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丑三つ時の現実逃避

次話は出す…確かに出すとは言ったが…まだその期日までは決めていない…っ!

つまり私がその気になれば次話が出るのは半年後、いや1年後という事もあり得るだろう


~あまりに放置しすぎたため前回までのあらすじ~

温泉旅館にて目が覚めたまだ普通である主人公!そこで出会った数々の変態と死闘を繰り広げる!

私一人では死なん!貴様も連れて行くぞ!

追い詰められた主人公は最後の力を振り絞り、窓から紐なしバンジーを決行したのであった!


勝負の結果を何とか相打ちに持ち込んだ主人公が次に目が覚めたのは、見知らぬ病院のベットの上であった

犠牲となった大切なもの(主に腕とか足のカルシウム)を嘆いていると、主人公に新たな魔の手が忍び寄る!

負けるな主人公!過去を振り返っている余裕はないぞ!!

あらすじ終わり


人物表

しゅじんこー 最近普通から遠ざかってる気がする 相変わらず戦いません


アリス・イン・ワンダーランド

魔術師 出番? ヒロイン? 何のことですか? 人気あるのか解らないよ


ナオさん

猫もどき、人もどき 出入り口は作るもの 今回メイン


アイさん

お人形 登場して次話なのに出番が皆無 新キャラ補正なんぞありません

 雨が目に入ってくるのが煩わしいと思った。

 細くて熱いモノが首に絡みつく。ギリギリと込められる力は呼吸どころか私の生命すらも止めようとしてくる。

 どうしてか笑みが止まらない。

 彼女は何が気に食わないのか、私を睨みつけて何かを言った。ソレに応えるべく、まるで操られているかのように擦れた声が出る。

 ああ…本当に…。


「っ!」


 ついに限界が来たのか、私の身体が宙に浮いた。

 どうやら投げられたらしい。

 映画の様にスローで流れる世界の中、空を飛べるかな?と少しだけ期待してしまう。それにしても、服が雨に濡れて気持ち悪い。

 右には地面、左には雨雲。そして両目が捉えているのは、火球を作り出している彼女の姿。塵一つ残さない意思がひしひしと感じられる。ロクな挨拶もしてないのに随分な扱いだ。炎に照らされた赤い髪が少しだけ綺麗なのが救いか。

 殺意を込められた彼女と口角が上がりっぱなしな私との目が合うと、火球が私に向かって撃ち出された。

 本当に…つまらない。



□ □ □ □



 ぽかぽか陽気で目が覚めた。

 何だかとんでもない夢を見ていた気がする。宙に舞っていた様な?

 しかし最近の夢は落下に関する事ばかりなきがする。どう考えても飛べないんだからそろそろ諦めればいい。

 寒風が吹いた。ぽかぽか陽気の癖に寒風とは何故?

 寝ぼけ眼で辺りを見渡すと、窓越しに中庭と木々が見えた。遠くへと視線を逸らせば山らしき緑色。

 そのまま振り向こうとしたけれど、何かが私の身体に絡みついていて上手く動けない。その何かの不思議な暖かさが二度寝を助長し始める。だが寝る訳には行かぬと理性がぼんやりとストップをかける。

 仕方ないので自分の状態を確認すると、どうやら椅子に座ったまま眠っていたらしい。我ながらどこでも寝るな…幼児退行でもしてるんだろうか。

 そして私を後ろから包み込むようにしている二本の腕。どうやら暖かさの原因はこれらしい。

 そなたは誰ぞ?と二本の腕に問いかけて数秒待ってみた。

 …やめよう、虚しくなる。

 さて、このままぐるりと妖怪の如く首を回してもいいのだが…というよりシートベルトの如く固定されているから、首を動かす以外に手段が無いけれど。

 ぱきぽきと首を鳴らしながら首を真横に動かしてみると、頬が触れ合いそうなほど近くに誰かさんの顔があった。柔らかい日差しが彼の者の金髪に当たってきらきらと反射している。


「…ふむ」


 一度視線を正面に戻してからしばし思考する。議題はもちろん、何故アリスが私の身体を固定しているのかに関してだ。

 すぐさま私の灰色の脳細胞が稼働し始め、以下の仮説を導き出した。

 まず浮かぶのは私を亡き者にしようとしたのではないかという事である。つまり眠っている私を後ろから刺そうとした瞬間、何らかの問題が発生して意識を失ってしまったという説。彼女は最後の力を振り絞って両腕を私の前へと回し、もしも私の方が先に目覚めても逃げる事が出来ない様に固定しているというのはどうだろう。もしくはジャーマンスープレックスを掛ける直前で力尽きた。

 これならば私が置かれている状況に説明がつく。さすが我が灰色の脳細胞だ。稼働率が低すぎて故障しているんじゃなかろうか。

 いうまでもなく却下だ。アリスなら私を亡き者にするチャンスは嫌というほどあった。わざわざ陽だまりでこっくりこっくりしている私を襲う必要はなかろう。もしも襲うものが居るのならば、そいつには血も涙もないと言える。そして万が一この仮説が当たっていたとしても、私にはどうすることもできない。ジャーマンスープレックスの対処法なんぞ知らないぞ。

 ならばもっと現実的かつ希望が見られる仮説を模索すべきだろう。

 次の仮説として実はアリスは私の元恋人であり、無防備に寝ている姿を見てむらむらっときて抱きしめたという仮説。

 アホか。本気にする人は脳内に妖精さんでも住んでいるに違いない。

 そもそも恋人であるという記憶が無い。前世で何かやらかしたとでもいうのだろうか。ただでさえ記憶喪失とか意味わからないレッテルを貼られているというのに、ここで前世ネタをぶち込んだら私の一般人度を測るグラフが急降下してしまう。 

 では最後の仮説として、貧血でぶっ倒れる直前だったという事だ。貧血で意識が朦朧としている中、なんとか私がこっくりこっくりとしている椅子にもたれかかって意識を失ったと。

 うむ、一番ありそうな仮説だ。桃色思考でも灰色思考でもない。問題点があるとしたら極めて面白みに欠ける事だが、人生そう面白くはならない。少なくとも殺し屋や前世ネタよりはまともだろう。


「お姉…ちゃん…?」


 いろいろな仮説を組み立てては破壊して遊んでいたら、私の肩にて眠っていた上司が何やら呟いた。威厳の欠片もない呟きから私の身体をよだれが襲ってきてないかと心配になってくる。そして私は君のお姉ちゃんでもお兄ちゃんでもないのだよ。

 アリスは何かをもごもご言いながらぐりぐりと頭を擦りつけてくる。小動物的なその動きに困惑が止まらない。アレだろうか、普段とのギャップに云々ってやつだろうか。生憎と普段傍若無人な上司が甘えて来ても不気味さしか感じられないが。そこに本当に打算が無いのだろうか。実は起きてたりしないか。疑うならばいくらでも疑う事は出来るだろう。

 意図はわからないとしても。ただ彼女のぐりぐりによって私の肩が湿ってきた。出来れば気づきたくなかった疑惑が一つ確信になる。淑女としてソレはどうなのかな。

 苦笑しながら彼女の頭を撫でると、金色の髪がくすぐったげに揺れた。ぐりぐりは止まったけれど、金色のさらさらがちくちくと私の首元を襲う。世の中上手くいかないものだ。

 ぼーっとしながら全自動頭撫で機と化してみる。彼女にとっては全自動でも、私にとっては全手動。私の身体より失われたエネルギーは手を伝わりアリスの髪を揺らす事に使用される。見事に生産性が皆無だけれど、得をする人間が二人ほど居るのだからいいのではないだろうか。


「んぅ…お兄ちゃん?」


 妖怪よだれ垂れ女が目覚めた。見るからに今目覚めましたよといわん限りの目で私を見つめる。だから私はお兄ちゃんでもお姉ちゃんでもないと心の中で言ってるだろう。それくらい心を読んで理解していただきたい。

 うん、やっぱり読むな。


「おはよう」

「…おはよ…う?」


 なぜそなたがココに?とでも言いたそうなほど緩慢な動きであいさつを返してくれるマイ上司。撫でるのを再開してみると「うにゅにゅ」と小さく鳴いた。我が上司よ、人間としての尊厳はどうした。

 暫くの間されるがままに撫でられていたけれど、急に現実を認識したのか飛び退いた。余りに勢いよく飛び退いたので、反動で私の身体が前へとつんのめる。

 そろそろこの関係に慣れて頂かないと私の生命が危ない。


「ご、ごめん!」


 一体何に対する謝罪なのか、心当たりが多すぎていまいち判別できない。それに今現在は急激な姿勢の変化に伴う痛みでまともに反応できない。


「そ、その…寒そうだったから…あの…」


 これは…抱き付いた事に対する謝罪か?別にいいのだけれど、少しだけ困らせてやるかと嗜虐心が頭を上げ始めた。どんな反応をするのかが楽しみで、思わず笑ってしまう。


「えっと…だいじょう…っっ!?」


 思い立ったが吉日、心配そうに近寄って来た口を塞いでみる。

 驚いた様に硬直した彼女からは、お日様の様な香りがした。



□ □ □ □



 はっと目が覚めた。。

 目の前では相変わらず知らない天井。この展開はそろそろ飽きた。右手は知らない間に傷口に伸びていた様で、じんわりと包帯が赤くにじんでいる。知らず知らずに面倒な事をする右手である。さぁ、この赤み…なんて言い訳しようか。

 きょろきょろと眼球だけを動かして天井を舐め渡すように見つめていると、入院中だという事を思い出した。

 上半身を起こして頭に手を当てる。現在時刻は…夜だね、間違いない。

 しかし今の夢は何だったのだろうか。認めたくないけど、夢に出てきた輩はアリスか?それとも別の何某さん?

 欲求不満の思春期じゃあるまいし、身近な奴とどう考えも親密な関係になっている夢なんぞ認めたくはないので速やかに忘れよう。考える必要があるとしたら、一つ目の方か。

 百歩譲って夢の内容を認めたとしても、アリスが出てきたのは欲求不満で説明が出来る。だが自分自身が殺されかける夢なんてどう説明付けろと言うのだ。それに妙に生々しいというのか、夢とは思えない感覚があった。身体に当たる雨の感覚や首に食い込む指の苦しさ、そして振れあった時の体温やら、耳元に感じる吐息。…後ろの二つは忘れよう。私の精神に異常が現れかねない。

 ふと気が付けば、ベッド横に何かが置いてあるのが見えた。ワイン瓶と何やら人形らしきもの。そして『絶賛寝顔撮影中』な如く傾けられているビデオカメラまで用意されている。それらの見慣れない物の中、我が物顔で居座っている見慣れた透明な箱。あ、名刺くらいのサイズのカードを2枚発見。

 人形の方は見なかったことにしてカメラとカードを手にしてみたら、満月のイラストに『寝顔は頂いた』と赤文字で書いてあった。…センスが数世代前な気がするが、夜空さんが来たらしい。

 ビデオカメラには無くしても大丈夫な様にという意図があるであろう、馴染みのあるお方の名前が貼ってあった。何が仕込まれているかわからないので、繊細かつ丁寧に弄り録画を止め、ついでにデータも消しておく。

 さてさてどうしようと思ってワイン瓶のラべルを眺めて見たけれど、こちらには何やら書いてあるけどよくわからない。よくわからないなりに解読してみた結果、これはワインであるという極めて面白みに欠ける事実が判明した。いや、ワイン瓶の中に青汁とかくさや汁とかを入れられても困るけど。果たして入院中の患者にワインを送っていいんだろうか。そしてくさや汁とはなんだ。何か不思議な電波が介入してきたのかもしれない。とにかく変なものじゃない事が判明したので少しだけ安堵する。

 というか瓶だけ渡されてもグラスやらコルク抜きやらが無いと飲めなくないかのではないだろうか。もしかしたら隣の人形らしきものがくるみ割り人形ならぬコルク抜き人形なのかもしれない。聞いた事も見たこともないけれど、そんなものがあってもいいではないか。ビデオカメラは…うん、ビデオカメラだな。

 という事で人形を手にしてみる。

 白い生地にメイド服、髪の毛は茶色。なぜだろう…ここ数日この形状のものにストーカーもびっくりな行為をされている気がする。

 嫌な予感を胸に秘め、一緒についていたカードを見たら『身体が火照って仕方のない夜はコレを私と思って慰めてください』という怪奇文。…誰かあの万年発情期人形を直してくれないだろうか。

 とにかくこれはコルク抜き人形何ていう可愛げのあるものじゃない。どんなものか知らないけれど、さわらぬ神にたたりなし。最悪毒が仕込まれている可能性も考え、丁重に元の場所に置いて見なかったことにする。その際に目が合わない様に外を向かせることも忘れない。

 繊細な手つきで人形を元に戻していたら、窓ガラスに反射している私の姿が見えた。ぼーっと寝ぼけ眼の私と目が合う。


「夢と現実の違いって何?」


 気を抜いていたからか、無意識に疑問が口から出る。愚行を責めるように風鈴の鳴る音が聞こえた気がした。


「おやおや?珍しいですね、あなたから話しかけて来るなんて」


 ガラスに反射されたもう一つの世界、アイツがくすくすと笑いながら答えた。何故私はコイツに話しかけたのかと激しく後悔したのだけれど、覆水は盆に返ってはくれない。まぁ、疑問が解決するのならば何でもいいか。


「…答えるの?答えないの?」

「うーん、いくらあなたの頼みでも無料じゃのぅ」

「ココに寂しい夜を乗り越えられる魔法の人形が…」

「交渉決裂ですね」

「…ココに差し入れのワインがあります」

「交渉成立ですね」


 アイツは何が面白いのかくすりと笑うと、くるりと回って入口の方を見た。いったい何を見ているのか。何にしても、誰も居ない空間をじっと見つめるのは不安になるから止めて頂きたい。

 今すぐ何も無かった事にして布団をかぶりたくなった。そしてそのまま二度寝したい。

 けれど先ほどの夢が脳裏を過ぎって躊躇する。自分が死ぬシーンを何度も見たい奴はよほどの変態だろう。もしくはドМに違いない。


「それで夢と現実の違いでしたっけ?今いる場所を現実と思うか否かじゃないでしょうか?」

「…はぁ?」

「よく言うじゃないですか、覚めない夢は現実と変わらないって」

「…」


 これはアレだね、完全に聞いた対象が悪かった。コイツにまともな回答を求めちゃいけない。


「ややや、その顔は馬鹿にしてますね?」

「そんな戯言誰が信じるんだ?」

「それじゃもう一つ」


 私が言うとアイツは突然真顔になって指を一本立てた。まだ作り物の方が感情があると思われる表情が私を見つめる。


「別の世界というのはどうですか?」

「どういう事?」

「ですから、夢で見ているのはココじゃない別の世界だという事ですよ。選ばれなかった可能性の行きつく先。もしかしたら今いるココもあなたが見てる夢の中の一つかもしれませんね」

「…」

「夢見の旅人…ろまんちっくですねー」

「…誤魔化そうとしてない?」

「ばれました?」


 私がそういうと、急に笑い始めた。こちらとしては何にも面白くない。


「一つ分かった」

「あれれ、今更ですか?」

「私はあんたが嫌い」

「奇遇ですねー、ボクもあなたが嫌いです」


 その後は互いに笑みを浮かべ合う。窓に向かって一人笑いかける患者…入院する病院を間違えたと誤解されかねない光景だ。

 物事は客観的に見ない方がいい事もある。

 一つため息を付いてから入口の方へワインを転がすと「どうもどうもー」と一切礼を言う気のない返事が聞こえてきた。続いてコルク抜きが無いだの、グラスが無いだのと騒いだ声も聞こえてくる。

 それらすべてを無視して窓を開けたら、不安を煽る鳴き声が聞こえて来た。何だか聞き覚えがある鳴き声…鵺の元になった声かな。

 ぽーんぽーんと手持無沙汰に箱を投げたり受け取ったりしながら記憶を漁っていたら、後ろで諦めた様なため息が聞こえて静かになった。普段もコレくらい諦めが良かったらいいんだけど。

 あ、思い出した。

 以前、大学時代に鵺を探しに出かけたことがあった。当時の私は妖怪に疎く、鵺というものがよくわかっていなかった。では師匠はというと、一般的な学生の例に漏れず妖怪には疎い。鵺が読めなかったから夜鳥を探しに行こうと言われた時はバードウォッチングにでも目覚めたのかと疑ったものだ。また面倒なものに目覚めたな…とも思った。

 大変残念なことに私には意志力が足りない。その事実は入学当時から今に至るまで、変人の師匠と付き合い続けている事、そしてこちらへ来てからも流されるままに日々を生き続けている事からも察することができるだろう。既に成人式も終え、未来に羽ばたいていかねばならない若者だというのに、何が哀しくてUFOやUMAを探し、見ず知らずの他人には記憶喪失疑惑を掛けられなくてはいけないのか。もっと人生に置いて有益な事に貴重な時間を注ぎ込んだ方がよかったのではないだろうか。勉学とか、主に単位修得とか。仮に無益だとしても、私の卒業はもたらされたであろう。

 そういえば私の卒業はどうなってるんだろうか。

 たぶん…無理だろうな。

 当時、私にとっては現在もだけれど、とにかく私たちには余裕が無かった。取得すべき単位は恐るべき低空飛行を続けており、卒業どころか大学に在籍している意味さえ問われる段階に到達しようとしていた。

 学生内に漂う噂の断片を集めたという一説によると、留年に留年を重ねた学生は一種の仙人の如き風格を漂わせるらしい。いくら単位を取得しようが今更であるというのに、そんな事情などどこ吹く風でのらりくらりと日々を生き抜いている。恐ろしい事に大学内にはそんな化け物の様な学生も在籍している。

 一体何の意味があって学費をつぎ込んでいるんだろうか。同じ無意義な事に学費をつぎ込むなら、学生同士で飲み会でもした方が思い出がある分いいのではないだろうか。

 しかしそんな雲の上の様な学生の事はどうでもいい。問題だったのは、私たちが着々とその領域に片足を踏み入れていたという事実なのだから。

 師匠はともかくとして、私だけでも抜け出さなくてはいけない。そろそろ学生の本業に打ち込むべきだ。未確認の連中なんぞは学生じゃなくても探せるであろう。よりにもよってなぜ今なのだ。妖怪探索はいくらでも先延ばしに出来るが、レポートの提出期限は待ってはくれない。

 しかし、至極真っ当な一学生の意見はあっさりとスルーされた。

 もう一度言おう。

 私には意志力が足りなかった。

 もしも私に意志力があれば、遭難した山奥で獣に怯えながらサバイバルをする必要はなく、決死の想いで水源を探す嵌めになる事もなく、奇跡的に発見した泉に感動した師匠により、我々の目的が鵺探しからウィルオーウィスプ探しに変わる事もなかった。

 セミも鳴かなくなった晩秋の日、ずぶ濡れになりながら黙々と火の玉を探す学生二人。もしも他人に見られたら公共機関の御厄介になっても文句は言えない。いっそその方が諦めが付くのかもしれない。

 当然というか勿論というか、鵺も火の玉も見つかる事は無く、代わりに季節外れの蛍を発見した。

 「鵺の鳴く夜には気を付けろ」とは師匠の弁。一体に何に気を付ければいいんだと思った直後、足を捻っておんぶされる事になってしまった。とりあえず背中越しに師匠を叩きながら、帰宅に着いた淡き夏の思い出。

 後日、ウィルオーウィスプに遭遇したら命が無いという事を知った時は本気で頭を抱えた。決して風邪で意識が朦朧としていたからではない。

 そして現在、外ではヒョーヒョーと鵺の鳴き声が聞こえてくる。もしかしたらこの世界なら本物(ぬえ)が居るのかもしれない。

 どちらにしても、師匠の言う事が正しければ私は何かに気を付けないといけないらしい。

 雲模様から察するに、一雨来る事かな。外に出るなら傘は必須か。湿度の関係か、お腹の傷が疼く。

 投げた箱が私の手の中に納まったと同時にチリンと何かが聞こえてきた。


「で、あなたはどう思う?」

「…いきなり何でしょうか?」


 いつの間にかドアの前に立っていたナースさんに話しかけて見たら、困惑したようにを首をかしげた。頭に追従するかの様にしてナースキャップから溢れた赤い髪がさらさらと揺れる。ナースさんの足元にはジュラルミンケース。医療道具でも入ってるのかね。


「今日の天気、雨降ると思う?」

「…天気予報では曇りだと聞きましたが」

「ふーん」


 曇り…曇りか…ところで晴れと曇りの境目ってなんだろう。お日様が出ているか否かだろうか。そしてその天気予報はたぶん外れるだろうなー。


「それで、私の病室まで来て何の用?」

「見回りです、既に就寝時間は過ぎてますよ」

「ああ、それはご丁寧に」


 何が面白いわけでもないけれど、自然と笑みが零れた。


「ところで、どうやって私が起きてる事を知ったのか教えて欲しいなー?」

「それは…窓が開いてましたから、戸締りは大切ですよ」

「なるほどー、部外者なのに親切にありがとうね」

「…どういう意味ですか?」


 一瞬だけピクリと肩が動いたけれど、瞬きする間も無く元に戻った。こういう時って反応しちゃダメなんじゃないだろうか。


「お姉さん、ココの看護師じゃないよね?見たことないし」

「今日新しく入ったものでして」

「新人なのに一人で見回り?普段来てくれる人は?」

「人手が足りないそうなので私が来ました」

「へー?」


 それにしても面白くない…めんどくさいし、もう終わらせようかな。


「ところで私の部屋って関係者以外入れないの、知ってる?」

「はぁ…それがどうかしましたか?」

「だからね。看護師さんだとしても普通の人は入れないの、わかるかな?」

「…すみません、初めて知りました」

「まぁ新人さんだし、仕方ないよね」


 何となく窓の外を眺めてみたら、まだ鵺の鳴き声が聞こえてきた。どうせなら気を付けろと言う警告じゃなくて具体的な打開案を頂きたい。


「さてさてココで問題です。今の私たちの会話に嘘はどれだけ含まれていたでしょうか?」

「…はい?」

「はい時間切れ、正解は全部嘘でした。さて、その嘘に全て答えてしまった勉強不足の新人さんは何者でしょう?」

「何を…」

「試してみる?」


 笑いながらナースコールを見せると、雰囲気が変わった。ここ数か月の生活で相手の雰囲気の変化を悟れる様になってしまったのが少し哀しい。

 暫くそのまま待っているとナースさんが一つ溜息を付いた。そして諦めた様にひらひらと手を振る。その視線の先は私の手先に釘付けになっていて、少しでも変な真似をしたら大変な事になりそうな予感である。


「はぁ…せっかく穏便にしようと思ったのに…押せば?」

「押したら痛い事するから嫌」

「あら気づいてたの?」

「それはもうなんとなく」


 猫を被る事を止めたナースさんと極めて緊張感のない会話をすると、視線を逸らす。どうやら私の健康は首の皮一枚でつながっている様だ。


「で、何の用?」

「ちょっと欲しいものがあってね。大人しくしてれば何もしないから安心して」

「…好奇心で聞くんだけど大人しくしなかったらどうなるの?」

「痛いのは好き?」

「…」


 うわ…こええ…と思わず呟いても罰は当たらないと信じたい。私だってどうせ死ぬのなら痛みもなく安らかに逝きたい。

 せめて願う事が出来るなら…選択の余地が欲しい。


「薬漬けのがよかった?」

「何でも聞いてね!」


 …選択が無かった方が幸せかもしれない。


「それじゃ単刀直入に聞くけど、神器はどこ?」

「はい?」


 ジンキ?ワッツジンキ?この方は急に何を仰ってるの?


「…答える気は無いという事?」

「ちょ、ちょっとタイム!」


 悩んでいたら回答する気なしと判断されたらしい。全く、せっかちは非常によくない。いっそのこと向こう100年くらいは待つくらいの気兼ねを見せてほしい。その頃には私は墓に埋まっているはずだ。そうしたら是非とも墓前で好きな事を言って頂きたい。

 しかし困った、身に覚えのない事を聞かれてもこちらとしては答えようがない。考えなくてもわかるだろうけど、知らない人に突然「ジンキはどこ?」何ていう質問を投げかけられたら、問われた側は罰ゲームをしている人か頭に妖精さんが住んでいるのでは無いかと疑うに違いない。

 さて、このナースさんはどっちだろう。


「質問してもいい?」

「どうぞ」

「ジンキって何?」

「…」

「あ、ごめん今のなしで」


 顔つきが変わったのを見て慌てて訂正する。そして悟った。コイツは妖精さんが住んでる方だ。刺激するのは色々とよろしくない。

 そっと窓の外に視線を投げかけて見たけれど、助けてくれそうな存在は見つからない。いっそガラスで出来たヒーローでも降ってくれば気が紛れるのだろうけど、生憎ガラスのヒーローは付け替え中だ。


「窓から逃げようと思うなら、やめる事をお勧めしとく」

「何かあるの?」

「燃えたくはないでしょ?」


 聞いてみたら全く回答になってない回答を頂いた。これは自分で試せという事だろうか。

 早速怪奇文と共に送られて来た人形を放り投げてみる。すると窓から身を乗り出した瞬間、人形が燃え上がった。どういう原理かはまるで分からないけれど、身体が火照って仕方がなかった訳じゃ無い事だけは確かだろう。

 可能な限り視線で追ってみたところ、窓から逃げるという選択はあり得ないという結論が出た。元より紐なしバンジーを強硬する気はなかったから何の問題もない。そういう危ないことは最後の手段に取っておくものだ。

 さてさて、困ったことにピンチになると助けてくれるご都合主義的なヒーローは現れてくれないらしい。よってここは独力で何とかするしかない様だ。

 よろしい、我が上腕二頭筋の隠されし力を見る時が来たようだ。ふにふにした上腕二頭筋がナースさんを襲い始める!唸りを上げる!


「…そろそろ返事を聞いてもいい?私も暇じゃないんだけど」

「あ、はい」


 妄想して現実から逃れていたというのに、一瞬で戻された。実に世知辛い…世知辛いのぅ…

 さてさて、どうするべきか。


「ところで何で入院してたの?」

「ちょっと身体を壊してね」


 退屈なのか、世間話にしか思えない話題を振ってきた。あんた忙しいんじゃなかったのか。


「…頭を?」

「違います」


 ナースさんは床に転がったボトルを見つめながらむちゃくちゃ失礼な事を仰る。相手が相手なら問答無用で殴られてたぞ!私は出来ないけどな!さすがにぷにぷにの上腕二頭筋では戦えない。

 まぁ、今はどうでもいいか。


「そういえばナースさんは私の名前知ってるの?」

「そりゃ知ってるけど、どうして?」

「人違いで襲われたら最悪じゃない」

「万が一人違いだとして…それを私が信じると思うの?」

「思わないけど、このままじゃ夢に出てやる」

「うーん…」


 時間稼ぎのために適当なことを言ってみたら、真剣に悩まれた。この人…頭弱いのかな。そして自分で言ってなんだが、出来る事なら人の名前は出さないで頂きたい。


「……でしょ?」


 彼女の声はジャリっとしたノイズでかき消された。ノイズに釣られた様に激しい頭痛がして、思わず頭を抱える。ジグソーパズルを無理やり嵌められた時ってこんな感じなのかな?って霞掛かる意識で思った。


「だ、大丈夫…?」


 霧が掛かったような世界の中、慌てた様な誰かの声がして思わず笑いがこぼれる。あなたは私の心配をする立場じゃないだろうに。

 忘れていたお腹の傷が疼く。ナイフで抉られたのが拙かったのか、鼻腔に鉄の香りが漂ってきた。頭ではぎちぎちと何かがきしむ音がして、私を壊そうとする。痛みに耐えきれなくなって微かに声が漏れた。

 カチリという音と一緒に薄いガラスが砕ける音がした、。

 自分が侵されていく不快感の中、浅く息を吐き出すと頭痛と世界の霧が収まり始める。砕けたガラスは…誰も掃除してくれないんだろうな。


「すみません、覚悟が足りませんでした。3つほど良い事を教えてあげます。大人しく聞いてくれたら、さっきの質問に答えてもいいですよ」

「…?」

「一つ目ですが、他人の部屋に入る時はノックなり何なりしてください。二つ目として、今日は雨が降るので体調に気を付けた方がいいですよ。お互い無駄でしょうが」

「あなたは…何…?」


 一本ずつ指を伸ばしていくと、ナースさんが警戒する様に一歩下がった。そんなに変な事はしてないつもりなんだけど。手を降ろしながら、また零れそうになった笑みを堪えた。面白くもないのに笑っていたらただの不審者じゃないか。出来るなら、私は一般人でありたい。

 片手をお腹に当てると、ぬめりと何かの液体で濡れた。

 窓ガラスへと視線を向ければ、私以外に二人の姿が反射して見える。やがて起きるであろう未来に目を逸らせば、どんよりとした雲が広がっていて、雨が降る気配は全くない。

 それにしても、アイツがワインボトルを手にすると撲殺シーンみたいに見えるな。


「最後ですが、世の中には知らない方がいい事もあるって…知ってましたか?」

「っ!?」


 ナースさんが何かに気づいた様に振り向いた直後、ボトルが砕ける音がした。高級品だったのか、部屋中に豊潤なふどうの香りが広がる。


「わお、思った以上に石頭ですね。おかげで開けようと思ったボトルが砕けちゃいました」


 アイツは嬉しそうに声を上げると、突然の衝撃に硬直したナースさんの顔を掴んだ。どういうからくりか、彼女はピクリとも動かない。室内の気温が下がっていくのを感じるけれど、段々と私の身体から熱と感覚が無くなっていく。


「それじゃ、おやすみなさい」


 呟くような声がすると、どさりと何かが倒れる音がした。

 その光景をガラス越しで見る事を止めて振り向くと、死んだように倒れているナースさんと周囲に散らばっている元ボトル。そしてそれらに目もくれずに手に付いたワインを舐めているアイツの姿が見える。まさに殺人の直後と言ったところ。問題点は私も加害者の一端を担ってる事か。

 …それにしても寒いな。


「…殺したの?」

「ちょっと眠らせただけですよ。最も、暫くの間は死ぬくらいの事をしないと起きないと思いますが…あとこういう時は『生きてるの?』って聞くものです。勝手に殺されたら気まずいじゃないですか」


 アイツは「いい人ですからね」と言った後、「あ、人ではありませんか」等と意味不明の言葉を言いながらくすくす笑った。その仕草に、心を読まれた様で少しだけイラっと来る。


「それより!コレ白ワインじゃないですか!」

「しらん、私に言うな」

「赤が好きなのに!」

「ワインはワインだろうに」

「ぶーぶー!」


 ぶーたれる声を無視してナースコールを押す。コール音が鳴り始めるとと「…後でくださいね?」と一言残してアイツの声が消えた。後で…というのはワインをよこせという事だろうか。入院患者がワインを入手するのは非常に難しいと思うのだが。

 目を閉じると薄く息を吸い込む。たったそれだけの動作だけど、気分が少しだけ楽になる気がする。


『どうしましたか!?』

「あー…ちょっと部屋に不審者がいて」

『今から向かいます!』


 ナースコールに用件を告げると、唐突にぶつっと切れた。面倒事が一つ増えた気がするけど、後はこの名もなきナースさんを引き渡せば失い掛けた平穏な夜が戻ってくるわけだ。

 …つくづくそうであって欲しい。

 赤く濡れた手を病院服で拭っていると、砕けたガラスからチリンという音が聞こえた。

 そうだ…新しいのまた吊るさないと。



□ □ □ □



 ああ…さようなら、平穏な夜。


「何処か怪我はありませんか!?」


 耳をひょこひょこさせながら私の身体をぺたぺた触るナオさんを前に、過ぎ去った願いに別れを告げる。しかし怪我の有無なんて見ればわかると思うんだけど、この人視力悪いのかな。

 まさかナースコールを押したら、特殊部隊さながらに窓から突入されるとは思わなかったぜ!もしかしてこんな時間だというのに、屋上に居たのか。

 あなたはどうして普通に入って来ないの?

 どうして私の身体をそんなに弄るの?

 どうしてそんなに興奮した様に耳を動かしてるの?

 弄る様に動く手を無視しながら窓に逃避を投げかけると、ナオさんが突入するのに使用したワイヤーと目が合った。何となく睨みつけてみたら自分に言うなとばかりにワイヤーが揺れる。

 疑問は枯れない泉の如く湧いてくるけど、その中から一つだけ掬いあげよう。


「時にナオさん」

「…」

「ナオさん?」

「…っ!?な、なんですか?」


 無我夢中でふにふにと我が贅肉を揉んでいたナオさんは、私が話しかけるとビクッと震えて手を放した。私の胸やお腹に何か面白い物でも付いていたんだろうか。触診でわかるもの…まさかガンか?い、いや、まさかね?

 ガンの原因になってもおかしくないであろう日頃の回想を締め出し、彼女に疑問をぶつけてみる。


「屋上で何してたんですか?」

「あ、えーと…星空が綺麗だったものでして」

「ほぅ…星空が?」

「はい、星空が!」

「心眼でも開きましたか?」


 私が曇り空をちら見すると、満面の笑みで頷いた彼女の表情が凍りついた。どうも屋上に居たのに空模様は見て無かった様だ。上じゃないなら下に意識が向いていたという事は、小学生でも気づくであろう結論であると言える。


「ナオさん」

「は、はい…」

「なんでドアから入らなかったんですか?」

「え、えーと…ほ、ほら、日ごろの訓練がですね…」

「そうなんですか」

「そうなんです!」


 やたらと強調された。ごり押せば誤魔化せると思うなよ、医者もどき。そういえば、ナオさんもアリスも夜空さんも病院内では白衣を付けてるけど、制服か何か何だろうか?


「まぁいいでしょう。ところでこれはナオさんのカナー?」

「コレ…ですか?」

「目が覚めたらビデオカメラと対面しまして、ご丁寧に名前シールが」

「うぇっ!?」


 変な声をあげた後にうろうろと泳ぎ始める視線。いま彼女の脳内では水泳大会の開催が想定されているのかもしれない。そういえば今日は雨が降るし、開催に向けてのリハーサルも可能だと言えるだろう。参加者は一人だろうが、私には断言できる。優勝者はその一人だな。むしろ参加者1名で優勝出来ない奴が居たら知りたい。


「い、いやー…別の人のじゃないでしょうか?」

「ふーん…」


 ご丁寧に『なお』と書かれているシールを眺めながら、とりあえず相槌を打つ。ナオさんのじゃないのかー。嘘じゃないと仮定した場合、考えられるのは同名な誰かさん?偶然ナオというお方が偶然私の部屋で偶然ビデオの録画をしていたわけか。そこまで偶然が重なるともはや奇跡だね。即ちこのビデオカメラは奇跡の体現者であると結論が出せよう。

 えいっと奇跡の証拠を放り投げたら「とわぉぅ!」という不思議な掛け声と共にナオさんが跳んだ。空中でビデオカメラをキャッチすると、壁を蹴ってさらに天井を蹴るという物理法則に喧嘩を売った動きを披露してから着地した。


「おおー」


 ぱちぱちと拍手すると照れる様に頭を掻いた。化けの皮を剥ぐが如く人間離れしていく姿には感動すら覚える。普段は猫をかぶっているんだろうか。


「って壊れたらどうするんですか!」

「すみません、つい手が滑って」

「…思いっきり投げた様に見えたんですが」

「叩きつけた方がよかったでしょうか?」

「…ま、まぁ壊れて無いみたいだから良しとしましょう」


 ナオさんは私の視線から逃げるようにカメラへと目を向けると、ぽちぽちと何やら操作を始める。


「データなら消しましたよ」

「え…?」


 無駄な事をさせてはいけないという全くの善意から教えてあげると、ピクっと耳を動かしてこちらを見た。


「え、えっと…け、消したって…何を…?」

「カメラのデータなら先ほど消しときましたから安心してください」

「…」


 信じたくとも信じられない事実に遭遇したかのように硬直をするナオさん。確認のために数度手を振ってみたけれど、全く反応しない。さてはて、どうしたらいいのだろうか。


「けし…た…?」

「確認してみればわかると思いますが、どうかしましたか?」


 呟きに答えてみたら、凄い速度でカメラを操作し始めた。何度もポチポチと画面を操作する姿はものによっては涙を誘うかもしれない。そんなに大切なデータでも入っていたんだろうか。

 けれども願いは届かず、ぺたんと耳を倒して落胆するナオさん。


「もう一度確認のために聞きますけど、ナオさんのじゃないですよね?」

「え…も、もちろんですよ!」

「ならデータが消えていても問題ありませんよね?」

「えっと…えっと…その…全く知らない人のだったら…勝手に消すのはダメなんじゃないかなー…って?」

「知人でもない人の寝顔を撮る様なカメラなら、破壊されなかっただけありがたいと思うんですが」

「つまり知人なら撮られてもいいってことですか!?」

「知人だったら嫌いになります」

「そうですよねー!そうですよねー…あははー…」


 意気揚々と乗り出して来たナオさんだったけれど、すぐに意気消沈した。今の会話のどこに盛り上がる箇所があり、どこに盛り下がる箇所があったのだろうか。というか、そのカメラはナオさんのじゃないのか。

 それなら話は変わる。


「最後に聞きますけど、ナオさんのカメラじゃないんですよね?」

「…もし私のだったらどうだっていうんですかー」


 拗ねたように呟かれる。どうもご機嫌斜めらしい。秋空と乙女心はなんとやらとか言った気がするけど、恐らくそれに違いない。


「もしナオさんのだったらアリスに報告しようか「コレが潜入してきた不審者ですか!全くけしからんですね!!」」


 ナオさんは私の言葉を遮ると、今まで放置され続けていたナースさんに近づく。いい加減ナースさん以外の呼称が欲しいところだけれど、他に呼びようがないから仕方ない。

 何かを誤魔化す様に近づいたナオさんはというと、不法侵入者の顔を覗き込んで硬直していた。殴られて気絶した拍子に変顔になってたりしたらどうしよう。恨むなら筋違いだからやめて頂きたい。


「…電気付けていい?」

「いいですよ」


 別に闇の世界に生きる住人でもないのだし、電気何ていくらでもつけるがよろしい。

 パチッと電気が付いた瞬間「うおっまぶしっ!」という幻聴が聞こえてきた。その台詞は電気じゃなくて弾がヒットした時だろう。

 蛍光灯の明かりに照らされたナースさんは綺麗な赤色の髪をしている。変顔かどうかはこちらからじゃ確認は出来ない。しかしすぐさま明かりが消されたことから、ナオさんの知人である事は推測できる。なんかこう…明かりの下で知人の変顔を見るのは良心が耐えられなかったんだろう。


「知り合いですか?」

「あ、はい…まぁ…昔にちょっと…」

「そうですか」


 ナオさんの過去に何があったのかを詮索するのはいくら知人だとしても失礼と言えるだろう。ましてや久々の再会が変顔なのだから、思わず言葉を濁すのも理解できる。私だって長年会ってなかった人との再会が奇襲による殴打や何かだったりしたら思わず見なかったことにする。

 我ながらどういう出会い方だ。というかそんな出会いは存在しないだろう。

 ぼーっと妄想を働かせて遊んでいたら、ナオさんがベットサイドの棚を調べていた。何をしているのか知らん?と見つめていたら、中からいくつか物騒な物が出てくる。

 ナオさんはガチャガチャと短機関銃(マシンガン)を手慣れた手つきで組み立てると、ナイフと一緒に白衣の下に隠した。私の部屋に何を仕込んでいるんだろう。少しこんもりとしていく彼女の白衣を見ながら、単に着太りするタイプだったりしたら何と平和なのだろうとか思わずにはいられない。

 そしてあろう事かナースさんを抱えた。まさかスプラッタ映画も真っ青なリアルな殺人が繰り広げられるんじゃないだろうな。ちょっと待ってくれぃ。今耳と目を塞ぐから。


「どうするんですか?」

「殺すと面倒な事になるので、窓から捨てます」

「…」


 端的かつ残酷な言葉が返ってきた。その時私は、捨てられる彼女に向かってどんな言葉を掛ければよかったのだろう。

 哀れにもナースさんは「うわっ…お酒くさっ…」等と弁解も出来ない状態で悪態を付かれながら窓から捨てられてしまった。

 突如何かが燃え上がったけれど、見ると一生モノのトラウマが生まれそうなので見なかったことにする。


「さてさて、ココは危ないので移動しましょうか」


 夜闇を落ちていく灯りには目もくれないでナオさんが言った。あなたとここ、どっちが危ないのだろう。冷静に考えて、危ない方に付いていく方が危険度は高まるといえるだろう。一方は銃火器に刃物を所持、もう一方は銃火器と刃物が隠されていた。考えるまでもない。


「そうですね」


 危ない方の提案を拒否るのが一番危ないに決まっている。場所は動かないが生物は動くのだ。

 えっちらほっちら立ち上がるとナオさんの用意してくれた車椅子に座る。歩こうと思えば歩けるけど、生まれたての小鹿の如くプルプルする事になってしまう。肉食獣であろうと推定できる存在が近くに居る現状、草食動物の如き行動は慎むべきだろう。弱みや隙を見せるな、さもなくば喰われるぞ。

 ナオさんは奇妙な優しさで甲斐甲斐しく私のお世話をしてくれる。古来より傷心のところを砂糖の如き甘さでぺろぺろと舐めるのは人心掌握の基本というから、きっとそれだろう。決して塩を塗り込んではいけない。そんなことする奴は人じゃない。


「行きますか?」

「いいですよ」


 ごろごろと車椅子が発進する。心の中で「ゴーゴー!ナオ号!」等と適当な歌詞が作られた。この歌がこの世に産み落とされる事は一生ない。

 しかしナメクジの如き遅さなんだけど、何かあるのかい?私の心は掌握されてないが、生命はナオ号に掌握されている。気分はオオカミさんに遭遇した赤ずきんちゃん。


「ナオさん」

「何ですか?」

「なんでこんなにゆっくりなの?」

「急いだら身体に悪いじゃないですか」

「何処に移動するの?」

「そりゃ…秘密ですよ」


 ナオ号は一瞬何を言いかけたんだろうか、そして私はどこに連れてかれるんだろうか。ドナドナの子牛の如く屠殺場でないといいのだが。何故か後ろ向きに進まれているから前が見えない。これは後ろ向きに生きていけという事を暗に示唆されているのだろうか。

 砕かれたワインをさらに細かくする振動が伝わってくる。


「安心してください、今晩は寂しくない様にずっと隣にい「…ナオさん」」


 ナオさんが何か言いかけたのを遮る。それどころじゃない。それどころじゃないぞナオ号よ。目の前が真昼の如き明るさになりつつあるという事実に私の心が燃やされかねない。

 相も変わらず車椅子はゆっくりと進んで、ちょうど廊下に出ようとしている。


「どうしましたかー?」


 何時爆弾が爆発するか戦々恐々としている私を、ナオ号はニコニコしながら覗き込んでくる。危機感が足りない。実に危機感が足りないぞナオ号!すぐさまナオ号の脳内に寄生しているお花畑を焼き払わなくてはならない。なあに、花はまた咲くさ。

 しかしどうやって説明すればいいんだろうか。


「あの…」

「んー?」

(ドラゴン)が居ます」

「…え?」


 脳内お花畑のナオさんが顔をあげた直後、ナースさんと思われる伝説上の生き物の口から火球が放たれた。



□ □ □ □



 いつもの様にお医者さんの所から帰ってくると、見たことないお姉ちゃんがいました。お姉ちゃんはぱちぱちとピースを嵌めているのに、何だかつまらなさそう。


「なにしてるの?」

「んー?」


 私が声を掛けると、お姉ちゃんが顔をあげます。長くて黒い髪がとても綺麗。


「んー…なにしてるかって言われると答えに困りますね」


 お姉ちゃんはおかしなことでもあったのか、くすくすと笑い始めました。そのまま散らばっている中から無造作に1つを手にすると、ぱちりと嵌めます。本で見たことある形…ジグソーパズル?

 チリンチリンと風に揺られて澄んだ音が聞こえてきました。


「それ、面白いの?」

「面白くはないですよー」


 面白くないって言ってるのに、くすりと笑うとまたぱちり。


「見ててもいい?」

「はい、こんなものでよければいくらでも。何かお話でもしましょうか?」

「うん」

「そーですねー」


 お姉ちゃんは「ん、んー…」と悩むと、ぽつりぽつりとお話をしてくれました。お姉ちゃんの話はまほーつかいの話らしい。なのに全くまほーは使わないし、特に不思議な事も起きない。けど、一人でご本を読むよりはずっと面白いから耳を澄ませて聞きます。


「んー…」

「どうしたの?」

「今日のお話はココまでですかね」

「どうして?」

「まぁ、また今度してあげますよ。代わりと言っては何ですが、お願い事はありますか?」

「お願い事ー?」

「はい、お願い事ー」

「うーん…」


 少し考えた後、チリンチリンと澄んだ音がする窓の方を見つめます。そこでは綺麗な青色が四角く切りとられていて、風鈴が自由そうに揺れていました。何処までも続いているそうですが、本当でしょうか?


「私は…ふつーに生きたいかも」

「普通…ですか?」

「うん、ふつー。ご本の中みたいに、ふつーに遊んだり、怒ったり、笑って…そして死ぬの」

「なるほどなるほどー」


 お姉さんは私と一緒に窓の方を見つめると、私の頭を撫でてくれました。


「だいじょーぶ、いつか叶うと思いますよ」


 そう笑うと、また無造作に一つ掴んでぱちりと嵌めます。

 それから『また今度』はまだ来ていません。



□ □ □ □



「…さん。…さん!」

「うぁ?」

「あ、目が覚めたんですね!?よかったー!」


 呼びかけに目を覚ますと、ナオさんが私の身体を揺らしていた。それはもうとんでもないほど揺らしていて、人間バイブレーターの如く振動を始めるマイボディ。私は何もよくない。


「ななななななおさん。やややややめてください」


 いかん、寝起きにコレは…は、吐いてしまう。リバーススイッチに手が伸びる!既に脳内の司令部ではストレスで頭頂部が寂しくなってしまった艦長が難しい顔をしてスイッチに手を伸ばしている。そのボタンが押されたが最期、ナオさんの身体をどろどろの液体が襲う事になるだろう。それではイケナイ。昔から今まで、そして永久に至るまで!この話は全年齢向けだ!「成人向け大いに結構!いっそ描写できないレベルでねちょねちょすればいい!」脳内で艦長がぶっちゃけた。

 ぐるぐると回り続ける世界がだんだん白くなって来て、意識という安全装置が外れかける。


「ゆ、ゆするの…やめ…」

「あ、アレ?その…大丈夫…ですか?」


 決死の覚悟で口を開くと、なんとかバイブレーション機能がオフになった。同時に艦長が必殺!副艦長ぱんち!で殴り飛ばされる。上司と部下による仁義なき戦いが繰り広げられる間、私は背中をさすられながら込み上げ物を必死にこらえていたのは言うまでもない。


「大丈夫です…落ち着きました」

「そうですか…その…すみません」

「いえ、大丈夫ですから」

「ふむぅ…あ、ちょっと失礼します」


 ナオさんはそういうと顔の側面に手を当て、小声で何か話している。断片的に聞き取れた内容から判断するに、何処かと通話の様である。…アリス関係かな。

 隠れる事を諦め、堂々と肩ひもに吊るされている短機関銃(マシンガン)を見つめながら、そういえばナオさんの耳はどこにあるんだろうと思い至った。猫耳なら上についてるけど、今の仕草をみるに人と同じ耳も付いてるんだろうか?

 突如湧きあがった謎は深まる要素を見せず、『どうでもいい』という言葉の前に霧散する。そして出来るなら物騒なものは隠して欲しい。

 阿呆の様にぼーっとナオさんのもしもしを眺めている気は無いので、ぼーっと天井に目を向けた。同じ様にぼーっとするなら、ナオさんを見るも天井を見るも同じだという人が居るかもしれない。しかし待ってほしい。同じ『ぼー』でも人をみる『ぼー』と天井をみる『ぼー』とでは天と地の差がある。

 …どう差があるのかは人類の神秘に関わる話に発展し、ナオさんの仕事が終わっても続くような大演説に成りかねないので各自考えてほしい。答えは求めるものではない。もしくは察するんだ。

 それにしても、意識を失った際に変な夢を見た気がする。元々夢なんて十中八九は変なものだけれど、今日のは脳の信号が云々じゃ説明しづらい内容な気がする。妙な現実感というか、昔読んだ本を再認してる作業といべきか。もしかして変な電波でも受信したんだろうか。それはそれでいいかもしれない。

 何よりも問題なのは、最近変な夢をみる率が高くはないだろうか。突如として目覚める秘められた能力…そんな漫画の主人公みたいな事を私に求めるのはお断りしたい。

 私は極めて平凡にいきたいのだ。

 何処かの誰かが言うには、夢とは別の世界の出来事らしい。選ばれなかった可能性が…何だっけか。いまいち胡散臭くてまともに聞いていなかった。しいて言うなら、さっき見た夢の内容も手のひらから水が流れ落ちる様に記憶から失われている。別に失う事に未練はないのでそのまま見つめる事にした。


「あの…?」

「はい?どうしましたか?」


 ふと気が付くとナオさんが私を覗き込んでいた。辺りが暗くていまいち確信が持てないけど…どうして悲しそうな顔をしているんだろうか?


「その…本当に楓さんですよね?」


 ナオさんは私の目を見つめながら、そんなつまらない事を聞いてきた。だから私は笑顔を取り繕う。パキっと表情筋の引きつる音が幻聴で聞こえる。


「何言ってるんですか、私は私ですよ」

「そ、そうですよね」


 その会話はそれで終わった。

 ナオさんの通話も終わったので辺りを見渡してみると、ドアがいくつか付いている殺風景な通路だという事が分かった。電気も窓もなく、必要最低限の灯りを辿っていくとシャッターらしきものが降りているのが見える。

 ふむ…どうやら私が知らない場所らしい。

 状況確認が終了した。無駄な事はあまりしたくない。


「今どういう状況何ですか?」

「えっとですね…とにかく移動しましょう。歩けますか?」

「肩を貸してもらえるなら何とか」

「ど、どうぞ…」


 壁にもたれかかりながら立ち上がると、ナオさんの肩に手を回す。人間大の肉の塊の重さに驚いたのか、ナオさんがびくっと撥ねた。しかしすぐに立ち直るとおずおずと私の肩に手が回され、一方的に寄りかかる二人三脚の様な姿になった。私は贅肉が極限まで削られた無駄のない体型をしているから、そう重くはないと思うのだけれど。

 今食事制限したら天に召されるなーとか思いながらえっちらほっちらと薄暗い通路を歩く。全国に居るだろうダイエット挑戦の皆様方と同じ様に、痩せるための選択肢に運動という選択肢は無い。


「そうですね…とりあえず現状を一言でまとめると、追われてます」

「なるほど」


 ぼーっとしてたらナオさんが極めて分かりやすい説明をしてくれたので頷く。はてさて、追われてるって誰に何をして追われてるんだろうか。この世に生まれてから二十幾年、誰かに追われたことなんて未確認生物を探すためにうっかり私有地に入り込んだ結果、泥棒と間違われた事が幾度かあるくらいだ。

 下手するとひ孫でも居そうな高齢のお方が、シニア陸上からのスカウトが来そうな速度で迫ってきたのはなかなかスリルと恐怖があった。月明かりにご老人の鋭い眼光と手に持つ鎌の刃がきらりと光り、殺人鬼も逃げ出すであろう迫力となっていたのは思い出すだけでも恐ろしい。

 あの時はどうにかして撒いたと思ったけど、まさかあの爺…時空を超えて追ってきたのか?別世界に旅立つなら行先はココじゃない。そんなところまでボケないで安らかに眠って頂きたい。


「追われてるって…誰にですか?」

「えっと…部屋に不法侵入して来た輩です」


 この世界の住民はご老人に優しいのかどうかを考えながらナオさんに聞いたら、想像とは別の答えが返ってきた。不法侵入して来た輩なら目の前に居るのだけど、話の流れ的に違うだろう。

 そこで私の脳内に電流が走る。思い出しただけともいう。

 何故か部屋に来て不思議な事を抜かした挙句、窓の外へと捨てられたナースさん。常人なら死ぬであろう高さを燃え上がりながら落下した彼女は、伝説にまで残る羽の生えたトカゲとバトンタッチして私に火球をぶち込んできたのであった!

 何処か説明口調なのは気のせいだろう。


「ナースさんの事ですか」

「ナースさん…?んと…たぶんそうだと思いますけど…何も考えずに部屋一つぶち壊してくれたおかげで院内の警戒レベルが引き上げられました」

「引き上げられると何か問題でもあるんですか?」

「あちこちに防壁が降りてまして…つまるところ迷路みたいになってます。耐久的にアレを止めるのは無理だからこちらだけのデメリットですね。とりあえず本隊の方には連絡をしましたので、後は外に出てアリスを待てば大丈夫です」


 私が「なるほど」と頷いていると、ナオさんが無造作にドアの一つを開けた。ドアの向こうには長い入院生活で見慣れてしまった廊下が見える。消灯時間はとっくに過ぎているため、辺りはかなり暗い。普段と違うところがあるとしたら、遠くにシャッターの様な物が降りている事か。

 もう一度「なるほど」と頷いておいた。何がどう「なるほど」なのかは誰にもわからない。

 私が「なるほど」製造機と化している中、ナオさんは何かに耐える様に肩を揺らして歩きはじめる。耳を澄ますと堪えた笑い声が微かに聞こえた。何か面白い事でもあったのだろう。

 ナオさんは迷路になっていると言ったけれど、本人は道が解っているかのように迷うことなくドアを進んでいく。不思議なのは病室のドアを開けたはずなのにその先は廊下であったり、非常口と書かれた戸を開けるとこれまた別の廊下に繋がっていたりする事か。屋内のドアだけをバラバラにした迷路があったらこんな感じなのかもしれない。もしくは空間を捻じ曲げたとか?


「…なるほど」


 一体どういう状況何だろうか。



□ □ □ □



「そういえばどうして逃げてるんですか?」

「へ…?」


 恐らくは一生分の「なるほど」を呟いた頃、唐突に疑問をぶつけてみた。


「ナオさんならわざわざ逃げてアリスを待たなくても戦えるんじゃないかと思いまして」

「あー…それはですね…その…他に非戦闘員の人も居て巻き込めないというのもありますが…装備が足りないと言いますか…えっと…私一人だと相性が悪いと言いますか…」


 聞いてみると何やらもじもじとしながら答え始めるナオさん。よくわからないけど一人で戦うのは難しいらしい。

 緊急事態だというのに危機感が足りないんじゃないだろうか。もっと私みたいに危機感の塊として生きてもらいたいものだ。私は察知しても対処できないけど。

 ナオさんの危機感の有無について勝手に嘆いていると、ぴくっと彼女の猫耳が動いた。もしや考えを読まれた?と私が身構えるよりも早く地面に屈むナオさん。運命共同体とばかりに彼女に寄りかかっていた私は成す術無くその上に倒れ込んだ。このままでは強かに全身を打ちつけて海老の如く撥ねてしまうだろう。せめて最後の抵抗として全身の力を抜くことにした。


「失礼します!」


 しかし私の身体はナオさんの肩で受け詰められ、布団でも持ち上げるかのように担がれた。果たして海老と布団ではどちらのがいいんだろう。しかし私の思考はそう長くは続かなかった。

 突如上から押さえつけられる様な力に襲われ、お腹がナオさんの肩に押し付けられて大変痛い。「ぐへぇ」と物理的に肺の空気を吐き出されていると、パキッという音がナオさんの足元からした。

 ものすごく不吉なものを感じて何とか頭をあげると、床にナイフが刺さっているのが見えた。深々と刺さっているナイフの柄には刃を更に押し込むかの如くナオさんの足が乗せてある。信じたくない現実として、ベキッパキッとしちゃいけない音がすると共に床にヒビが広がっていく。ついでに私の顔も引き攣っていく。

 顔を上げる事に限界を感じてナオさんの背中を顔面で感じる事にした直後、床の砕ける音がして重力に導かれた。重力を何重にも掛けたかのような速度で下へと身体が落ちていく。気を失ったり声をあげなかったのは落下時間が短かったからだろう。

 ナオさんの身体はトンッと速度の割には軽すぎる衝撃を受け止めると、そのまま前へと駆けはじめた。着地と同時に私の身体に掛かっていた力も軽くなり、顔をあげて人生何度目かの呼吸ができる喜びを知る。しかしナオ号がなぜこんなに急ぐのかわからぬ。

 その疑問はすぐに解決した。というより私たちが通過した天井の穴から炎が漏れて来ているのが見える。炎は液体の如くにゅるりと穴を通過すると床へと墜落、私たちを逃さないとでも言わんばかりに辺りに広まり始めた。熱気がチリチリと私の肌を焦がす。

 ナオさんは炎が私たちに届くよりも早くドアの中へと飛び込むと、一気に閉めた。閉じたドアから炎が漏れる事は無く、一先ずは安全と言える状況なのかもしれない。

 けれどドアを閉めた後も一息付く事はせずに駆けだし始めるナオさん。通路をに右へと曲がり、ドアを開け、閉め、左に曲がり、階段を飛び下りるというアクロバティック溢れる動きで見えない相手から逃げる。

 しかし待ってほしい。お願いだから待ってほしい。私は後ろ向きに抱えられているのだ。

 自分の意思じゃない上に自力じゃ不可能な速度で後ろへと進むと人はどうなるか?答えは簡単だ。

 私は外の世界への遠足を目論んで込み上げてくる物たちを堪えるために口を閉ざす。口を閉ざすからナオさんに「待って!」という簡単な言葉も言えない。言えないという事はナオ号は高速で移動し続ける。高速で移動すると、込み上げる物たちも外へと出ようと蠢き始める。

 コレを負の連鎖という。

 ああ…私は何か悪い事をしたのでしょうか?いっそ全てぶちまけば未来も何もかもを失って楽になるのかもしれない。だがそれを選択すると何か大切なものを失ってしまう。それだけはイケナイ。

 口を開くと禍々しい無意識が溢れそうになるので行動で示す事にした。

 移動が直線になったのを感じ取った直後、バンバンとナオさんのお尻を叩く。私の話を聞いて、という精一杯の自己主張である。どういう状況であるとしても、抱えられている人がバンバンと暴れれば反応せずにはいられまい。


「にゃっ!?」


 私の決死の想いの自己主張はナオさんのやけに可愛らしい悲鳴によって実を結んだ。足を止めたナオさんは慣性の法則を利用して私の足を掴み、流れる様に地面へと叩きつけたのだ。

 歩けばカツカツと音が出る程度には硬い床に叩きつけられた私は、海老の如く撥ねる事も出来ず、ましてや重病人の如く呻くこともせず、極めて安らかに衝撃を受け入れた。幸い込み上げる者たちは「ひゃあ!」と悲鳴をあげながら胃の中へと逃げて行った。

 私の判断は間違っていなかった。間違っていなかったと思いたい。決してナオさんのお尻がやわっこかったからとかではなく、ナオ号はきちんと止まったのだ。それは喜ぶべきことだ。君の未来は守られた。おめでとう、私。


「へ…?」


 何が起きたのかわからないといった様子の声が何処か遠くで聞こえる。ゴポっと喉から込み上げるものがあったので吐き出すと、口の中に鉄の味が広がった。胃液でない事に安堵するも、全身は痛みを訴えるより先に気怠さを訴えて来る。

 なんだかすごく眠い。


「あ、あー!だ、だめです!寝ちゃダメですよ!?」


 慌てて冷静な思考が出来ないのか、私の身体が抱えられてがくがくと揺られる。


「ダメですってば!」


 揺られる。


「今眠ったらもう起きれなくなっちゃいますよ!」


 揺られる。


「お願いですから…目を開けてください」


 凄い速度で揺られる。


「お願い…だから…揺すら…ない…で…」


 踏みとどまったのは死にたくないという本能か、それともこんな死に方は嫌だという最後の意地か、ゴポッともう一度血の塊を吐きながらも私は蘇生した。


「あ、目を覚ましたんですね!?」


 だが冷静さを取り戻していないナオさんは私の身体をがくがくと揺らし、力の入らない首が壊れた人形の様に上下に動く。

 拙い…このままだと…殺られる。


「そ、それ以上…いけない…」

「へ…あ…その…大丈夫…ですか?」


 決死の力で元凶(ナオさん)の肩に手を置くと、ようやく揺するのを止めてくれた。今の私が大丈夫に見えるなら、あなたの両目は節穴です。


「大丈夫…ですから…」

「よ、よかった…」


 心配をかけてまた生死を彷徨うのは嫌なので、全力で笑顔を作ると安心させる。ナオさんは目に涙を溜めると私に抱き着いてきて、そのままえぐえぐと服を濡らした。


「私…死んだらどうしようかと…」

「大丈夫です…大丈夫ですから…」


 泣きじゃくる彼女の頭を優しくなでる。

 …何かおかしくないか?

 なんで被害者(わたし)加害者(ナオさん)を慰めているんだろうか?


「ナオさんナオさん」

「は、はい…何ですか?」


 うるうると涙に濡れる瞳を拭いながらナオさんが私を見上げる。お互いの大きさの関係でナオさんの姿勢が凄い事になっている。何故かナメクジ猫を連想された。


「私は被害者で、ナオさんは加害者ですよね?その辺を考慮した上で現状について一言どうぞ」

「…」


 ナオさんは無言で立ち上がると、どこか遠くを睨んだ。


「…こ、この治療法はダメですね」


 …誤魔化せると思うなよ人もどき。

 何か文句の一つでも言ってやろうとしたら、後ろから音が聞こえてきて思わず振り向いた。静かな廊下を消火栓があるであろう赤いランプが照らしている。視線を動かしても音がする場所は見つからない。


「あ…れ…?」

「ん…?どうしました?」


 私が不安に駆られながら気配を探っていると、「危機感があるからどうしたの?」と赤いランプが言った。こちらが何かを言う前に「先が解っていても処理する気なんてないんでしょう?」と続けて言う。

 頭が痛い。

 邪魔をしないでと叫びたいのに、声が出ない。非日常何て要らない。それじゃ欲しかったものは手に入らない。

 「なら、見殺しにしますか?」と赤い光が問いかけた。

 何か言い返さないといけないのに、頭が痛い。何かが私の身体を掴んでいて離さない。今すぐ眠りたい。眠って夢を見ていたい。

 思わず頭上を見上げた。私は飛ぶことはできないけれど、飛んでるものを見れば少しは落ち着くから。

 けれど私の目の前には空じゃなく、白い壁が見えた。警告する様にチリンという音が聞こえる。その音が聞こえると、波が引いていくように頭痛が収まってくる。


「あ、壊れるな…」

「え?」


 誰かの戸惑った声がするのと同時、爆発音がして天井が壊れた。私の近くへと人型の何かが落ちてくる。その何かを私が認識するより早く銃声が響いて人型が炎に包まれた。

 突然の銃声に驚いて思わず耳を塞いだ。こちとら緊急事態に対応できる身体能力何て持ち合わせちゃいないのである。


「ななななななな!?」


 口からは意味不明の単語が放たれる。自分自身何を言いたいのかわからないのだから、意味不明の単語しか出せないのは仕方ないだろう。

 目の前ではナオさんが突如落下してきた人型へと軽機関銃(サブマシンガン)をぶっ放している。そして人らしきものはというと、こちらはこちらで炎に包まれてチリチリと私の肌を焦がそうとしてくる。

 銃と炎と私の声。短編小説のお題に出来なくもなさそうな状況だけれど、発音できる台詞が単音では会話が成り立たないだろう。というか熱い!いかん熱い!

 銃声が途切れた瞬間を狙って横へと倒れると、負傷部位を強かに打ち付けて海老の如く撥ねた。滲む視界でナオさんにヘルプを請おうとしたら、私の事など微塵も気にせず弾倉を交換して引き金を引く

 私の表情が引きつったのは言うまでもない。

 少しでも彼女の後ろへと隠れるべく芋虫の如くずりずりと移動する。銃と炎と芋虫な私。小説は書けそうにない。

 私の決死の行動によって何とかナオさんの後ろへと逃げると、再び弾が切れたのか銃声が止まった。ナオさんは弾倉の交換をするだけの様で構えたまま動かない。

 暫くすると炎の塊から炎が無くなり、中の人が出てきた。


「窓から投げ捨てるといい、今回といい、久しぶりだっていうのに随分と失礼な挨拶ね?」

「コソ泥に挨拶するほど広い懐は持ってませんので」


 中の人…ナースさんが話しかけるとナオさんが答えた。状況が全くわからない。何がわからないって、なぜナースさんは全裸なのだろうか。服はどうしたんだろうか。もしかして痴女なんだろうか。そうすると私は痴女に連れ去られそうになっていたのか?もし連れ去られていたら何をされていたんだろうか?

 恐ろしい可能性に背筋が震える。


「で?こんな夜中にこそこそと動いて竜族の誇りとやらはどうしたんですか?」

「生憎と下等生物に見せる誇りは持ち合わせてないの」


 三度響く銃声、炎に包まれるナースさん、脊髄反射で頭を抱える私。

 幸い今度はすぐに収まってくれた。というか誰も全裸を気にしないのは何故だろう。もしかして気にしてるのは私だけなんだろうか?いやいや、文明人として全裸はアウトだろう。全裸は。


「無駄な事が好きなの?馬鹿みたい」

「全くですね…自分でも呆れます」


 炎が収まると、再び何でもないかのように会話を始めるお二人さん。ナオさんの耳が何かに堪えるかのようにピクピクと動いているのが大変恐ろしい。

 ナオさんがちらっとこちらを見た。私の背筋が凍った。


「わざわざ追って来て…何か用ですか?急いでますのでくだらない用なら後にして欲しいんですが」

「奇遇ね、私も急いでるの。でもあなたに用は無いから、どいてくれない?」


 不敵に微笑みかけるナースさんに対して、ナオさんは動かない。私はというと動かないではなく動けない。自発的に現場をかき回すほど活動的ではないのである。


「念のため聞いておきますが、用はこの子ですか?」

「だったとして、何が出来るっていうの?」

「そうですね、大したことはできませんが…黙らせるくらいならすぐにでも」


 ナオさんが答えた直後、ナオさんの左腕が動いた。投擲されたナイフは空気を切り裂きながら炎の塊へと向かっていく。けれどもナイフは銃弾とは違い、炎の中へと吸い込まれた。


「っ!?」


 炎からナースさんの驚く声がした。どうして驚いたのかは想像しないでおこう。その間にナオさんは消火栓へと銃口を向けて引き金を引いた。耳を塞ぎたくなるような音の後に銃弾が金属板を貫くと、中から真っ白な消火剤が漏れだして辺りを白く塗りつぶしていく。

 そんな見惚れそうな一連の動作の間に私が何をしていたかと言うと、ナオさんに再び布団の如く抱えられていた。決して乗り心地が良いとは言えないナオ号に揺さぶられながら、今度は叩きつけないでほしいな…と他人事の様みたいな思考が頭を過ぎった。

 ガタガタと上下に揺らぐながら、世界が後ろへと流れていく。借りてきた猫の如く大人しくしていた私だが、突如第六感が危険信号を発っした。緊急事態を知らせる赤い光で包まれている艦長室では顔にあざを付けた艦長が「何かヤバい!何かヤバい!」と叫び、副艦長が落ち着けとばかりに殴り飛ばす。

 直感には従え、暗黒の青春時代に学んだ数少ない教訓である。


「ナオさん!ナオさん!ドア!ドア入って!」

「どうしました?」

「いいから早く!」

「は、はい」


 私の鬼気迫る指示に気圧されたのか、ナオさんは手ごろなドアへと飛び込んだ。脳裏では丸焼きとかウェルダムとかの不吉な単語が飛び交う。

 危機はまだ去っていないと頭痛が知らせてくる。

 私はナオさんの一瞬の隙を付くと地面へと落下、布団から人間への復活を果たした。そのまま脳を焼き殺さんとばかりに発してくる鋭い痛みに視界をにじませながらもゾンビの如き動作で何とかドアを掴むと、力の限り横へとスライドさせた。

 私たちのいる空間が廊下との繋がりを失った直後、ドアについている磨りガラスがオレンジ色に染められる。熱がドア一枚挟んだ先にも伝わってくるけれど、残念ながら私に動く体力は無い。力尽きて倒れる直前、事態を把握したナオさんに抱えられてドアから離れる。


「あなたは…」


 頭痛と全身の痛みに耐えていると、ナオさんの呟きが聞こえる。しかしその続きは言わない様で、ナオさんは少しだけ頭を振ると私を備え付けのベットへと降ろした。どうやら飛び込んだ先は病室らしい。個室である私の病室とは違い、共同の病室で4人分のベットと仕切り代わりのカーテンが見える。幸いにも患者さんはいない。


「…何はともあれ助かりました」

「その言葉を言うのは少し早いですけどね」

「それもそうですね」


 何とか余裕を作って答えると、くすっとナオさんが笑って張り詰めた空気が和らいだ。

 「ちょっと待っててくださいねー」とナオさんが私の座っていたベットの下を漁ると、弾倉がいくつか出てきた。余りお近づきになりたくない物が出てきて私の神経が引き攣る。「ベッドの下にある物と言ったら桃色書籍の類じゃないのか!」と脳裏で艦長が叫んだ。


「これからどうします?」

「そうですねー…」


 ガチャガチャと弾倉を交換している姿をなるべく見ないようにしながら聞くと、ナオさんは窓の外を見た。


「幸い病室みたいですし、この際手段は選んでられません。窓から逃げましょう」

「それは…つまり?」

「はい、飛び降りましょう」


 おずおずと尋ねてみると、とても素敵な笑顔でとても恐ろしい事を告げた。少し考えて欲しい、私には紐なしバンジーなんてものをする度胸は無い。お断りする!


「何か問題でもありますか?」

「えっとですね…」


 考えろ、考えるんだ私。このままでは私の身体が宙に舞うことになるぞ。大体、どうやっても飛べない事が分かっているのだから何度も挑戦するのは阿呆のする事だ!


「飛び降りる点なら私が抱えるので心配いりませんよ」

「ほう」


 ナオさんの一言で一気に問題が解消されてしまった。ナオさんに抱えられて飛ぶのであれば、何の問題もないではないか。自由落下何てアトラクションみたいなものだ。怖いのは我慢しろ。


「…ん?」

「どうしました?」

「いえ、何か忘れてる様な…」


 はてさて、と考え込む。何だか親切な誰かさんに忠告をされた気が…?どうも今晩だけで色々な事が起きすぎて記憶に混乱が生じている様だ。

 窓から出ると…何かが…燃えた…気が?

 思い出した私の脳裏に電流走る。ついでに人形に付いて来た怪奇文の内容も浮かんできたが、さらりと見なかったことにする。


「ナオさん、窓は使えないので別の出口にしましょう」

「んー…?」

「えーっとですね…原理は知らないんですが、窓から出ると燃えます」


 何て説明しようか?と悩んだ挙句、何の捻りもない解答を出した。幸い、ナオさんにはそれだけで合点が言ったようで窓の外を睨みつける。


「結界…ですか」

「たぶんそんなものです」


 ケッカイ?何それ美味しいの?という疑問はそっと心にしまっておく。あまり長居をしてるとこの場で襲われるという最悪の事態になる。窓という出口が無い以上、ドアから侵入してくる輩から逃げるには骨が折れるだろう。


「そうなると1階のドアも塞がれてそうですね…どうしましょうか?」

「そりゃ勿論…」


 首をかしげたナオさんに向かって指を出す。何の根拠もないけれど、あそこなら平気だと直感が告げている。どうやら今日の私は変なスイッチでも入ってる様だ。


「下がダメなら上から逃げましょう」

「…それもそうですね」


 ナオさんが面白そうに笑うと、無造作に銃口を上へ向けて引き金を引いた。行動に一切の迷いが無い。頭上に患者さんが居たら凄い事になっているだろう。そしてこの場にアリスが居たら頭を抱えているだろう。責任を取る立場は大変だ。


「ではでは行きますかー」


 耳を塞ぎながらパラパラと落ちてくる床を眺め、早くも後悔し始めている私をナオさんが抱えた。



□ □ □ □



 ガンッという破壊音をまき散らしながら、屋上を塞いでいたドアが蹴り飛ばされた。天井をぶち抜いた事で箍が外れたのか、ナオさんの破壊活動は収まる気配を見せず、ついにドアを破壊するまでに至った様だ。上下へと重力を無視しているかのごとき高速移動で三半規管がやられ、いよいよ魂がやられるかと覚悟し始めていた私はその音で意識を回復させる。


「どうやらココは出ても大丈夫みたいですねー」


 何処か遠くでナオさんの声がする。ぼーっと視界を動かせば、蹴り飛ばされたドアが哀愁漂う姿で屋上を滑っていた。ドアが燃えてないから大丈夫なんだろうなーとぼーっと考える。

 外へと出た。ひんやりとした風が心地よい、というには些かひんやりとしすぎている。どちらかというと寒い。実に寒い。肌着一枚の私の皮膚を刺すような冷たさが襲う。


「少し準備をしますね。立てますか?」

「な、何とか…」


 ペタりと数分ぶりに我が足で踏みしめた瞬間、じっくりと冷却され続けた硬い床に素足が晒させて変な声が出そうになった。


「んー?何か言いましたか?」

「だ、大丈夫です」


 鉤の様な物を手にしているナオさんへと答えると、寒さに耐えきれなくなった体が震えはじめた。屋上には落下を防止するためであろうフェンスと、まっすぐフェンスの向こうへと伸びているワイヤーが見える。ワイヤーの高さは私の腰くらいで、特殊部隊が屋上から突入するものに似てる気がしなくもない。映画での知識だが。

 すると震えながら辺りを観察する私に追い打ちをかけるかのように、シトシトと雨が降り始めた。雨は嫌いじゃないけど今は止めて頂きたい。

 「少し急ぎましょうか…」とナオさんが呟き、落下防止用のフェンスを蹴り飛ばした。哀れにも夜闇の向こうへと消えていくフェンス。落下防止の役割を持って生まれたというのに、我先にと落下していくとは…世知辛いな。


「…寒いの?』


 生まれたての小鹿の如く震えていたら、ナオさんが私の顔を覗き込んできた。そんなこと聞かなくても察してほしい。答える元気が無いので黙ってがくがくと首を振ると、「うー…』と唸った。

 ところで、なんで少女の姿なのだろうか?

 少女もといナオさんはしばらく唸ると、何かを思いついたかのように私の後ろに回った。バックドロップでもするんだろうか。是非やめてほしい。

 寒さで朦朧とする頭でバックドロップの抜け方をぼんやりと考えたら、後ろから白い布が掛けられた。のろのろと視線を動かすと、ナオさんが着ていた白衣らしい。


「良いんですか?」

「はい!」


 私が振り返りながら聞くと、ナオさんが笑顔で頷いた。いつの間にかナオさんが元の大きさに戻っている。しっとりと濡れてる白衣を着ても全く暖かくはないけれど、せっかくの好意は受け取るのが大人というもの。


「それじゃ、使い方を説明しよーと思います!」

「ん…?」


 私が『うわぁ…ぶかぶかだー』と哀しみを感じていると、ナオさんが「どーぞ」と鉤みたいなのを手渡してくれた。鉤らしきものには取っ手がついていて、ちょうどFの字みたいな形をしている。

 ナオさんが「こうするんですよー」と取っ手をにぎにぎするので、私も見習ってにぎにぎしてみたらFの下の棒が閉じたり開いたりした。何となくにぎにぎとしていると、ナオさんが一言「うむ」と頷いた。一体この行為に何の意味があるのだろう。


「それじゃ私は先に降りてますから、ちゃんと付いてきてくださいねー」

「へ?」


 とんでもない事を言われた気がするので思わず聞き返す。


「運んでくれるんじゃないんですか?」

「馬鹿言わないでください!怪我人を連れて降りれるほど私は自分の力を過信してません」


 私も自力で降下できるほど自分の力を過信してないのだが、その辺りはどうお考えなのでしょうか。というか手足がまだ完治してないんですが、その辺りどの様なお考えなんでしょうか。


「…命綱みたいなものは?」

「ちゃんと落ちても受け止めるから安心してください」


 「だいじょーぶ、だいじょーぶ」と無根拠な笑顔の人に「馬鹿を言ってるのはお前だ!」と声を大にして言いたくなる。落ちる落ちない以前に降りれないと思うのだけど。

 ナオさんはそれ以上の私の抗議も聞かずに、ワイヤーに鉤を引っ掛けると勢いよく降りて行った。えっちらほっちらと近づいて見下ろすと、トントンと景気よく壁を蹴りながら遠くなっていく白い人が見える。その光景に思わず「うわぁ…」と声が漏れた。高い、とにかく高い。

 このまま何も考えずにナオさんの真似をしたら最後、私の身体は紐なしバンジーを決行する事となるだろう。何か手を打たねば。

 今日何度目かの危機的状況を如何に切り抜けるかどうかを考えていると、突如ギュルギュルとワイヤーが音を立てた。音の先を視線で追うと、途中で切られたワイヤーが下へと落ちていく。私にワイヤーを掴んで止めるなんていう気の利いた事なんて出来るはずなく、片目が落下しているナオさんの白い影を捉える。

 え…落ち…た?なんで?切れ…?


「たかが人間風情が、随分手間取らせるじゃない?」


 私の背後から声がすると、首根っこを掴まれ放り投げられた。天地がぐるぐると回る中、疑問はすぐに解消される。

 そこでは炎を纏っている人が、手に持っていたナイフをへし折って捨てていた。



□ □ □ □



 しばしの浮遊体験の後は強烈な刺激が待っていた。意識を殺そうとして来るほどの激痛に思わず息が漏れる。けれど、私の身体はのた打ち回る事も出来ずに首を掴まれると持ち上げられた。

 全体重が首に掛かって息が出来ない。何とかあがこうとするも、首に掛かった手が外れることは無い。必死にもがきながらも、『死にたくない』という気持ちより先に『なんで邪魔をするの?』という単語がなぜか脳裏に浮かぶ。


「苦しい?」


 ナースさんが何か聞いて来るけれど、答える事が出来ない。私を掴む腕から血の匂いがしてくる。


「言わなくても解ると思うけど、下手な事をしたら首の骨を折る」


 苦しい。苦しい。苦しい。


「さぁ答えて。神器はどこ?答えたら楽にしてあげる」


 何か声に出そうとして口を開こうとしたら、微かに空気が漏れた。

 それを察したのか、ナースさんは再び私の身体を放り投げた。私の身体はボールの様にゴロゴロと屋上を転がると、ドアへと当たって止まった。傷口が開いた様で、お腹から赤い色が滲んできた。赤い滲みは箱を入れたポケットへと流れて、熱を発し始める。

 痛い。全身が痛くて、何が痛いかなんてわからないほど痛い。

 片目に見えるのはこちらへと近づいてくる橙色の炎、もう片目は地上へと落ちていく白い人。

 なんで邪魔をするの?どうして私以外を巻き込んだの?どうしてそっとしてくれないの?

 ぐるぐると思考だけが回る。


「話す気になった?」


 誰かの声に混じってくすくすという笑い声が聞こえた直後、ガラスの砕ける音が何処か遠くで聞こえた。その瞬間、身体の痛みも、心の痛みもどこか遠い物の様に感じられて思わず笑みがこぼれる。

 いいよ、話して欲しいなら話してあげる。


「…ねえ竜族さん。ねえ竜族さん?一体あなたは何を怖がってるの?」


 私の口から声が漏れると、動きの止まる気配がする。


「私が怖がってる?」

「違うの?それとも自覚が無いの?誇り高き竜族さん」

「…」


 何も面白くないのに笑みが広がる。身体は全く動かないから、せめて言葉だけは相手を傷つけるために動き始める。


「ねぇ竜族さん。子供のおつかいは楽しい?深夜にこそこそと忍び込んで、たかが人間風情に逃げ回られて、今のあなたの行動のどこに誇りがあるの?それともネズミの真似事をするのがあなたたちの言う誇り?」

「黙れ」

「そんなくだらない物を大切にしてるから、あなたたちは絶滅するところまで追い込まれているんじゃ無いの?」

「…黙れ」


 私の首に手が伸びると、力付くで持ち上げられる。また気道が閉められるけれど、声は出せる。


「ほら…言い返せなかったら力任せ…ねぇ…それって楽しい?弱い者を甚振って…それで保てるほど…あなたの誇りは軽いの…?」

「…黙れ!」


 雨が目に入ってくるのが煩わしいと思いながら、こんな光景どこかで見たな…と思う。

 細くて熱いモノが首に絡みつく。ギリギリと込められる力は呼吸どころか私の生命すらも止めようとしてくる。まるで他人事みたいに状況を眺めていたら、ふと目覚めの時を思い出した。

 なるほど、夢の中で見たのか。つまりあの夢は、今現実となっていたのか。

 合点がいって笑みが止まらない。


「次…無駄な事を言ったら…殺す」


 彼女は私を睨みつけながら込み上げるものを抑える様にしていった。だから答えないといけない。無駄な事だなんてとんでもない。たぶん、今の私は私は首が折れても言葉を止めないだろう。


「ねぇ竜族さん…誇り高き…竜族さん…たかが人間に…殺されかけた…気分は…どうだった…?」

「っ!」


 擦れた声が出た瞬間、彼女に限界が来たのか私の身体が宙へと浮いた。

 どうやら投げられたらしい。今この瞬間は、何処までも夢の通りに進んでいる。

 ああ…なんて…。

 映画の様にスローで流れる世界の中、空を飛べるかな?と少しだけ期待してしまう。

 夢の中で飛べなかったのだから今飛べる事はないか…それにしても、服がずぶ濡れで気持ち悪い。白衣を汚してしまったけれど、ナオさんは許してくれるかな?

 右には地面、左には雨雲。そして両目が捉えているのは、火球を作り出している彼女の姿。その姿には塵一つ残さないという強い意思がひしひしと感じられる。何もかも予定通りでつまらない世界の中、炎に照らされた赤い髪が少しだけ綺麗なのだけが嬉しい。

 殺意を込められた彼女の目と口角の上がりっぱなしの私との目とが合うと、火球が私に向かって撃ち出された。

 なんて…つまらない現実。

 当たり前の事実が何だか面白くて、思わずくすりと笑った。



□ □ □ □



 ナースさんから火球が撃ち出され、いざ私を塵にしようとする直前、私の後ろから飛んできた水の塊が火球へとぶつかった。ジュワァと水が蒸発する音が聞こえてくるのと同時に私の身体は誰かに抱きとめられ、言いようのない安堵に包まれる。

 けれども哀しい事に大変熱い水蒸気が私に襲い掛かってきて思わず悲鳴を上げる。


「あつっあつっ!あ、アリス!?もうちょっと優しく助ける事は出来ないの!?」

「ほぅ…?随分元気そうだな?」


 箒に腰かけながら空を飛んでいるアリスへと抗議をしたが、目が合った瞬間凍りついた。背筋に冷たいものが走ったのは決して寒いからではない。


「あ、あの…アリスさん?」

「何だ?」

「えっと…私の勘違いだといいのですが…もしや怒っていらっしゃる?」

「そう思うか?」


 にっこりと笑いかけてきたので、私も『心の広いあなたが怒る訳ないよね!』という気持ちを精一杯込めて笑い返した。


「入院した時、私言ったよな?」

「はい?」

「危ないことはしないでって、ちゃんと言ったよな?」

「アー…ソ、ソウデスネ…」

「そうか、覚えてたかー」

「も、もちろんだよ!」

「つまり覚えていたのにこんな無茶をした訳か」

「…」


 その時の私に、どんな顔が出来ただろう。

 突如アリスは無表情になると私を抱きしめていた手をゆっくりと放し始めた。


「ちょ、落ちる!落ちる!落ちちゃうから!手を放されると私落ちちゃうから!」

「少し…頭冷やせ」


 抵抗空しく落下していくマイボディ。

 誰の力も借りずに重力に逆らい続ける事は不可能であるわけであり、このままだと高いところから熟れたトマトを落下させるが如き惨状を晒すだろう。

 一体私に何が出来るのか!答えは一つだ!

 そっと目を閉じて現実を受け止めよう。


「もう…危ないですね…」


 トンッという予想より遙かに軽い衝撃の後、私の頭上から声がした。なんか今日の私こんなのばかりだな。

 何の覚悟もなく目を開けて、不動明王(アリス)が居たら心肺停止の可能性すら危惧されるので、恐る恐る目を開けると茶色の髪が飛び込んできた。


「おはようございます、旦那様」

「アイ…さん?」

「はい!アイはココです!アイは旦那様の目の前にいますよー」


 なんでココに?という疑問を掲げながら頭上を見上げると、空を飛んでいるアリスがナースさんだと思われる竜と異次元バトルを繰り広げていた。冬空に炎と水と水蒸気がまき散らさせて大変熱そうだ。

 …見なかったことにしよう。


「ところでアイさん、どこに向かってるの?」

「何処って…私たちの愛の巣に決まってるじゃないですか」


 至極当然の疑問をぶつけてみたら、アイさんに「もう、旦那様ったら」と軽く小突かれる。何が決まってるんだろうか。そして小突かれた直後、病院の方から殺気を感じるのは気のせいという事にしたい。


「…もう復活しましたか…しぶといですね」


 アイさんが舌打ちして振り向くと、泥まみれとなったナオさんが鬼のような笑顔で立っていた。


「何処に連れてく気ですか?その人は怪我人なんです、返してください」

「守りきれなかった分際で返せですか?どの口が言えるんでしょうね?落ちた時に頭でも打ちましたか?」

「肝心な時に役に立たない何処かのお人形よりはマシだと思いますよ?…ごたごた言わずに渡せ」

「…くたばり損ないの駄猫に渡すと思いますか?」

「…壊れかけの木偶の坊には何を言っても無駄でしたか」


 …よし、何も見なかったことにしよう。

 罵り合う二人の声を聴きながら、心身共に限界を迎えた私はそっと意識を閉じた。

 神様神様、どうか私が無事で今日という日を終えれますように…。

私の敬愛する作家さんがこう言いました

「進んでいればいつか終わりは来るさ」

私はその言葉を信じ

ある時はお酒を飲み

ある時はネトゲの倍期間という事で数時間MOBをしばきつづけ

ある時は無職になりつつある友人をあの手この手で無職にしようと画策しました

そんなに多忙だったのだから、半年遅れた理由は仕方ないよね!


という言い訳はダメでしょうか?ダメしょうね?


すでに言い訳は活動報告で嫌というほどしましたので何も言いませぬ

まさか半年も空くとは思わなかったぜ!

半年の間にただでさえ少ない読者がさらに離れた気がするぜ!


圧倒的詰め込み過ぎ感!

こうなった事実には原因があります!

('A`)カットするの忘れちゃった☆ミ

最初と最後で半年くらい時間の差があるからね、出す情報と後に出す情報の管理とか忘れるよね


何だか微妙に核心に迫ったような迫ってないような第12話!

次話は一体いつ出るのか!

そしてこの話は何時終わりを迎えるのか!

そもそも終わるのか!

乞うご期待!

待ってくれる人は気長にお待ちくだされ!


しかしなぜまえがきとあとがきを書くときはこんなに筆が進むのでしょうか?謎である


ではでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです

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