ほどの走馬燈経験者になると、走馬トニストになると、流れる走馬燈にも余裕って言うのか、貫禄っていうのか出てくるもんでね。
あ、走馬トニストってのは俺の作った言葉、走馬燈の専門家って感じの意味。今度、都内の走馬トニストで集まって飲み会しようと思うんだけど。参加したいって人はメアド教えて。店決まったら連絡するから。あ、競馬関係者は無しで、語感似てるけど無関係だから。
そもそも走馬燈って過去の事思い出す事だっけ?時間がゆっくりになっていく事も含まれるんだっけ?どっちのことを言うんだっけ?今度調べてみよ。今度があればの話だけど、ね。
じゃあ、そろそろ現実でも見ようか。三・二・一。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
轟―――と、風が大きな音を立てて俺の顔をすり抜ける。強烈な圧力で瞼を開けていられない。眼球を直接押されるような痛み。たまらず目をつぶる。しかし、何も見えない状態でも体はどんどん落ちていく。いつ地面に激突するのかわからない恐怖で埋め尽くされて、耐えがたくてどうしても目を開いてしまう。
心の底から、腹の底から恐怖を表す。叫ぶ。大声を上げているつもりなのに、鼓膜を揺らすのは風の音だけ。かき消される。
果たして自分は今、叫んでいるのか。もしかしたら口を開けているだけなのかも知れない。
顔面にたたきつけられる風圧は口の中にも入り込んで、呼吸の邪魔をする。唇をめくり、舌をまくらせ、ひしゃまげる。
魂なんてものがあるのならば、とっくにはみ出ているだろう。実際に出ているのは涙に鼻水、よだれ。そんな体中の汁ですら、すぐに風が吹き飛ばしていく。
浮遊感………なんてもんじゃない。引き込まれる。引きずり込まれ続ける。地中に、海中に、死に。無数の手が、縄が、鎖が絡みついて引きずられる。連れ去られる。
今、ここにいたはずなのに、気がついたときにはもう、かなり下に下っている。まるで、今までの自分をそこに置いてきてしまったかの様な錯覚。
後ろを振り返ったら、置いて行かれてぽかんとした顔の俺がそこにいるんじゃないか。そんな風に思ってしまう。後ろを振り向けはしないのだけれど。
ちょっとでも、一瞬でもここにとどまっていたくて、両手を、両足をめいっぱい伸ばす。どこかに引っかからないかと、少しでも勢いが落ちる様にと、必死に伸ばす。
そのざまは、まるで母親に抱きしめて貰いたくて、その暖かさを求めて飛び込んできた幼子のようだが、しかし、そこに母親はいない。向かえてくれるのは冷たくて硬い、石の床だ。抱きしめてくれるのは重い、獅子甲羅。俺にも、相手にも、そんな余裕はない。幼子の気持ちなど持っちゃいない。あるのは一つ。
落ちたくない。これ以上、落ちていきたくない!!
どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうするよ!!!
石畳にたたきつけられたら助からない。万が一、息があったって直後に獅子甲羅が落ちてくる。岩を背負ってるようなやつが軽いはずがない。いや、階段をへし折ってる時点で俺より重いのは確実だ。死ぬ。絶対死ぬ。
(なんとか、なんとかしないと!)
スカイダイバーとか、重心移動することで加減速や水平移動出来るって聞くけれど。
体をひねる。うまく動かない。どう動かせば良いのかわからない。無理だ。手が動かない。まっすぐに伸びてまるで棒みたいだ。自在になんて動けない。そんな付け焼き刃出来ない。
ああ、だんだん周りの壁が広くなってきた。そろそろ広場に出るのかも………。地面にぶつかって死ぬか。潰されて死ぬか。こんなことなら、いっそ、こうなる前にそこらに張り巡らされてる蔦ででも首を括っとけばよか――――――蔦?
そうだ。蔦だよ。蔦。蔦や。蔦だ!蔦に捕まれば、止まらなくても落下速度くらいなら落とせるかも。シミュレートしてみよう。
一・落ちていく途中で手頃な蔓に捕まる。
二・落下の勢いを殺す。
(殺しすぎると上から落ちてくる獅子甲羅に殺されるので注意)
三・猫の様に華麗に着地。
死・じゃなくて
四・閃光の速度で横に跳ね飛ぶ。直後、獅子甲羅落下。
五・俺、生還。獅子甲羅は死ぬ。
これだ。名付けて『墜落大作戦』(シチュエーション的には『大戦略』も捨てがたい)三・四あたりがネックになるが、これしか俺に生き残る道はない。いいか。ここ一番、絶対に失敗しちゃならない。絶対にだ!
よし、あれだ。ちょうど良く進路をよぎっている蔓がある。あれをつかめれば、落ちる勢いが弱まる。三・二・一………ここだ!
左右にいっぱいに広がって、こわばっていた両手をなんとか目標に伸ばして、掴む。素早く懐に抱き、足を絡みつかせて全身で抱え込む。
勢いが殺せず、滑る。摩擦で手の皮が、腕が、服がめくれてはだけた腹が擦れる。ザリッと削られる感触がする、が、離さない。
(よし、やった。掴んだ)
と、思った次の瞬間―――――いやな音がした。何かが切れるような、剥がれるような音がして、とっさに蔦の先を見る。と、視線の先には急激な衝撃に悲鳴を上げてちぎれていく蔦。
突如として加えられた力に耐えられず、壁に這っていた蔦が剥がれ落ちていく。ブチブチと音を鳴らして次々にちぎれ落ちていく。
俺の落下は止まることなく、当初の勢いそのままに蔦と共に落ちていく。
(くそっ!!)
第一段階、失敗。第一段階、失敗。まさか、はじめから失敗するとは、ここからの立て直しは無理だ。もう、地面が!!!
(ダメだ!ぶつかる!!)
墜落の恐怖で体がこわばり思わず目を閉じる。思わず、既に意味の失った蔓を体全体で強く、強く抱きしめた。
直後、激突―――――――――しなかった。
激突すると思った瞬間、グンッと蔦が突っ張り、その勢いを弱めた。太い蔦が、ちぎれず壁に張り付いて保っている。そして、壁に繋がった蔦を起点に、振り子の様に落下の勢いは垂直から水平方向へ。まるでターザンのロープの様に弧を描いて、足先を地面がかすめる。
振り回される勢いは強いが、強く蔦を抱きしめていたためになんとか放り出されずに済んだ。
振り子の原理で地面との衝突を免れた俺だが、命の危機は未だ免れてはいない。落下速度はほとんど変わらず、水平移動にシフト。
そして、その勢いそのまま―――。
「かべがあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
目の前に壁が迫る。固い石の壁が。
「ああぁぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁ!!!!!!」
迫る壁との激突の未来になすすべなく、叫び声を上げたその時、二度目の奇跡が起きた。
蔦を握りしめていた両手は、度重なる摩擦と強く握りすぎていた影響で、いつの間にか流血していた。
その手が、滑った。すっぽ抜けた。
蔓を掴んでいた手が滑り、蔦を挟み込んでいた足も、それ単体では体を支えることが出来ず、離れた。
離れて、すっぽ抜けて、俺は宙に投げ出された。
その行き先は、固く硬い石の壁――――――ではなく、2m四方に切り取られた黒い穴。否、穴ではない。直線にして九十八の部屋が並ぶ一連なりの巨大な部屋群、その入り口。
幸運と言うのもはばかられる程の幸運。大幸運。神の奇跡とも言えるその幸運によって、俺は壁にぶつかることなく、その穴に吸い込まれていった。いや、放り込まれていった。
もし、誰かがその状況を見ていたなら、思わずこう叫んだだろう。
『ホールインワァァンッ!!!!!!!!』
直後、轟音が響き渡った。だが、その音の中心に俺はいない。
こうして俺は、もう何度目か数えることも出来ない九死に一生を得たのだった。
(続)