4.旅立ち
―――――デュランダル王国、王座の間。
「お母様。 本日、ユーリ、レンと共に旅立ちます」
「そうですか、よく決心してくれました。 ...まだ、レンの姿が見えませんね」
王妃から旅立ちを命じられた翌朝早くから、ルナとユーリは王座の間に挨拶に訪れていた。昨晩は旅立ちの不安を抱えてはいたものの、不思議と心は落ち着いており充分に睡眠もとれた。次にこの部屋で眠る日は、いつのことになるのだろうか、そんなことを考えながらルナは長く過ごし思い出の沢山詰まった自室を後にした。
「レンは、先に剣兵隊の皆に挨拶をしてくると言っておりましたが...」
そう答えるユーリは、明らかに苛立っている。真面目な性格の彼女は、時間を守らない行為が許せないのだ。
「...噂をすれば、ちょうどやってきましたね」
後ろを振り返ると、少ない手荷物と身の丈ほどある大剣を背負ったレンが、のろのろとした歩みでこちらへ近づいてくる。何か嬉しいことでもあったのだろうか、口元がにやけている。
「いや~すいませんね、部下たちが別れを惜しむもんだから...あいたっ!」
集合時間に遅刻したにも関わらず、言い訳をした上に全く謝罪の気持ちが見られない隣の男に、ユーリは鉄拳を繰り出した。時間が守れないと言っても大体皆許せる範囲内なのであるが、この男は常習的にルールを破る癖がある為ユーリは敢えて厳しく制裁を与えているのである。なので、ルナも王妃も咎めることはしない。
「ふふっ、全員揃いましたね。 第一の目的は救い主様をお助けすることです。 救い主様にお会いすれば、あなたたちがこれから何をすべきかきっと分かるでしょう」
旅の仲間たちは皆真剣な面持ちで深くうなずく。
「それとルナ、これを救い主様に渡してください」
そういうと、王妃は小さな紙切れを差し出した。紙には何か書かれているようだが、見たことのない文字が並べられ内容を読み解くことは出来なかった。ルナは紙切れを受け取ると、大事に懐へ仕舞い込んだ。
母と子のしばしの別れの時。
「気をつけて、いってらっしゃい」
自らと仲間の命を守り無事旅を終え、再びこの場所へ還ってくることが出来るのであろうか。旅を終えられたとしても国に戻る時まで母の体は持ちこたえられるのであろうか。この別れが、最期の別れにならぬと信じて。
「いってきます」
愛しい娘たちの姿が見えなくなっても、母は彼らを見守り続けた。
「神よ、この選ばれし者たちをお守り下さい。 私の心は、いつもあなたたちと共に...」
―――――デュランダル王国、城下町。
「救い主って、どこにいるんだろうなぁ」
いざ旅立ったルナたちであったが、行く当てもなくとりあえず王国の正門に向けて歩みを進めていた。
「わたしが聞いた話だと、だいぶ前にドルイド王国のお城にいるのを見た人がいるみたいよ」
「さっすが、オリヴィエ家は情報通だねぇ~」
「じゃあ、ドルイド王国に向かえばいいかしら?」
「でも”だいぶ前”の話ですから、今もそこにいるとは限らないですよ」
「「「......」」」
城を出てからの会話と言えば、全てこんな具合に平行線を辿るばかりだ。頼りになるのはユーリの知識かレンが部隊で培った土地勘のみという極めて少ない情報の中、なかなか目的地が定まらずとても国を出発出来る状態ではない。
救い主、「闇の扉」を守る神に選ばれし者。ユーリに教えてもらった神話の中の登場人物が現代にも存在するなどとは想像しがたいものがある。一体どのような風貌の人間なのだろうか、男なのか女なのかさえも分からない。そしてそんな得体の知れない人物をどうやって探し出せばいいのだろう。そんなことを考えながら歩いているうちに、ルナにある疑問が湧き上がった。
「ねぇ、ユーリ。 救い主様を見た人がいるって言ってたけど、その人は救い主様の顔を知っていたってこと?」
そんなことも知らなかったのですね、と言いたげなユーリの表情にルナはまたも羞恥心を覚えた。この数日、自分の無知さを嫌になる程思い知らされ、自分の発言に全く自信が持てなくなっている。
「いいえ、ルナ様。 救い主様は、誰が見ても”救い主様”であると分かるんですよ」
「どういうこと?」
救い主。
神に選ばれしその者、金色に光輝く髪と瞳をたずさえ古のイフリートの地より現れる。
その大いなる神力を持って影を打ち消し、光の世界を平穏に導くだろう。
「...救い主様のことをうたった伝承です。 世界には多数の民族が存在します。 でも金色の髪や瞳を持つ民族は、存在が確認されていないんですよ。 つまり、金色の髪と瞳を持った方は世界に一人だけ...だから誰でも一目で救い主様と分かるのです。 ルナ様のように、黒髪に紫の瞳を持つ方が王族だと一目で分かるのと同じですね。 あ、ご存知と思いますけど、私のように茶色の髪や瞳をしている王国出身者が世界人口の大半を占めているようです」
「へぇ、そうなのね! すごく不思議...」
ルナは自分の髪をくるくるといじりながら何かを考えている。その様子にユーリは思わずごくりとつばを飲み込んだ。
「その”神力”っていうのは、何なの? 神様の力ってことでしょう? その力はイフリートの民全員が持っているのかしら、それとも救い主様だけに与えられた特別な力? ...一体どんな力なのかしら?」
「出た出た、質問攻め!」
レンは呆れた顔で頭をかきむしった。
城の従者たちは皆口をそろえてこう言う、「王女様の剣と質問攻めには敵わない」と。ルナは持ち前の好奇心から次々と質問を繰り出す癖がある。王女の護衛官として常に行動を共にするユーリは、この質問攻めに備え自分の時間はほぼ勉強に費やしているという。彼女が非常に博識であるのもうなずける。
そんな知識豊富なユーリも、さすがにこの質問には顔をしかめしばらく考え込んでしまった。レンはそんな仲間を助ける気もないのか、この旅の為に持参した世界地図を広げそちらにばかり熱心に目を向けている。
「えーと...ごめんなさい、それは私にも分かり兼ねます。 ただ、救い主様はものすごく強大な力を持っていて、影と戦う姿はひどく冷たく恐ろしいと聞いたこともありますわ」
「冷たく、恐ろしい...」
その言葉に、ルナは絶句した。
初めての旅に内心不安でいっぱいなのだろう。彼女を支える護衛官である自身が、主の不安を増長させるような発言をしてしまったことにユーリはとても後悔した。
「ルナ様、でも私やレンが...」
「一体どんな方なのかしら! 救い主様、早くお会いしてみたいわ!!」
想定外の返答に、今度はルナに変わってユーリが絶句した。彼女の不安を余所に、ルナの”好奇心いっぱい”の心は期待で膨れ上がってしまったようだ。ユーリは眉間にしわをよせると額に手をやりガックリと項垂れた。
「...あれ、ユーリどうしたの?」
「い、いえ、ちょっと頭痛が」
もちろんルナは、自分の言動がいつも彼女の頭を悩ませていることに全く気付いてはいない。それどころか、大丈夫?などと彼女を心配をし始めている。危険なものにほど興味を引かれるという命知らずな性格を承知した上でこれまで護衛を務めて来たものの、これまでは城の中という極限られた範囲での危険であった。しかし世界へと歩み出した今、今後起こり得るだろう様々な出来事を想像するだけで頭が割れるように痛んだ。
「くくくっ、こりゃ先が思いやられるな」
レンは口元に手を当て必死に笑いを堪えている。
「王妃様...ルナ様は、このユーリが必ず御守り致します」
「え、何? どういうこと?」
「いいえ、なんでもありませんわ」
まるで何もなかったように、ユーリはニコニコと笑みを浮かべている。が、その口元は少しひきつっている。
「あははははは! ユーリがんばれ~♪ あははっははははは!」
一連のやり取りを静かに見守っていたレンは耐え切れず大声で笑い出した。
「......大変だー! 近くの森に、影の大群が発生したらしいぞー!」
突然、男の怒鳴るような声が響き渡った。その声に、和やかなムードを一転させたルナたちは一斉に走り始めた。
―――――デュランダル王国、城下町正門。
声の上がった方向へ向かうと、すでに多くの住民や兵士たちが集まり大きな騒ぎとなっていた。デュランダルは部隊壊滅事件発生以来、他王国と比べて人々の影に対する恐怖心が一際強くなっている。それ故大声で怒鳴ったり、泣きわめいたりと、その場にいる皆が混乱に陥っている。
「皆、落ち着きなさい! どなたか、詳しい話を教えてくださいますか?」
「姫様! ルナ様だ! 剣兵隊長様もいらっしゃるぞ!」
大騒ぎしていた民たちであったが、突然現れた王女らの姿を見るや否や、急に落ち着きを取り戻していった。そしてしばらくした後、その中の一人の男が一歩前へ進み出て状況を説明すると名乗り出た。どうやらこの男が先ほどの叫び声を挙げた者のようである。
「王女様、大変なことが起こったのです。 先程ドルイドに向かった商人らがこの近くの森を通りかかったところ、いつもに比べ妙に森の中が暗く気になったようでして。 その後あまりに気になったので森に引き返して近寄ってみたところ、なんと、それに...影の大群が発生していたらしいのです!」
「なんですって!?」
かつて神の力により世界が二つに分かれて以来、影はすっかりその姿を消したはずであった。しかし最近では街の外に影がうろついているのは日常茶飯事であり、見慣れている民も多い。今回のように一箇所に大量に発生するという事態は、剣兵隊長のレンですらこれまでに一度も聞いたことが無かった。
「お姫さん。 これはひょっとしたら、チャンスかもしれないぜ」
彼は緊迫した状況の中で、驚くべき考えを思いついていた。
「え? どういうこと?」
レンが不敵な笑みを浮かべている。このような事態でも笑顔を見せることが出来る彼に、ルナは少し驚いていた。これが、常に戦いの最前線にいる者の持つ余裕なのかと。
「救い主が現れるかもしれないってことだよ。 奴は影をやっつけるのが仕事なんだろ? どこにいるか分からないなら、探すより、向こうから”お越し頂く”方が楽だろ?」
ルナたちは顔を見合わせ大きく頷くと、影のいるという森へ向けて走り出した。