第3部隊
横殴りの雨がフユたちを襲う。雨の経験が皆無の第6世代にとっては最悪のコンディションとも呼べるだろう。
そんな激しい雨音に紛れて短い咆哮が轟いた。
「来るわよ」
海砂は漆黒の瞳の瞳孔を開き、その咆哮の主を見つけ出そうと尽力する。
「海砂様……」
河本は心配そうに名を呼ぶ。しかし、海砂からそれに対する応対は無かった。
刹那、フユが動いた。そしてそのコンマ一秒ほど遅れてアカネも動いた。
海砂は驚きで目を見開く。
「とりゃあぁぁぁぁぁ」
後に動き出したアカネがフユを追い越し、ある一点に向かって蹴りが飛ぶ。
蹴りの先には人体の肉を貪るコカトリスだった。
雄鶏の身体に蛇のような尾が生えた姿をしている。どこかバジリスクと似た印象を受けるが違う。
アカネの蹴りが肉を喰らうコカトリスの首を撥ねる。大量の血が雨と混じり空に舞い、降ってくる。
首の落ちた本体は一瞬何が起きたか理解できず、その場に留まっていたが大量の血を流し、それに気づいた途端崩れ落ちた。
それを見た他のコカトリスが鶏のような悲鳴を上げ始めた。
「みんな、耳を塞いで!」
海砂が叫ぶ。
海砂と河本が死にものぐるいに耳を塞いでいるのを見て第6世代の3人も耳を塞ぐ。
一様にコカトリスの口が閉じるのを待った。
「何だったんだ?」
バジリスクの口が閉じ、悲鳴のような咆哮が聞こえなくなり、塞いでいた手を外したフユが誰にというわけでもなく訊く。
「あの声を聞くとマヒしてしまうのです」
海砂が淡々とそう語る。
「更に言うとだな、ヤツの身体には毒があり、目で見られるだけで死ぬとさえ言われている」
海砂の言葉を受け継いだ河本が怯えたような表情で語る。
「せめて言うべきでしょうか。雨が降って視界が悪くなっているのは幸いでした」
海砂が雨で濡れた美貌に嘲笑いを浮かべてそう話す。
「来ます」
シズクは小さく呟いた。フユたちは笑顔を消し、皆揃って顔つきが変わる。
規則正しいドンドンという音が幾重にも重なる。足音だけでは何体いるのか分からない。
フユはぬかるんで力の入りにくい地面を力の限りで蹴る。
まだ姿もはっきりしてないコカトリスに対して小さな体のフユが更に体を縮めて突進する。
「要するに……、頭を潰せばいいってことだろ!」
しゃがんだフユはコカトリスの頭の真下まで移動するとそこで地面に手をつき、両の足を天に向かって突き上げる。
手は泥まみれで、しっかり支えきれず体勢を崩しかけるもフユの蹴りはコカトリスの顎に突き刺さった。
まるで人魚の玩具のように首だけ取れ、後方へ吹き飛ぶ。
胴体と首を繋いでいた部分は一瞬遅れで鮮血の雨を降らす。
「うへっ、きたねー」
かかった血を拭いとりながらボヤく。
「危ない……です」
女の子の弱々しい声がフユの真後ろからする。
フユはなんだ、と思いつつ振り返る。そこにいたのはシズクだった。移動速度とかそういうレベルじゃない。気配がなさすぎる。
フユはあまりの無音さに驚く。
「絡繰霧社」
シズクは右手を上に左手を下にして構えるとそう呟いた。
雨音のが大きいにも関わらず、その透き通るような声はフユの耳に完璧に届いた。
シズクは構えたまま、じっと先にいるコカトリスを睨みつけている。見ている側からは分からない、シズク本人のみが分かる基準に達したのかシズクは右足を滑らすようにして後ろに下げた。
そしてその体勢から構えた手を後ろに下げ、螺旋状に回転させながら前に突き出した。
「なっ……」
フユは思わず声が漏れた。
およそ30メートルは離れたところにいるコカトリスが四肢を切り取られ、鮮血を上げ倒れたのだ。
「そ、それは……?」
フユはようやく驚きから少し立ち直り、言葉を紡ぐ。
「これは私の第6世代の力じゃない。これは私がいた児童施設の人に教えて貰った。空撃の術、らしい」
シズクは小声で話す。今まで話した中では最長だな。フユはそう思いながら「そうか」と頷いた。
「また来る」
少しの休む暇もなく、シズクが声を出す。
「どこだ?」
「あっち」
フユの問いにシズクが先程から約右30度の方向を指差しながら答える。
「おっまたせ」
そんな空気を読まない声と共にアカネが登場する。
「えっ、なになに? ピンチな感じ?」
緊張感も何もない声音でアカネが訊く。
「100メートル先。コカトリス、三体、来ます」
横殴りの雨で第6世代の身体能力を持ってしても10メートル先を見ることがやっとなのにシズクはきっぱりと言い切った。
「え、何でわかるの?」
戦闘態勢を整えるフユに対してアカネはそう訊く。
「私の第6世代の能力は視力なの」
シズクは慌てる様子もなく、いつも通りの小さな声で答えた。
それからまもなくしてうっすらと大きな影が視界に入った。
数にして三体。
「うわっ、ほんとに三体だった!」
アカネは屈伸をして脚の調子を確認しつつ、叫ぶ。
「アカねぇ、静かに」
フユは小さく言う。
「ご、ごめん……」
アカネは素直に謝り、次こそ黙って戦闘の準備を整える。
近づくにつれて大きくなる三つの足音。
「20メートル切りました」
後方では未だに追いついてこない海砂と河本が必死で走っているのが分かる。
フユとアカネは目配せで合図をして、地を蹴る。
シズクもそれに合わせて地を蹴る。三人の悪魔の子供による一斉移動。泥を高く上がる。更に強くなる雨が移動する三人には線に見えている。
その中でも飛び抜けて速いのは第6世代の恩恵を脚力にもつアカネだ。
アカネは高速で移動し、一番奥にいたコカトリスに右手でつくった拳を突き出す。
顔を狙った拳は足がぬかまりにはまり、体制を崩し身体にヒットした。
「くっ……」
瞬間、アカネが短い苦痛の声を上げその場に倒れた。
「アカねぇ!」
フユは動きを止めて声を上げた。
「ダメ、止まっちゃ」
シズクが隣に移動してきてそう告げる。
「えっ?」
フユがそう返すも既に隣にはシズクはいない。
視界が揺れた。フユは何が起こったか分からないままその場に倒れ込んだ。
そして、気づいた時には体が動かなかった。
長く伸びた足の鉤爪が幼いフユの体を抑え込んでいる。
第6世代であるフユが必死にもがいてもそこから脱することができない。コカトリスの力はそれほどまだに強いのだ。
鉤爪の一本がフユの肩に刺さる。
「うぎゃああぁぁぁ」
甲高い悲鳴がその場を切り裂く。
「小郡流 七顚抜刀」
ようやく追いついてきた海砂が凛とした声でそう叫んだ。
いつの間にか腰に差していた刀を抜き、空を斬った。
一瞬空に留まった斬撃が五メートル近く離れたフユを踏み付けるコカトリスの胴体を二つに切り裂いた。
ダラダラと流れ出すコカトリスの血液がフユの体を埋め尽くそうとする。
フユは死んだことにより力の弱まったコカトリスから逃れる。全身が血液の滝で真っ赤に染まっていた。
「大丈夫ですか?」
海砂が心配そうに訊く。
「あぁ……。大丈夫だ」
肩に深さ数センチの穴が穿たれてはいるがそこ以外に目立った外傷はない。
「それよりもアカねぇだ」
フユは穿たれた穴を塞ぐようにそこを手で抑えながら険しい表情で告げる。
「ありゃあ、神経毒だな」
河本が崩れ落ち、立ち上がることも出来ずに苦しそうにしているアカネを見て告げる。
「毒……。どうして?」
「コカトリスの身体に触れっちまったんだろ」
フユの問いに河本が冷たく言い放つ。
「そんな……」
フユは奥歯を強く噛み締める。雨音に負けないほどの歯軋り音がする。
「助けることはできる……。だが、それは残り20分が生死の限界だ」
河本は少し悔しそうな顔でそう告げた。
「河本さん。限界なんてありません。必ず、必ず私たちが助けるのです」
海砂は決意の篭った目で河本を見た。
シューン。白い蒸気とともに空震エレベーターの扉が開く。
「俺が行ってきます」
河本はそう叫ぶやエレベーター向かって駆け出す。
エレベーターの中からは第4部隊がぞろぞろと降りてくる。
間に合わない。そう思ったフユは痛みを堪えながら思い切り駆け出す。
そして河本を追い越す寸前、河本の体を抱えあげる。スピードを殺すことなく、駆け抜ける。
「くっそ、間に合わない……」
第4部隊全員がエレベーターからで終わる。
第6世代でない、大人がエレベーターを閉めて上へ昇るためのボタンを押そうとしている。
「ごめん、頑張って」
フユはそう言ってから、河本を担ぐ腕を振りかぶって河本をエレベーター向けて投げた。
空を裂く音を立てながら河本は飛ぶ。
河本は人生で初めて『飛ぶ』ということを体験しながら閉まり始めのエレベーターに飛ぶ。
段々と狭まる扉。そろそろ大人1人が通るのが限界だ。
ドンッ、という激しい音を立て河本はエレベーターの中に突っ込んだ。
間に合ったのだ。
フユだけでなく、第3部隊全員が安堵で表情が緩まる。
「間に合ったわ。フユ、ありがとう」
海砂はそう呟き、
「さぁ、ここから彼が戻るまで私とシズクとフユでコカトリスを止めるわよ」
そう続けた。
この3人なら止められる。海砂だけでなく、皆そう思っていた。
この時想像しないようなことが起きようとしているの誰も気づくものはいなかった。