『○シアの25う』『中つ国の金持ち』そんな単語に疑問を覚えたある日の夏 ~小石濃いし人恋し~
逸る気持ちを抑えながら、どうにか窪地までたどり着く。砲戦果も爆発させずにすんだ。高くせり上がった淵から底の方を覗く。
「あった」
扉があった。通って来たときと同じように、窪地の中央に立っていた。
「よかった………」
思わず声に出た。ほっと一息、ため息をつく。自分の予感が、最悪の展開が免れた事に一安心する。
だが、まだ終わっていない。扉がある。それは喜ばしいことだったが、終わりが見えた時だからこそ、気を引き締めなけりゃならない。オルフェウスの冥界下りが良い例だ。あれは上り坂だったけど。
ゆっくりと、おそるおそる坂を下りる。この坂が一番の難関。流砂のようにさらさらと流れ落ちていく坂に足を取られることなく、転ばないように降りなければならない。
慎重にされど素早く確実に。少しでも足を滑らせればその瞬間、滑って転んで大落下、後に爆発、なんて使い古されたギャグ漫画になりかねない。
坂に尻をつき、滑るようにしてなんとか底までたどり着く。扉の前に立つ。立って、手を伸ばして、しっかりと扉がある事を確認する。強く押して、撫でて、そこに存在していることを確かめる。取っ手を掴み、ゆっくりと開け放つ。奥には―――――壁一面に蔦の絡みついた細い道。塔の、横穴。
「はあ………」
深く、深く息を吐き出して、やっと張り詰めていた緊張を解く。足下に荷物を置いて、扉を越える。
扉がなくなっていなくてよかった。奥が窪地じゃなくてよかった。最悪の未来にならなくてよかった。予想が、予感が外れて本当によかった。そう思って、石畳の冷たい床に座り込んだ。
そうしてしばらく、そのまま座っていた。このまま目をつぶりたい衝動に襲われたが、なんとか振り切って立ち上がる。
窪地に出て、足下に置いた荷物から水だけを取り出して、再び塔の中に入れる。砲戦果は扉の外だ。青くてもなんの拍子で爆発するかわからないのだから。寝返りしたときに蹴る可能性もある。
服も、棒に引っかけたまま地面に刺して置いた。日は未だ動かず絶好の洗濯日和。ジーンズも脱いで、今、俺はパン一だ。
パン一のまま、扉を見つめる。変態的であったが仕方がない。恥ずかしくはあるが、後悔はしていない。それよりも気になることがあった。
扉は、塔の中にある物と寸分変わらない。精巧な彫刻作り。当然、壁はなく、ちょうど窪地の真ん中に立っている。四本の足で自立している。出てきた側からは、今でも塔の内部が見えているが、裏からは窪地の坂が見えている。
おそるおそる棒を通してみると、そのまま通過した。次いで、手を通す。両手を組んで、枠を内側に入れて輪を作る。どうやら本当に、裏側からはただの木の枠のようだった。
裏から越えてくる場合は、そのまま手を結べるけれども、塔側から越えた場合は結べない。結んだまま動かすと、塔に入った途端、結んでいた感覚が消えた。指先は触っていないのに、手のひらは触っている感触がある。おかしな感覚だった。
「本来なら、初めにやっておくべき検証だろうな。どんだけ頭が回らなかったかってことだな」
独りごちる。
パン一で。どれだけ真剣にシリアスぶったところで、見た目はただの変態だった。
検証もほどほどに塔の中に戻って横になる。石畳が冷たい。パン一はこういうときにつらいが、そもそも生乾きの服を着ていても結果は同じだろう、むしろ肌に張り付くだけ、不快係数は増すと自分に言い聞かせる。
それにしても、眠れない。先ほどまで、あれほど眠たかったはずなのに、いざ眠ろうとなると逆に目がさえてくる。しかたなく、横になりながら今日一日の事を振り返る。
いろいろあった一日だった。一日なのかどうかは定かではないのだけれども。本当にいろいろあった。船酔いして溺れて、召喚されて、喧嘩してまた溺れて………その後は歩いて登って爆発して戦争して温泉入って仲直り。
濃い。一言にまとめても、濃い。アニメだったら三週くらいかかりそうだ。いや、もしかしたら、大幅改変で全部カットにされるかも知れないが。流石に一人じゃ持たないもんな。誰か、いないもんかな。
教授たち、森の動物たちとは友情を結べたが、いかんせん彼らは猿だ。獣だ。それは揺るぐことのない事実だからなぁ。
どんなに仲良くなろうが、異種族間の友情を築こうが、結局の所、獣の世界の中での話だ。知能の高さは窺えるがそうではない。そういうことではないんだよな。
獣との交流とかこの状況、本当にジャングルブックだな。モーグリだって初めは動物たちと生活してたけど、最終的には人間のコミュニティに入っている。人間と結婚している。野生児のモーグリだって結婚しているってのにお前らと来たら…………違う。そう言う話じゃない。
人と、関わりたい。会話がしたい。文化的交流がしたい。健康で文化的な最低限度の生活をしたい。生活保護とかそういうことじゃなくて、人と、文化的な、文明的な交流をしたい。
草原でただ一人なんて、そんな世捨て人みたいな事は望んじゃいない。確かに対人交流は苦手だし、出来れば人とあまり関わらないで生活していきたいとは思っていたけど、こういうことじゃあない。人間嫌いは世捨て人じゃないんだ。
コンビニとかスーパーとかアマゾンとか、そういうのは普通に欲しい。ちゃんと文明のあるところで、なおかつ人と交流するかどうかの選択肢があって初めて、俺は人と関わらない事を選ぶんであって、こんな強制的に全てを取り除かれたシチュエーションなんて、一切望んじゃいないんだ。
そう言う意味では、俺は人との交流を望まないだけで人間嫌いというのとも違うのだろうな。そして、積極的に関わりたくないだけで、ゼロにしたいわけでもない、と。我ながら面倒臭い性格をしているもんだ。
現状、人と関われるとして最有力候補としてはやはりエルなのだろうが、彼女はあの喧嘩以降姿を見せない。九十九部屋を歩いていた時も、どこかで聞いてないかと大声で呼びかけてみてたが、うんともすんともなかった。もしかしたら、俺がここに戻ってきてる事すら、知らないのかも知れない。
考え始めたら止まらない。その思考も、脱線に脱線を重ねてわけがわからなくなっていく。ふと気がついて始めに考えていた事がなんなのかわからなくなることもしばしばだ。
「寝よう」
考えすぎても、ますます目が覚めてしまう。どうでも良いことを考えながら、目を閉じよう。明日の展望も見えないし、不安も消えないけども、それでも、明日も今日と同じように大変になる気がする。そう思ったら今は寝るしかない。そう、思った。
ちなみにトイレは窪地に穴を掘って、致した。トイレなら下に降りればいくらでも(計百九十六)あるが、流石に、あの長くて怖い階段を上り下りする元気も気力もなかった。
種を割ってシャベルみたいに穴を掘り、他の用途でも使うので板状の物もいくつか作った。平安時代はこうやってたんだと小学校の先生が言ってたな。よりにもよって授業参観の日に。親の目のあるタイミングでその話題をする先生のメンタルの強さに、今更ながら感服する。俺には、出来ない。
これぞ、本当にどうでも良いことだ、な………………。
(続)