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現在/鹿児島/午後
志布志港に降りたあと、タクシーで実家に帰ったと伝えたところで中村が言った。
「タクシーだあ? 志布志からお前の実家までタクシーで帰ったのか? あそこからだと、確か二時間近くかかるよな?」
「一時間三十五分だ」
中村は指を折り曲げて、ひい、ふう、みい、と計算し始めた。
ったくなんだよそのアホの子みたいな数え方は、と内心で呆れていたら、
「つーことは金で言ったら21,050円か。よくそんな金あったなお前」
と十円単位まで正確に料金を当ててきた中村だったから、お前は歩くタクシーメーターか、とつい突っ込みそうになってしまったものの、なんだか悔しくて無表情を装ってしまうぼくだった。
「ちょっとしたタクシー券みたいのがあってな」ぼくは言った。
「なんだよそれ、見せてくれよ」
「お前がミロに手を出さないと誓うなら見せてやってもいい」
中村はさっきと同様ふいに頭上で両手を握り合わせると、伸びをし始めた。
「……おい中村、お前まさか、本気でミロを狙ってるつもりじゃないだろうな?」
嫌な予感がしてそうぼくが言うと、中村はこれもさっきと同様また身を乗り出して、これまでになく真剣な顔で言った。
「逆に尋ねるがなニジ、お前は本気でミロちゃんのことを心配して言ってんのか? それとも、ただネタにしてるだけか?」
「本気に決まってるだろうが」
中村は、なぜか腕時計を見た。
彼の時計はぼくの四角くて黒いノーマルタイプのGショックと違い、目に突き刺さるような原色が使用された派手過ぎる時計だったけれど、ガガミラノという決して安くはないブランドのものだった。
「んあーそれよかニジ、お前はもう帰った方がいいな」中村が言った。
「は? どうしてだよ」
「この街はな、お前にとって危険すぎんだよ」
なんだか円堂のような口を利く中村だったから、一瞬ボケているのかもと思ったが、心当たりがないこともなかったぼくは尋ねてみた。
「それってひょっとして、アイラのことか?」
と言うのも、例の魔王ルシファーが出現して以来、鹿児島から【疎開】する人間が万単位で現れていたからだ。
あとは鹿児島県内にある各自衛隊の基地ないし駐屯地に、同部隊の精鋭が続々と集結しているのもそうだった。
陸上自衛隊は、今ぼくたちがいる鹿児島市内から北西約40㎞の位置にある川内駐屯地と、北東約30㎞の位置にある国分駐屯地へ。
海上自衛隊は、南東約50㎞の位置にある鹿屋航空基地へ。
そして航空自衛隊は、西約100㎞の位置に浮かぶ離島内の下甑島分屯基地へという按配だ。
特に川内駐屯地と下甑島分屯基地には近くに原子力発電所があるということもあり、他よりも多くの隊員が集結しているとのことだ。
ちなみになぜぼくがこんなことを知っているのかと言うと、この数年間ぼくなりにアイラのことを色々と調べ、一体なぜ彼女はあそこまで巨大化してしまったのか、そしてその目的はなんなのかということをあらゆる角度から考え続けているうちに、鹿児島県の地理をあらかた覚え、情報をチェックするのが日常化しているためだ。
「アイラか。まあそれもあるけどな」と中村が言った。
「なんだよ【それも】って。他に何があるんだよ。地震のことか?」
「地震か。それもあるな」中村はまた腕時計を見た。
「とにかくニジ、お前は直ちに帰った方がいいとおれは思うな。その秘密のタクシー券とやらを使ってな」
「だからどうしてだよ」
と、ぼくが言い終えたすぐあとだった。
「……ニジ、兄?」
とよく聞き覚えのある声がしたから振り返ってみると、トレイを持ったミロがその場所に立っていた。