3.選ばれし者たち
「お母様、旅って...?」
これまで、ルナが城から一歩出るというだけで何十人もの兵士がぞろぞろとついて回った。ましてや国の外へ出るなんて。過去、国王である父に連れられ他王国へ数回行ったくらいしかない。
「ふふっ、ついさっきレンにも同じことを話したのだけど、同じような反応をしていましたよ」
予期せぬ言葉に明らかに動揺する娘の姿に、王妃は思わず笑みを浮かべた。
「救い主様ということは、まさか影が? ここ最近影の出現が増え、救い主らしき人物が各地に出没しているとは聞いておりましたが...」
動揺するルナとは反対に、冷静さを保っているユーリが発した言葉は、ルナの頭をさらに混乱させることとなった。毎日城に籠っているからという言い訳は通用するか分からないが、自分は世間知らずであるとの自覚はある。影の出現は以前より耳にしており、奴らへ対抗する為に今日まで剣の腕を磨いてきたと言っても過言ではない。そんなにも影の脅威が広がっているのだろうか。そして”救い主”とは一体何者なのだろうか。
「オリヴィエ家は、世界創世記に精通していましたね。 そうです、救い主が旅立つ時が来たのです...と、まずはルナのためにこの世界について少しお話ししましょうか」
その言葉に、隣でポカンとしているルナに気づいたユーリは慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません、ご存じなかったのですね! では、私からご説明しますわ」
ユーリに頭を下げられ、羞恥心が芽生えた。世界創世記など学校の歴史の授業で学んだ程度の知識しかなく、これまで深く追求しようとも思っていなかったのだ。
かつて、世界には光と影が混在していました。
光射すところに影あり、影は私たち人間やこの世界に存在する物質全てに対となるものとして存在しました。
己が主であり影は無である、 誰もがそう思っていました。
いつからか、影の中に意志を持つものが現れました。
そして意志を持った影たちは主であるはずの人間や物質から離れ、自らが主であると主張するようになりました。そしてついには、その主張を聞き入れない人間たちを襲い始めたのです。世界に人間と影の争いが巻き起こりました。
影たちを指揮していたと言われるのが「ノウェの民」。今ではその名前は忘れ去られ、”魔族”と呼ばれています。彼らは影を操り、この世界を支配しようと目論んでいたと言います。彼らは影によって人間や生物たちの体を乗っ取り自由に操ることで、「制裁」という名の世界征服を進めていきました。
この様子に、天地を創造した神は大変お怒りになりました。そして神はこの世界の”影”となるもう一つの世界をお創りになり、そこへ全ての影と魔族を閉じ込めました。
こうして世界は二つに分かれ、影の消え失せたこの世界は”光の世界”、光の無いもう一つの世界は”影の世界”と呼ばれるようになりました。
その後光の世界には、「イフリート」という民が現れました。
はるか昔、神がこの世界を創造し最初にお創りになった人間が彼らであり、それ故神に一番近い存在とされる民族であると言われています。
世界が二つに分かれ、光の世界に再び平穏が訪れました。しかし二つの世界が唯一接する場所である”闇の扉”は、いつ影が溢れ出してもおかしくはない非常に不安定な状態でした。そこで神は、この「闇の扉」を別空間として光の世界から切り離し、その空間を”狭間の世界”と名づけました。これにより、世界は三つに分かれることになったのです。
さらに神は、この新たに創造した狭間の世界の監視をする為、光の世界から四人の王をお選びになり、四つの王国を創りました。そしてそれぞれの国に軍事・魔法・魔石・医療の各研究機関を設け、いつ来るかもしれぬ影との戦いに備えるよう人間たちに指南しました。
最後に神は、四つの王国を監視する為、自らに仕えていた者たちを地上へと送りました。それがイフリートの民です。そしてその民の中から選ばれた「闇の扉」を監視する者により、光の世界は今日も影から守られているのです。
今までに読んだ多くの物語がどれもちっぽけなものに思えてくる。人間と影の争いの歴史、神の存在、世界の分裂。これは全て本当に起きたことなのであろうか。まるで神話の様な壮大な内容に、ルナは頭がぼうっとなるのを感じながらも少しは話が呑み込めた。
「もうお分かりですね? その”闇の扉を監視する者”が救い主様です」
「ちょっと待って!」
突然、ルナはその大きな紫の瞳を丸く見開いた。
「...そんなはるか昔のお話しに登場する方ってことは、救い主様はかなり御高齢の方よね? 私たちは、その方の護衛をするということですか?」
その言葉に、王妃もユーリも言葉を失った。しばらくの沈黙の後、そういう見解もありますか、とユーリは妙に納得した様子で何か考え事を始め、王妃はくすくすと小さく笑い始めた。
「え、そういうことじゃないの?」
彼女たちの様子からどうやら見当違いの発言をしてしまったことに気づき、ルナは少し俯くと頬を赤らめた。自分はやはり相当な世間知らずなのだろうか。
「うふふ、それは救い主様に会ってお確かめなさい。 ...さて」
王妃は一息つくと、それまでのやさしい母の表情から一転し、一国の王としての威厳ある表情で少女たちに向き直った。二人もその様子に気づくと、自然と背筋をピンと伸ばし王妃に向かい合った。
「ルナ、ユーリ。 あなたたちはこれまでこの国の為に、日々鍛錬に励み、その力を強く養ってきてくれましたね。 あなたたちの力を、この世界の為に役立てる時が来たのです」
世界の為。その言葉にルナは顔を強張らせた。
今日まで毎日、剣術の稽古に励んできた。それはいつか民たちをこの手で守る為であり、なにより母を守る為に。しかしそれは同時に、剣の力で一体何を守れるのかという自問自答を繰り返す日々でもあった。そしていつも辿り着く答えは同じ「何も守れない」であった。そんな何一つ守れない力を、世界の為に?一体自分はどうしたら良いというのだろうか。
「答えは、旅の先に待っていますよ」
(えっ!?)
まるで心の迷いを読み取られたかのように、母の言葉が胸に突き刺さった。これまで密かに抱え続けてきた葛藤に、気づいていたのだろうか。昔から母は何でもお見通しである。その透き通った瞳の奥には、この世界の未来すら見えているのかもしれない。
「...あなたも、一番大切なものをお探しなさい」
続けて発せられた言葉に、ユーリもその切れ長の眼を大きく見開いた。いつも冷静なはずの彼女の瞳が揺れている。
動揺する二人に、王妃はやさしい声で語りかけた。
「すべては、旅の先に待っています。 あなたたちは選ばれし者。 さあ、旅立ちの準備をなさい」
―――――デュランダル王国、ルナの部屋。
「失礼しまーす......って、おおおい! お二人さん、どうかしたのか!?」
ルナ王女の部屋を訪ねてきたレンが、また部屋の主の返事を待たず勝手に足を踏み込んだものの、室内に漂う重い空気に驚き思わず数歩後ずさりした。王女の部屋といえば、常に若い女の子二人の終わりのない会話が繰り広げられ、キャピキャピと楽しそうな笑い声が部屋の外にまで届くほどの明るく華やかな場所。レンの抱いていたそんなイメージは、一瞬にして崩れ去った。
「...」
「...」
ルナとユーリは無言のまま、もう何十分も座りつくしていた。部屋に男が勝手に入ってきたにも関わらず、全くそちらに気を払おうとしない。
「......旅に出るように言われたろ?」
「...そっか、レンも私たちと同じ話を聞いたのよね」
少しの沈黙の後、ユーリがやっとレンの方へ顔を向ける。一方のルナは神妙な面持ちのまま、壁に飾られた亡き父の肖像画をじっと見つめている。まるで、その絵に何か答えを求めているように。そして何か納得しないという表情のままゆっくりとレンの方へと視線を移すと、重い口を開いた。
「......ねぇレン、教えてほしいの。 剣は一体、何の役に立つの?」
この国に、剣の腕でレンの右に出る者はいない。剣兵隊長として常に戦いの最前線に立つ彼。それに対し、同じ剣を扱いながらもただ城で皆の帰りを待つだけの自分。自らの力を国のために発揮することの出来る彼を、心のどこかでいつもうらやましく思っていた。
「ごめんなさい、やっぱり何でもないわ」
返答を待たず、ルナは質問を取り下げた。剣に対し絶対的な自信と信頼をもっているであろう彼に、悲観的ともとれる言葉を投げかけてしまった自分自身に嫌気がさしたのだ。そんな彼女の心の内を知らないレンは、急に何を言い出したのかと少し心配そうな表情でルナの顔を覗き込んできた。
「お母様は、私の力を世界の為に役立てる時が来たって。 でも私の剣の力は、本当に役に立つのかしら...」
まるでひとり言のように、ルナはその心境を吐露した。
「......はぁ~、そうかそういうことね」
レンは彼女の言葉を聞き逃さなかった。そして腰に手をやり大きなため息をつくと、背中に携えた大きな剣を静かに引き抜きその刃を眺めた。部屋の灯りがその鏡面の様な刃に反射し、ルナの眼にキラリと光が突き刺さった。
「剣は大切な人を守ることが出来る。 今まで俺はこの剣で仲間と国民の命を守り、助け、少しはこの国の役に立ってきたつもりだ。 でもそれと引き換えに...相手を傷つけ、時には命を奪うこともあった」
「...っ!」
ルナは震える手を思わず握り締めた。
数々の戦場を乗り越えてきた剣士の眼が見つめる刃は、これまでどれほどの血や涙や影をその身にまとってきたのだろう。美しく輝きを放ちつつも鋭く冷たさを感じさせる剣に、ルナは初めて恐怖心を覚え思わず眼をそらした。
「でもお姫さん、忘れちゃいけない事がある」
レンは話を続けた。
「お姫さんの力は剣の力だけじゃないと、俺は思うよ。 大切なことは、自分の力で”何が出来るか”じゃなくて、”どうしたいか”...だろ?」
------ッ!!
パリンッと何かが音を立てて割れたような、暗い部屋の中で扉の隙間から零れる小さな光を見つけたような、ルナはそんな感覚に襲われた。レンの剣を再び見つめ直すと、その矛先から強く温かな希望の光が放たれていた。ふと隣からの視線を感じ振り向くと、ユーリがやさしい表情でこちらを見つめている。
「...ありがとう、レン、ユーリ」
ルナにいつもの笑顔が戻った。
「そうそう、ユーリも元気出してさっ!」
「うん、そうね!」
先ほどまでのどんよりと曇った空気を吹き飛ばすかのように、窓から明るい風が吹き込み始めた。まるで、ルナたちの旅立ちを後押ししているかのように。
「とりあえず、その"救い主様"とやらを探すか。 で、出発は?」
旅の仲間が、ルナに視線を寄せる。
「......明日、国を出ましょう!」