アベンジャー
※ナンセンスやサスペンス、ムード、デザイン、エロ、グロ。それそのものを描くのを目的とした作品です。
閲覧時、不快になる可能性もある特定の残酷描写があります。
ご注意くださいませ。
『いったいどうすればこんな残虐なことができるのか、犯人に聞いてみたいですよ』
言えるものなら言ってやりたいね。もちろん台詞は「サイコーだ! 楽しい!」以外には考えられない。ジョーンズは毛布替わりの新聞紙を脱ぎながら、そう思った。
スラムの濁った空は微妙に白くなっている。どうやら朝らしい。
体を起こすと慣れたはずの体臭がプンとにおって、ジョーンズは思わず顔をしかめた。
だが、別に自分だけが臭いのではない。彼より遥かに年季が入った臭いを振りまく連中が周りで雑魚寝していたからだ。
公園の隅にある打ち捨てられたビル。『ファック』や『クレイジー』だのとスプレーで落書きされたコンクリート壁の下に、浮浪者たちのコロニーはあった。それこそパーティの打ち上げで酔っ払ったってここまで密集して眠ることはあるまい。それでいて、全員がシャワーなんか年単位で浴びたことがない腐った連中ばかりだった。
浮浪者たちはどこで手に入れてきたのか、小型テレビの画面を虚ろな目で見ている。どうやら今しがた聞こえてきた取り澄ましたニュース・コメンテーターの声はそこから聞こえてきたようだ。たしか声の主は、犯罪者の人権だの、心理だのに執心している大学教授だったか。
(くそくらえだ)
ジョーンズは、今すぐ教授キャスターの首も掻っ切ってやりたい衝動に駆られた。
「なぁアンタ、アンタよ。新入りだろ?」と横合いから声がかかる。
振り向くと、八割方の歯がすっかり抜けた卑屈そうな男が、ジョーンズに擦り寄ってきていた。きっと生まれてこの方水浴びしたことさえないだろう。ひどく臭い。黒ずんだボロ布みたいなコートは黄色い染みだらけ。下水で洗濯した方がきっと綺麗になる。そんな生ゴミのゴーレムみたいな男が何の用だというのか。
男の表情に含まれているのはわずかばかりの緊張と、優越感。
「し、新入りはよ。最初に手に入れた食いもんを一番の古株に差し出すってルールがあるんだ」
言いながら、さも親切そうに装って男は横目でテレビの前の『古株』をちらりと見やった。
優しく、先輩風を吹かして組織の掟を新入りに語ってやる男。だが、あまりにも『くさい』演技に、思わずジョーンズは笑ってしまいそうになった。
「だからよ。分かるだろ? お前さん、昨日の夜ポケットに缶詰を忍ばせてたじゃねえか」
その実は、浮浪者内での力関係で上位に立ちたいからと、新入りにさも『自分の方がよく知っているんだぞ』と自慢げに言わしめたいだけにすぎない。どうせ一番立場が弱いくせに。
(すきっ歯も、いじめられてなくなったんじゃあないのか?)
荒い息を吐きながら、しつこく、しかし遠まわしに「食い物を古株の彼に渡せ」と食い下がるすきっ歯。息も、体臭も、臭い。とにかく臭いのだ。我慢の限界だった。
「おい、とっととよこさねえか」言ったのは古株の男かすきっ歯か。どっちでも知ることかよ。
稲妻のような動きでコートの裏から飛び出したジョーンズの腕には、ナイフが握られていた。
それも、そこらの台所にあるような果物ナイフではない。キャンプでも使わない、大型の獣を捌くために使う蛮刀だ。
『犯人は一週間前、ブラウン氏の地下室で三人を殺害。そのうち一人は大型の刃物のようなもので全身をバラバラにされた状態で発見され、DNA鑑定による身元確認が進められています』
しんと静まり返った浮浪者コロニーに、無機質なテレビ・キャスターの声が響いた。
舌打ちも出てこない。
そう――自分がやったのだ。
目を閉じれば昨日のことのように思い出せる。
地下室は赤かった。血で真っ赤だった。腕を落とされて泣き喚いていた男の血。足元には犯され全裸になった妻と娘の死体。
今頃、警察は血眼で猟奇殺人犯であるジョーンズを探していることだろう。
半ばヤケになっているのが自分でも分かった。ジョーンズは、ここにいる全員もバラバラにしてやろうかとさえ考える。
そっと動かした刃先が、硬直したすきっ歯の頬を撫でた。びくんと震え、男の頭からフケが肩に落ちる。
ゆっくりと睨めつけるようにして『古株』たちを首を傾げて見ると、濁った目が何対もジョーンズの顔を眺めていた。どいつもこいつも、教会の配給や、支援施設での職探しすら諦めてしまった奴ら。ここで死んだったって構わないような連中だ。
(だが……気持ちいいのは、のたうち回って、謝りながらヒイヒイ喚いてるのを見るときだ)
唸るように鼻を鳴らし、ジョーンズは立ち上がる。
くたびれてきたコートを引きずるようにして古株のところまで行くと、そこに置いてあった缶詰や、配給品の食物をごっそりと抱える。「あ……」という呟きを放ったのは白髪頭の男だったが、瞬きと同時にナイフを振って、そいつの白髪を何束か切り落としてやった。
コロニーから立ち去りながら、ジョーンズは次の獲物のことを考えた。
夜も更けてくると、住宅街を抜ける秋の寒風がジョーンズを震えさせた。
思うに、人間というやつは誰しも殺人衝動を隠し持っているものだ。
今では猟奇殺人犯だが、つい先日まで一介の商社マンだった自分が言うのだ。間違いない。
手足の指を一本一本落とされ、足の腱や腕の骨を大型ナイフで割られながら泣き喚く男の顔は、今思い出しても笑えてくる。
とはいえ、はやく次の相手を見つけなければいけない。
目星は付けている。
遠くから聞こえてきたサイレンに、さり気なく建物の陰に身を隠す。
通り過ぎていくパトカーのヘッドライト。いつ手錠と拳銃を持った黒人警官が降りてきて自分の方へ向かってくるか。想像するだけでゾッとする。
ドブの臭いがするビル陰のパイプに、誰かが捨てたであろう新聞が引っかかっていた。ガサガサ言っているそれを掴み取って広げる。
『プラスチック爆弾3キロが盗難! 犯人は卸売の担当者か!』
『違法ポルノ大規模摘発。大物政治家の関与もあると見られるが、氏は否定している』
『薬物による強姦殺人事件。国内で昨年比3%増加』
などの見出しの中に、自分のやった事件について書いてあった。
『いまだ犯人は見つからず。一家殺人事件。ブラウン氏と見られる男性のバラバラ死体』
担当記者によるライティングはいくつか事実と食い違う部分もあった。横に立って「それは違うよ。このとき野郎は床に落ちたペニスを自分で踏んじまって、オカマみたいにポロポロ泣いてやがったんだ。いや、きっとバイ・セクシャルだったんだろうな」とぺらぺら指摘してやりたいが、もうそれはできなかった。
それに、あのコロニーの連中も警察に泣きついているだろうから、浮浪者に身をやつすこともできない。こうしてノコノコ歩いていることだって、いつ警察に捕まったっておかしくないのだ。もう殺せなくなるなんて、考えられない。
そうして住宅街をふらふらとさまよい歩いていると、彼は獲物を見つけた。
鈍そうな足取りで、初老の男が二階建ての家に入っていく。歳にしては大柄だが、自分の方がきっと力も強い。
にたり、とジョーンズは口の端を持ち上げ、笑みの形に歪めた。
あの家だな。薄汚れたコートを引きずるように、低い姿勢でジョーンズはその家に近づいていく。
表札には『アルベルト=パーカー』という名前が貼ってあった。それ以外の名はない。
(『ひとりぐらし』か)
警報装置がいくつかあったが、ある程度は無力化できるようなレベルだ。慌てずにそれらを掻い潜って、ジョーンズは窓に忍び寄った。
鍵が掛かっている。駄目だ。これも閉まっている。くそ。
しかし、空気を取り入れるためか一つだけ窓の鍵が開いていた。しめたものと窓枠に足をかけ、体を滑り込ませる。
一人暮らしにしては少々行き過ぎた感のある、豪奢な一軒家だった。リビングの広さだけでも車が二台は入りそうなくらいだ。
趣味の良さが伺える毛皮の絨毯と、革張りのソファ。
壁に掛かっているのは中世風のフリントロック式ピストル。模型だろう。そんなものに興味はないのだ。
ジョーンズはソファの尻にあるクッションを持ち上げて手を突っ込む。銃などを隠しているなんて様子はないらしい。しばらくそこをゴソゴソしていると、キッチンから足音がした。
懐からナイフを取り出し――抜き放ったのと、初老の男アルベルトが奥からコーヒーカップを手に現れたのは、ほぼ同時だった。
「なっ、なっ!?」
縦にも横にも大柄な、背の高い人間が中年太りしたら『こうなる』という、分かりやすい体型。シワだらけの口元、髭と頭には白髪がメインで黒髪が混じっている。
相手はジョーンズを見るや、驚愕の表情を浮かべた。
その様子がおかしくて、声を出さずに喉の奥で笑う。
「き、きみ。他人の家に勝手に上がりこむなど、非常識じゃないかね?」
何とか平静を装って、アルベルトが後退りながら言う。ジョーンズの哄笑が止まった。
「何とか言ったらどうだね!」
頭にきた。
もっと、怯えさせてやりたい。
のたうち回らせてやりたい。
芋虫のように這え。
ジョーンズは、床を蹴っていた。
間合いが詰まる。ソフトボールの下手投げのように、低い軌道からナイフを突き出す。ジョーンズが持ったナイフの一撃に対し、
「ひぃぃぃっ!」アルベルトが持っていたのは一つだけ。コーヒーだ。
淹れたてのコーヒーが、宙を舞う。
(コーヒーごときがどうした)
構わず突っ込んだジョーンズの一撃が、空を切る。ちょうどコーヒーが目くらましになってしまったせいだ。
さらにやっかいなことがある。熱いのが好きなのか、アルベルトのコーヒーが予想以上のダメージだった。まともに引っ被った顔の左半分がじくじくと痛む。
ムカッ腹が立った。
見た目の割には機敏な動きで背を向けるや、アルベルトはキッチンへ引っ込んでいく。
逃がすものか。
ジョーンズだって、軍隊格闘術の達人というわけではない。ナイフを構える姿はどう見ても素人だし、本来なら半身になって腰を落とすところを、あまりに前傾した姿勢を取っている。
だがそれでも『殺れる』という感覚があった。
それは相手の見た目や年齢から頭で考えたものではなく、実際に刃物を突き込んで、相手が退がったときの動きから察したものだ。自分と同じ――もしかしたら、まともに喧嘩すらしたこともない男。それなら、単純に若く、武器を持った自分の方が。
ヒュー、ヒュー。
息を整える。吐き出すのは掠れた音だけ。無闇に振り回したり、飛び込んだりはしない。
前傾姿勢のまま、じっくり、相手の陣地を占領していくように――相手に恐怖心を抱かせる『演出』――ジョーンズは、細い通路のようなキッチンの奥へとすり足で入っていく。
冷蔵庫の前でアルベルトは座り込んでいた。シンクに寄りかかるようにして体を支え、何とか堪えようとする姿は癇に障る。その手には包丁。ごくごく普通の、穴あき包丁。
(それで何をしようってんだ?)
正直、ジョーンズが握る蛮刀じみた極厚ナイフと比べ、あまりに貧相。
しかし、それだって刃物には違いない。
もしも揉み合ったりしてジョーンズに刺されば、絶命させることさえ難しくはないだろう。
だから、ジョーンズはあえて速度を緩めた。つまもうとしたら二センチほど壁を登る虫のように。
闇雲に踏み込むべきではないのか? それとも一気に飛び込んで包丁を無力化するのがいいのか?
それすらも判断がつかない。
(どっちだって構うもんかよ)
もういいのだ。
強張った顔のアルベルトを見ていると、そんな気持ちが浮かんだ。
「き、貴様! 私にこんなこと、こんなことをしてただで済むと――」
口角泡が飛ぶよりも先に、ジョーンズは無造作に踏み込んでいった。
するりと突き出したナイフが、右肩の辺りへ刺さった。ぶじゅっと、果物に突き立てたような汁気のある感覚が手に帰ってくる。
「い、ギ、ぃぃァあああああああああああああああああああ!?」
ショック反応で肩から先の右腕がマスでもかいているようにガクガクと痙攣する。そのたびに食い込んだナイフの切っ先から赤いドロっとした血――若い男の血はもっとサラサラしていたように思う――が吹き出し、辺りに甘い匂いを振りまいた。
トマト入り手榴弾が炸裂したように、キッチンの床に赤い汁がボタボタと落ちる。
これだ。
これが見たかった。
目を限界まで見開いて、だらしなく開いた口から舌を出しながら絶叫するアルベルト。
ジョーンズは、精通を迎えた少年のように恍惚の笑みを浮かべ、堪能する。
他にもイケるだろう。
ぐいっと引っ張る。わずかな抵抗があって、ナイフが抜ける――これは生肉でしか味わえない感覚だ。そのまま大振りのナイフをクルリと手の中で返し、アルベルトがシンクに引っ掛けている左手に振り下ろした。
ドン! と鈍い音。外してしまったかと思ったが、ボド、ボド、とシンクの中にロールキャベツみたいな太さの指が二本落ちていた。
「あぁァァァァァああああああああ!!」
発情期の馬みたいな、情けない悲鳴が耳をついた。アルベルトの左手の指が三本になっているのを見て、ジョーンズはせせら笑った。
(そんなんじゃないだろ。もっとだろ)
だいぶ刃物を振るのにもこなれてきた。強引に使ったために刃が欠けてしまったかもしれないナイフを、頓着せずにアルベルトへ向かって振り上げる。
(どこにしようかな。頭じゃ面白くない。別の場所に――)
そこで、反撃がきた。
中年太りした巨体を生かした、低空タックル。アメフト選手が見れば鼻で笑ってしまいそうなお粗末なものだったが、狭いキッチンでは意外にも効果を発揮した。
棒立ち状態だったジョーンズの下半身は見事にバランスを崩す。金属棚に眼窩を打ち付けながら彼はぶっ倒れてしまった。アメリカンサイズ(つまりは無駄にカロリーがたっぷり詰まった)のシリアルの箱やらゼリービーンズの瓶が頭上から降り注ぎ、背中や後頭部に直撃する。
ジョーンズの足元をモゾモゾくぐり抜けたアルベルトは、戦車のようにキッチンから逃げていく。
待ちやがれクソデブジジイ。と叫ぼうとしてやめ、ジョーンズは赤色しか見えなくなった右目を鑑みることなく後を追った。
リビングに戻るのではなく、玄関口の横にある階段へ。四つん這いの姿勢で醜く走っていくアルベルトは傍から見ればきっと愉快だっただろうが、ジョーンズはもうアルベルトを殺すことしか頭になかった。
怯えて、許しを請うべきはずのアルベルトが無様にも反抗してきたことが気に食わない。
階段を上がる動きさえアルベルトは緩慢だ。ジョーンズは二段飛ばしで階段を駆け上がり、寝室のドアノブに手を掛ける初老の男の腹を、サッカーボールに見立てて蹴り入れてやった。
潰れたカエルみたいな苦鳴を漏らし、自ら開いた寝室に転がるように入っていくアルベルト。
ゼェゼェと息を整えジョーンズも入っていく。
ベッド脇の電話機の傍に、小ぶりなリボルバー拳銃が置いてあった。
どうやら、この期に及んでもまだ抵抗するつもりだったらしい。
「あ、ぐ…………!」
のろのろとそれに手を伸ばすアルベルトへ、再び蹴りを入れる。
勢い余って電話機に頭から突っ込むアルベルト。不幸な――彼にとっては――ことに、受話器と拳銃はベッドの裏側へとすっ飛んでいってしまった。あれでは探すのも一苦労。
運のない野郎だ。
にたりと笑いながら、ジョーンズはとうとう、ナイフを振り上げた。
アルベルトの濁った碧眼が、怯えの色に染まる。
それだ。それでいいんだ。
ヒヒヒと喉の奥から声が出てしまう。ジョーンズは、わざと口の動きが見えるようにして、無言で言ってやった。
『くたばれ』
赤いスープに浸したかと見紛う真っ赤なナイフを振り上げる。柄からはアルベルトの血がぽたりと垂れた。
そこで、ジョーンズの胸に穴が開いた。
後ろから、ハンマーで思い切り殴られたような衝撃。
それが二度、三度。
ガクン! ガクン! と揺れたのが自分の体だと認識した途端。ジョーンズの全身から力が抜けた。
「大丈夫ですかアルベルトさん!」
「気をつけろ! そいつ武器を持っているぞォ――ッ!」
物音を聞きつけたのか。玄関から一気に階段を駆け上がってきた黒服の男たちは、オートマチックピストルを構え、ジョーンズへ向けていた。
呆然と首を振り返らせたジョーンズは、銃口から立ち上る煙と、自分の胸部に開いた指が入る程度の穴を見た。
「わ、私は機械というものを信用していないんだ」
震える声で、うずくまったアルベルトが呟く。
「だからセキュリティを必ず何人かは自宅の近くで待機させておくし、コールがあればすぐ駆けつけるようにと言ってある」
口の端から血を滴らせ、アルベルトは勝ち誇ったように言った。
「手を上げろ貴様ァ――!」
信じられない、といった表情で固まるジョーンズは、その警告を無視した形になった。
結果。
射殺された。
「ベッド横の受話器が外れると、自動でコールするように設定してあるんだよ」
その声すら、ジョーンズは聞くことができなかった。
「どうも、ご協力感謝します」
少しばかりの事情聴取が終わり、アルベルトは解放された。
すぐさま現場検証を行いたいという移行も政治家としての権力でねじ伏せ、自宅へと戻った。
治療を済ませて痛む両腕を吊りながら、ソファへ腰掛ける。
「面倒なことになった。あの殺人鬼め……」
初老の男が指の欠けた左手で、プラズマテレビを操作する。手の動きに違和感があって、どうも落ち着かない。もたもたと操作し終わってリモコンを放ると、そこには扇情的な映像が映し出されていた。
こういう不愉快な夜は、コレクションを見なければ眠れない。
酒も薬も、女も効かないのだから仕方ない。
ナメクジのように汗ばんだ太鼓腹の奥をまさぐり、股間のそれを外気に晒す。
アルベルトはほくそ笑みながら画面を注視した。
そこには、三人の男女が映っている。
薄暗い部屋で、男と女、そして十歳程度の少女が全裸で拘束され、転がっていた。
『アンタ……アンタは政治家なんだろう!? こんなこと、犯罪だぞ!』
『私はこうしないと眠れないんだ。仕方ないだろう?』
ビデオの中のアルベルトが話す。
『この……アンタなんか、すぐに通報してやる! いや、殺してやるからな! もし妻と娘に手を出してみろ! 絶対に――』
『おい、カメラを貸せ』
指示に従って秘書の男が手渡したカメラで、アルベルトは男の全身を舐めるように撮影する。
『スポーツはしていないのか? まあ、私はそっちの趣味はないからな』
『何をふざけたことを……とっととウチから出ていけ!』
『だが、こっちの趣味はある』
アルベルトの拳が、画面の中で男の顔を殴った。鼻血が吹き出し、拳頭と鼻柱の間に赤い糸がつぅっと伸びた。
『あっ、がっ……!?』
『安心したまえ。証拠なんて残さない。君たちはこの地下室で死ぬんだ』
『こ、の野郎……屑野郎……め……』
『うるさい奴だな君は。少しは静かにできんのかね? なら……おい』
『な、何をする……やめろ、やめろ、や……ぅああああああああああ!』
モニタの中で、秘書が男の顎を押さえつけ、手に持つハサミを動かす。銀色の刃は強引に開いた男の口内へ潜り込み、画面に鮮血が散った。
「はぁ、はぁ……」
ソファに腰掛けたまま、ギラギラと光る目が真っ赤な画面に吸い寄せられる。アルベルトは年甲斐もなく興奮した己を左手で静めんとする。
自分の嗜虐趣味に気付いたのは、今でも忘れない。野党時代に買った娼婦を絞め殺したときだ。
そのときの絶頂はかつてないほどの快楽だった。あの頃は今ほど権力もなく、死体を隠すのには少々苦労したのも今となってはいい思い出といえる。
しかし困ったのは、それ以来はときどき、こうして見知らぬ一般人を使って発散しないとストレスが溜まってしまうことである。長い政界活動の心労によって生まれた悪癖だった。
『こんな、なんでこんなことをなさるんですか……』
赤い画面に女の声が混じる。レンズを指で拭って向けると、後ろ手に縛られた女が、カメラにすがっていた。一糸まとわぬ姿で。
『楽しいからに決まっているだろう? アレを持って来い』
アルベルトは答え、すぐさま秘書が注射器を持ってくる。そのアンプルを画面端に捉えたまま、地下室をぐるりと巡るようにフレームが動いていく。やがて、地下室に置いてあった半透明のプラボックスへ向いた。その陰でガタガタと震える少女へ画面は徐々にズームアップ。
『お願いよ、ねえ。やめて。せめてその子は……ああ神様』
『ママ! パパぁ!』
『んん~、サイコーだな。サイコーにおっ勃つシチュエーションだ』
そのまま映像は続いた。舌を切り取られた男の掠れた声が、時折スピーカーから流れてくるのは不快だったが、アルベルトは満足だった。
「まったく……困ったものだな。ちゃんと全員を処理しておけと言ったのに」
地下室で三人分の死体を処理するはずだった秘書がいつになっても戻ってこず、ニュースで殺人事件として報道されたときはどうなることかと思った。
舌を失った男――ジョーンズ=ブラウンはどうにかして秘書を殺害したのだろう。家までやってきて、アルベルトへ復讐しようと考えたのだ。
だが、もはやアルベルトの脳裏から、ジョーンズ=ブラウンのことはすっかり消え去ってしまっていた。この程度のアクシデントは、議員になってから今までに何度もあった。アルベルトにとって惜しむらくは、自分と趣味が合い、かつ有能な秘書を失ったことくらいだったが、それも二、三日もしないうちに消えてしまう思考だろう。
彼ははやくも揉み消しの算段に入っていた。このまま警察の調べが踏み込んで、秘書と自分の関係が公になるのも面倒だ。優先すべきは操作本部を早めに収拾させること。事件は解決したという展開に持って行かなければならない。
そのための根回しについて考えてから、ようやく思い出したようにモニタの映像へ意識を向け直した。
「おっと、その前にこちらも処理しなければな」
ふふふ、とくぐもった笑みを漏らす。体が揺れ、そのせいで右肩――ジョーンズにナイフで刺された場所が痛んだ。
「ええい、忌々しい」
気分を変えようと、尻を動かし、姿勢を整える。
そのときだ。
「む、ソファの下に何か……?」
ビデオを一時停止し、クッションの下へ手を突っ込む。
中間を失った小指と人差し指が、冷たい塊に触れた。
何だ? と掴んで引き摺り出すと、何か小さな針金が引っかかるような小さい音がする。
手に握られていたのは、グレーの、粘土の塊に似た物体。
そこから伸びていたコードが引っ張られたことで、反応する。
装置を作動させるために、ジョーンズが設置しておいた簡単なトラップ。
次の瞬間。
三キロのプラスチック爆弾は起爆し、アルベルト=パーカーの肉体は砕け散った。
彼が隠し持っていたビデオは後に警察の捜査によって押収され、大物政治家が行なっていた犯罪行為も明らかになった。
色んなテイストの作品を書いてみたいと思います。
ラヴコメとか、SFとか、ファンタジーとか、推理モノ……