第8話 調薬士クララ(1)
書いては消し、書いては消しで遅くなってしまいました。
サービス開始二日目、日曜日の今日も正午頃にログイン。身だしなみを整えて一階に下りた。宿泊客なのか、まだこちらでは六時頃だというのに宿の食堂は八割位の席が埋まっている。全員NPCのようだ。
「あら、リィンちゃんおはよう。朝ご飯食べるでしょ?ここ空いているから座って」
「おはようございます。ご飯お願いします」
食堂内で忙しく動き回っていたライラさんに挨拶を返し、示されたカウンター席に座り朝食が出来上がるのを待つ。食堂の中は焼きあがったパンや料理の香りが漂い、ゲーム中ながら食欲が刺激される。
「お待たせ。パンはカウンターの籠から自由に取ってね」
「はい。いただきます」
ライラさんが料理の乗ったトレイを私の前に置いて、他の人の給仕に向かう。トレイの上にはスープとサラダ、スクランブルエッグ?。何も乗っていない平皿に籠から取ったパンを置き食事を始める。
今日の食事もとても美味しい。野菜がトロトロになるまで煮込まれたコンソメ風味のスープに、シャキシャキとした歯ごたえのサラダ。何故かピンク色のスクランブルエッグはほんのり甘い。パンは焼き立てでまだ温かかった。
今日もあっという間に食事を終え、最後にお茶を飲んで一息つく。
「リィンちゃん、今日のお昼ご飯は?良かったらお弁当持って行って」
「はい、今日はギルドの依頼を請ける予定なので、作ってくれると助かります」
私が今止まっている宿「森の子栗鼠亭」は、三食込で一日400G。宿で昼食が食べられない時はお弁当を持たせてくれるらしい。他の宿は知らないけどこの待遇には感謝している。
「おっ、嬢ちゃんが今回登録した冒険者か。俺はギルドで訓練士やってんだ」
ライラさんとの会話を聞いていたのか、隣に座っていた男性から声を掛けられた。ルッツさんと名乗ってくれた彼は、もう一年以上この宿に泊まっているそうだ。
「丁度ひと月前にこの街の冒険者が登録抹消しちまったから暇だったんだよな。来訪者が冒険者登録してくれたら助かるんだけど、俺が忙しくなっちまうな」
ガハハと豪快に笑うルッツさんが教えてくれた内容によると、この街の冒険者ギルドは住民にとって職業安定所のような感じで利用されているらしい。
独り立ちした若者は、まずギルドに登録し、依頼を請けながら自分に合った仕事を探す。ギルドに依頼を出す側も人手不足という理由が多々あり、依頼を受けた冒険者との関係が良好であればそのまま雇うこともあるそうだ。その際には冒険者登録を抹消する必要があるとのこと。
「今からギルドか?じゃ先に行ってるぜ」
ルッツさんは先にお弁当を受け取っていたので先に席を立った。というのもこの宿の食事は評判らしく、もう少しすると順番待ちが出るほど人が訪れるらしい。宿に泊まっていなくても近隣から食事に来るそうだ。
これから混むと分かっていてここに居座る事はできないし、私もお弁当を受け取ったらギルドに向かわないと。お茶を飲みながら待っているとライラさんがお弁当を持ってきてくれた。
「はいこれ、お弁当。頑張ってきてね」
食堂の入り口で見送ってくれたライラさんに行ってきます、と挨拶をしギルドに向かう。ギルドは図書館と同じ広場に隣接して建っているしゆっくり歩いても直ぐだ。ギルドのドアを開けて「おはようございまーす」と中に入る。
「おう、来たな。今日からよろしく頼むな」
中に入ってすぐの、カウンター前のロビーにいたギルドマスターに声を掛けられた。てか何でそんなところで待ち構えているのだろう?
「おはようございます。リィンです。今日からお願いします」
「俺はここを預かっているグランツだ。早速依頼を請けるか?」
どうやらギルドマスターは、ロビーに併設されている食堂で食事を摂っていたようだ。今日は運営の人は彼を『借りて』はいないらしい。名乗ってくれたギルドマスターの頭上に表示されたアイコンが名前に替わった。
「はい。…あ、その前にひとつうかがいたいことがあるのですが」
何だ?と応えてくれたギルドマスター…グランツさんに召喚士のことについて尋ねる。確かに召喚士はこの街に一人常駐しているそうだ。ただ今は所用で出掛けていてこの街にはいないとのこと。
「たしか今日の夕方には戻ると言っていたから、夜に連絡を取ってみよう。明日もう一度俺のところに来てくれ」
「ありがとうございます。では依頼を請けてきます」
グランツさんにお礼を言って、昨日メラン君とギルド登録をしたカウンターに向かう。そこにはふんわりとしたボブカットのお姉さんが座っていた。ちなみに髪は鮮やかな橙色だ。
「おはようございます。依頼を請けたいのですが、手順を教えていただけますか?」
「初めまして。ギルドの受け付け業務を担当しているリンダです。では依頼の流れについて説明しますね。
通常は、そちらの掲示板に貼られている依頼の紙をご自由に選んでいただいてカウンターで受付をすることで依頼を請けることができます。但し、請けられるのはご自分のランクまでです。ランクは紙の色で分けられていますので分かりやすいかと思います」
そう言って渡された一枚の紙はうっすらと赤い色をしていた。いくつかの項目に分かれて依頼が書かれている。
「ご覧のようにギルド証のランク色と同じです。内容は上から依頼者・依頼内容・達成報酬です。あと、申し訳ございませんがしばらく冒険者がいなかったため依頼が溜まっていますので、こちらで選んだ緊急度の高い物から消化をお願いしたいのですが、構わないでしょうか?」
書かれていた内容は「調薬士クララ・助手が帰省中で仕事が滞っているため臨時の手伝いを求む・報酬は要相談」だった。
「今日はこのクララさんって人の手伝いをすればいいのですか?」
「はい。依頼を請けても宜しけれはギルド証をご提示ください」
この街の事はほとんど知らないし、緊急度の高いものからというのならこの依頼が一番切羽詰まているのだろう。特に問題もないので左手をカウンターの上に置きギルド証を差し出す。リンダさんはカウンター内に置かれていた水晶に右手を置き、左手の指先でギルド証に触れる。すると、ギルド証が淡く光った。
「はい、これで依頼の受付は完了です。こちらにクララさんの工房を印しておきましたのでお持ちください」
ギルド証の光が消えたのを確認した後、リンダさんに渡された地図には印が付けてあった。これがクララさんの工房だろう。
「では行ってきます」
「お気を付けて」
リンダさんに見送られギルドを後にする。地図の案内通りに道を進むと印のある個所に一軒の家が確認できた。
ここは街の北部で、街中というのに家の間隔が広い。というのも一軒ごとに設けられている庭が広いのだ。クララさんの工房もその広い庭の中にこじんまりと建っていた。
「ここがクララさんの工房?…庭がハーブガーデンになってる」
門から見える庭の景色は、どちらを見ても現実世界でのハーブと思われる植物が植えられていた。ハーブに疎い私でもラベンダーやカモミール位はわかる。あとあっちにあるのはミントっぽい。
とりあえず、クララさんに会わない事には始まらない。ここからは呼び出せそうにないので門を開けて敷地内に入った。
「すみません。ギルドの依頼を請けてきたのですが、こちらはクララさんの工房ですか?」
家の玄関ドアにノッカーが付いていたので、それを使いノックしながら声を掛ける。すると中から「入っといで」と応えがあったので、ドアをゆっくりと開けて中に入った。
一歩入った家の中は学校の教室の半分くらいの広さで、雑多なものに埋め尽くされていた。壁一面に広がる棚には数々の瓶が並び、窓際には草花が吊るされ、部屋の真ん中にある広いテーブルの上には調薬で使用するであろう道具が数多く置かれている。
そのテーブルの一角で一人の老婆が作業をしていた。黒いローブを被り、背丈は私よりも少し高く動きもきびきびとしている。その老婆が声を掛けてきた。
「あんたが今回登録した冒険者かい?あたしゃ調薬士のクララ。今日は忙しくなると思うがしっかり手伝っておくれ」
「来訪者のリィンです。昨日冒険者登録しました」
そこにお座りと促されたので、作業テーブルの横にある椅子に座る。クララさんはテーブルの上に置かれている大きなガラス製のビーカー?の中身を棒でかき回していた。
この部屋に入ったときは濁っていた中身が、クララさんがかき混ぜるにつれだんだんと透き通っていく。そして全ての濁りが消えたところでクララさんが手を止めた。
「こんな感じかの。【製薬】」
クララさんが何らかのギフトを使用したのか、ビーカーの中の液体が一瞬淡く光ったかと思うと、次の瞬間にはテーブル上ににおびただしい数のポーションが並べられていた。今までそこには影も形もなかったのだが、整然と瓶が並びコルクっぽいもので封までしてある。
「今のは何ですか?」
「【調薬】の技能の一つじゃよ。まとめて調合した薬を一回分に分けるんじゃ」
「瓶と栓は何処から出てきたのですか?」
「……世の中には解明できない不思議もあるんじゃ」
クララさんと二人で、出来上がったポーションを木箱に移す。この木箱は納品用なのかアイテムボックスになっているようだ。既に何本収納されているかは分からない。
ふと気が付いて、手に取った一本のポーションを【鑑定】してみる。
【薬】HPポーション 品質 C
服用または体にかけることでHPを40回復する。
クーリングタイム:8分
レア:1
鑑定内容を見る限り、初回配布のポーションと変わりないようだ。今作っているものはこの後どこかのお店で売られるものなのかな?
「ほう、お前さん【鑑定】持ちか。それじゃ少しは作業を任せられるかの」
私が【鑑定】を使ったことに気が付いたのか、クララさんが声を掛けてきた。
「はい。あと【識別】も持っていますが使えますか?ただ薬を作る技能は持っていませんが…」
「【識別】はこの後材料の採集に行くからその時使ってもらおうかの。あとギフトは持っていなくても今日の手伝いには問題ないじゃろ」
全ての瓶を木箱に移し終えると、クララさんが蔓で編まれた大きな籠を持って「ついておいで」と家の奥へと伸びる廊下へ足を向ける。その後ろについて廊下を歩いていると、クララさんが突き当りのドアを開けた。
「ここは…薬草園ですか?」
「そうじゃな、調薬に必要なものを集めとったらいつの間にか増えすぎての。毎日毟っとるが次の日には元に戻っとるんじゃ」
ドアを開けた先もこの家の庭で、面積も植えられている植物の種類もは前庭よりも規模が大きかった。見渡す限りにハーブ(というか草)が生い茂り、種類毎に区分けもされていない。自然のままと言えば聞こえは良いが、知らない人が見れば雑草と間違えられそうだ。
クララさんは「こっちじゃ」とハーブをかき分け奥に入っていく。私も慌ててその後を追うが、ハーブを踏まないように気を付けて進んでいるためか、クララさんとの距離が広がっていく。
「これがポーションの材料になる薬草のひとつ目じゃ。【識別】してみるといい」
「はい。でもこれって…」
【植物】キダチアロエ
やっとのことで追いついたクララさんが示した植物に【識別】をかけてみた結果だ。というより【識別】を掛けなくてもわかる。
「クララさん、これって草じゃなくて多肉植物…」
「薬草じゃ」
「…ハイ」
サードリアの植生は現実世界とほぼ変わらないようだ。ファンタジー世界のようにそのまま「薬草」とかないのかな?クララさんと一緒にキダチアロエの葉の部分をもぎ取り、籠に集める。
「これってこんなに取って大丈夫なんですか?」
キダチアロエは葉をほぼもぎ取られ、茎しか残っていない。これでは次回ポーションを作る際に材料が無いのでは?と心配になってしまう。
「さっきも言ったじゃろ?明日になれば元通りになっておる」
「…そういった所は不思議設定なんですね…」
キダチアロエの次はプランテーンという名前の植物を採集する。プランテーンは根以外の箇所がすべて使えるらしい。クララさんから借りたナイフを使い、地表に出ている部分をすべて刈り取った。
「…このプランテーンって、どこかで見たような気がします」
プランテーンは根の部分から放射状に広がった短い茎に、卵形の葉がついている。現実世界でもちらほらと見かけた覚えがある。
「別名はオオバコじゃな。知っておるか?」
何と日本では雑草扱いのオオバコが「薬草その2」だった。そもそもアロエとオオバコがポーションの材料だなんて普通は予想できないと思うのだが…。
「この位あれば大丈夫じゃろ。戻ろうかの」
クララさんはそう言って家の方に戻って行く。私も採取作業を終わらせて後から付いて行った。