陣
今回は、アトが語り部とならずに、天の声が語るパートとなっています。
ちょくちょくこんなパートを挟むかもしれませんね。まぁ、その時は言います。
ゴウラは接客をしながらも、少し不安な気持ちを拭えきれずに居た。
なにせ、初仕事である。シンは手慣れていそうだから、彼を引っ張っていってくれるだろうが、万が一ということもある。
なによりアトだ。彼はつい最近まで戦闘を知らなかった、といった事を言っていた。ここ最近はこってり絞られていたと聞くが、それでも付け焼き刃であることに変わりはない。とどのつまり、戦闘に関してはペーペーの素人であるのだ。
豚人は決して弱くはない。だからこそ、町人村人が倒しに行かず、訓練を受けた兵隊や腕っ節に自信を持つ冒険者が態々倒しに出向くのだ。そして、そんな奴等でも、油断に従うままに大怪我をしたり、命を落としたりすることが後を絶たない。
フレイヤの頸にまだ反応はない。今は無事だという事だ。だが1分後は?1秒後は?
もちろん、ゴウラはこの仕事を始めて長い。依頼の斡旋もやり始めてから片手では数え切れない年数経っている。故に、普段はこんな心配をせず、ただ期待して待つだけ。そのスタイルは板についていた。
そんなゴウラが今回に限ってこんな心配をしているのは、説明できぬ不安が雪のように残り続けているからだ。
虫の知らせ。そうとしか言えない不確かなもの。しかし、それが確かにゴウラの胸中をひどく不安なものに変えている。
「こんにちは~、ゴウラ。ちょっと遊びに来たわよ~・・・ってあれ?どうしたの?浮かない顔して」
爛漫として入ってきたシルダは酒場に入った途端、どこかうつつを抜かしたような顔の調子を見抜いた。彼らの付き合いは数年来の物だ。気づくのも当然ではある。
「おぉ、シルダ。 待ってろ、お前の昼はジン・フィズだったな?」
「うん、いつもの頼むわよ?」
こんな軽いやり取りをしながら、自然と空いていたゴウラの目の前のカウンター席に座る。
これを二百回以上繰り返している程度には、付き合いは長い。気づくのも当然ではある。
「で? 今日はどんな事で悩んでんのよ?」
これも二百回以上繰り返している。
「あぁ、ちーっと勘が冴えちまってな」
これも二百回以上繰り返している。
「当ててみせましょうか? アトとシンの事でしょ?」
シルダは、爛漫とした姿勢を崩さずに言い放つ。図星を射抜かれたゴウラは、驚きを隠しきれずに眉を吊り上げる。さっきまでのやり取りは二百回以上繰り返しているが、こんな風にほぼほぼ出会い頭に悩みのタネを見抜かれるのは稀だ。一番最近なのは、1年前にカラと喧嘩して従業員を辞める騒動に発展したときだろうか。
「というのも、実はカラに聞いてたのよ。あの二人が今朝初仕事に行ったって」
「チッ、そういう事なら速く言えってんだ」
「ごめんなさいね、驚いた貴方も偶には見たくなってね」
そう言って、彼女は笑う。華やぐような笑顔に、周りに居た男は全員シルダに恋しただろう。ゴウラは慣れているが。
カラとシルダはよく笑う。そういう意味で言えば、正反対な姉妹の唯一とも言える共通点。
「ったく、義理の姉妹のクセにそういう所だけ似ちまうもんなんだな」
「その件には触れないでくれても良いのに。良いじゃない、遠方の親戚で、年も近くて同居してたこともあるんだから実質姉妹でしょ?」
「そうだなっと、ほい」
ゴウラは、注文しても居ないジン・ファズをカウンターに置く。シルダは、笑顔のままそれを口に運び、タンプラーから口を離せば笑顔をより強める。
これが、周りの男の愛欲を刺激するのは最早恒例行事である。
その様子を見て、近づいてくる人間が一人いた。その人間は、シルダに近づくと空のお盆をゴウラに手渡した。
「お姉さん! いつから居たの?」
「さっきよさっき。 頑張ってるみたいね」
「うん!」
カラは、義理の姉であるシルダに頭を撫でられ、笑顔を受かべる。シルダのが華やぐ笑顔なら、カラのは輝く笑顔だ。異色の二人、しかも二人共美女の空間に、男はしばし凝視し、そして目を離す。
それは、この二人がゴウラと親密な関係にあることが周知の事実だからだ。もちろん、恋愛感情は持ち合わせていないだろうが、もしも手を出そうものならゴウラにどんな制裁を加えられるか分からない。ただでさえ強面なのに。
「それで? お姉さん、何の話をしてたの?」
「あの二人の話よ。無事返ってくるだろうなぁって」
優しげに言うシルダに、ゴウラが反駁する。
「根拠は何だよ。 何を以てそんな事言うんだ」
「そうそう、それを言いに来たんだったわ」
すると、さっきまでの優しげな雰囲気から一転、シルダは刃物のように生真面目な雰囲気を醸し出す。
この二人は知っていた。この人がこの雰囲気を作る時は、何か私達とは別の次元の思考をしていた時だと。この二人は身を持って知っていた。
「あの二人のクラスについてよ」
「クラス・・・そういや、アイツ等のクラスはまだ知らなかったな」
クラス。それは、この世界の住人の一人に一つ振り分けられる、その人間の得意分野を端的に現したものである。
何も特徴がない最低クラスを町人とし、そこにどれだけステータスポイントが振り分けられているか。何が得意であるか。それによって判断される。
すべての住人は、齢が3を迎えるまでにそれを正確に把握される。なぜなら、得意な分野に進んでいったほうが社会が効率的に進んでいくからだ。中には、シルダのような異端も居るわけであるが、大抵の人間はクラスに有った職に就く。
戦士や騎士ならば、国を護るための護衛兵や、モンスターを倒すことを生業にする冒険者に。
職人や医師ならば、街や兵を支える縁の下。
一つのクラスにおいて頂点と呼ばれる天才を示す『上級クラス』、特定個人にしか適用されないような、とんでもなく希少な才能を示す『特殊クラス』なども居る。この世界においてトップになる人材というのは、そういう人間に限られている。
それを分かっているから、誰もが分相応な生き方をする。社会は、クラスの存在によってどことなく歪んでいるように見えて、十分円滑に回っているのだ。
「まず、前座のシンのクラスから言いましょうか。まぁ、ゴウラさんは予測付いてるんじゃない?」
「まぁな・・・暗殺者、の上級だろう」
「上出来ね」
シルダは満足げに頷く。 カラは「上級!?」と聞いて少し目を輝かせているが、二人にとってはそれは彼の身のこなしを見た時に気づいていた。
身のこなしや扱う武器は確かに暗殺者のそれだった。だが、それにしては彼は身のこなしが正面戦闘に向いていて、かつ気配の隠し方も初心者にしてはトップクラスというのは二人の目に分かっていた。
まだ素質だけであるが、磨けばそれは一つの国に1人居れば上等というレベルに仕上がる。観察眼に優れた二人はそう見破っていた。
「おそらく、殺戮者ね」
「・・・まぁ、お前の見立てが間違ってたことはないから、多分そうなんだろう」
「殺戮者!? 嘘!?そんなのが身近に一人居たなんて!握手しておけばよかったなぁ」
殺戮者・リッパー。それは、暗殺者の極致でありながら戦士の素質を持つことを示すクラスである。元来、暗殺者は正面切っての戦闘には向いていない。全くの素人相手ならば勝てるだろうが、相手が訓練を積んだ兵士ならば、自ずと闇に紛れての殺害という方法を取らざるを得なくなる。
しかし、殺戮者ならば話は別。暗殺者でありながら、訓練を積んだ兵士を真正面から抹殺出来る程度には、戦士の素質を持つ。それが、殺戮者というクラス。遍く上級クラスの中でも特に希少なクラスである。
「まぁ、殺戮者が相方なら死にはしないだろ?で、コイツが前座か・・・って事は、アトは?」
「えぇ、お察しの通り、特殊な奴ね」
カラが卒倒しそうになる。当然だ。多くの人間が規定の『クラス』という肩書で収まるのに、特定個人のみ、その枠から大きく超えた逸材であるのだ。その希少性は純金と似ている。
いかに『別世界から来た』と知っているカラであろうとも卒倒しそうになるのはそういう事だ。たとえ別世界から召喚された人間だとしても、クラスという枠からは逃れられない。つまり『別の世界から来た超絶貴重な逸材』に彼女は出会っている。むしろ、彼女はよく卒倒しなかったと言えよう。
「で? その判断材料は?」
「先に言っておくけど、彼は魔法の存在を知らなかった。それは間違いないのよね?カラ?」
「え?ええ!? う、うん、そうだけど・・・」
唐突に問われたカラは、卒倒しそうになっていた頭脳を働かせ頷いた。彼が魔法を知らずに生きていた事は、彼の身の上話で理解していたからである。それはその場に居たシンも同じだろう。
「そう、じゃぁこれを見て」
彼女は、胸ポケットから小さく折り畳んだ紙を取り出し広げる。そこには、びっしりと数式のようなものが記されていた。
「あ?こりゃぁ・・・魔法のじゃねぇな・・・数学の式じゃねぇか」
それは、数式だった。およそ50行にも近い、数学の式。
だが、ゴウラとカラは数学は学校レベルで収まっている、シルダは数学を趣味で修めていると知っているから、二人は彼女を無言で見て、説明を仰いだ。
「えぇ、確かに数学の式よ。でも、この世界では常識でしょ?『魔法の構成式は、数式を変化させたものだって』。驚くべきことに、これは、私が獄炎の魔法陣を見せた後に、アトに『これが何であるかを示せ』・・・って言った時に、5分ぐらい掛けて休み無しに書いて、その後でこれを私に見せてきた。驚くことに、これが一言一句間違っていないの」
「嘘だろ!?」「嘘!?」
二人は驚きをどうしても隠せなかった。店にいる全員がこちらを向いた。慌てて3人揃って『大丈夫ですよ』と向きを直した後も、驚きは収まらない。
当然だ、この世界の魔法の殆どが構成式で発動しているからこそ、数式は簡略化された。それでも、現在解っている中で最大級の火力を持つ火属性魔法『獄炎』は20行を超える大詠唱。使う機会もほぼないから、これを発動しろと言われて出来るのは世界においても10人居るか居ないか。
それこそ、世界の支配者である七皇レベルの御業であるのだ。
それを簡略化前の、数学式を暗唱できるものは・・・おそらく一人も居ない。唯一無二とも言える所業だ。
「じゃぁ、アイツは既に・・・」
――全ての魔法を使えるのか。 その疑問を飲み込んだ。答えは当然決まっている。
「えぇ、陣さえ知ってしまえば、簡単に扱えてしまうでしょうね。おそらく、式に出来ないぐらいまでに複雑怪奇な物でさえも」
それは、世界を根底から引っ繰り返す物だった。
今や彼ら3人の中でアト――音部六徳の認識は『ただの少年』から『世界一の魔法使い』に変貌を遂げていた。
「私は、彼のクラスにこう名前を付けるわ。『理解者』って」
公式、すなわち人より分かたれた存在であると明言されてもなお、2人はそれを否定することはできなかった。
ゴウラの虫の知らせなんて吹っ飛んでいた。豚人程度なら、あの2人なら屁でもない、その辺りに居る虫と同じだ。
そして仮に、豚人を大きく超える存在が居たとしても、あの2人ならば・・・。
そう思えてしまうほどに、この宣告は常軌を逸していた。




