上野の美校
なし
古巣の立正音大は
大正15年創立
音楽学部と
音楽教育学部にわかれている
音楽学部は文字通り
演奏、声楽、鍵盤楽器、弦管打楽器、ジャズ
エトセトラと
楽器の道を究めるもの
先輩は
演奏者の道や
楽団員のほかにも各種教員
劇団四季や
ヤマハなどの企業に就職している
1学年の定員は280名
そして
音楽教育学部は
教員、幼児教育中心のカリキュラムとなっていて
こちらはすこしさがって
定員は130名
卒業時
「ええ、あの人が保育士」
と自分の容姿もさておいて
人をやっかみ。
保育士も
昨今はルックスなど
とらわれないで
なんでもありなんだなと
妙に納得した自分
しかしながら
今もってさえも
デブの保育士に負けている
落ちぶれている
自分
そんな私にも
夢はあった
究めるなら
本当は
「上野の美校」「上野の音楽学校」とよばれる
天下の名校
東京G大に行きたかった
個人レッスン中心の実技修練が
入学前からあり
運よく小さいころから
習ってたのだが
高校に入っての
レッスンで
これからのさらなるレベルの高さと
経済的負担の高さを
ひょんなことから知ってしまう
父さんは
何もいわなかったけど
親に経済的な負担を
かけたくなかったこともあって
わたしは引いてしまった
今思えば
「もしドラ」じゃないけど
あのままつづけていたら
どうなっていたやら
さてさて
なつかしい教室の机を
みながら
プリント帳合いをしていて
くだらない妄想に
後ろ髪引かれるようにとりつかれながらも
まだまだ寒い教室の
会場の暖房をつけて
平川先生が
わたしにメール添付でおくってきた
資料を机にあわててならべる
今日の参加者は20名
平川ゼミのゼミ生中心だが
就活部長の手引きで
周辺の活用女子大3名
そのうち、OGも1名
中心大1名(学生)の参加と
名簿にはある
きれいに、平川先生の
資料をそろえる。
古代ギリシャの芸術についてや
合唱曲、日本美術史についての資料がある
音楽専攻が多い中
あえて美術史を多く取り入れてくるのが
平川先生の教養の高さ
しかしいったい
私の現在
師に私はすこしでも
近づいているのだろうか
そういえば
平川先生の退官時
何のタイミングか
平川先生の
恩師が亡くなられ
通夜に参列
ご自宅の
書庫や倉庫の原書を前に
「もっと読みたかった」
と最期の言葉を
奥様からお聞きして
師の最期に
ひどく心をうたれていた
平川先生
そして退官され
大学をお辞めになって
あれから
幾年月
さらにもまして
あくなき探究心で
いっぱいな様子が
先生のレポートから
うかがえた
準備ができて
窓の外をながめていると
廊下に足音がして
参加者がやってきたよう
参加者でもありながら
受付もする
そして
主催者側でもある
いささか
自分にあわない
ところもあるが
大学で少し生きていくためには
しかたない
なし