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兵どもが夢の跡

遅れました

遅れた理由としては


1.年末年始が多忙に付き書く時間がなかった

2.文量が過去最大であり、相対的に執筆時間も伸びた

3.年末年始にネトゲのイベントラッシュで書いてる時間がなかった


お好きな理由を選択してください


不可能は不可能のまま!性別不明トリオ!

主人公

ご存知主人公、名前はまだない

性別不明トリオの唯一人語が離せる事から、トリオのリーダーに抜擢されたぞ!

人外にやたら好かれるという意味のない能力を駆使して日々を乗り切る!

名前が無いとか言いながら今回で呼び名が出る予定なのは内緒だ!


小次郎

ぬーんでお馴染みナメクジ猫

ひっくり返すとおっさんの顔が見えるけれど性別は不明だ!

ひょんなことから主人公に出会い、いつかは頭上に登ろうと企んでいる!

ぺっとりと吸着するその力は重力に勝るが、外力で簡単に外れてしまう


武蔵

わふわふと駆け寄ってくる犬蜘蛛

8本ある多脚により、どんな悪所でも楽々駆けることができる!

ただベットの上だけは苦手だ!

尻尾からは粘着質の糸が出て、気に入ったものがあると絡め取るぞ!

いつか主人公に巣を作るのが夢だ


 私は夢を見ている。

 いや、これは夢なのか。

 夢と言うものは現にはないからこそ夢なんじゃないのか?


「つ、つきあってくだひゃい!」


 向かい合っていた男女のうち、女の方が噛み噛みで告白していらっしゃる。そんな他人事ならば青春しているなぁ、という月並みな感想が抱ける光景も、その片割れが他でもない自分自身な事だからこれは笑えない。お辞儀はいいとしても、告白を噛んでしまったのはどうなのだろうか。

 突然言われた男の方もそう思ったのか、苦笑いで自身に向けられた旋毛を見つめている。女はその苦笑いをおどおどとした様子で見上げる。

 そして、そんなあったかもしれない未来を私は見つめている。それはもう二度と起きることは無い、ただの可能性の悪あがき。

 だからこそ彼女の告白に対しての答えは無く、二人とも時が止まったように沈黙を続ける。告白の結果がどちらに転ぶのか、それはその時にならないとわかないのだから。

 ところで、あの二人の片割れが『私』であるなら、今ここでその光景を見つめている『私』は一体誰なんだろう?考えてみたけれども答えは出そうにない。そもそも、答えを出しちゃいけないのかもしれない。

 けれど答えが無い、そんな疑問を解決するのもここでは簡単だ。ただ一言呟くだけでいい。


「だって…夢だもの」


 その瞬間に可能性は色を失って消え失せていき、開くはずのない男の口が開く。

 止まっていた時が動いた。


「わふわふ!わふ!」


 突如謎の言葉を発し始めた男に答えるように女の口も開く。


「ぬーーん」

「…」


 …訂正しよう。これはあったかもしれない可能性ではなく、絶対にないものだ!

 わふわふ、ぬーん、と意味の分からない意思の疎通を始めた二人を見て頭を抱えたくなる。けれども夢の中の私には抱えられる頭もなければ、抱えるための手もない。

 そうこうしている間にも「わふわふ」と「ぬーん」は収まることを知らずに、まるで二重奏(デュエット)の様に共鳴し始める。

 そしてその共鳴に応えるようにして世界にひびが入ったように崩壊し始める。別に未練も何もないし、早く壊れてしまえ、こんな世界。



□ □ □ □



「ぬーん」

「わふわふ」


 鈍い眠気から覚醒しようとした瞬間、この世の終わりなんじゃないかっていう声が聞こえてきた。そしてべとっと冷たい何かが私の顔を這いずりまわったかと思うと口と鼻を塞ぎ、息の根を止めようとしてくる。

 いくら眠いと言っても、さすがに永遠の眠りにつく気は無いので、顔面に張り付いている何かを剥がして布団の横に置いておく。

 もう夜なのか、月明かりが差し込む窓をぼーっと眺める。

 懐かしい夢を見た気がする。

 しかし何故今になって、起きることが無い未来を夢想するんだろうか。

 何だか異常に喉が渇いてる。いやに服がべたべたすると思ったら寝汗が酷い。

 夢に連鎖して、昔の回想を始めようとする思考を強引に断ち切っていると、私を窒息させようとした元凶がもそもそと膝の上に乗っかってきた。


「ぬーーーん」


 ナメクジ猫である小次郎は私の膝の上に乗ると、何かをねだる様に長く鳴く。相変わらず、聞くものを恐怖と不安に陥れそうな声である。

 意外と触り心地のいい猫らしき生命体の背中をサラサラと撫でると、小次郎はうにょーんと平べったくなっていく。相変わらず「猫らしさ」という概念に喧嘩を売っている奴だなぁと思いながらも、ぼーっと撫で続ける。


「わふ!」


 こんなに伸びて、一体内臓はどうなっているのか疑問に感じてくる小次郎を撫でていると、足元で何かが鳴いた。ついでに私の足に細い棒の様な物がテンプシーロールの如く連続でアタックをしてくる。絶え間なく私の足をさするそれは、正体がわからないのも相成って思わずベットの上へ足を上げてしまう

 さて…当面の危機が去ると、今度は私の足を高速でさすったものの正体を確かめたくなる。好奇心は猫をも殺すとはよく言ったものだけれど、私の膝の上に居るのは『猫』ではなく『猫らしき何か』だから特に問題は無いだろう。

 それに地面へと足を付けることが出来なければ、私はベットの上で衣食住をこなさなければならず、その内『衣』と『住』はなんとかなっても食がどうにもならない。最も大切な部分が抜け落ちた生活で待つのは緩やかな餓死だけだ。

 という事で、慎重にベットの上から私の足をさすりまくった何かを確認してみる。

 どうやら私の足をさすっていたのはわんこらしい。それくらいは一目でわかる。けれど、何か違和感を感じる。


「…」


 目があった。


「わふ!」

「…」


 私の視覚が犬の身体から足が八本生えているということを認知した辺りで、一度安全地帯(ベット)へと帰還する。

 何だアレは。

 今見た光景について深く考察しようとしたら「ぬーん」と膝の上で何かが鳴いた。

 …何だコレは。

 無脚の猫を見た瞬間、ベット下に居る多脚犬が私の部屋へと住み着いた時の事を思い出してしまった。…出来れば思い出したくはなかった。

 しかし方や無脚で方や8本足。いっそ足して2で割ればちょうどよくなるのに、どうして神様と言うのはこう極端なのだろうか?



□ □ □ □



 あれは私が人生で一番高いところから飛び降りた事件、通称『クラゲさん事件』から3日ほど立った日の事である。あんなことがあったというのに、ナオさんの記憶は錆びつくことが無く「そういえばあのわんこはどうしました?」と聞いてきた。

 当の私はあんなことがあった後なので記憶が錆びついており、あのわんこと言われてもどのわんこか一瞬で思い出すことが出来なかった。こんな一度見たら絶対に忘れないだろう造形の存在を忘れてしまうとは、一生の不覚…!

 とは感じなかったが、連鎖的にアレを飼わねばならない事を思い出して軽く鬱になったことは覚えている。

 だが、その時の私にはまだ希望があった。

 犬蜘蛛(あのわんこ)を飼うに当たって絶対に乗り越えなければならない壁。即ち同居猫もどきである小次郎の存在である。

 もしもナメクジ猫である小次郎と犬蜘蛛である武蔵との相性が悪かった場合。これはどう考えても同居させるわけには行かない。私の部屋はラブ&ピースを掲げており、戦いの火種は出来うる限り回避する。

 そういう事を思い出すと、私がまるで武蔵が飼いたく無かったかのように思えるかもしれない。だがよく考えてほしい。寝起きで頭が動かないとか言っている場合じゃないぞ、マイ頭脳(ブレイン)

 普通の犬ならまだしも、足が八本あって尻尾から糸が出てくるUMAみたいな犬を誰が飼いたいものか。もしもそんな奇特な人が居たらそれは愛玩動物(ペット)としてではなく、研究対象以外の何物でもないだろう。私は彼の者たちを研究しようにも彼の者がオスなのかメスなのかもわからない。

 「オスメスの判断なんぞ、実際にひっくり返してみて、ジョニーなり何なりがあるかどうかを確認すればいい」と言うのは容易だ。しかし問題は言うほど簡単ではない。犬蜘蛛は私が抱えるとすごい勢いで足をばたつかせ始めるのだ。それは当人はじゃれているつもりなのかもしれないが、8本と言う足から繰り出される犬キックやら何やらは私の視界に強烈な打撃を与えるだろう。カサカサカサカサという幻聴すら聞こえるかもしれない。そもそも歩くさまでさえ気持ち悪いのに、誰が好き好んで捕獲し観察せねばならないのか。

 それにしても、一体何をどうやったらあの足の数であんなに滑らかかつ高速に移動できるのだろうか。疑問は泉の如くふつふつと湧き出てくるが、その泉が飲めるものとは限らない。触らぬ神には祟りなしである。

 つまり私は飼いたくなかった。よって武蔵と小次郎の相性がかの有名な剣豪の如く悪いことを祈るばかりである。

 そう祈りながら、私は相性チェックという名目で小次郎(ナメクジネコ)武蔵(イヌグモ)を対面させた。もしもちょっとでも小次郎、または武蔵が拒絶する様ならばソレを理由にどちらかを誰かに押し付けようという算段だ。

 会合は武蔵がよく目撃される裏庭で行われた。

 ぽかぽか陽気の中、まるで巌流島でにらみ合う二人の剣豪の様に見つめあう二匹。

 小次郎が「ぬーん」と鳴けば、武蔵が「わふ!」と応える。それはまるで戦いの前に行う声明の様で、大変のどかな空気が流れる。

 暫くの間、ぬーんとわふわふの応酬が繰り広げられた後、小次郎がのっそりと動き始めた。一体今のやり取りで何の対話があったのか。はたから見ていた私にはまるで意味不明である。

 かくして小次郎は動いた。存在しない足を全身全霊で動かし、かの武蔵へと肉薄するべく前進する。しかし、いささか速度が遅い。いや、遅すぎる。

 どういうわけか、その時はまるで本物のナメクジにでもなったかのような低速で、じりじりと距離を詰める小次郎。餌と私の足に飛びつく普段の速度からは想像もできない速度である。

 しかしあまりにゆっくりと動かれると私が困る。私が欲しいのは結果であり、手に汗握る駆け引きの様なじりじりとした仮定はどうでもいいのだ。

 故に実力行使に出てみた。

 せめて距離が近ければそれだけ時間も縮まるだろうと、アリンコが走るよりも遅い小次郎を抱えると、武蔵の下へ…。


「ぬーん!ぬーん!」

「わふわふ!わふ!」

「…」


 移動させようとしたら二匹から酷く抗議された。

 それだけならまだしも、武蔵は尻尾から糸の様な物を飛ばして私を狙ってくるし、小次郎はスライムの様な身体を活かして伸びて地面へと帰還しようとする。このまま限界まで伸びきられ、挙句の果てにプッツンとされると夢にまで出てきそうなトラウマが生まれそうなので、大人しく地面へと置いた。

 そして小次郎は律儀なのか、何なのか、わざわざ最初の地点まで移動してからナメクジ移動を開始する。何故戻るときは早いのか。そもそもその移動法に意味はないだろ。等と大量の疑問は生まれたが、その疑問を発して私が得るものは空しさだけである。しかも下手をすれば再び仕切り直しになる可能性もあり、私はただ固唾を呑んで二匹が肉薄するのを待つしかなかった。

 そして時は過ぎ、お昼頃から始めたはずの会合は夕方となり、お日様も「もう付き合いきれないっす…」と言いたげに沈んだ。私も「もう勝手にしてほしいっす…」と言って部屋に戻りたい衝動に猛烈に駆られた。

 しかしこの二匹を放っておくのは危険である。万が一にも基地内をうろつかれると、飼い主である私の責任問題にされかねない。別に取る責任は無いのだけれど、合成獣(キメラ)の如き二匹を野放しにするのは危険だ。

 お日様が沈み、お月様の出番が始まると、ようやく小次郎は半日にも渡る長い移動に終止符を打った。

 それは長い…とても長い移動だった。

 ほんの数メートルの距離が、これほどまで長いと感じたのは初めてである。そしてほんの数メートルのために、半日もの時間を無駄にしたのも初めてである。

 かくして二匹は出会った。

 眼前に迫ってきた小次郎を武蔵は「わふ!」と出迎え、ぺろぺろとその背中を舐めはじめる。対する小次郎も「ぬーん」と応えて武蔵の首のあたりを舐め返す。


「なんて…」


 私はそんな二匹を見つめて、思わず涙を流すところだった。だが泣くものか。泣くんじゃない!と自身を叱責して涙をこらえる。


「なんて無駄な一日だったんだ…」


 崩れ落ちる私の下に、運命の出会いを果たした二匹が仲良く近寄ってくる。そんなに二匹に対して、何もいう気力が出ない。

 お前ら相性抜群じゃないか…それじゃこの数時間は一体何だったんだよ。

 以上の事から武蔵は私の部屋へと居ついた。

 そして今でも二匹仲良く、私の安眠妨害をしてくれている。



□ □ □ □



 私の身体にふさふさしたものが擦られてきて、回想から帰還した。見てみれば武蔵がベットの上によじ登って、私の膝に足を掛けている。


「わふ!」

「こら、登ってきちゃダメでしょう」


 「何で自分だけ」とでも言いたそうにしている武蔵を抱えると地面に置く。ついでにナメクジ猫も地面へと置くが、こちらはもそもそと私の足をよじ登ろうとしてくる。はて、こいつらこんなに私に懐いていたっけ?

 疑問に思ったけれども身に覚えがない。大抵小次郎は窓際でのんびり日向ぼっこをしてるか、壁に張り付いているか、月光浴をしている。そして武蔵はたまに散歩に連れて行く時以外は小次郎と遊んでいるから私が構うことが無い。

 もしかして恩返し的な何かか?とも考えた。所謂、私も忘れた過去に大切に飼っていたなり、行き倒れたなりした猫あるいは犬が奇妙な生物になって恩返しに来たという可能性である。

 しかし考えるまでもなく、恩返し的な事をされた記憶は皆無。してくることは私の身体を必死によじ登るか、私の足に糸を飛ばして巣を作ろうとしてくる程度である。もしもそれが彼らの言うところの恩返しならば、有難迷惑と言うレベルではない。丁重にお断りします。

 もしかすると彼らを地球外生命体だと考えるからダメなのではないだろうか。もっと身近な、そうわんことかにゃんことかの尺度で考えてみれば、突然私に摺り寄って来る奇怪な行動にも説明がつくのではないか。

 わんこといえば尻尾ぶんぶんである。現に私が通っていた大学で『神の犬』と呼ばれていたわんこは、誰彼構わず尻尾を振っておやつをゲットしていた。実に世渡り上手である。

 早速武蔵を見てみれば、なるほど確かに尻尾を振っている。だが尻尾を振っているという事実を把握したところで、現状を説明付ける事は名探偵ですらできないだろう。どう考えても推理するための材料が足りていない。そもそも、迷探偵ですら無い私に出来るはずが無い。

 それでも長い間共に暮らしている関係ならば察することが出来るかもしれないが、些か日数が浅すぎる。まだ共に暮らし始めて1週間と経っていないのだ。

 そんな浅漬けの様なさっぱりした関係では、行動の節々から真意を読み取ることはできないだろう。今度ボールでも投げてみようか。

 ならばにゃんこはどうだろう。にゃんこといえば自由気ままにツンツンしてると思いきや突然甘えてきたりする、もしも猫ではなく人間が行ったら確実に殴りたくなる行動が特徴だろう

 確かに小次郎は自由気ままである。朝は窓際で日向ぼっこをし、昼は窓際で日向ぼっこをし、夕方は窓際で日向ぼっこをする。そして夜になると月明かりを浴びて月光浴をする。そんなに光ばかり浴びて光合成でもしているのか。苔が生えても知らないぞ。

 そして眠くなるのか、私が寝ようとすると知らない間に我がベットを占有して眠りについているのである。自由気まますぎて暇を持て余した老人みたいともいえよう。一応猫じゃらしにはきちんと反応するが、じゃれるべく手足が無いのでただひたすら伸びる。ゆっくりかつ確実に獲物(ねこじゃらし)へと伸びていく様は、初めて見るものに恐怖を覚えさせるだろう。

 他にも寒くなると暖を求めて摺り寄って来るらしいが、彼らはふさふさの毛で包まれているから考慮に値しないだろう。むしろ寒いのは寝汗でパジャマが冷たくなり始めているいる私の方である。

 あとは…食事か?

 いつも餌を入れている容器を眺めてみれば、そこにあるはずの物が1個もない。なるほど、行動の原因はアレか。とりあえず身に覚えのない恩返しじゃなかった様で一安心する。

 早速起き上がると、正式名を知らないカリカリを器に注ぐ。すると2匹は身を翻して餌に直進した。私もこいつらを見習って、いつまでもベットの上で夢現の境目を行き来しているわけには行かないだろう。

 とりあえずパジャマがベタベタして気持ち悪い。小型冷蔵庫を開けるついでに前のボタンも全開にすると、水を一気に飲み干した。人様には見せれない様な格好だけど、居るのは人じゃないから気にしない。

 目覚めるどころか、心臓麻痺で永遠の眠りに着くのではないかと思うほどの冷水を顔にぶっかけて鏡を見ると、生まれてからずっと一緒の顔と目があった。

 しかし随分髪が伸びたな、最後に切ったのは何時だったか。

 肩辺りまで伸びている自分の黒髪を抓みながら、最後に散髪したのは何時だけっと無味な過去へと思いを寄せる。

 ところで、水を飲み干してしまったら何で薬を飲めばいいんだ。

 まぁ、水くらいなくても飲めるだろう。

 気楽に考えると、数錠手に取ると一気に呷る。


「ごふっ!」


 呷った拍子に過去から繋がった夢の形が私へと直撃して、大きくむせ込む。そして一瞬の躊躇の後に洗面台へと手を掛けると、吐いた。

 胃の中には水しか無いからか、飲み込んだばかりの錠剤以外は水っぽい胃液しか出ない。それでも私の中の何かを外へと出すかのように身体は脈動を続け、呼吸が出来ずに視界が涙で歪む。

 落ち着くためにも酸っぱい味がする息をゆっくりと吐きながら、洗面台で自分の胃液を流していると、鏡越しにアイツが見えた。


「何で…ここに…」


 鏡に手を当てて呟くと、私と同じ顔をしたそいつは私を見つめ返してくる。部屋の中に何かが咀嚼される音と、洗面台から流れる水の音だけが響く。

 その虚ろな目があった瞬間、とっさに目の前にあった薬瓶を握りしめると振り向きながら投げつけた。ガラス製のそれは何もない空間を通り過ぎ、カランと空しい音を響かせる。

 振り向いても、そこには誰もいない。

 なのに、誰かの荒い息が聞こえる。

 呼吸がうまくできない。

 身体は溺れているかの様に酸素を求めるのに、苦しさは収まるどころか激しくなっていく。再び吐き気がして洗面台へと顔をうずめたのに、出てくるのはこひゅーこひゅーという音だけで何も出てこない。

 私を楽にさせてくれない。

 ふわふわとしてきた思考の中で鏡を見ると、アイツが笑っているのが見えた。同じ様に虚ろな瞳をしている鏡の中の私が口を開く直前、部屋のドアが勢いよく開いた。


「もう日も沈んだってのにまだ寝てるのかー?私は冬眠にはまだ早いと思う…ぞ?」

「…アリス?」


 突入してきたアリスはなぜか私の顔を見つめると、ぽかんとしている。暫く呆けていたけれど、鋭く部屋の中を見渡すと近づいてきた。

 見ら…れた…?

 いや…けど…。


「何があった?」

「何がって、別に何も」


 一応ごまかしてみる。


「何もない奴が泣いてたりしないだろ!」

「へ?」


 アリスは怒ったように声を張り上げると私の手を取る。どうやら見られたわけではなく、何か勘違いをしているご様子。それはそれでいいのだけれど、どう勘違いされているのかがわからないからどうしようもない。

 対応に困って鏡を見ると、どうしてか私の目から涙が流れていた。


「あ…れ…?」

「…もしかして気づいてなかったのか?」

「今気づいた…」

「もしかして…」

「どったんばったんとなーにをしているん…」


 アリスが何かを言おうとした瞬間、間が悪いことにナオさんが現れた。そして先ほど入ってきたアリスと同じ様に驚いた様に目を丸くして、私たちを交互に見つめる。先ほどと大きく違うのは、ここには私一人ではなく、アリスという他人が居ることくらいか。


「…」

「…」

「…」


 沈黙の天使が通行している猶予の間に、現状をまとめなければならないだろう。

 まずアリスの手は私の手首を握りしめている。これだけならば…まぁ、まだ何とかなるといえるだろう。問題はそこではない。問題は私の状態にある。

 どうせ誰も見ないのだからと言う理由でパジャマのボタンは全開、気づけば誰も見てないどころか皆さん見ている。これでは誤解を招きかねない。しかも止めと言わんばかりに、私の目からは涙が流れて絶賛眼球の洗浄中である。

 つまるところ、現状を突然現れた第三者が見た場合、誤解される要素は満載と言えるだろう。どう誤解されるのか、ということはアリスの名誉のためにも伏せておく。

 案の定ナオさんは寸分の違いなく誤解をしていらっしゃる様子で、見る見る顔が笑顔になっていく。しかし目が笑ってない。まるで仮面の様である。本気でこわい。

 怒りの矛先を向けられていない私でさえ旋律をしているのだから、向けられている本人の恐怖は饒舌に尽くし難いだろう。


「ま、待てナオ!は、話を…!」

「はい、じっくり肉体言語(おはなし)しましょうねー」


 ニコニコとしたまま、ドアを閉めるナオさん。廊下から射し込んできていた明かりが遮断されて、部屋の中が真っ暗になる。それと同時に私の髪が風を感じ、打撃音とアリスの悲鳴、そして弁明の声が聞こえてくる。

 アリス…生きろよ。

 暗くて誰も見ないのをいいことに着替えつつ、アリスが動ける状態でいられる間にナオさんが聞く耳を持つことを祈ってみる。



□ □ □ □



「ナオはもっと人の話を聞いた方がいい」

「ごめんなさい…」

「全くこうやって食事ができるからいいものを」

「だからプリンは上げたじゃないですかー」


 顔にガーゼを貼ったアリスがぷんすか怒ると、ナオさんは耳をぺたんとして謝る。大好きなプリンがアリスの皿へと献上されていることも、彼女が落ち込んでいる理由の一端を担っているのだろう。

 だが骨の髄まで貪るかの如く、アリスは言葉巧みにその罪悪感に付け込んで、ナオさんの料理を更地にしていく。

 成す術無く失われていく料理を眺めながら、きゅるるーっとナオさんのお腹が鳴った。

 そんな血も涙もないやり取りは長くなりそうなので、食堂のおば…お姉さんの謎について思いを寄せてみる。

 まず食堂の名物として、A~Cに至る定食と特別なSセットというものがある。これは食堂のお…姉さんがその時の気分によって内容が変わり、ある種のギャンブル要素となっている。もちろん普通のメニューもきちんとある。

 A定食は食堂のおば…お姉さんの気分と、注文者の体調によって決められる。その料理が注文された瞬間、彼女はその鋭い洞察力で注文者の体調を見抜き、目にも止まらぬ速さで食材を調理、あっという間に料理が出来上がる。その別名をオート定食と言う。

 B定食は「A定食じゃ物足りないからもう少しボリュームが欲しい」という我儘のために開発された。これもまた注文者の身体に無理のない量で作られる。これは主にボリューム定食と呼ばれる。

 C定食は注文者の体調だけではなく、人間関係まで考慮に入れた定食であり、私が食堂のおば…お姉さんが人間なのか疑う原因の一端を担っている定食である。

 たとえば好きな人に「あーん」をしたがっている恋する乙女が居たとしよう。その際に寸分たがわぬ料理を提供してしまってはきっかけも何もない。そういうことはバカップルがすることであり、まだお付き合いをしていない健全な男女がするのは些かハードルが高い。そこでCセットを頼むと、どこから聞き入れたのかおば…お姉さんは想い人の好みの料理を作成、砂糖でも溢れるんじゃないかと言うきっかけ作りの手伝いをする。恐ろしいのは注文者が何も言わなくても勝手に願いを読み取り、調理するのである。もしかすると読心術の使い手なのかもしれない。

 私は幾度となくこの驚異の手腕を盗もうと努力しているが、一向に盗める気がしない。そもそも、相手の願いを読み取ってすかさず叶える事は人間のできる所業なのだろうか。そういうのはどちらかと言うと妖怪等の人外の類ではないのか。

 最後にSセットがある。Sセットとは幻と言われているが、普通にメニュー表に載っている。ならば何が幻なのかと言うと、誰一人として注文をしたものが居ないのだ。風の噂によると、その昔…屈強な男が度胸試しとしてSセットを注文した際、次の日から1週間ほど部屋から出てこなくなったそうだ。出て来た男が言うには「Sセットには絶対に手を出すな」という一言であったそうな。伝え聞く話では注文した翌日に食堂のおば…お姉さん(独身)が部屋へと押し入り、あれやこれやとしてくれるらしい。何をしてくれるのか、なぜ出てこなくなったのか、謎は深まるばかりである。そもそも、食堂のメニューの1つが度胸試しとして使われるのはどうなのだろうか。

 そんなくだらないことを考えている間に、ナオさんのお皿は見るも無残な更地となっていた。対照的にアリスのお皿はてんこ盛りになっている。見ているだけで胸焼けが起きそうだ。


「ところで婆さんや」

「何だいアリスさんや」


 涙目で自身の皿を見つめているナオさんとは対照的に、笑顔なアリスが私に語りかけてきた。私は婆さんって歳じゃない、と弁明するのは面倒だから行わない。


「何であんなに寝てたんだい?」

「さぁ、疲れてたんじゃないの」

「ほぅ…」


 適当に答えたあと、これまた適当に選んだカルポナーラを口に入れる。食欲が皆無の所にねっとりとした味が口いっぱいに広がって、思わず吐き出しそうになった。水で口の中を湿らせて何とか回避する。


「それで爺さんや」

「なんだいアリスさんや。というかその呼び名だと私の性別はどっちになるんだい?」

「そこだよ!」


 ビシィっと私を指してきたので、ナオさんの方へと向けた。残り少ないお肉を大事そうに食べていたナオさんは、きょとんとした様子で自身を指す指を見つめている。そして何を考えたのか、自分の人差し指とアリスの人差し指をくっつける。


「…で、何がそこなん?」

「うむ、実のところ君は男か女か、どっちなんだ?」

「ナオさん私の分食べますか?」

「え、いいんですか!?」


 いいんですか?と言いながら既に視線は私の料理に向けられていて、食べたいという事実を全身で表わしている。ついでにツンツンも続けている。


「いいですよ、今食欲が無いので」

「もう…きちんと食べないとだめですよ」

「おい、無視するな」

「アリス…食べ過ぎておかしくなったの?私の代わりに診察受ける?」

「私はおかしくなってない!」

「素で言ってるなら眼の病気か」

「視力は極めて正常だ。そもそも私だけじゃなくて皆そう思っている」

「はぁ…」


 真面目な顔して何を言うのだろうか、こいつは。私の性別がわからないとか、またまたご冗談を。


「…」

「…」

「…」


 試しに黙ってみると、ざわついていた食堂内が驚くほど静かになっていることに気づいた。カルボナーラを食べているナオさんも、一言一句聞き逃すまいと言わんばかりに耳がこちらを向いている。

 静かに辺りを見渡すと何人かと目があった。けれどもその全てが気まずそうに目を逸らすと、ぎこちなく世間話を始める。


「…本気で?」

「本気で」


 思わず頭を抱えたくなった。この基地には節穴しかいないのだろうか。それとも、私はそんなに中性的な見た目だったのだろうか。深く考えることは止めることにしよう。


「まぁ…思っている通りの方でいいんでない?」


 自分の口から「私は○○です」とか言うのは非常に馬鹿らしいので、判断を丸投げする。別に男と思われていても、女と思われていても大した問題はあるまい。


「そ、そうか」


 アリスのその一言でこの話題は終わったのか、食堂内が再び喧噪を取り戻す。そのあとはいつもの様に世間話等のどうでもいい話が続いて、食事の時間は終わった。いつもの流れなら、このままアリスの部屋なりナオさんの部屋なり私の部屋なり、もしくは誰かに誘われるなりして食後のお茶会なり飲み会なりをするのだが、生憎私には予定がある。

 気は乗らないものの、そそくさと片づけると立ち上がる。


「ちょっと診察行ってきますね」

「診察…ですか?」

「どこか悪いのか?」

「んや、定期健診みたいな感じ」

「ふむ…」


 二人の反応が少し気になったけれど、いつまでもここにいるわけには行かない。


「そういえばアイツの担当って誰なんだ?」


 まだここに居るらしい二人を置いて席を立つと、後ろからアリスがナオさんに質問をしている声が聞こえてきた。



□ □ □ □



 診察に行くとはいったけれども、別に私は身体のどこかがおかしいわけでも何でもない。ましてや、記憶喪失なんてものは周りが勝手に勘違いしただけで決してないのである。どんな名医でも無いものを治すことはできないのだ。

 つまるところ、医者に掛かる必要が無い。よって私の担当は医者ではない。

 我が担当である女性は白衣ではなく和服を着ていて、その上からは赤いコート。腰のあたりで結んだ長い銀色の髪の上にはお祭りでもないのに狐のお面が乗っかっている。この格好を見て、彼女が医者だと見抜ける人は一切存在しないだろう。実際、彼女は医者出来なく、人形師と名乗った。

 人形師と言うと人形を作成ないし操るのかと思いきや、そんな様子は全くない。そもそも人形を操ったり作るどころか、人形とともに居る所すら見たことが無い。そんなよくわからない我が担当の名前は夜空(ヨゾラ)さんという。ちなみに自己紹介をした数秒後に偽名だとカミングアウトをされた。

 本名は知らない。

 別に知らなくても問題は無いと思っている。

 ノックを3回すると部屋の中へとドアを開ける。彼女に対して律儀に返事を期待していては、何時まで経っても入ることは出来ないだろう。


「んー?」


 上へと開くロマンあふれるドアをくぐると、ちょうど紅茶を入れていた夜空さんの声が聞こえた。


「こんばんわ、いつものに来ました」

「ああ、いつものね。紅茶でいい?」


 夜空さんは私の返事も聞かずにカップに紅茶を注ぐと、ミルク味の飴と一緒に出す。そして自分の分の飴を口に含むと紅茶を一口飲んだ。

 普通紅茶と一緒に出てくるものと言ったら砂糖やレモン、牛乳なんかだと思うのだが、彼女は砂糖や牛乳等と言った物を一切出さない。その代わりと言わんばかりに飴が出て来る。どうやら飴と共に飲むらしい。

 いつみても不思議な飲み方だと思う。そして思い起こせば、彼女はいつも飴を舐めている気がする。実は怪しい薬だったりするのだろうか。


「で、今日は何しに来たの?」

「一応定期健診に」

「ああ、一応定期健診ね」


 納得したのか無造作に温度計を取り出すと、私に渡してきた。別に私の体温を測ったから何が解るという訳でもない。この行為は既に形骸化された検診の一端である。決まりきった手順や儀式的な物に近い。


「最近はよく眠れてる?」

「ええ、まぁ…寝すぎる程には」

「そう、それは何より」


 そう言って笑うとまた紅茶を一口飲んだ。釣られるようにして、私も目の前で湯気を立てているソレを飲む。口に広がる香りと程よい暖かさが私を安心させてくれる。


「で、今日は何しに来たの?」


 私がカップを置くと、笑いかける様にして夜空さんが再び口を開いた。風もないのに、彼女の髪がさらりと動く。

 チリン、と何かが鳴る音がした。


「一つ相談事がありまして」

「ほぅ、それは現の話?夢の話?」

「夢の方です」

「そう」


 彼女はそれだけ答えると、私が口を開くのを待つようにして窓へと視線を投げかけた。外から注いでくる月明かりが、棚の上に置かれているガラスの置物をきらきらと光らせているのが見える。

 そんな幻想的な光景を眺めていると、ここは現実ではなく、夢の中なのではないかと感じることがある。いつまでも止まったまま動かない時間の中、私たちはここに居る。


「夜空さん」

「んー?」


 だから私は口を開いた。何も言わずにいると、本当に夢の住人になってしまいそうだから。


「夢で未来を見る事ってありますか?」

「そうね…」


 私が口を開くと、夜空さんが止まっていた時間を動かし始める。夢を夢のままで終わらせない様に。

 だから、私は彼女の下へと足を運ぶ。



□ □ □ □



 形だけの診察も終わると、ナメクジ猫と犬蜘蛛を連れてトコトコ歩く。ぬーんわふわふと言った感じにトコトコ歩いていると、目の前から見たことある子が歩いてくるのが見えた。水色の髪をしたその子は私に気づくとトテテテテって走り寄って来て、そのまま勢いよく抱き付いてくる。


「…思い出した?」


 衝撃を受け止めるためにくるりと回転すると、腕の中でクラゲさんが首をかしげて聞いてきた。そもそも何を思い出すのか見当もつかないので「いや全く」と返すと「…そう」とだけ言って私から離れて、私の抱えるナメクジ猫を熱心に見つめた。抱きたいのかと思って差し出してみると、ぺこりとお辞儀をして小次郎を抱きかかえた。


「暖かい…」

「ぬーん」


 よくわからないけれども、双方ご満喫の様だから邪魔したらいけないだろう。

 いや待て、この子がココにいるという事は…。

 ふと気が付いてクラゲさんが走ってきた方へと視線を投げかければ、金髪とフードの人が見えた。


「出たな勇者ご一行!貴様は家に帰ったんじゃなかったのか!」

「残念だったなぁ、トリックだよ!」

「なん…だと…」

「何はともあれ、また会ったなぁ!」

「おうよ!」


 出会いがしらの馬鹿騒ぎを終えると、パチンとハイタッチをする。その際にフードさん(仮名)が「阿呆ばかり」とか呟いていたのが聞こえてきたけれど、事実なので気にしない。


「で、何でここにいるん?」

「教え子の成長と「それ前に聞いた」あ、そう?」

「本音で語り合おうぞ!我が友よ!」

「勿論だとも!我が友よ!」


 意味もなく盛り上げると熱い握手を交わし合う。その際に犬蜘蛛とわふわふ遊んでいたフードさん(仮名)が「馬鹿ばかり」と呟いていたけれども、気にしたらいけない。


「で、何しに来たん?」

「勿論遊びに!」

「ああ、そう」


 大変いい笑顔で答えられた。


「勇者ってのも意外と暇なのよ」

「いや、今って一応人類の危機じゃないの?世界救えよ」

「ふっ…まだ我が動くには早いのだよ。人類が完全敗北したら本気出す」

「…そういうものなの?」

「そういうものなの」


 それって色々と手遅れだと思うのだが、仮にも人としていいのだろうか。まぁ、私が気にするところではないだろう。


「ところでアリスとナオ見なかった?」

「んや、見てない」

「そう、歓迎パーティがあるから見かけたら来いって言っといて。それと君も来る?」

「一応聞くけど、誰の歓迎パーティ?」

「勿論私の!」

「…ものすごく興味が無いんだけど、開催者は誰?」

「勿論私に決まってるじゃない!」

「丁重にお断りします」

「釣れないなー。まぁ、気が向いたらおいで、足腰立たなくしてあげよう」


 勇者は軽快に笑うと、私とは逆の方へと歩いて行った。クラゲさんとフードさんが名残惜しそうにその後を追う。そして遊びたりない二匹が私に襲い掛かる。流れるような負の連鎖である。

 わふわふぬーん、と絡みついてくる二匹を捌きながらお風呂を目指していると、今度は金髪と猫耳の人たちが見えてきた。新たな遊び相手の存在に異形の二匹が反応する。しかし噂をすれば影とはよく言ったものだ。


「お、診察は終わったのか?」

「うんまぁ…そういえば勇者が呼んでたよ。何でも足腰立たなくするとか」

「アイツ来てるのか…」

「隊長…ご愁傷様です」

「ナオさんも」

「にゃっ!?」


 よほど嫌なのか、どうするか緊急会議を始める二人。そして遊んでもらえない事を理解した二匹は再び私に襲い掛かる。

 ぬーんっと小次郎が飛び上がって私の腕にくっつき、わふっと武蔵が私の足にしがみ付こうとする。なので私は軽やかな動きで小次郎を捕獲。数回後ろに下がって武蔵を避けると、その背中に小次郎をくっつけた。無脚と多脚が出会った瞬間である。

 それでも機会を伺っていた二匹だが、小次郎は勝手に動く視界が面白いのか静かになり、武蔵は背中の小次郎のバランスを取るのが面白いのか静かになった。そして二匹でぐるぐると遊び始める。


「そういえばあなたは参加しないんです?」

「当然君も参加するんだろ?」

「いや全く。私これからお風呂だし」

「…ほぅ」

「ふむふむ…」


 道連れは多い方がいいとばかりに話しかけてきた二人を一言で切り捨てると、二人は再び悩み始めた。三人寄れば文殊の知恵とは言うけれど、私がココにいて三人になったところで何の知恵も浮かぶことは無いだろう。ちょうど騒がしかった二匹も大人しく遊び始めたのだし、このままお風呂に行こう。


「それじゃ、私はもう行くから」


 未だ悩んでいる二人に声をかけると、トコトコ歩きはじめる。無脚と多脚が融合した二匹もカサカサカサと私の後をついてきて、なかなか気持ち悪い。



□ □ □ □



 人の入浴中と言えば、睡眠中に並ぶとも劣らないほど無防備になる瞬間である。武器を片手に入浴をする人はそうは居ないから当然だろう。

 よって入浴中に自身の命を狙われた場合、サイコガンでもない限りは相当の苦戦を強いられることになる。苦戦ならばまだいい、ほとんどの人は戦う事すらできずに負けるに違いない。

 果たしてそれでいいのか。

 いくら現代人が平和ぼけをしていて、襲われるとしたらチンピラか酔っ払いくらいだという世の中だとしても、そのチンピラや酔っ払いも風呂場には訪れてくるのである。

 よって我々が入浴中に戦闘を余儀なくされる可能性は0ではない。そのために事前に準備をしてこそ、不測の事態に対応することができるのではないだろうか。

 と言うのが師匠の弁。

 そして悲しむべきことに、当時の脳内お花畑な私はその弁を鵜呑みにした。

 独学に独学を重ねた結果。会得しているものは世界に五指は居ないであろう、風呂桶を武器にして戦う風呂桶護身術を会得してしまった。当然ながら未だ活用できた試しは無い。

 形骸化している診察を終えた後、共同大浴場で武蔵を洗いながらそんなことを思い出した。時間で仕切られている大浴場も今は男湯も女湯もない。つまりは混浴なのだが、今まで入浴していて誰一人として出会ったことは無い。


「はい、おしまい」

「わふ!」


 大人しく泡だらけになっていた武蔵をシャワーで洗い流すと、一言鳴いてぶるぶると水を弾いた。次にゆっくりと逃げようとしていた小次郎を捕まえて洗い始める。その際に抗議する様に鳴かれたけれど、聞く耳は持たない。共同である以上、入る前にしっかり洗わないといけないのだ。

 しかしこの基地の皆さん。どういう訳か、私が一緒に入るとやたらと余所余所しくなる。まるで宇宙人と混浴してるみたいな態度だ。勿論私は宇宙人ではない。ならば…どういうことだろう。

 取り留めもないことを考えながら小次郎を洗い流す。抵抗するかのように平べったくなっていたナメクジ猫は作業が終わったことを悟ったのか、すぐさま元に戻って浴槽に浮かべておいたアヒルちゃん目指して移動し始めた。

 その姿を見ていたら、今でも桶投げが出来るのだろうかという疑問がふつふつと湧いてくる。まぁ考えるよりも試した方が早いだろう。

 くるくると桶を回してから投げ飛ばすと、綺麗な放物線を描いて湯に浮いていたアヒルちゃんに直撃する。激しい水しぶきを上げて大きく移動するアヒルちゃん。

 ふむ…微妙にずれたかな?


「ぬーん」

「わふ!」


 記憶を巡らせながらスナップを利かせて手の動きを確認していると、武蔵と小次郎が催促するようにして鳴いた。別に未練はないし、さっさとそちらへと行く。

 数回かけ湯をしてから入ると、桶にお湯を入れて浮かべる。その次に小次郎を桶の中へと入れてから、短い紐で武蔵と繋いだ。


「はい、武蔵号の出航です」

「わふ!」


 私が掛け声をかけると、武蔵がぱちゃぱちゃと漕ぎ始めた。それに伴って小次郎の乗っている桶も進む。

 桶もとい武蔵号は小次郎が「ぬーん」と鳴けば右に曲がり「ぬーーん」と鳴けば左に曲がる。そしてきちんと曲がれると頭をぺろぺろと舐める。2匹による大航海の始まりである。

 そんな何が楽しいのかわからない遊びを眺めていると、大浴場の扉が開かれる音が聞こえてきた。反射的にそちらを見ると、湯気の向こうに金髪の女性が立っているのが見える。顔に貼られているガーゼが少し痛々しい。


「…アリス?」

「うむ、邪魔するぞー」


 私が何でここにいるのかという疑問を発する前にアリスはそう告げると、さっさと身体を洗って入ってくる。勿論私は紳士なので、彼女の身体をまじまじと見ることは無い。

 しかしスタイルがいい。ところで、モデルさんをスタイルがいいなぁと見る視線には全く下心は無いわけであり、つまり私の真摯な視線に下心は皆無である。そもそも、彼女の大事な部分は濃厚な湯気で阻まれてみることはできない。

 見えたら見えたで視線に困るが、見えないなら見えないで生殺しもいいところである。

 この世に神はいない。


「魔法だよ」

「へー」


 私の視線に気づいたのか、笑って言われたから適当に返す。身体を隠す魔法っていうと聞こえはいいけど、実際は湯気で隠れてるだけだし…何より地味だ。


「というかホントに魔法使いだったんだ」

「魔法使いじゃなくて魔術師な。ところで診察って…この前のか?」


 この前…ってのはクラゲさんの事かね。


「それは関係ないかな」

「それじゃ記憶の方か?」

「うんまぁ、そんな感じ」

「…ふむ」


 それっきり口を閉ざすアリス。アリスが何も言わないので、暫くの間武蔵号を眺める。2匹は長い航海を終えたようで、ぱちゃぱちゃと波を揺らしながらこちらへと向かって来ている。

 しかしもうすぐ帰還と言う2匹を荒波が襲い掛かる。航海は最後まで油断できないのだ。


「何か…思い出したか?」

「んや、何も」

「そ、そうか…」


 アリスの声色に違和感を感じて思わず顔を見つめると、目があった。けれどもすぐに目を逸らされる。

 今のは…落胆半分期待半分ってところ?

 いや、どちらかというと…。

 そこで長い航海を終えた2匹が戻ってきたので、船と船長を交代させるとまた旅立たせる。一体ナメクジ猫はどうやって泳いでいるんだろう。


「あなたは…私が記憶を取り戻した方がいい?」


 気を抜いたからか、そんな疑問が私の口から漏れてしまう。もともと取り戻すものが無いのだから、そんな問いに意味は無い。


「私は…」


 アリスはそれだけ言うと黙り込んだ。本人でもわからないのか、それとも言いづらいことなのか。

 いや、どちらでもいいか。

 本来存在しない疑問なのだから。


「いやなんでもない。変なこと聞いてごめん」

「え?」


 強引に話題を切り上げると、軽い波を作って2匹の航海の邪魔をしてみる。


「…よくわからないんだ」

「…そう」


 ぽつりと呟かれた言葉に返すと、二人とも無言で無邪気に浴槽内を探検する2匹を眺め続ける。悩みが無さそうでいいなぁ。

 ああ、そうだ。


「楓」

「ん?」

「私の名前。別に思い出したわけじゃないけど、呼び名が無いと不便じゃない?」

「ん、んー…それもそうか。ところで、何で楓なんだ?」

「んー、何でだっけなぁ」


 理由を聞かれると困る。ついでにアリスの顔が呆れた様子になってきたのでさらに困る。理由なんぞ知らねぇよ!と言ってしまえれば大変楽になるのだが、それはそれで別な理由で困ったことになりそうだ。

 つまり、今ここには困ったことが乱立されている訳である。その子供が建てまくった様な無差別な困ったことの中を、2匹は華麗に避けながらすいすいと探検していく。


「紅葉が綺麗だったからかな」

「へぇー」


 一番もっともらしい理由を述べてみたものの、信用されていない様子で適当に返された。そもそも私は言われたとおりに名乗っているだけであり、自分自身よくわかってない。そんなことを説明しろというのは無理というものであろう。

 とりあえず彼女の胡乱げな視線は大きな波として小次郎号にぶつけよう。



□ □ □ □



「それじゃ一緒に背中流しっこしようか!」


 何かを振り切る様にしてアリスが言った。ならば私も笑顔で答えなければなるまい。


「地獄に落ちろ」


 爽やかかつ素早く別れを告げると、お風呂から上がるべく立ち上がる。長い間入っていたからか、少しふらついた。


「ちょ、ちょっと待て!」

「湯ざめする前に出るか」

「ほ、ほらクラゲさんだぞー」

「ん?」


 魅力的な言葉に釣られて見ると、タオルを沈めてクラゲを作っているのが見えた。懐かしい。非常に懐かしい。昔はイカとかも作って遊んだのを思い出す。

 あまりの懐かしさに意識が遠のいていると、浴槽を探索していた2匹が珍しいクラゲタオルに釣られて戻ってきた。それに伴って私の意識も戻ってきた。

 上がらないと…。


「ま、待て!こいつらがどうなってもいいのか!」

「はぁ…」


 どうしてこいつは私が何かしようとすると邪魔をするのか。

 こいつらがどいつらなのかは考えるまでもないことである。案の定振り向くと、こいつら事ナメクジ猫がぎゅーっと絞められており、二つのたわわに挟まれたナメクジ猫が心地よさそうに「ぬーん」と鳴いた。そして犬蜘蛛がソレを救出しようと腕に足をかけている。ぶんぶんと尻尾を振ってる様に見えるけれど、救出しようとしているのだろう。

 決して喜んでいるのではなく、救出しようとしているのだろう。


「…どうぞ煮るなり焼くなり」

「わふ!?」

「ぬ、ぬーん!!」


 無性に腹が立った2匹を生贄に逃げようとしたら、慌てた様にして私の足元に摺り寄って来る。実に現金な奴らだ。

 その2匹に気を取られた瞬間、ぱちんと指が鳴る音がする。

 途端に湯気が濃くなり、私の視界は数センチ先までしか認識することが出来なくなった。このまま五里霧中なお風呂内を散策すると、罠の如く足元に散乱させられた石鹸などに足を取られるのは言うまでもないことである。そんなお約束に乗っかって要らぬ怪我をする様なドМ精神は全く持ってない。急がば回れとはいうものの、近道があるならば迷わずそちらを選択するであろう。


「アリス、見えないんだけど」

「そうかー、それは困ったなー」


 かくして交渉が始まった。

 猪突猛進的に互いに妥協点を探り合う交渉の中、以下の血の条約が結ばれた。

 1つ、流すのは背中のみ。

 当然である。乳繰り合うのは恋人同士。それも世界が嫉妬の炎で燃え上がりかねない公共の場ではなく、二人きりの自己完結的な世界で行っていただきたい。そもそも私たちは条件にかすりもしてない。

 2つ、鏡を封じる事。

 いくら相手に背中を向けていても鏡があっては前が見えてしまう。別に見えたからどうということはないけれど、私はしばらくの間は鏡を見たくない。

 3つ、以上の条約が破られた際にいかなる報復を受けても文句を言う事はできない。

 これらの血の条約に基づいて、嬉し恥ずかしを取り除いた様なギクシャクとした背中流しっこは開催された。私は目隠しも提案したのだが、さすがにそれは危険だという事で却下された。

 先手は私である。

 当然ながら私は紳士なので、恥ずかしさのあまりに「ゲヘヘ…姉さんココが弱いんでゲスか」とかいう死亡フラグ全開の小物キャラは演じない。

 演じはしないが、演じる事でこの何とも言えない空気排除できるならば迷わず演じよう。私は悟りすらも開けそうな無心の心で目の前の背中へと挑む。


「こ、これくらいでダイジョブ?」

「あ、ああ…」


 割れ物を扱うかの如くアリスの背中を擦る。我が人生に他人の背中を洗うなどと言う経験は皆無であり、今後の人生においてこの経験は大変役に立つものである。よって私の視線が、彼女のうなじからお尻までを鈍行列車の如く往復するのは仕方があるまい。


「…」

「…」


 しかし、そんな私でも沈黙は堪えがたい。このまま全自動背中洗い機と化していたらいつか悟りを開けそうだ。ここは桃色に染まりかけている脳細胞をフル活用して話題を提出するべきであろう。


「髪…」

「ん!?」

「あ、いや…髪、綺麗だなって…」

「へ?あ…その…ありがと…」

「…」

「…」


 …確実に話題の提出を失敗したのは言うまでもないだろう。髪を褒めるのはいい、だが状況を考えろ。これでは下心満載ではないか。


「ひゃぅっ!?」


 考え事をしていたからか、私の手が滑って彼女のうなじに当たった。すると奇妙な声とともにアリスの身体がビクンと撥ねる。私の心臓もビクンと撥ねる。


「す、済まない首は弱いんだ…」

「あ、その…ごめん」


 心のメモ帳にアリスは首が弱いとメモを取り、再び無心となって背中を洗い続ける。私の力加減一つで、びくっと何かに耐えるように震えるのが少し面白い。そんな私の悪戯に耐えつつ、時折「んっ…ふぅっ…」とか声を漏らしつつも、アリスは時折我に返ったかのようにして脱衣所の方へと視線を向ける。

 釣られて私も向けると、ただならぬ何かが居る気配が感じられる。まるで三角関係の内2人が仲良くしている場面に残った一人が遭遇し、出るに出られなくなった結果、やむを得ず嫉妬の炎を差し向けて焼き殺そうとしている様だ。

 しかし私は三角関係の一端を担っている訳ではない。ならばあの気配は誰なのだろうか。


「か、かえでっ!」

「ん?」


 私が脱衣所に意識を飛ばしていると、アリスが突然大きな声を出した。


「そ…そろそろ交代しないか?」

「ん…ああ、うん、交代ね。交代…」


 アリスの背中に付いた泡を洗い流すと、機械の様にギクシャクとしながら位置を交代する。提案したのは私だが、目の前の鏡が曇っているので後ろが全く見えない。つまり視覚がほぼ0なわけであり、手持無沙汰な状態で後ろに全神経が向けられる。

 これはなかなか恥ずかしい。


「そ、その…始めるぞ」

「う、うん…」


 そろりとくすぐったくなる様な手触りで私の背中にタオルがあてられる。それらはさわさわと私の肩甲骨まで上がったかと思うと、ゆっくりと腰のあたりまで下がる。

 これはちょっと…何ともいえない気分になってくる。いくら私が悟りの極致に達しようとしているとしても、この状態が続けられると少々拙いかもしれない。


「えっと…力は大丈夫…か?」

「ん…もう少し強くてもいいかも?」

「そ、そうか」


 リクエストをすると、ほんの少しだけ強くなって背中を撫でられる。快楽よりも恥ずかしさで悶死しそうになるそれは、何かの罰ゲームではないのかと疑いたくなる。何分することが無いので、ただひたすらに床を流れる泡の行方を追うばかり。

 しかも恐ろしいことに、段々と恥ずかしさが快楽に変貌しようとしてくる。


「そ、その!」

「はい!な、なんでひょうか!?」


 突然声を掛けられたので、驚いて変な声が出た。


「いや…その…か、髪…黒いんだな…」

「う、うんまぁ…黒いね…」


 何とか振り絞って答えたのに、沈黙が訪れてしまう。私よ、もっと他に話題を広げることはできなかったのか。


「…あ、アリスは黒いのは嫌い?」

「い、いや!そんなことは無い…ぞ」


 ぶんぶんと後ろで首を振る姿が感じられる。ついでに私の背中に当てられたタオルもぶんぶんと縦横無尽に背中を這い回り、突然の刺激に嬌声を上げそうになったのを鉄の精神で抑える。


「ど、どちらかと言うと…す、好きだ」

「そ、そうなのかー…」


 既にお風呂場は桃色空間と化しており、私たちの脳内を侵食していく。ともかく無言はいけない。何か別の事に意識を逸らさなければ飲まれてしまいそうだ。


「な、名前…」

「う、うん!?なななんだ?」

「その…名前…呼んでくれたんだなって…」

「…い、いや…だったか?」

「そういうわけじゃ…ないけど…嬉しいなって…」

「そ、そそそそうか」


 嗚呼、この羞恥プレイを何事もなく乗り越えたら私は仏になれる。そんな気がする。

 私が桃色と理性との間で全面戦争をしていると、隣から奇形な生物が歩いてきた。

 武蔵と小次郎である。

 無脚と多脚が組み合わさったそれらは、私の前に移動すると分離。ナメクジ猫である小次郎の背中を犬蜘蛛である武蔵が踏み踏みし始める。これは私たちの真似事をしているのだろうか。

 ちょうど手持ち無沙汰だったので、これ幸いと私も小次郎の背中をくしくしと洗い始める。

 アリスは私の背中を洗い、私は犬蜘蛛の背中を洗う。そして犬蜘蛛はナメクジ猫の背中を洗う。こうして、世に二度とない光景が誕生した。

 その和やかな二匹に油断していたからか、背後で何かを決意した気配があったことに気付けなかった。


「て、手が滑った」


 ワザとらしいその言葉と共に、私の背中に押し付けられる双丘。そのふわふわなものが何かと判断するよりも早く、2つの手が後ろから抱き付く様にして私の身体を弄った。

 私は紳士なので、たとえ背中にふにふにの双丘が押し付けられようとも、泡だらけのすべすべした手で胸と腰のあたりを弄られて嬌声を上げそうになっても動揺することは無い。冷静に裏拳で彼女の顔面を強打し、血の条約を果たした。

 私に強打されたアリスはというと、無防備に後ろへと倒れた。そしてあろうことか罠の如く背中に配置されていた石鹸に乗っかり、つるつると浴槽の方まで滑って強かに頭頂部をぶつけた。


「いっ…ぐぅ…」


 アリスが声に出来ない様子で痛みを訴える。しかしそんな痛そうな光景に声に涙をすることは無い。先に破ったのは彼女の方なのである。

 バクンバクンと打ち鳴らす心臓を落ち着けるためにも、無心で自身に付いた泡を洗い流すと、武蔵の全身を機械的に洗う。


「さ、先に上がるな…」


 後ろでアリスがそういうと、逃げるようにしてお風呂場から出ていく。そんな彼女の後姿を見送りながら、逃げようとしていた小次郎を捕獲すると、泡だらけにした。

 泡だらけな二匹をシャワーで流し、タオルできっちり水気を切ってから脱衣所へと上がると、そこにアリスは居なかった。安堵が半分、期待が半分と言ったところか。

 わふわふぬーんとはしゃぐようにして走り回る二匹を眺めながら服を着ていると、服の中からぽろっと何かが零れ落ちた。


「ん…?」


 気になって拾い上げてみると、何度かお目にかかった事のある箱である。大きさは大体手の平くらい。いつの間に私のポケットに入っていたのだろうか。特に意味は無いけれど、ぽーんっと上に投げてみると重力を無視したかのようにゆっくりと落下していく。

 実に奇怪なり。

 不思議な箱を脱衣所の明かりに照らして眺めていると、外から誰かが揉めているような声が聞こえてきたので、ポケットへと入れておく。


「わからなかったってどういうことですか!」

「い、いや…だからな…」


 聞き覚えのある声に耳を澄ますと、片方はアリスであり、もう片方はナオさんであることがわかる。何故ここにナオさんが?と思って冷静に二人の会話を聞いてみれば、どうも『何かがどうだったのかわからなかった』という事で揉めているらしい。

 揉めているとはいっても興奮している様子のナオさんが一方的にまくし立てているだけであり、アリスはそれに消極的に受け答えしているだけだ。


「私だって入りたかったんですよ!」

「だ、だってナオが…」

「美味しい思いをしたのに言い訳するんですか!」

「そ、そのだな…」


 ふむ…。

 ここで熱の引いた私の脳細胞が活性化し始める。

 まず考えるのはどうしてここにナオさんが居るのか?ということである。

 偶然通りかかったという可能性はあるが、偶然通りかかり、偶然お風呂からあがったアリスと鉢合わせになり、そして何かについて口論になった、というのは少々出来過ぎているであろう。

 ならばこう仮定してみよう。

 彼女は私あるいはアリスに用事があった。

 ではその用事とは何か?これはナオさんの状態で判断できるだろう。

 どういう訳か彼女は酷く興奮状態になっている。私が様子を伺った際も、別に気配を殺していたわけでもないのに気づいていない様で、赤い顔に耳をパタパタ、手にはカメラらしい物体。居る場所が場所ならば疑われても言い訳できない様子だ。そして、生憎ここはその『場所』である。

 以上の観点から冷静に考えた結果。お風呂場へと戻って風呂桶を手にして息を潜める。いざと言う時は役に立つかもしれない。


「なるほど!ようやく合点が付きました!」


 脱衣所の外で目標(ナオさん)の興奮した声が聞こえる。よろしい、私も合点が付いている。


「つまり両性具(ふたな)っ…!」


 彼女から禁止用語が飛び出した瞬間、私の手からも風呂桶が飛び出す。綺麗なカーブを描いた風呂桶は狙い通りに目標へと着弾。速やかに意識を断ち切った。


「な、ナオ!?誰がこんなこと…を?」

「こんぱんわ、アリス。まだこんなところに居たの?」

「ひっ!?」


 引き攣った顔のアリスににっこり笑いかけると、足元に転がっていた何かを踏んづけて数歩行き、振り向く。


「あれ?ナオさん…こんなところで寝てたら風邪引くんじゃない?救護班呼ぼうか?」

「い、いや…疲れてるんだろう…私がきちんと送るから気にしないでやってくれ」

「そうなのかー」


 コツっと一歩踏み出すとびくっとアリスの身体が震えた。

 私はあくまでも笑顔を保ったままで回れ右をすると、先ほどとは違って大人しく付いてくる二匹を連れて自分の部屋へと戻った。



□ □ □ □



 ぽーんぽーんと透明な箱でお手玉もどきをしながら武蔵の散歩をしていると、一つの部屋の前で立ち止まった。どうしてか部屋のドアが真っ黒であり、微かに開いたドアから見える屋内も真っ暗である。

 怪しい…怪しさ抜群だ。

 わふ!と鳴いた武蔵に待てをしてから、息を潜めて中を覗いてみる。

 どうやら何かの上映会をしているらしい。

 お風呂場を撮ったらしいスクリーンには鏡で見たことある黒髪のちみっこい人が映っていて、その周りを無脚と多脚な動物が戯れている。

 そしてそのスクリーンに喰いよる様にして黒服に覆面の皆様方。

 映っている誰かの身体がカメラの正面に向いた瞬間に一時停止を掛けられ、映像内の時が止まる。湯気が濃いわけでもないのに、その身体の大切な部分はモザイクが掛かっているかの様にして見えず、肩くらいまである黒髪と相成って男なのか女なのか…映像だけでは性別がどちらなのか判断がしづらい。

 そしてその光景を満足げに見つめていた覆面黒服の一人が立ち上がった。その近くに覆面に収まらなかった金髪が2人。


「ご覧のとおり。裸の状態でも見えない何かが阻んでいるかの如く、判断を付けることは難しいです…」

「…」


 暫く呆気にとられていたが、頭に猫耳帽子をかぶっている誰かさんが解説をするようにしてスクリーンを指さしたあたりで我に返り、そっとドアを閉める。

 そしてできる限りの速度で食堂へと行くと、武器(フライパン)をゲット。返す足で私の部屋から笛を持ってくると、件の部屋へと戻った。

 私が戻って覗き込むと、どうやら解説は最後の方になっているらしく結論を言い放とうとしていた。


「そこで私たちはある仮説を付けたのです。この子を男女で表すのではなく…そのどちらでもないのではないかと!つまりは両性具(ふたな)っ…」

「ちょっと失礼します」


 奴が禁止ワードを言い放つ直前にドアを大きく開け放って遮った。


「…済みませんが、ただいま重要な会議中なので要件は後…に…?」

「へぇ…どう重要な会議なのか私にも教えてくれない?」


 時が固まったかのように誰も動かない中、何時撮られていたのか、私がお風呂に入っている光景だけがスクリーン内で動き続ける。


「て、撤収!」


 ナオさんの隣にいた覆面黒服が鋭く言い放つと、止まった時が動き出したかのようにして一斉に出口(こちら)へと向かってきた。実に甘く見られたものである。

 私の脇をすり抜けようとした一人の脳天をフライパンで叩き伏せると、踏み込みながら返す手でもう一人にフルスイングする。そして回転しながら通ろうとした一人に足払いを掛けて転ばせ、フライパンを振り下ろした。

 一瞬で三人が地面に伏すと、逃げ出そうとしていた他の連中が戦慄したように固まった。


「次はだれが出る?」


 笑顔で語りかけて一歩前に出ると、一人が無造作に前に出た。何の予備動作も見えなかったのに、一瞬で距離を詰めている。

 反射的にフライパンを横に振ると、その下を潜り抜けて私に肉薄してきた。

 こ、こいつ…!

 間合いを取るためにも何度か下がりながらフライパンを振っても簡単に避けられ、苦し紛れに振り上げた最後の一撃は片手で軌道を逸らされた。

 私のフライパンが頭上高く振り上げられるのを確認すると、そいつは勝ち誇ったようにして私に手を伸ばしてくる。

 しかし、勝ち誇るのはこちらの方である。


「武蔵!」

「わふ!」


 思わず漏れそうになる笑みを堪えて鋭く名前を呼ぶと、伏せた状態で待っていた武蔵が嬉々として突入。全力で私の目の前にいた黒服覆面にじゃれついた。


「え?何この犬!?」


 そこで生まれた一瞬の隙に振り上げていた間合いを取ると、一気にフライパンを振り下ろす。突然じゃれてきた武蔵に戸惑っていた黒服覆面(ゆうしゃ)を鈍い音と共に地へと沈めた。

 けれどもその代償として、気配もなく後ろに近づいてきていたもう一人に羽交い絞めにされてしまう。後ろから抱きかかえるかの如く高く抱えられた私の足は宙に浮き、フライパンを振ろうにも力が入らなくて届かない。

 どうにかしようともがく私の横を悠々と隣を通り過ぎていく覆面ご一行。それだけならまだしも、通り過ぎるついでに人の頭を撫でていく奴までいる。私の頭を撫でるついでに猫耳帽子を付けた一人がわふわふと武蔵を撫でていたけれど、リーダーらしい奴に抱えられて出て行った。

 私は抱えあげられたが故に、じたばたするだけで成す術無くされるがままで、捕まってしまえ!と魂の叫びをあげた。


「済みませんが大人しくしていてください」

「そ、その声は勇者ご一行!」

「その呼び方は止めてください」

「んじゃフードの人!」

「それも嫌です」

「じゃあふーちゃん!」

「いいでしょう」


 すでに撤収作業は済んでおり、この場に残っているのはふーちゃんと私だけである。


「離してふーちゃん!私はアイツらを許すわけには行かぬのだ!ただでさえ許せないのに…あろうことかアイツら、人が動けないのをいいことに散々撫でまわしやがって!」

「そのお気持ちは大層わかります。ですが、私にはそこにぼろ屑のように転がっている勇者を回収して頂かなければならないので、手を離すわけにはならないのです」


 やっぱりやたらと強いアイツは勇者だったのか!何でこんなところで人の入浴シーンの盗撮とか見てるんだよ!大人しく世界でも救ってろよ!


「どうしても離す気はない?」

「安心してください、意識を絶った後はベットまで運びます」

「…交渉は決裂ってことでいいんだね」


 世の中の無常さを噛み締めながら軽く目を閉じると、項垂れる。途端に光が私の背中へと差し込み、ぺっとりしたものがもそもそと這い出てきた。


「きゃっ!?」


 ふーちゃんは私の服の下から突然現れた小次郎に驚いて拘束が緩くなった。その隙に羽交い絞めから抜け出すと、着地と同時に握りしめていたフライパンを側頭部に叩きつける。意識を失い勇者と同じ床へと倒れるふーちゃん。怪我が無いといいのだけれど。

 そんな数々の屍を乗り越えて廊下へと出れば、黒服覆面がのんきに歩いているのが見えた。幸いにも未だ私に気づいては居ない様子。

 早速背中から這い出て首、後頭部、頭頂部へと登ろうとしていた小次郎を引っぺがすと、フライパンに乗せる。そしてテニスのサーブを打つようにしてフライパンを振りぬけば、外力に負けた小次郎が勢いよく発射された。

 私が放った小次郎弾は空を飛ぶかの如く空中を滑走し、目標である黒服覆面(アリス)の後頭部に張り付く。


「うひょぅ!?」

「隊長!」


 誰だって突然ぺっとりとしたものが自分の頭に貼り付けば驚く。しかも張り付いたのが、前日に風呂場で怪我をしたところであるならば猶更だ。

 アリスもその例外ではなく、驚きか痛みかわからない様な悲鳴を上げると前のめりに倒れ、床と頭が強烈な出会いを遂げて大人しくなった。私の狙い通り、無事着弾した小次郎はそんな彼女の背中を満足げに這い回っている。

 突然の隊長の奇行に立ち止まった覆面黒服ご一行。

 それでも冷静さを保って介抱の指示を出しながら、ついでに小次郎をなでなでしている猫耳帽子目指して、今度は武蔵をけしかける。

 わふわふとロケットの様に突撃した犬蜘蛛は狙い通りにナオさんの下へと駆け寄ると、全身で遊んでオーラを醸し出す。


「あ、わんこだー、わんわんー」

「ふ、副隊長!?」


 もう周りは見えていないかのごとく、一人と一匹の世界に閉じこもるナオさん。

 突如指揮官二人を失い、それでもどうにかしてこの自体に対応しようとした一人が、ゆっくりと近づく私に気づいた。


「なん…で…」


 奴らは思わず漏れたかのように呟いたが、すぐに混乱から立ち直ったように颯爽と立ち上がる。この辺りきちんと訓練されているのだなと感じる。


「さぁどうする?そこの二人を置いていくなら見逃してあげないこともないけど?」

「悪いが隊長と副隊長を見捨てるわけには行かない!なぁに、相手は素人一人…数はこちらのが多いのだし、多勢に無勢だ!」

「多勢に無勢か…」


 確かに、少しは減らしたとはいっても相手は5人以上は居る。このまま堂々と戦ったら、抵抗もそこそこにもみくちゃにされて、すぐさま戦闘不能にされるのは目に見えているだろう。

 ならばどうするか。

 答えは簡単である。

 覚悟を決めた様に身構える皆様の前で、首からかけていた笛を口に加えると、鋭くピーーッと吹き鳴らした。

 笛の中で、チリンと何かが鳴る音がする。


「待たせたなぁ!」


 まず私の後ろから凛々しい顔のガラスメンが高速で走り込んできて、盛大に躓いた。そして景気づけの様に盛大に粉々になったガラスメンの後を付いていくように、ふわふわとクラゲが浮かんできて、私の前で水色の髪の少女となった。

 彼女が着地をすると、ガラスメンだった欠片たちが空しく音を鳴らす。


「…どうしたの?」


 ぎゅっと抱き付いてきたクラゲさんの頭を撫でると、目を細めながら聞いてくる。そんな私たちの頭上にはたくさんの空飛ぶ魚群。


「殺さない程度にお願い」

「…わかった」


 私がぽんぽんと彼女の頭を叩くと、離れて鞘ごと刀を抜いて地面を軽く叩く。ちゃりっとガラスメンだった欠片たちが音を鳴らせば、地面からムキムキマッチョな変態が現れてポージングを決め始める。

 コレで質量共にこちらが上かな?


「さぁどうする?多勢に無勢だけど」

「た、隊長たちをお守りしろぉぉぉぉぉ!」


 引き攣った顔で固まっていた皆様方に問いかけてみると、魂の叫びをあげて突撃をしてきた。

というわけで終了です


正直この話のためだけに

主人公の性別を不明にして

犬蜘蛛を出して

お友達に微妙な評価をもらいながらも勇者とクラゲさんを出した

様なものです


つまりこの前3話分くらいはお風呂回のためだけに時期を早めました


何が言いたいかというとこれからの方向性が怪しくなっています

終わりまでの道筋が真っ暗である

何とかなるといいなー


ではでは、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです

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