チェーンソー男とメイド女と僕 1
深夜の町。薄暗い路地。少ない街灯の光だけを頼りに僕はそこを歩いていた。たらたらと。一人で。
気温は低く、秋の終わりにしては真冬の様に冷えていた。
一人でいる事は別に寂しくはなかった。
――嘘だ。僕は沈んでいた。
繰り返される両親の怒鳴りあいや、ついていけなくなりつつある授業の内容、繰り返されていく日常の先にある、うっすらと透けて見えてくるつまらない将来。そのどれもが僕の心を、気持ちを、沈ませていた。
こんな時、相談のできる友人や、彼女なんかが居ればよかったのだろう。そうしたら僕ももっと『普通の十七歳』なりに、人生を謳歌していたはずだ。
例えばそう――友人に「両親の喧嘩がうざい」などとグチり、彼女と楽しい将来の計画をたてたりして――楽しめていたはずだ。
ただ、僕にはプライベートな家庭の事を相談できるような間柄の友人は居ないし、彼女だってもちろん居なかった。
僕は寒空の下、薄暗い路地を歩きながら考える。
たぶんきっと僕はこのまま特筆するようなこともなく高校を卒業して、それなりの大学に入り、それなりのところに就職して、それなりの彼女なんかができて、結婚して、子供ができて、そして――死んでいくのだろう。
つまらない人生だと思う。でも、きっと僕にはそれで限界だ。
ただ、もしも彼女にするなら黒髪の乙女がいい。例えば、思わず守ってあげたくなるようなか細い感じのする子だ。そんでもって僕無しでは生きていけないような、そんな子がいい。
同じクラスの宮原みたいなビッチはダメだ。なにが、「一万でやらせてあげよっか?」だ。人をバカにするなよ。いや、でも思い出したら、頼んでおけばよかった気もする。いや、そんなことはない。そうだ。オレの純粋な初めては黒髪の乙女に捧げるのだ。
そんなバカなことを考えながら、歩き続けていた。ふと周りが真っ暗になっていることに気がつく。
いつの間にか、住宅街を抜けていたようだ。辺り一面は暗闇で、街灯なんて一本も立っていない。
暗闇に慣れた目に見えるのはすでに収穫の終わった田んぼだけだ。
住宅街に面した一面を除けば、田んぼの中まで町の灯りは届かない。
暗闇の中を歩くのは少し怖いが、いちばん近いコンビニに行くにはここを突っ切って行くのがいちばん早い。
僕は馴れた足取りでガンガン進んでいく。ただ、暗闇のあぜ道を歩くのは結構疲れる。
僕はこの町が嫌いだ。中途半端に都会で、中途半端に田舎。自然らしい自然は残っていないくせに、遊ぶところもなければ、コンビニに行くのだって二十分も歩かなければいけない。なんというか中途半端で、ほんと、微妙な感じのする町だ。
そうして、あぜ道を半ばぐらいまで進んだ時だった。
唐突に、獣のうなり声の様な激しく唸るエンジンの音が前方から聞こえてきた。
僕は焦った。周りを見渡しても明かりはなく、エンジン音のする方を見ても何も見えない。
――何? こんな時間に? トラクター? ……もしかして暴走族?
しかし周囲には道路などないし、車やバイクのライトの明かりも見えなかった。
じゃあこのエンジン音は何なんだろうか。
考えながらも目を凝らし続けていた僕はその時、月明かりに照らされ銀色に光る物を見た。
見た。
見てしまった。
僕の前方、五十メートルほど先、そこにはチェーンソーを持った全身黒ずくめの男が立っていた。
そいつは月明かりに照らされて、銀色に輝く刃を回転させて立っていた。
全身に布の様なものを纏っている。その所為で細部まではわからないが、男からはまともじゃなさそうな気配が感じられた。
顔の部分すらもフードのような物を被っていて見えない。それが男の不気味な雰囲気を増加させているのかもしれない。
僕が男の様子をうかがっていると、唐突にチェーンソーが唸りをあげた。
男が僕の方へと迫ってくる。
――は?
意味がわからなかった。どうして真夜中に? チェーンソーを持って? 田んぼにいるんだ? 農作業……な訳ではないよな。
――え、もしかして通り魔的なヤツ?
そう僕が考えたのと、男が僕の目の前にやってきたのは、ほぼ同時だった。
男がチェーンソーを振り上げる。
「ちょ――」
ちょっと待って。と言いながら後ろに下がろうとした僕は、足下の石を踏んでバランスを崩した。
尻餅をついて転んだ僕の目の前――さっきまで僕のいた場所――をチェーンソーが通っていく。
「あ――」
あぶないじゃないですか。と言おうとして、僕は息を飲んだ。男が再びチェーンソーを振りかぶっているのを見たからだ。
僕は足をもつれさせながら、尻餅をついたまま後ろへと下がる。
僕が居た場所にチェーンソーが突き刺さるように振り下ろされ、地面を抉っていく。
そしてその時、僕は男の顔を見た。
男の顔はなんというか、若くもなくかといって年老いている訳でもなく、不思議な感じのする顔をしていた。目を離すとすぐにでも忘れてしまいそうな顔だった。
飛び散る小石と土が僕の頬や体に当たって落ちる。
その感触が僕を現実へと引き戻す。
――なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ!
いきなりすぎて現状に頭も気持ちもついてこない。
とにかく、なんなんだこれ!
――通り魔?
僕の疑問に答える人なんていない。
逃げなきゃ。
そう思った時、男はすでにチェーンソーを振りかぶっていた。
――避けるのは無理だ。
僕はそう判断してしまう。
このままだと、僕は数秒後にチェーンソーに頭をパカッと割られて死んでしまうだろう。
そうしたら明日の新聞に載るんだろう。
中央高校二年生男子、通り魔に襲われて死亡。
そして高校では全校集会が開かれるんだろう。
そしたら校長が言うのだ。
「えー、昨日、二年A組の山本陽介君が、チェーンソーで頭を割られて死にました」
そしたらそしたら、女子なんかはとりあえず泣いてみたりするんだろうし、僕の机には花瓶が――。
ダメだ。
ダメすぎる。
そんな死に方ダサすぎだ。
でも――もうダメだ。僕にあのチェーンソーを避ける術は無い。
だというのに、走馬燈とやらは一向に見えない。
どうなってるんだ? というか走馬燈って?
っていうかなんなんだよこれ!
くそっ! こんなことなら宮原に一万で……。いや、というか本当になんなんだ。どうして僕が襲われるんだ? 僕がいったい何をしたって言うんだよ。僕は何も悪いことなんてしてないじゃないか。死ぬべきヤツならもっと他に居るだろ? なんで僕なんだよ。
でももうダメだ。死ぬ。僕は死ぬ。あぁ……くそぉ……。
だけど、僕の頭を割るために迫ってきていたチェーンソーは、僕の頭上で、なにか硬い物に当たる音を鳴らし、その軌道を変えて僕の横の地面へと落ちていった。
そして木くずの様な物が僕へと降りかかってきた。
「な――」
なに? と言おうとして、僕の横に誰かが居るのに気づいた。
女の子だった。
闇の中に、白い色のフリフリがたっぷりつけられたメイド服を着て立っていた。そしてその手にはメイドさんにはとても合いそうにない木刀が握られていた。
どうやらその木刀で僕に迫るチェーンソーを受け止めてくれたらしい。
その女の子は木刀を構え、チェーンソー男を睨みつけていた。
チェーンソー男とメイド女がにらみ合う。
僕は混乱した。
――なんなんだこれは。どうやら僕の知らない間に、コンビニまでの道は人外魔境へと変貌してしまったようだった。
僕はどうしたらいいのかわからず、固まってしまう。
メイド女が僕へと一瞬だけ視線を向ける。
そして、静かに言った。
「逃げなさい。でないとあなた……死ぬわよ」