29いあんちきしょうの面をはたきに三千里。長靴を履いた醜いアヒルの親指姫。 ~開幕、地獄レース~
足早に来た道を戻る。背の高い草に阻まれて未だに視界は悪いが、道はしっかり踏みならしてきたので、折り癖が付いていて迷うことはない。
既に獅子甲羅に遭遇した場所は遠く彼方だ。ちなみに残った砲戦果の一つはそこに置いてきた。片方は問題なかったが、もう一つは手に取ってみると微妙に震えていたのだ。倒れたときの衝撃か単純に熟してきたのか、すぐに爆発するわけではなさそうだったが、移動中に暴発でもしたら居場所を知らせることになりかねない。なので、貴重な非常食兼兵器だったが泣く泣く置いてきたのだ。
幸い、置いてくるのにちょうどいい場所があった。転がりにくく周りに被害も少なそうな場所を選んで、きちんと設置してきた。獅子甲羅の鼻筋、目と鼻の中間地点に、そっと。
何もいたずら心だけでやってるわけじゃない。六割くらいだ。
時限爆弾と同じだ。その場で投げて爆発させては、下手をすれば目を覚ます可能性もあるが、こうやって遠く離れてから自爆すれば安全に攻撃できる。うまくいけばだめ押し、諦めさせられるし、最悪追ってきても視覚と嗅覚が潰れれば時間稼ぎにはなるはず。 もう少しで扉まで半分の所だ。まだ、安全圏内ではないので止まりはしない。
足早に移動を続けていると、遠くから破裂音が聞こえた。柏手一つ打ったような高く清らかな音。だが、実態はそうじゃない。あんな晴れ晴れする音でも場合によっては天国へのスターターピストルになりかねない。
「ごおおおおおああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
この世の物と思えない、大地を揺るがすような咆吼が響く。
………なった。今高らかにスタートした。命をかけた鬼ごっこ。捕まったら美味しく頂かれます(物理的に)。どうやら世界は最悪の想定ほど起こりやすいものらしい。マーフィーの法則というやつだ。もう古くからの友人のような親近感がわいている。マーフィー。
地獄レースの、始まりだ。
それほど遠くない遠く。矛盾しているようだけど俺の現状を表現するとそうなる。俺と獅子甲羅の距離は着実に詰められている。時折聞こえる咆吼が徐々に大きくなっている。俺がどの方向にいるかわかっているかのように距離を詰めてくる。匂いも、視力もつぶせた気がしない。
「時限砲戦果がうまくいかなかったかな?」
扉までの距離はもう少しだというのに、全然心が安まらない。ここまでずっと走って来て、既に息も絶え絶え、かなり体力を消耗している。
今は歩いて体力回復を図っている。流石に立ち止まりはしないが、こんなに運動したのも久しぶりだ。中高のマラソン大会以来じゃないか。それでも後ろから怪物が追ってくるなんてシチュエーションで走ってない分、心に余裕があった。距離は…………もう、わからん。
それにしても執念深いにも程がある。一匹の獲物をこれほどまでに追いかけてくるなんて野生動物としてどうなんだよ。
そしてもう一つの問題。だいぶ前から感じてはいたのだが、命の危険があって引っ込んでいた生理現象。
「ん…………」
もよおしてきた。………おかしいだろ。普通、緊張状態になるとそういうの抑えられるはずなのに…………。どうなってんだよ、俺の自律神経。
…………さっきから咆吼も聞こえなくなってるんだが、ちょっとの間くらいなら大丈夫か?そうだな、もしこれで見つかったときに腹痛だったらその方が危険そうだな。うん。そうしよう。
自分に言い訳をしてごまかして、脇道にそれる。ハイキングとかで主道から外れて致すのと同じ感覚。俺以外誰もいないのだからどこでしても同じだろうとは思うけれども、なんとなくイヤなのだ。羞恥の気持ちは自分で決める!
…………………………しばらくお待ち下さい…………………………
………………お待ちの間、かわいい動物集をご覧下さい……………
よし、いくか。経過した時間はほんの少しだが、気持ち的にはすごく長く感じた、緊張した時間だった。
手早く済ませてズボンを上げようと手をかけたその時、前の茂みでガサリと音が鳴った。動いた。そして、出た。いや、それじゃない。それはもう出した。そうじゃなくて……………獅子甲羅が、顔を出した。
奇しくも、九十九部屋の対面トイレを実現させる形となった俺たちだった。いや、獅子甲羅がトイレ中だったかは知らないけど。
「………………………………」
「………………………………」
両者の間に、なんとも言えない間が続く。じっと相手を見つめる。心なしか少し顔が熱くなる、たぶん赤面している。獅子甲羅も、顔の右半分を赤紫にして………………。紫?
(そうか、爆発の瞬間転がったのか。だから中途半端にしか感覚が潰せなかったのか)
考えながら、静寂の間にゆっくりとズボンを上げる。そして―――――。
「先手必勝!!!!」
砲戦果を投げつける。力一杯。最後の一つの砲戦果を、獅子甲羅の鼻っ柱に向けて投げつける。
瞬間的な動作には鈍いのか、避けることも出来ず正面から砲戦果を受ける獅子甲羅。顔面直撃。顔面爆発っ――――せず。
ガッ!と、鈍い音をして獅子甲羅の眉間にぶつかった砲戦果は爆発することなく、ぽてぽてぽてっと二度三度跳ね、俺の足下に転がる。
「…………………」
「……………へ?」
再び、間。
顔に砲戦果をぶつけられた獅子甲羅は、前足で器用に眉間をこすっている。その前足の隙間から、こちらをにらめつける鋭い視線が………………。怒ってる。いや、そんな言葉じゃ生ぬるい。キレている。おキレ遊ばされている。
変わった。気配とか雰囲気とかもそうだが、目が。捕食者の目から殺人者の目に。獲物を見る目から敵対者を殺す目に。例え食えずとも殺すだけでかまわない。俺はこいつを殺す、マジブッ殺す。そんな、決心の目だ。
そっと視線を足下に、探すは不発の爆弾、砲戦果。獅子甲羅さんに僅かばかりの物理的ダメージと、多大な精神的屈辱を与えて出戻って来た砲戦果は、ふるふると震えていた。まるで獅子甲羅さんの決心をその身で感じて、恐怖で震えて上がっている俺のように。
だが、砲戦果の震えは断じて恐怖ではない。恐怖で震えているのは俺だけだ。むしろ、歓喜。繁殖への、種付けの、己の繁栄に身を投じられる歓喜で震えている。それは――――起爆へのカウントダウンだ。それを見てやっと自分のミスに気がついた。
「震えてやがる。早すぎたんだ」
先ほどまでのそれは、獅子甲羅にぶつける程度の衝撃では起爆の発動条件に全然足りないほどに、青い果実だったのだ。そして獅子ごうらにぶつけられた衝撃で、刻まれた痛みを受けて、やっと大人になった。爆発するための準備が、起爆キーが入った。
今なら殺れる!!!!最高の爆裂が!!!
さらに睨みを強くする獅子甲羅。視線だけで殺さんばかりの力強い睨み。あえて言葉にするなら……ブッコロスッ!!!!!!!!
咆吼!!!!!!!!!
「やばいっ!!!!」
とっさに跳ね飛び、足下の砲戦果を掴む。地面を転がり、獅子甲羅の追撃を避ける。膝立ちのまま振りかぶり、三度獅子甲羅に投げつける。力一杯。全身全霊、全力の一撃。
「エクスプロージョン!!!!!!!!」
顔面めがけて力の限り、たたきつける。爆裂。目に、鼻に顔面全体に砲戦果の独特な匂いが降り注ぐ。至近距離にいた俺にも僅かならず降りかかる。
「ギャウッ!」
獅子甲羅ってああ鳴くんだ。そんなことを思いながら、俺は力尽きて倒れ―――るわけにはいかない。
獅子甲羅は降りかかった果汁を落とそうと必死に顔をこすっているが…………そんなことやっても広がるだけだぞ。今のうちに少しでも離れなければ―――――。
逃げる気配を察知したのか、前足を大きく振り回すが、俺にかすりもしない。目と鼻に直接かかったからか、まったく見当違いの場所を薙いでいる。
よし、これでしばらくは追ってくることは出来ないだろう。砲戦果の果汁が、やつにも俺の体にも降りかかっている。例え嗅覚が生きていようと、匂いを判別することは出来ないはず。
さらに咆吼。
大音声に身がすくまされるが、止まるのは一瞬。立ち止まってなんていられない。相手が動けない間に少しでも距離を離しておかないと。砲戦果の果汁にまみれる獅子甲羅を横目に、急いでその場を背に走り去った。
(続)




