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ハルイチバン  作者: 柳瀬
一年生夏
29/125

美味しいスフレをもう一度

目隠しを取って良いのか分からず、沈黙してしまう。ゆっくり手を顔に持っていく。

「外して良い?」

そう聞くと、やや強引に顔のタオルを剥がされる。

目の前の風景はさっきと変わらない、色紙さんの家のリビングだ。目隠しをし、夏場に全身着込んだ男を外に連れ出すような事を色紙さんはしないだろうから、恐らく色紙さんの家の中にタイムマシンがあるのだろう。

色紙さんはリビングの棚に置かれた腕時計を手に取り、右手に巻く。左手には、いつのまにか腕時計をしている。さっきまでしていなかったように思える。

色紙さんと目が合う。

「右手はタイムスリップした今日の時間、左手は元の、三城君が普通に生きてる時代の時間。さっきタイムスリップしたのは13時48分で、この時間で1時間生活したら元の時代の14時48分に戻らないといけない。もし、13時48分に戻ったら三城君が突然1時間老けた事になるからね。」

疑問を見透かされていた。

「本田圭佑みたいだな。」

俺の事を多少考慮しているように思ったが、ただ色紙さんのミスにならないようにしているのだろう。

「今家に私がいるはずだけど。」

時計を見ながらそう言う。

スマートフォンで時刻を確認するが、本当にそうであるか分からない。

日付は8月後半で、持っていた機器に影響は無いようだ。本当にタイムスリップしているのであれば、7月後半であるはずだ。

色紙さんがテレビのリモコンを手に取り、点ける。夕方の報道番組で、左上に時刻が18時56分とある。明らかに俺のスマートフォンとは違う。

「本日7月27日のニュースでした。」

色紙さんがこちらを見る。どうだと言うかをしている。流石にもう疑ってはいないが、確かにタイムスリップをしたようだ。

「まずは着替えて。」

今のままでは、未来オーラのある状態で歩く事になる。手や足のタオルを取り、パーカーも脱ぐ。その間に色紙さんが着替えを持ってきてくれるようで、出て行く。

直ぐにドアが開く音がする。

「早かったな。」

ドアの方を見ると、明らかにさっきとは違う色紙さんがいた。薄手のホットパンツが一瞬下着に見えた。Tシャツも使い古したようでダルダルになっている。タオルを首からかけ、髪は濡れている。

これは所謂お風呂上がりだ。

色紙さんは目を見開き、勢い良くドアを閉める。

さっきの色紙さんは、7月の色紙さんなのだろう。なんだか申し訳ない事をしたが、初めて色紙さんの生活感というか、気の抜けた姿を見た気がする。

やがて両手に腕時計をした方の色紙さんが、服を抱えて現れる。

「1時間勘違いしてた。」

顔を赤くした色紙さんが渡したのは、黒のスキニーとクリーム色のTシャツのようで、下半身は中々きついかもしれない。



この時代の知り合いに鉢合わせしないように、また気付かれないように普段通らない道を通り芸能人のようにマスクと帽子を被っている。普段着ないような色紙さんから借りた服も意外と良いのかもしれない。

辺りは暗くなって、この時間の俺も家に帰ったはずだ。

「チャンスは1分くらいしか無いよ。」

色紙さんに念押しされる。言うべき事を選べと言うのだろう。

色紙さんが決めた段取りは、忘れ物をした俺と色紙さんが仲神家に行き、玄関先であるかないか尋ねる。わずかその間でついでに話す事を話すのだ。

俺は携帯の充電コードを忘れた事にする。実際、その時持っていってはいないが、何でも良いと言われたからそうする。

色紙さんは、偶然通りすがって俺の手伝いをしてくれた体にするらしい。2人が仲神家で忘れ物などわざとっぽいらしい。俺には、偶然の方がわざとらしいが、意外と偶然が使えるらしい。

玄関先で、充電コードないですか?ないです。わかりました。おやすみなさい。

その間に言いたい事を詰め込め、そういうことだ。

「わかった。」

考え事の末、返事をした時には既に仲神家に居た。

1つ、本当に大きなため息をする。

「三城君が押しな。」

一人であれば絶対、決断出来なかったが色紙さんが居るという後押しがあってすんなりとインターフォンを押すことができた。

「はい。あれ?三城くん?どうしたの?」

インターフォン越しに戸惑う声が聞こえる。恐らくあおいさんだ。

「すみません、充電コード無くしちゃって。家になかったですか?」

「ちょっと待ってて。」

いきなり家に来るのは失礼だったかなと、改めて思うが、記録に残るような行動は控えた方が良いらしい。つまり、電話もメールもLINEもしない方が良い。

玄関が開き、家着のあおいさんが現れる。

あおいさんと目が合った瞬間、何を言えば良いのか分からなくてなった。

戸惑い、声が出なくなる。

「夜分にすみません。」

色紙さんの一言で若干正気に戻る。

「あの、充電コード…。」

人見知りみたいな喋り方になる。いや、元々人見知りか。

「多分無かったと思うけど…。念のため中に入って探してみて。」

色紙さんの顔を見る。小さく頷いたように見える。

「本当にすみません。」

二度目の仲神家は、当然だが何も変わってはいない。

前と同じリビングに通される。ひかるさんがぼんやりとテレビを見ている。突然、他人の家の日常に入り込んだのを申し訳なく感じる。

「充電コードなら、この部屋にはないよ。」

そう、ひかるさんに言われる。

それは分かっているが、形だけでも見て回るか悩む。まあ、その必要はないか。

失礼しましたと言って出る。その瞬間に言いたい事を言えば良い。

「お昼のスフレが余ってるけど、食べない?」

あおいさんが首を傾げる。

「良いんですか?」

「家族はずっとそういうの食べてるし、飽きてると思うし。」

それならまあ。

「いただきます。」

ちらりと色紙さんを見る。表情だけでは、何を考えているか分からない。

冷蔵庫から、ラップをしたスフレが出てくる。

リビングのテーブルにスフレが4ピース。ひかるさんも食べるようだ。

何か忘れたか、美味しそうな匂いがする。夕食後だろうか。この匂い、何だったろうか、緊張で思い出せない。

「1日に二度も、ごめんね。」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます。」

スフレにフォークを刺して驚く。昼間と全然違う。ふんわりではなく、俺のよく知るチーズケーキの感触だ。

「本当に同じのですか?」

「スフレは冷めるとこうなるの。」

あおいさんが教えてくれる。

「スフレを知らなかった人が、そんな事知るわけないよ。」

ひかるさんが悪戯っぽく笑う。

「おっしゃる通りです。」

一口頂く。やはり味は同じで普通のチーズケーキになったようだ。

「私、案外こっちの方好きかも。」

色紙さんは、冷めた方が好きなようだ。確かに、こっちも悪くない。

「私は出来立ての方が断然。」

ひかるさんは出来立て派みたいだ。

「私はどっちも。」

あおいさんは身も蓋もない。

「俺は。」

そう言って、あおいさんと同じでどっちもだなぁと気付く。ただ、あおいさんの“どっちも”はどっちも好きであり、俺はどっちでも良いだ。思えば、ずっとそんな主体性を持っていなかった。やっぱり、あおいさんはすごいなぁ。

「俺もどっちもです。」

更に一口、やはり美味しい。

「本当、あおいさんはすごいなぁ。」

思わず声に出る。

「私が凄くないみたいじゃん。」

ひかるさんが口を尖らせる。

「いや、そういうわけじゃなく、将来の夢もあってそれに前向きで。一切先も後も考えてなかった、考えてない自分とは違うなって思って。」

「褒めても何も出ないよ。」

俺の伝えたいことは言った。よく言った。それに、目線が外れている。呆れているのではなく、照れているのかもしれない。

「私も、お姉ちゃんの事凄いと思うよ。自慢のお姉ちゃんだよ、ありがとうね。」

ひかるさんは笑っている。きっと照れているあおいさんを茶化しているのだろう。

「嘘はやめなさい。」

「嘘じゃないよ〜。」

少しニュアンスが違うが、ひかるさんの願いも叶った。

残りのスフレを食べる。

出来立てのふんわりスフレも美味しいが、この冷たいスフレも美味しい。時間が経てば、今と変わってしまって、それでも良い事があるのかもしれない。

あまり長居は出来ない。

「ご馳走様でした。そろそろ帰ります。」

「そう?まあ、もう夜だし。気をつけて。」

立ち上がり、玄関に向かう。あおいさんが見送ってくれるようで、後ろから来る。

「突然お邪魔してすみませんでした。案外家にあるかもしれないので、お気になさらず。」

「そういえば、色紙さんはどうして?」

「え、いや。まあ、忘れ物したって言う三城君と偶然会ったので。」

このタイミングで聞かれるのは予想していなかったようで、かなり吃っている。それでも、あおいさんは気にしていないようだ。

「そう。あると良いね。じゃあ、また後で。」

「はい。おやすみなさい。」


街灯に照らされ、色紙さんと並んで歩く。仲神家を出てから、一言も会話をしていない。やりたい事をやったのに、達成感がないのだ。それは当然、あおいさんの死を避ける事が出来なかったからだろう。

「これで良かったのか。」

ほぼ独り言のように呟く。

「まだ分からない。過去が改変されたことで、未来に戻ると若干記憶が変わるはず、それと照らし合わせよう。」

「未来に戻ったら、改変された記憶が上書きされて、前の記憶はなくなるんじゃないか?」

車はこの時間でも、まだまだ往来がある。人通りもあり、暗いがこの街は活気が消えない。ビルの灯りが消えてる所と消えていない所がある。

早足のスーツ姿の男性とすれ違う。

「上書きされるから、未来に帰る前にこっちの私に経緯を伝える。」

そうすれば、この状況を未来に引き継げる。

「俺が信じるかな。」

俺が何をどこまで真実と捉えるか、分からない。

「ビデオに撮っても良い。」

「恥ずかしいから、それはいいや。」

「ただ、最初は記憶と実体験の混濁で何が真実か分からなくなる。記憶の改変を行った実体験と、改変後の記憶が上書きされる。帰る時点までは、改変を知らないで生活した記憶、そしてその後は改変を知った記憶。何言ってるか分からないだろうけど、向こう行ったら分かる。」

一度で咀嚼できる内容ではない。未来で考えよう。

8月よりも涼しく感じる夜風に、色々な匂いが混ざっている。飲食店や、すれ違う人、換気扇や落ちてるゴミ、車の排気ガスなど、混ざって良くはない。

そういえば、仲神さんの家で嗅いだ匂いはバターの匂いだった。

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